プロローグ 2
二
直感的に「もう二度と目覚めることはないだろう」と感じていたのだが、予想に反して俺は――「柳田啓吾」はやがて意識を取り戻した。
不思議な感覚があった。俺はたしかに俺自身で、物心ついてからの記憶も間違いなく持っているものの、しかしそれでいて柳田啓吾の死をはっきりと自覚しており、「今や自分自身が何者でもない」という事実を誰に教えられるでもなく理解している。言葉どおり生まれて初めての感触だった。
周りを見回すと周囲には何もない。壁も天井も見当たらず、そればかりか地面の感触すら感じられない。俺は宙に浮かぶようにしてそこにいた。
四方八方、それこそ無限に広がる空間を彩る物はただ一つ。それすなわち、視界を埋め尽くさんばかりの眩い星々のきらめきだ。
(宇宙……なのか?……船外活動中の宇宙飛行士も、こういう風景を見てるんだろうか)
考えるでもなく考えていると、ひときわ強く輝く巨大な光の塊が俺の眼前に舞い降りた。その光はしばしのあいだ分裂と変形とを繰り返したのち、やがておさまりのいい形を見つけたのか、ひとところに凝縮し、最後には見慣れた形状に落ち着いた。
ほどなくそこに現れたのは、美しい女性の姿をした純白の光の化身だった。
その光が俺に語りかける。
「ようこそいらっしゃました、柳田さん」
彼女――便宜上、彼女としておく――の声は物理的な音というよりかは、テレパシーか何かのようだった。まあ、これまでテレパシーを経験したことがないので何とも言えないところではあるが。
「いろいろと疑問のあることでしょう。ご安心ください、わたくしがすべてお答えします。それではまず――自己紹介からはじめましょう。わたくしは神です。『神々』と複数形にされることもありますし、天使、あるいは精霊と呼ばれることもあります。しかし、わたくしに個体としての名前はありません。どうぞお好きにお呼びください」
「ええと、じゃあ……『女神さま』、でよろしいですか?」
「承知しました。では、わたくしはこれからメガミと名乗ります。さて、次に『ここがどこか』という話ですが、この点は柳田さんもご想像がおつきでしょう。ここは死後の世界。人間が現世で命を落としてのち、行きつく場所です」
「死後の世界……では、やっぱり自分は助からなかったんですね」
「ええ、即死でした。落命の瞬間については覚えておられないでしょうが、わたくしの知るかぎり苦しまずに亡くなられたようです」
「ううん、喜ばしいこと……なの、かな?」
「不幸中の幸い、ですね……それでは次に、あなたがここに来た理由についてお伝えしましょう。まずこの死後の世界ですが、この空間が存在する理由は主に二つあります。つまり、ここにやって来た者の人生の総決算をすることと、その内容に応じて次の行き先を決定すること。端的に言えば、柳田さんは生まれ変わるために今ここにいるのです」
「人生の総決算、ですか……なんだかあんまり自信ないなあ」
「難しく考えることはありませんよ。柳田さんのこれまでを生涯を、いったんここで振り返ってみましょう、というだけです……そういうわけですので、ではあなたの人生をざっと見させていただきますね」
そう言うと、彼女はずいっと俺のほうに近寄ってきた。目も口も鼻もない真っ白な顔が触れ合わんばかりの距離に近づく。
続けざま、彼女は俺の額に手を触れた。(何をするつもりだろう?)とぼんやり考えると、彼女はそれを見透かすかのように囁いた。
「わたくしは今、柳田さんの記憶を直接『視て』います……いえ、記憶というより魂の記録情報ですね。人間の記憶は案外、曖昧ですから」
それから少しのあいだ、女神さまは同じ格好のまま「うんうん」とか「なるほど」とか唸っていた。
だがそうしていたのも一分ほどのことで、彼女はやがて元の体勢に戻った。二十五年分の記録情報を読み込んだにしてはずいぶんあっけない感じだ。
次いで彼女は言う。
「おおよそのことは分かりました……柳田さん、あなたはとても平凡な人生を過ごされたようですね」
「ええ、自分でもそう思います」
「生まれてこのかた波もなし。大きな山も、深い谷もない生涯です……ただ、最後の数年はそうもいかなかったようですね。お若いにしては苦労なされたようで……」
「いえ、とんでもない。自分の境遇はさして珍しいものではありませんよ。誰だって社会に出ればそれなりに苦しむものです。まあ、最後の最後だけは『ちょっと運が悪かったかな』って思いますけどね」
強風にあおられ、歩道橋から落ちて絶命――捉え方は人それぞれだろうが、あまり褒められた死に方ではあるまい。
「そうですか……では、あなたはご自分の人生に満足しておられますか?」
「満足かと言われると…………でも、まあ……そうですね、満足しています」
「これほど『ありきたり』な人生でも?」
「ええそうです。ありきたりだから不満だなんて、そんな考えは自分の身分にしては贅沢が過ぎますよ」
言うまでもなく、人類の歴史は苦難の歴史だ。戦争、災害、飢饉、侵略――人の世には、俺には想像もつかない不幸に見舞われた人たちがそれこそ無数に存在する。
むろんそうした理不尽は遠い過去にとどまらず、現代日本においても同様だ。戦争はなくとも暴力は、また飢饉はなくとも貧困は、今日でも社会から根絶されたわけではない。おそらく、これから先も完全になくなることはないだろう。
そのことを考えれば、俺が生きた二十五年のなんと平穏たることか。
毎日やわらかいベッドで寝られて、美味しいご飯が食べられて、温かいシャワーを浴びられる。そのうえで不平不満ばかり口にしていては、それこそ罰が当たるというものだ――と、おおよそそんな内容を俺が口にすると、女神さまは一度だけゆっくりとうなずいた。
「なるほど、そうですか…………柳田さん、わたくしはさきほど、あなたの人生を隈なく調べさせていただきました。ゆえに、わたくしはあなたのことなら何から何まで知っています。あなたがこれまで見聞きしたこと、考えたこと、実際に行動してきたこと……だからこそ分かります。今のあなたの言葉に嘘はありません。まあ、多少は良い格好をしようという欲は垣間見えますが……ともあれ正直に言うと、わたくしは少し感心しましたよ」
それから彼女は視線をやや上方に向け、押し黙った。何か考え事をしているような雰囲気だ。
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