第二話 ペインフル・トランジション 1
一
目を覚ますと見知らぬ部屋の中にいた。明かりはあるが薄暗く、じめじめとした空気が周囲をただよう。地下室のような感じもするが、窓がないため確かめようがなかった。
ふと見ると、床にフラッシュライトが転がっている。反射的に「なるほど、定番アイテムだ」という考えが頭をよぎった。
俺は自分が誰かを思い出そうとした。が、何も思い浮かばない。「おそらくアメリカ人だろう」という根拠のない感覚はあったが、名前や出生地、および交友関係など具体的なことは何一つ分からない。察するに、その点は重要ではないのだろう。この世界では俺が誰であろうと関係ないのだ。
そんなわけで自分が今どこにいるのかも分からないし、今が何年何月なのかも知りようがない。こうなればやるべきことは一つ。とにかく探索あるのみだ。
足元のフラッシュライトを拾い上げ、スイッチを入れる。すると真っ白い光が前方を照らしだした。携帯できる明かりがあるのは心強い。とはいえ、電気が点いている屋内で使う必要はないだろう。電池を節約するためにも当分、出番はお預けだ。
このライトを除いて部屋内にめぼしい物はなかった。コンクリート打ちっぱなしの壁。天井からぶら下がった裸電球。硬く冷たい床。殺風景という言葉がよく似合う。
四方の壁の一つには扉が見えた。木製で、緩やかなカーブを描く装飾が美しい。ただ、なにぶん周りの景色が灰色一色で無味乾燥なために、その扉はひどく浮いた印象を与えた。
どうあれ進むべき道は一つらしい。俺は扉に近寄ると、恐る恐るそれに手をかけた。
扉の向こうはまた小ぶりな部屋になっていた。
最前の小部屋とは打って変わって華やかな雰囲気の一室だ。四方の壁には細やかな模様が並ぶヴィクトリア朝の壁紙。あざやか過ぎないシックな青が心を落ち着かせる。足元には毛の長い絨毯が敷かれていて、また頭上に目をやれば、質素ながら暖かみのある真鍮製のランプがこちらを見下ろしていた。
――センスの良い部屋だ。ただ、家具がないのが残念なところか。
前述の天井ライトを除けば、家具家電の類は一つも見当たらない。これではくつろぐにくつろげない。土足の文化圏で床に直接寝そべるのは気が進まないからだ……まあ、そもそもゆっくりしている場合ではないのだが。
辺りをうかがうとやはり扉が見つかった。さきほど通ってきたものと併せ、出入り口は全部で三か所。それぞれ向かって正面と背後と右手側である。どの扉もデザインはすべて共通だが、左右非対称の構造のおかげで前後を見失うことはなさそうだ。
さしあたり右手側のドアを調べてみる。開かない。鍵がかかっているようだ。
続いて正面。こちらは抵抗もなくすっと開いた。
ドアの奥には廊下が続いていた。この通路はあるていど真っ直ぐ進んだところで、右に折れている。壁紙などの様子は直前の小部屋とよく似ているが、照明はこの通路のほうが暗めに設定してあった。壁紙の色も青ではなく淡いクリーム色だ。
(もったいないなあ……絵でも飾れば見栄えがするだろうに……)
ミニマルと言うべきか、ここもほとんど物が置かれていなかった。
とはいえまったく空っぽというわけではなく、ちょうど曲がり角に当たる部分には、何やら気の利いた家具が据え付けられていた。腰ほどの高さのコーナーテーブルだ。柔らかい木目がアンティーク調の装飾を一層に引き立たせる。
テーブルの上にはこれまたレトロチックな固定電話と、アナログ式の小ぶりな置き時計とが並んでいる。
現在時刻は一一時五五分。一瞬、今は正午前か夜中前なのかと迷ったが、角を曲がった先にある窓が疑問を解決してくれた。うっすらと埃の積もった窓ガラスの向こうには、深淵を思わせる濃密な闇が広がっていた。
その窓を横目に通り過ぎた先には、またしても扉があった。
その扉を彩る装飾を目にした瞬間、俺は猛烈に嫌な予感に襲われた。俺の見間違いでなければ、そこに浮かぶ模様は以前見たものと完全に一致していた。
(まさか――)
