第一話 ミスティヒル 1


    一


 その時、俺は車で山間の道を進んでいた。目指すは〈ミスティヒル〉。さほど規模のない田舎町だ。



 自己紹介をしておくと、今の俺はマーク・ベイカーなるホームセンター店員だ。年齢は二十七。ごくごくありふれた人生を送る、冴えない一人の男だ。一時は人並以上の幸せに恵まれたこともあったが、今ではそれも過ぎた話。わが人生で最愛の人、愛しい妻はもうこの世にいないのだから。


 半年前に妻を亡くしてから、俺は失意の底で生きてきた。何のために働き、何のために食べ、何のために生きるのか。かつては当たり前だったはずの孤独な人生は、いつの間にか耐えられないほどの苦痛と化していた。



 ゆえに俺は“それ”に飛びついた。二週間前に自宅に届いた手紙。差出人欄には妻の名前。彼女はその文面のなかで、こう訴えていた。


――私はここにいます。愛するマーク、どうか私に会いに来て下さい。


 そこに見えたのはまぎれもなく、見慣れた妻の字だった。


 疑いがなかったと言えば嘘になる。死人から手紙が届くなどありえない。しかし、悩んだ末に俺は決めた。手紙の文中にあった住所、ミスティヒルという町を訪ねてみよう、と。



 それゆえ、俺は車で山間の道を進んでいた。目指すはミスティヒル。さほど規模のない田舎町だ。


    ×


(うんうん……いいじゃないか……)


 断っておくと、俺はこの手のベタな導入が嫌いではない。死した者との予期せぬ再会。ホラー作品の王道とも言える展開だ。有名どころでいえば、サバイバルアドベンチャーとして名高い『サイレンと蛭』シリーズが想起されるところだろう。俺も転生する前は、それこそ何週も繰り返しプレイしたものだ。


 そんな憧れの作品を――少なくともそれに近しいだろう世界観を――、文字どおり直接己の肌で感じることが出来る。こんな経験は生きてるあいだには望むべくもない。これでこそ、死んだ甲斐があるというものだ。


    ×


 順調な道行きに暗雲が立ち込めたのは、くだんの町の外れに到着したころだった。


 道の脇には一軒のガソリンスタンドが見えていた。掲げる看板には「この先、給油地点なし」の文字。町を出ていく者に向けたメッセージらしい。なるほど、確かにここまでの山道でそれらしい店は一つも見かけなかった。


 とはいえこのスタンドもあまり頼もしい雰囲気ではない。割れた窓に傾いた看板。夕暮れ時にもかかわらず、店頭のライトはどれも消えたままになっている。察するに、すでに廃業しているのだ。


 車の調子がおかしくなったのは、ちょうどその店の前を通りがかった時だった。エンジンがぷすぷすと煙を吐いて沈黙する。白煙と焦げた匂いとが夕暮れのなかで踊っていた。


 まいった。いや、これはまいった。


 あたりには数件の民家も見えるが、どこも寂れていてひと気がない。車の修理を頼める者はおろか、声をかける相手さえ見つかりそうにない。


 その時になって気づいたが、ここではスマホも使えないようだった。一帯が圏外になっているのだ。おかげで地図は使えないし、調べ物の一つもできない。このままでは完全に立往生だ。最悪移動の足はあきらめるにしても、とにかく現在位置と方角が分からなければどこにも向かいようがない。


 さて、どうするか…………そうだ! ガソリンスタンドに併設されたコンビニなら、紙の地図くらいは残っているかもしれない。


 そういうわけで、俺は足早に朽ちかかった建物へと向かった。



 俺は恐る恐るスタンドの敷地に足を踏み入れた。廃墟に侵入するのには勇気がいる。野生の獣や変質者が潜んでいないとも限らないからだ。


 店の中は暗かった。明かりが点いていないのだからそれも当然だ。それでもいくらか視界が確保されているのは、ひび割れた窓から差し込む夕日の光のおかげだった。


 ざっと見た限り、やはり大した物は残されていない。立ち並ぶ商品棚に見えるのはいずれもガラクタばかりだ。


 売り場の角には防犯用らしき鏡があり、頭上ではなかば千切れかかった電灯が天井から垂れ下がっている。気を付けないと頭をぶつけそうだ。


(やはりここは期待薄か……)


