治癒術海鮮

第13話 賢者とは自らの愚かさを知る者

「動いた! いまこの魚、ビチッって動きましたよ! もう切り身になっているのに!」


 半島の先の大きな港町にたどり着くなり、私は目についた食堂に入った。

 そして、船の男から教えられたサシミというものを頼んでみたところ、魚を解体したそのままの形で皿に盛りつけた悪趣味なオブジェが登場したのだった。


「イケヅクリ。採りたてのサイコーの鮮度の魚でしかできない逸品ダヨ!」

「タイショー! こっちにもサシモリ追加!」

「あいよ!ヨロコンデ!」


 黒髪の男。食堂の主人は、どうやらタイショーという名らしい。このあたりで私以外で黒髪の人間は珍しい。顔立ちもどことなく違う人種のようだ。ところどころ混じる不思議な言葉遣い。異国人だろうか。


 タイショー氏はカウンターにサシミの皿を置くと別のテーブルに行ってしまった。


 残されたのは、生きていた形のままに、魚の頭と尻尾がそのまま盛りつけられている皿。

 それだけならまだしも、その頭と尻尾が何と、動いているのである。つまり、生きたまま解体されて、盛りつけられてなお、この魚は生きているのだ。


「それは……鮮度は最高なのでしょうけど……」


 例の皇帝の下で、数々の実験をしてきた私である。生きたまま解体された生体という意味では今さら何とも思わないが、料理として食べろと言われるとさすがに別だ。

 全く食欲がわかない。そして何より。


「首だけで生かされている生魚を食べるのは、さすがに美しくない光景じゃないですか? 私のような可憐な婦女子には似つかわしくない……」

「いや、むしろここいらじゃ女子にも人気だよー。ヘルシーだしカワイイって」


 というのは、隣のカウンターで酒を飲んでいる若い女性の談である。


 ……かわいい? おかしい。私の知っているかわいいと違う。


 可愛いというのは、華奢でしなやかな肢体をリボンとフリルをふんだんに使ったシックな服で包み着こなし、さらさらの絹のような髪、長いまつげと桜色の唇、透き通った陶磁器のような肌でありながらも活発な生命力を内包する健康美を兼ね備える。可憐かつ繊細な、そう、まさに私のような少女を指す言葉である。

 けっして、生ける魚の死体を指す言葉ではなかったはずだ。


「いいから飲みなよー、サシミにはサクェよ。サクェ!」

「あ、これはどうも」


 この娘、一人でこんなところで泥酔していて大丈夫だろうか。帰り道、人攫いなどにかどわかされたりしないか少々心配だ。

 いや、嘘だ。私は他人がどうなろうとどうでもいいと思っているので本気で心配などはしてはいないのだが、言葉のあやだ。


 注がれた透明の酒はまるで水のようだ。見た目の通りワインよりも癖がなくて飲みやすい。おそらく、あまり度数の高い酒ではないのであろう。

 手のひらに収まるほどの小さなカップを空にする度に次の酒が注がれる。注がれた酒を一口で飲むとまた注がれる。

 そんなことを繰り返しているうちに、酔っ払い娘の頼んでいた酒の小ボトル(?)は、あっという間に空になってまった。


 申し訳ない。次のボトルは私が頼みましょう。いえ、頂いてばかりでは悪いので。

 タイショー氏、こちらにこのサクェ?を二本、いや、三本追加でお願いします。


「何はともあれ、試しもせずに予断はよくないですね。食べてみましょうか……え、美味しい!」


 魚の生食は初めてだが、なんと、驚いたことに悪くはない。ほんのりとした甘みを感じられる白身の魚は、コリコリとした食感もおもしろい。


 内陸では魚はあまり食べない。魚が出てきたとしても日持ちのする干物か、しっかり火が通った揚げ煮にしたものがほとんどだ。

 川魚は生で食べようものなら間違いなく食あたりするものだ。しかし、海の魚は生で食べても大丈夫らしい。

 サシミをつまみながら酒を飲むのが妙に合う。おそらくワインではこうはいかない。繊細なサシミの味を邪魔しない水のような酒だからここまであうのだろう。


 むむー、興味深い。もっとじっくりと味合わなければ。


 先ほど頼んだ追加の小ボトルがもう空になった。

 この小ボトルといい小カップといい、あまりに小さすぎではないだろうか。


 度数の低い酒をこんな少量しか飲まないとは。このあたりの人間はあまり酒精に強くないのかもしれない。酒精への耐性に地域差があるということは、遺伝的な影響だろうか。なかなか興味深い研究テーマだ。