はやる気持ちを抑え、慎重にドアノブをひねる。
扉の向こうに広がっていたのは――やはり、あの青い壁紙の部屋だった。
二
ああ、『ビーティー』か…………そうかそうか……苦手なんだよなあ、怖いから。
『ビーティー』というのは俺の転生前の世界で有名だったゲームだ。
とある作品のデモ版として開発され、短い内容ながらもその卓越した恐怖演出、および謎解きの難解さ等から多数のプレイヤーの心をがっちりと掴み、多くの話題をさらった一作である。
最大の特徴は「同じ空間を何度も行き来しつつ、そこに現れる変化を追う」というコンセプトで、設計によってはマップ構築の手間やデータ容量を抑えつつ、多様なプレイ体験をプレイヤーに提供することが可能となる。
そうした効率性の高さゆえか、この「ループ構造」はインディーホラーゲーム業界に歓喜をもって迎えられ、数多のリスペクト作品が作られた結果、ついにはホラゲファンを中心に〈ビーティー系〉と呼ばれるジャンルが生じるまでに至る。
二〇一〇年代ホラーゲームを語るうえで欠かすことのできない傑作――それがビーティーなのである。
そんな大人気コンテンツにもかかわらず、俺はこのジャンルに積極的に触れてはこなかった。なぜなら怖いからだ
「ホラーゲームが怖いのは当然だ」との声も聞こえそうだが、しかしビーティー系にはループ構造以外にも、プレイヤーを恐怖のどん底に陥れる特徴がいくつも存在する。
没入感抜群のFPS(一人称)視点。目を奪われるグラフィック。プレイヤーをじわじわと追い詰める不気味な変化演出。一切の抵抗を許さない正体不明の敵キャラクター――いくつもの要素が複雑に絡み合い、醸し出されるは格別の絶望感。我ら迷える子羊は、ただクリエイターの手のひらで踊らされるばかりだ。
×
ゆえに俺は、そのとき目の前に現れた青い小部屋に恐怖した。
確認のために辺りを見回すと、正面と背後と右手側の壁にそれぞれ一枚ずつドアが認められた。間違いない。俺がこの場所を訪れたのは本日これで二度目だ。
ただ、さっきとまったく同じ状況というわけではなさそうだった。
ふと部屋の角に目をやると、以前にはなかった家具が見える。それは腰までの高さをもったコーナーテーブルだった。台上にはレトロな電話と時計とが横並びに置かれている。
(あの廊下から移動してきたのか?)
試しに念を入れて観察してみる。そうして近くで見れば見るほど、そのテーブルは例の廊下で見かけたものと同一であるように感じられた。
時計の針は一一時五五分を指している。長針、短針ともに動く気配はない。けなげに堂々巡りを繰り返すのは、か細い秒針のみである。
テーブル一式以外に変化はないか、と辺りを調べるも収穫なし。向かって右手側のドアは相変わらず施錠されたままで、通れるのは正面の扉のみだ。
(いやあ……進みたくないなあ……)
思えど、そういうわけにはいかない。俺はいさぎよく木製のドアをくぐった。
進んだ先には予想どおり廊下があった。クリーム色の壁紙に、少し先で右に折れる構造。さきの通路と同じ物と考えるのが妥当だろう。
曲がり角に視線を走らせる。そこにコーナーテーブルはない。やはり移動していたのだ。
その代わりとでも言うべきか、通路の壁に見慣れない物が出現していた。
新たに現れたのは二枚の絵画作品だった。角を曲がる前と後とでそれぞれ一枚ずつ、しゃれた額に入った油絵が壁にかけてある。のびのびと、かつ細やかなタッチで描かれるのは、どこかの山奥に建つ洋館と、野良仕事に精を出す農夫たちの姿だ。
どちらの絵も趣味が良く、見ていて飽きが来ない。こういう物があるとないとでは同じ風景でもまるで見え方が違ってくる。
さりとて、個人的には見え方など気にしている場合ではない。
同じ空間を何度も繰り返し行き来しつつ、そこに現れる変化を追う――疑いようもなく、俺はその試練の只中に立たされていた。
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