第一話 ミスティヒル 3


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 幸いなことに、俺も少女も大した怪我は負わずに済んだ。簡単な治療さえすればすぐに出発できそうだ。偶然にも、銃器店で売れ残りの救急セットが見つかった。これ一つで十分に事足りるだろう。


 俺は少女の手に包帯を巻きつつ、訊いた。


「それで、君はどうしてこんな所にいるんだい?」


「そ、それは……」


 と言ったきり、少女は口をつぐんでしまった。その時になって初めて、俺は彼女の姿をちゃんと見た。


 歳は十代の半ばごろだろうか、顔立ちに幼さが残っている。きっと結ばれた唇は血色が良く、伏した目の上では金色のまつげがきらめく。瞳の色は淡いブルーだ。あと五、六年も経てば相当の美人になるに違いない。


 視線を感じたのか少女が顔をふと顔を上げた。まともに視線がぶつかり、俺は思わずたじろいだ。


「そうか……そうだよな、人に事情を訪ねるなら、まずは自分から話さなくっちゃあな」


 そう口にしたは照れ隠しの意味合いが強かった。


「俺はマーク・ベイカー。マークでもベイカーさんでも好きに呼んでくれ。それで…………もしかしたら察しがついているかもしれないが、俺はここの人間じゃない。さっき町に着いたばかりなんだ」


「本当ですか? でも、すごく慣れていらっしゃるようでしたけど……その……『あいつら』に」


「いや、あんな怪物は今日まで見たこともなかったよ。おまけに銃を撃ったのも今日が初めてだ。実際、上手くいって自分でも驚いてるよ」


「うそ……すごい……」


 ただのホームセンター店員にどうしてそんな芸当ができるのか、というのは無粋な疑問だろう。ジャーナリストだって物理学者だって、それくらいのことはできるものだ。


「とにかく、俺がこの町に来たのには事情があるんだ。つまり――」


 俺は例の手紙について語って聞かせた。


 差出人が亡き妻になっていること。妻は今もこの町で暮らしているらしいこと。妻の住むアパートメントが町の北の外れにあるということ……


 にわかに信じがたい内容ゆえか、少女はまたも目を丸くして驚いた。


「そんな……今おっしゃったこと、本当に本当ですか?」


「信じられないのも無理はないけど、本当だよ。俺の頭が変になってなければね」


「いえ、あの……実は私も…………私も、まったく同じなんです」


「え?」


「えっと、これ――」


 そう言って彼女が取り出したのは飾り気のない封筒だった。


 彼女に許可をもらい、中身をあらためる。入っていたのはメッセージの記された便箋。筆跡こそ異なるものの、その文面は俺が受け取った手紙とよく似通っていた。


 驚くことに差出人の住所も同じである。部屋番号こそ違えど、そこに見える建物名は俺の目的地のそれと一致している。そして差出人の氏名は――


「じゃあ、この『エドワード』という人は、君の……?」


「父です。二年前に亡くなったはずの……」


「そうだったのか……」


「……私、知りたいんです。この手紙がいったい何なのか……最初は酷いいたずらかと思ったんですけど、でも、その手紙には私と両親しか知らないはずのことも書かれていました。もちろん、母が書いたものではありません……だから、もしかしたら――もしかしたら、本当はお父さんは生きているのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくて……それで私は、この町に来たんです。このミスティヒルに」


「そうだったのか……それじゃあたしかに、俺たちはまったく同じ理由からここで居合わせたことになるな……だったら、どうだろう? よかったらお互いに協力しないか? この町は明らかにおかしい。俺にしろ君にしろ、単独行動は危険だ」


「でも……いいんですか、私なんかが付いていって? 足手まといになっちゃうかも……」


「だったら君ひとりであのマンションまで行くかい?」


「えっ!?」


 とひと際大きく言ったあと、少女は何度も首を横に振った。


「ははは、だろうね。それじゃあ改めてよろしく――と、そういえばまだ名前を聞いていなかったね」


「あ、えっと、私ルーシーっていいます。ルーシー・ドーセット……よろしくお願いします、ベイカーさん」


 ああよろしく、と俺は「少女」あらためルーシーに手を差し出した。軽い握手のつもりだった。対する彼女は、そうして差し出された手をやや大げさに握り返すと、それを自身の両手で固くかたく握りしめた。


