第一話 ミスティヒル 4


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 そんな調子で二階、三階と順々に踏破し、いよいよ四階。この階層にある四〇四号室が、俺にとっての最終的な目的地であった。


 ルーシーが目指すのはさらに一階上の五〇五号室なのだが、相談の結果、さしあたり俺の妻の部屋を先に見に行くことになった。


 四階への進入には居室のベランダにある非常用梯子を用いたため、結果的に、探索開始地点は四一〇号室となった。同階の一番端に位置する部屋だ。


 廊下に出て隣室のドアを見ると〈409〉との表記。ということは、俺たちが目指すのは五つ先の部屋だ。


 頭上では青白い電灯が明滅を繰り返していた。ここだけ蛍光灯が切れかかっているらしい。不安定な明かりの下、進行方向に目を凝らす。


 その時、進路に異常を発見した。廊下のなかほどに怪物が一匹、立っていたのだ。敵はまだ俺たちの存在に気づいていないようだった。


(あいつは何とか始末しないとな……)


 俺は持っていたショットガンをルーシーに手渡した。標的が一体だけなら、こっそり近づいてナイフで仕留めるのが一番だ。


 幸運なことに敵はまったくの無防備、無警戒な状態だった。


 俺は息を殺して獲物に近づいた。決して焦らず、確実に相手の背後まで接近する。やがてここぞという位置まで進むと、俺は手中の刃物を敵の背中めがけて一気に振り下ろした。


――手応えあり!


 だが喜んだのも束の間、すぐそばに見えていた居室のドアが突然、大きな音を立てて開かれた。


 続けざま、部屋の中から化け物が飛び出してくる。新手はたった一匹だったが、タイミングがタイミングだけに対応が追いつかない。新手の化け物と俺はすぐに揉みあいになった。


 こうなると不利なのはこちらである。相手はさすが化け物だけあって、腕力だけは人一倍だ。


(やむを得ないか……!)


 俺は後ろポケットに隠し持った“非常手段”に手をかけた。すなわち、拳銃だ。


 続いて素早く相手の腹部に銃口を押しつけると、ためらうことなく引き金を引いた。一発、二発、三発――薄暗い通路に高らかに銃声が鳴り響く。


 敵はどっと音を立てて崩れ落ちた。顔から地面に激突する。立ち上がってくる気配はない。


(なんとか切り抜けたか……)


 と思いかけたその時、絹を裂くような悲鳴。慌てて背後を振り返る。思ったとおり、悲鳴の主はルーシーだった。


 見ると、彼女の華奢な身体が宙に浮いていた。より正しくは、彼女は何者かによって首元を掴まれ、力任せに持ち上げられていたのだ。急襲に次ぐ急襲。さきほどの銃声で呼び寄せてしまったか。


 どうあれ考えている暇はない。俺は拳銃の照準を新たな標的に合わせるや、テンポよく二度トリガーを引いた。


 束の間の閃光ののち、ルーシーの身体が地面に落下した。彼女は力なく横たわったままぴくりとも動かない。


 対称に、襲撃者の反応は迅速かつ行動的だった。彼は非力な少女から手を離したその瞬間には、もう既に俺に向かって飛びかかりつつあった。


 その時になって気づいたが、この化け物はほかの個体に比べ、二回りほど身体が大きいようだった。二発の銃弾を受けてひるみもしなかったのは、その辺りに原因があるか。


 俺と敵との距離があっという間に詰まる。三たび肉弾戦だ。


 今度は背負ったバールが頼みの綱だった。迫りくる巨体の圧に負けないよう、俺は自ら一歩、前に踏み出した。


 正面衝突――一人の人間と一匹の怪物と、両者の闘志が音を立ててぶつかり合う。片や重厚な金属の塊を、片や頑健な肉体をと、二者はそれぞれの武器を力いっぱいに振り回した。


 しかし実際のところ、勝負は始まる前から決していた。


 俺が渾身の力をこめて振り下ろしたバール。その一撃をしかし、化け物は片手で受け止めた。のみならず、空いているほうの手を即座に俺の首元に伸ばす。俺はいとも容易く敵の魔手に捕らわれてしまった。