 と思いきや、出入り口から見て正面の奥、レジを行き過ぎたあたりに立つポストカード入れを調べていた時、ようやく収穫があった。売れ残りの絵ハガキに紛れて、ミスティヒルの観光パンフレットが並んでいたのだ。広げてみると簡素ながら町の全体図が記されてある。これは役に立つに違いない。生憎と名所めぐりをする気分にはなれないが……



 気配に気づいたのはその直後だった。


 間違いない。背後に誰かが立っている。


 俺は反射的に振り向いた。とたん、その「誰か」は猛然と襲い掛かってきた。ごつごつした手のひらが俺の視界をふさぐ。その手をどうにか振り払うと、今度は首に痛みが走った。他人に首を絞められたのは、これが生まれて初めてのことだった。


 そのとき相手と目が合った。いや、目が合ったというのは正確ではない。なぜならば、その男には目がなかったからだ。


 むしろその男は顔そのもの、ひいては頭部全体のほとんどの質量を失っていると言ってよかった。その男の顔の部分には、まるでくり抜かれたかのような穴だけがあった。偶然のなせる業か、この時、その穴を通して赤い夕日が見えていた。


 俺は無我夢中で相手の股間を蹴り上げた。これも初めてのことだった。なんと言うかあまり……良い気分ではない。


 どうあれ相手をひるませるのには成功した。その隙に、俺は転げるように商品棚の列に飛び込んだ。心臓が早鐘を打っている。


 顔を上げると店の角にある鏡が目に入った。そこにははっきりと、例の男の姿が映りこんでいた。奴はゆらゆらとこちらに近づいてきていた。


 外に逃げようにもコンビニの出入口は相手の背後にある。迂回路を見れば、どこからやって来たのだろうか腐食したホイールや空のオイル缶など、雑多ながらくたが散乱している。これでは通るに通れない。


 今や俺は完全に窮鼠、いわゆる袋のネズミだった。


 こうなれば生き延びる方法は一つしかない。


 幸運なことに、俺が飛び込んだのは金物が並ぶコーナーだった。さらにもう一つ幸運なことに、そこには手つかずの商品が一点、残されていた。


 すらりと伸びたボディに湾曲した頭部。ずっしりと金属の重みを感じさせるそれは、紛れもなくバールであった。


(なるほど、そういう趣向か……)


 言わずもがな、これは「初期武器」だ。威力が低い代わりに隙が少なく、使用制限もない。素直な性能の近接装備である。


 ふたたび防犯ミラーに目をやる。敵は棚の角まで近寄ってきていた。


(いいだろう、そっちがその気なら目にものを見せてやる……たとえ目がなくともな!)


 すると間もなく、俺と敵と、両者の視線が正面からぶつかった。


 俺は迷うことなくバールを相手の脳天に叩き込んだ。ぽっかりと穴の開いた顔面と、ドーナツ状の頭蓋が歪にひしゃげる。


 反撃のためか、敵はやみくもに腕を振り回すも時すでに遅し。男はほどなくその場に崩れ落ちると、そのままぴくりとも動かなくなった。


 とたんに辺りが静かになる。ほかに何者かの気配はない。どうやらひとまずは安全なようだ。



 ここに至って初めて、俺はその男の姿をじっくりと観察した。あの異様な頭部を除き、ほかに際立った特徴はない。首から下は通常の人間のそれである。


 脈はない。間違いなく死んだとみていいだろう。


 その身を覆うのはTシャツとジーンズとスニーカー。服装もいたって平凡だ。しいて挙げるなら、エプロンをしているのが唯一の個性と言えるだろうか。


(なるほど、こいつはここの店員かもしれない)


 試しにポケットを探ってみるとカギが見つかった。プラスチック板のキーホルダーには「レジスター」の文字。間違いない。彼はこのスタンドの従業員だ。


 常識で考えれば、カギを手に入れたからといって勝手にレジを開けていい道理はない。が、ここはホラーゲームの世界だ。チュートリアル用の敵を倒して“キー”アイテムを入手したからには、それを活用しない手はない。


 よって俺はレジを開けた。はしたドルのためではない。礼儀としてそうするのだ。この状況を用意した何者かに対する、礼儀として。


 レジの中に現金はなかった。だが、現状それよりはるかに役立ちそうな物は隠されていた。三八口径のリボルバー拳銃。ご丁寧に、予備の銃弾六発も横に添えられていた。

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