第二話 ペインフル・トランジション 3
四
その後、無人の椅子をひととおり調べてみたが、これといって目ぼしい発見はなかった。諦めて順路に戻ると、さっきまで施錠されていた扉が通れるようになっている。俺は迷わず小部屋に飛び込んだ。
今度こそ、くだんのロッキングチェアがそこに見えた。時計の針も一一時五七分に進んでいる。
一度でも椅子に座ること。あるいは、さきの恐怖演出を見届けること。
おそらく、そのどちらかが進行のフラグになっていたのだろう。ビーティー系にしてはシンプルな謎解きである。
さらなる進展を目指し、またも廊下。
これで四週目の廊下になるだろうか……ふふ……
今度の変化も一目瞭然だった。突き当りの角を曲がった先で、炎が燃え上がっていたのだ。
廊下に入った瞬間は壁に揺らめく反射光に、それこそ「火事か!」と慌てたが、急ぎ光源に駆けつけてみると驚くことはない、燃え盛る火炎はちゃんと暖炉の中におさまっていた。
なんとも言い難い光景だった。
実物の暖炉を見慣れていないせいもあるが、それ以上に、こうして通路の中に暖炉があること自体が居座りの悪さを感じさせた。この手の暖房器具は、くつろぎの一室にあってこそ真価を発揮するものだ。
だが裏を返せば、この暖炉が収まるべき場所に収まった暁には相当すっきりするに違いない。
眠気を誘う穏やかな炎を前に、ゆらゆらと安楽椅子を揺らす――想像するだけで頬が緩みそうだ。
そんなわけでいそいそと廊下を通り抜けるも、やはり変化は起きない。「単に前進するだけでいい」という段階はもはや過ぎ去ったのだ。
俺が本格的に困ったのはここからだった。
行けども行けども進展なし。試しに戻るもあえなく空振り。ならばと暖炉を調べてみても、結局徒労に終わるのみ。隠しスイッチの類などは一切、見つからない。
くわえて、小部屋の電話で通話を試みたり、廊下の窓から脱出を図るなどしてみたものの、もれなくすべて撃沈。ここにきて俺は完全に行き詰ってしまった。
何も起きない。何も変わらない。
心臓に悪い恐怖演出もたしかに困りものだが、こうした停滞はそれに輪をかけて厄介だ。手がかりも目新しさもないまま幾度も無駄足を繰り返す。そうなると自然、体力は奪われるし、気力も削がれていく。すなわち集中力が低下するのだ。
そうして集中力が低下すると当然探索が荒くなり、せっかくのヒントを見逃すことも増えてくる。とくればまた無駄足が続き、体力は奪われ、気力も削がれ……まったく、スキも無駄もない完璧な悪循環だ。
そんな状況が続いたからだろう、俺は探索半ばでへたり込んでしまった。
最初に暖炉を見つけてからどれくらい時間が経っただろうか。時計はあるものの動いているのは秒針のみゆえ、経過時間を知るには役に立たなかった。
どういう理屈か腹が空かないのはありがたいことだが、そのせいで余計に時間の感覚が狂ってしまう。いっそ疲れも感じないようにしてくれればよかったのに。
俺は廊下の途中で、壁に背をつけて座り込んだ。例の暖炉を斜め前方に見据える位置だ。
暖炉の正面にいるのも悪くはないのだが、場所が通路だけにいかんせん壁と壁との間隔が狭い。下手に足を伸ばすと、あぶり焼きにされてしまいそうだった。
それに、はす向かいから見ても赤い火が美しいことに変わりはない。心身ともに休息させるならこの位置関係がベストだ。
それが証拠に、俺は自分でも知らぬ間に眠りに落ちてしまっていた。そのまま深く寝付かずに済んだのは、窮屈に座った状態という姿勢と、どこからか聞こえてくる目覚まし時計のベルのおかげだった。
いや――正確には、その音は目覚まし時計に由来するものではなかった。
そのことに気づいた瞬間、俺は大急ぎで青い小部屋に駆け込んだ。前述の音はこの部屋に続くドアから漏れ聞こえていたのだ。
ここに有る物体でその手の音を出すものは二つに一つ。コーナーテーブル上の置き時計か、その横に添えられた固定電話かだ。
息を弾ませつつ部屋の様子をあらためる。音源は間違いなくコーナーテーブル付近だ。近寄って見てみると、古電話が音に合わせて震えていた。
俺は迷わず受話器を取った。
「……もしもし……?」
応答はない。
代わりに聞こえてきたのは、テレビかラジオのニュース報道らしき音声だった。
その内容は聞いていてあまり気持ちの良いものではなかった。男性キャスターの四角張った声が、どこかの町で起きた一家心中事件について語っている。
それからしばらくの間その音声に耳を傾けていたが、これといって有益な情報は得られなかった。その声はひととおり心中事件の顛末を伝え終わるや、また同じ調子で、同じ内容を最初から語りはじめる。どうやら録音された音声をリピート再生しているようだ。
もう充分だろう、と受話器を置こうとしたところで突然、視界が揺らいだ。
何が起きたのかと一瞬慌てるも、何のことはない、揺れたのは俺の視界ではなく、周囲の風景のほうだった。
もしやと思って四方の壁を見渡す。すると、一方の壁に見覚えのある暖炉が現れているのに気がついた。
炉中の火が赤々と室内を照らしだす。燃え盛る火炎の強弱に合わせ、方々で大小の影が踊る。
時計を見る。一一時五八分。
永劫とも思える長く苦しい“一分間”は、このようにして過ぎ去っていった。
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