 このままでは首をへし折られるのも時間の問題だ。


 だが、させるわけにはいかない。


 次の瞬間、俺は自らバールを手放した。間を置かずジーンズの後ろポケットからリボルバーを取り出す。最前の戦いで撃った弾は合計五発。シリンダーにはまだ一発、弾が残っている。


 腕を目いっぱいに伸ばし、銃口を化け物の顎に突きつける。直後に発砲。戦いの舞台を硝煙の匂いが駆け抜ける。


 敵がその巨体に似合わぬ悲鳴をあげる。と同時に、俺は身体の自由を取り戻した。


 すぐさまルーシーの元へ駆け寄る。ほとんど四つん這いになりながらの不格好な有様だったが、それでもどうにか手の届きそうな所まで近づいた時、ふいに前進が妨げられた。何者かが俺の足首を掴んだのだ。


 振り返り見れば、やはりあの巨体の化け物。もともと大穴が空いていたところに顎が砕けたのも重なって、その頭部は見るも無残な姿になり果てていた。


(それでも動けるんだから大したもんだ……)


 俺は自分でも意外なほど落ち着いていた。


 拳銃は弾切れ。バールは床に転がったまま。マチェットナイフは別の化け物の背に刺さりっぱなし。戦力はもはや尽きかけている。


 それでも、このとき俺は必勝の手段を己が手に握りこんでいた。すなわち、ルーシーに預けてあったショットガンだ。


 安全装置を解除し、狙いを定め、引き金を引く。轟音が鼓膜に突き刺さる。


 立て続けに四発の散弾を食らわせると、巨体の化け物はようやく沈黙した。


(もしも今、同じような奴がもう一匹出てきたら、今度こそ一巻の終わりかもな……)


 嫌な予感はしかし、幸いにして杞憂に終わった。


    ×


 慎重にそばにひざまずき、その柔らかな頬に触れたとたん、彼女は目を覚ました。


「……あ、れ……私……?」


「よかった、生きてたんだな……! 本当によかった――いや、まだ動かないほうがいい。頭を強く打ったかもしれない」


「……そうか、私たしか、急に襲われて…………そうだ! あの怪物は今どこに? まだ近くにいるんじゃ?」


「慌てなくても大丈夫。あいつが戻ってくることは二度とないよ」


「ええ? じゃあ、もしかしてあいつもベイカーさんが……?」


「まあ、ショットガン様様ってところさ」


 その後、彼女の身体に大きな異常がないのを認めると、俺たちは旅路を再開した。


 俺も彼女もともに疲れ果ててはいたが、ひとまずゴールは目と鼻の先だ。なんといっても、四〇四号室はすでに肉眼で見える所まで近づいていたのだ。



 扉の前に立つ。部屋番号を見ると、間違いなく〈404〉となっている。例の手紙を受け取ってからおよそ二週間。この瞬間をどれほど待ちわびたことか。


 感慨にふける俺にルーシーが言う。


「いよいよですね……」


「ああ」


 それからふたりは少しのあいだ黙り込んだ。マンション内の静けさも相まって、自分自身の心臓の音までもが聞き取れるようだった。


 だがもしも――部屋の中に何もなかったら?


 背筋を悪寒が走る。愛するダイアナを――妻を失った絶望を改めて突きつけられるのはとても耐えられない。


 だがそれでも、俺は玄関ドアの取っ手に手をかけた。ここまで来て後戻りなどするものか。


 手首をひねる。ドアノブは抵抗なく動いた。カギはかかっていないようだ。


 俺は最後にもう一度だけルーシーと目を合わせると、ためらいなくその扉を開いた。



 そうして一歩、部屋に踏み入るや、暗転。世界が完全に光を失った。


(いったい何が起きたんだ?)


 ふとルーシーのことが頭をよぎり、辺りを見回すが彼女の姿はどこにもない。暗がりで見えないというだけでなく、声や物音といった人の気配がまったく感じられなくなっていた。


 戸惑う俺をさらなる衝撃が襲う。果てなき暗闇が広がるなか、唐突に視界に現れた巨大な文字列。見慣れたアルファベットで構成されたそれは、まごうことなき英語の文章だった。


 中空に整然と並んだ文字の一群を、俺は一単語ずつ声に出して追っていった。


「さんきゅー、ふぉー、ぷれいんぐ……でぃす、げーむ、いず、でも……デモバージョン!?」


 そこまで理解したところで、俺は唐突に意識を失ってしまった。

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