 あ、タイショー氏。後ろに大瓶があるんじゃないですか。わざわざ小さいのに移さなくていいからそのボトルをください。あと大きなコップを。


「生きたまま解体……まあ、人間に比べればいまさら魚くらいで騒ぐことでもありませんれしたね」

「そうだろうそうだろう! ん……人間……?」


 先ほどの娘は酒が進んで正体が怪しくなっている。

 あなたそれ、何を食べているのですか? イカを炙ったもの? あ、タイショー氏。それこっちにも下さい。


「しかし、一度思い切って食べてしまえばこれはなかなか……ああ、もう身がにゃくなってしまいました」


 淡白な味の魚のサシミは食べやすく、ひょいぱく、ひょいぱくと口に運んでいくうちにあっという間になくなってしまった。

 いけない。少々慎みが足りない食べ方だったかもしれない。麗しき少女である私は、たとえこのような野性味あふれる料理でも、美しく優雅にかわいらしく食べなければいけないのに。


「意外と身の部分は少ないのれすね。もう少し食べらかったのれすが……」


 皿に残ったのは、頭と尻尾以外は骨だけになった魚。しかし、魚の頭はまだ、ゆっくりと口を開いたり閉じたりしている。かわい……くはない。困った。かわいいがわからなくなってきた。


「こんな状態でも……まだ、この魚は生きているのれすね」

「いやー、それはもう死んでるって言うんだろー」


 隣の酔っぱらい娘が何やら喚いているが、酔っ払いの戯言にかまっている暇はない。重要なことを思いついてしまった。


「生きているのにゃれば……再生……できるのれは……?」


 治癒魔術は欠損部位の再生すら可能だ。つまりは、おそらく、治癒魔術を使えばこの魚を元に戻すことが可能だということだ。食べてしまった身を生やして、切り刻まれる前の、元の健康な状態に戻すことが可能。


「ということはつまり、無限イケヅクリ食べ放題……」

「あはは、夢の食べ放題だー!」


 以前、切り取った指から人間は生やせないと言ったが、例の永遠の命の研究過程で、神の設計図とやらを唱えていた神学者によって、かなりの部分の問題は解決している。


 別に指にこだわらなくても良いが、指で例えるとしよう。

 突然に岩が落ちてきて、指のみを残してぺちゃんこになってしまったら。あるいは、火事でに巻き込まれてほとんどの部分は炭となってしまい、燃え残ったのが指のみだとしたら。

 そこにはもう指しかないから元に戻せません。というのは永遠ではない。

 あの薬はそんなヤワな物ではない。皇帝は永遠に生きなければならないのだ。指一本。髪の毛一本からでも復活する。そう作った。


 むしろ、指を切り離した時に、本体側と指側がそれぞれがに独立して復活して皇帝が二人になってしまわないように、同一性と唯一性を担保する機構を厳重に組み込んであるくらいだ。

 この辺りの功労者がくだんの神学者だった。


 正直、私はその神の設計図理論を理解してはいない。専門外だ。一応は理解しようと試みたが、長ったらしく神だの何だの謎の論理で紡がれる信仰系特有の迂遠な術理はたいへんに理解しづらく、あまりちゃんと覚えていない。


 だが今、食べても減らないサシミの実現に必要なものはあの術式なのではなかろうか。しかも、唯一性の制限を取っ払えば、いくらでも増える夢のサシミを作ることすら理論的には可能!


 ええと、あの術式は確か……こんな感じの……?


「かー! 焼けるような酒精! サクェもいいけどこれだよこれ!」

「んん……また同じ水みたいなお酒れすね。ショーチュー? それも下さい……んく……けほっ!!」

「大丈夫かー?」


 大丈夫れす。信仰魔法も治癒魔術も大元は同じ。つまり酒なのれす。ちょっとむせただけで、私に扱えないはずがないのら。ほら、この通り。ショーチューの術式は、もはや運命に定められた無限サシミの成功と言えまふれしょう。


「ハイ、イカの炙りイッチョー、オマタセ!」


 つまり、生命の設計図はイカで酒だったのらということらのれしょう! 新たな発見れす!!

 はれ、サシミ? イカもサシミでいけるのら? え、イケヅクリもあるろれるら!?


「あ、これもおいひいれらるれ!」

「そうだろ、そうだろー」


 でも、魚に比べてイカは少々小ぶりれすね。もっと大きければいっぱい食べられるろに。そうら!


「らいらならそうすれまいいろら!」

「そうかー。なに言ってるかわかんないけど、良かったなー」


 むふー。さすが私れすらー。


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