フリーホラーゲーム転生:「人生」というクソゲーを耐え抜いた先には、チープでスケアリーな煉獄が広がっていました

純丘騎津平

プロローグ 1


    一


 もしかすると誰も興味ないかもしれないが、必要だから話しておく。


 俺の名前は柳田啓吾。二十五歳のサラリーマンだ。



 これまでは平々凡々に生きてきたと思う。


 さして貧乏でも裕福でもない家庭に生まれ、大きな怪我や病気をすることなくすくすくと育ち、ほどなく小学校入学。わずかな友人に恵まれ、人並みに楽しく過ごしつつやがて地元中学へ。


 そこからまた人並みに勉学に励み、特筆する事もないまま高校に進学。規律の緩い文科系の部活動に所属し、人生初のバイトや凡庸な失恋を経験する。


 その後はさしたる目標もなく私立大学に進み、四年ものあいだ時にだらだらと、時にせわしなく学生生活を謳歌したのち、無事就職。


 ここまでの経緯については、俺の実力というより単に運がよかったのだと思う。俺は自分が他の人間と比べ秀でているとは決して思わない。あくまで平均か、それ以下の成績が関の山だ。


    ×


 そんなわけで困ったのは社会に出てからだった。成果第一の世界では数字を出せない人間に価値はない。平均未満はすべからくお荷物だ。


 俺は瞬く間に落ちこぼれた。それまでぼうっと生きすぎていたのだろう。他人を引っ張るようなリーダーシップも、また苦境を力に変えるハングリー精神も、俺はその両方とも持ち合わせてはいなかった。


 めぼしい成果を出せないうえ、目まぐるしい成長も果たせない――上司にも同僚にも何一ついいところを見せられないまま、俺のフレッシュマン期間はただ無意味に過ぎ去っていった。


 そうして入社三年目を迎えるころ、ついに転機が訪れた。部署の異動を命じられたのだ。行きついた先は総務四課。四つも課があるとは珍しい話だが、もちろんこれには理由がある。早い話、総務四課は“人材の墓場”だったのだ。



 この手の窓際部署はおおよそ二種類に分けられる。


 一方は閑職。責任もやることも与えられず、ただただ会社のお荷物として扱われるポストだ。


 対するもう一方は激務。こちらは前者とは対象に、必要以上の職責とノルマとを課せられ、精神的にも身体的にも過重な労働を強いられるケースである。



 総務四課は後者だった。社内のあらゆる業務にかかわる「総務」の看板をいいことに、トイレ掃除から社内中のゴミの分別、明らかに無意味な備品のトリプルチェックなど、扱う仕事はどれも雑務中の雑務ばかり。


「それだとむしろ気楽でいいのでは?」と思いきや、問題は人員、即ち人間関係であった。



 職務管理者たる課長も含め、四課には全部で五人の人間がいた。当然、ほぼ全員が落ちこぼれ組だ。


 そのなかで問題なのはほかでもない、この課の長たる人間だった。


 この課長氏は落ちこぼれでも、また誰かの怒りを買って閑職に追いやられたわけでもない。彼が四課に配属されたのは重要な役割を果たすため、すなわち「追い込み役」を担うためだった。


 彼の使命は部下を「自主退職」まで追い込むこと。そしてその手段は、直接的な暴力を除くありとあらゆる攻撃だった。恫喝、暴言、人格否定、執拗なプライベートの詮索、不公平な作業配分。


 部下の犯したミスはどんな小さなものでも見逃さず、あげた功績はどんな立派なものでも認めない。俺の知る限り、この課長氏は他人を責めさいなむことに無上の喜びを見出しているようだった。彼にとって「庶務四課の課長」は、まさしく天職であるに違いない。


 そんな人物の下で働くのが有意義であるはずもなく、現実に、四課に配属されて以降は暗黒のような日々が続いた。俺が異動してから一年足らずのあいだに四人もの人間が――先輩や後輩にかかわらず――社を去っていったと言えば、その苦痛のほどがうかがい知れるだろう。


 だがそれでも俺は耐えた。「希望を捨てず、じっと我慢していればいつか嵐も過ぎ去るはずだ」と。


 そうして実際、苦難の日々はあっけなく終わりを告げた。それも、まったく思いもしなかった形で。


    ×


 その日、俺はひどく疲れていた。疲れて、疲れて、疲れ果てて、自分がどうして疲れているのか分からないほど疲弊しきっていた。


 天気はあいにくの荒れ模様。明け方から台風が直撃し、風雨が激しく吹き荒れる。「電車やバスが止まりはしないか」と冷や冷やするような悪天候だった。


 溜まった疲労に不安定な気圧も影響してか、俺はその朝、珍しく出勤のバスの中で居眠りをしてしまった。目覚めた時にはもう手遅れ。降りる駅を三つも過ぎた後だった。


 完全に遅刻だ――その動かしがたい現実が、俺には恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。


 遅刻それ事態が怖いのではない。あの地獄の悪鬼そのものの課長に、朝から怒鳴り散らす口実を与えるのが怖かったのだ。



 次のバス停で急ぎ降車するや、俺は大慌てで道路を横断しようとした。今すぐタクシーに乗ればギリギリ始業時間に間に合うかもしれない。


 ところが付近に横断歩道は見当たらず、また車道を歩いて渡るには交通量が多すぎる。通勤時間帯ゆえそれもやむなしだ。


 吹き付ける横風と雨粒とが焦りをさらに助長する。傘は持っているが、あまり役には立っていない。


 どうしたものかと辺りを見回すうち、大通りの真上に一条の光明が見つかった。ずばり、歩道橋である。


 俺はコートの裾をはためかせて走った。そのまま猛然と階段を駆けのぼり、反対側の歩道を目指す。これまでそうそう歩道橋を利用する機会もなく、じつに久しぶりのことだったが、この時ばかりは情緒を味わう余裕などこれっぽっちもなかった。


 そうして橋の中ごろまで進んだ時のこと。ふいに突風が吹き荒れた。


 瞬間、俺の両足がわずかに地面を離れた。強風をまともに受けたコートと傘とが、凧のように作用したのだ。


 とっさに手すりに手を伸ばすも時すでに遅し。二十代男性としては中肉中背のはずの俺の身体は、まるで使い捨てのビニール袋のように宙を舞った。


 最悪なのは地上五メートルという高さ。くわえて、交通量の多い国道の真上という位置だった。


 束の間の浮遊感のあと、俺はアスファルトの上に強く叩きつけられた。痛みより何よりとにかく衝撃がすごかった。


 ショックで朦朧とする頭をどうにか持ち上げる。するとそこに見えたのは、迫りくる無数のヘッドライト。実際に複数の車両が近づいていたのか、それとも目がかすんでそういうふうに見えていたのか、今となっては知る由もない。



 二十五年の短い人生に幕が下りる。その決定的な瞬間に、俺の頭に思い浮かんだのはたった一つのことだった。

――ああ、そこの車の運転手さん。朝から嫌な思いをさせて、すみません。

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