 エメラルドの瞳が輝き、桜色の唇がやわらかなアーチを描く。


 微笑みを浮かべたルーシーはこれ以上なく美しかった。


    ×


 ヒロインか、いいなあ……うん、いいぞ…………


 魅力的な女性キャラクターはホラーゲームには欠かせない要素だ。「なんでこんな場所でミニスカートなんだ」とか「そもそもなんで保護者がついていないんだ」とか、そういうことはこの際気にしてはいけない。野暮というものだそれは。


 不安感ただよう情景に、ひとり佇む薄幸の美少女――大事なのは「画」になるかならないかだ。そういう人目を惹くビジュアルのためなら、整合性など二の次三の次で構わないのである。


    三


 それからしばらくは静かな移動が続いた。さきの戦いのほとぼりが冷めるのを見計らい、大通りに戻る。続いて四車線の広い通りに沿って北上する。モンスターたちに目を付けられないよう、進行のペースは早さよりも確実性重視だ。


 亀の歩みではあれど進んでいることには違いなく、それが証拠に、俺たちはほどなく目的の建物にたどり着いた。六階建てで質素な外観の建造物。例の手紙で指定された賃貸マンションだ。


「ようやくここまで来ましたね」


 ルーシーは頬をこわばらせて言った。彼女の緊張も当然だ。厳密に言えば、俺たちはここにやって来たのではない。おびき寄せられたのだ。


「ああ」と頷きつつ、俺はアパートメントの正面玄関の様子をあらためた。


 玄関扉は左右二枚で一セットの両開きである。取っ手などの金具を除く大部分が木製で、簡単な装飾がほどこされている。軒先の明かりを見るに、電気は通っているようだ。


 俺はその扉に近寄ると、棒状の取っ手に手をかけた。ひんやりと冷たい感触だ。


 その場で振り返り、訊ねる。


「準備はいいね?」


「はい」という控え目な返事とともに、ルーシーは息をのんだ。


 手に力を込める。扉はすんなりと開いた。



 扉の先はメインエントランスになっていた。といっても、そんなに大げさなものではない。管理人室につながっているらしい小さな窓口と、壁際にずらっと並んだアルミ製の郵便受けが見えるのみだ。


 正面には建物の奥に続く通路が伸びていて、その通路の向かって右側は真っ直ぐ続く廊下、左側は上階に向かう階段になっている。廊下の途中にはエレベーターもあるようだ。


 ふと見ると、エントランスの窓口の脇に見取り図があるのに気がついた。これに従って行けば、迷わず目的の部屋に行けるだろう。



 ここまでは探索も順調だった。それこそ拍子抜けするくらいに。


 しかし、ここからはそうもいかなかった。


 エレベーターは当然のように動かない。階段はどういうわけかバリケードが張ってあり、通行不能。「どうしたものか」と見取り図を眺めれば、一階の各居室が並ぶ廊下の先に、屋外非常階段があるらしい。


 よって廊下を行く。するとやはりと言うべきか、くだんの化け物どもがあちこちで練り歩いていた。


 戦力という意味では余裕はあった。ハンドガンもショットガンもさきほどの銃器店で弾を調達してあるし、むろん予備の弾丸も確保してある。くわえて、「これも必要になるか」と刃渡り二五センチのマチェットナイフも拝借してあった。


 とはいえこのマンションの中にどれだけの敵がいるか分からない以上、迂闊な発砲は厳禁だ。騒ぎを聞きつけた連中が押し寄せてくる可能性もあるし、また弾切れの恐れもあるからだ。


 よって道中は可能なかぎり戦闘を避けつつ、どうしてもという場合のみ刃物で素早く応戦する。それも、可憐なルーシー嬢を引き連れて。


 たしかにやりがいはあるが、まったく骨の折れる話だ。

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