第6話 紛失
「……飲みすぎた」
絡んできた酔っ払いの男とワインを2本空けたところまでは覚えている。
その後は覚えていないが、ちゃんと自分の宿で寝ているのだ。下着一枚でベッドに寝ているが自室で一人だ。問題なかろう。
「も、問題……ないよね?」
思わず不安になって自分を抱きしめてしまったが、身体に、特に下半身にも異常はない。
よかった……。ちょっと涙目になっちゃった。
昨晩の酔っ払いの男が、重度の肝疾患あるいは周辺の内臓疾患を患っているのは一目でわかった。
独特の顔色とむくみがひどい全身。腹には水がたまり始めているようだった。
肝臓疾患はあまり外見に現れない。逆に言うとここまで外見に現れているのは末期だ。長くはない。
すでにかなり体調は悪いはずなのだが、それでも酒を飲まざるを得ないのが酒の魔力か。
その魔力に今回ばかりは私もやられてしまったようだ。
「うう、頭痛い。水」
かわいらしいシュミーズ一枚のあられもない姿のまま、ベッドから起き上がる。
私が着るのは下着ももちろん黒だ。
女性の下着のことは詳しくないのだが、どうも世の中の女性たちの間では下着は白であるのが常道であるらしく、上等な絹でかつ黒いものを探すのは大変だった。
せっかく黒いものを見つけても扇情的なデザインのものが多く、私の
私の肉体はまだ発展途上の年頃。将来への期待を秘めつつも成長しきっていない。最も慎ましく美しい曲線を描いている。
そんな下品な下着など合わなくて良いのだが、なぜか、ちょっとだけ負けた気がする。
……もうちょっと胸はあった方がいいのかな……治癒魔術でいじれば……いや、自然な美こそが至高なのだ。下手にいじって誇張するとわざとらしくなる。控えめないまの大きさが一番美しい。私は最高にかわいい。うん。
その点、この下着はシンプルかつ清楚でありながら黒が醸し出す大人な感じが私に絶妙にマッチしている。
高価だったが、肌触りがすべすべのお気に入りの一枚だ。
下着屋の店員が、ほんの少し背伸びしたい年頃の子に人気の一品だと言っていたのが気になるが、私は子供ではないから大丈夫だ。
二日酔いに痛む頭を抱えながら、なんとか部屋の水差しまでたどりつくと、水を飲みつつ治癒魔術で肝臓の働きを高めて血液を循環させる。
肝臓が酒精を分解するのには糖分と水が必要だ。
治癒魔術で二日酔いを治すにしても、治癒魔術は人体の理を操作する術であるので肉体の仕組みには逆らわないほうがいい。
かばんの中から干しブドウを数粒。水を飲みながら齧る。
「みゅう。すっきりした」
むう。急激に体調を整えたので変な声が出てしまった。誰にも見られてはいないが、少し恥ずかしい。
だんだんと頭痛が弱まってきた。一息つく。
「あまりお酒は飲むものではないですね。いまはかつての身体ではないのだから。その代わり、この身は回復力はすごいけれど」
ほんの少しだけ身体の機能を高めただけなのにもうすっかり快調なのはやはり若さだろうか。かつての身体では考えられない。若い身体はすごい。
「そういえば……酔っ払いの……彼も今日は心地よい目覚めの朝を迎えられたかな」
初対面の中年男の余命が幾ばくも無いことには興味はなかったが、あんな明らかな病人といっしょでは酒が不味くなる。私は、さっさと治療してやることに決めた。
しかし、私はできる女なのだ。さすがに舌の根も乾かぬうちに前回と同じ過ちを繰り返す気はない。
過去はあまり振り返らないのだが、たまには私だって反省する。
前回の村での、いや、これまでの失敗の多くは、治癒魔術を治癒魔術と宣言して使用したことではないかと気が付いたのだ。
であれば、治癒魔術とばれなければ問題ないのではないか。
そうして一計を案じた私は、あの後、小道具を用意していた。丸薬である。
丸薬それ自体は露店で買った薬草を私が丸めて適当に作ったもので、毒にも薬にもならないものだ。
風邪に効くという売り文句の薬草だったので、もしかしたら体調が多少良くなる効果があるかもしれないが、薬学については素人の私が安物の薬草を適当に乾燥させて丸めたものに大した効果があるとは思えない。
しかし、逆に言えば、効果がないということは、特に体に悪いものでもない。
つまるところ、ようするにただの不味い草の粉の塊だ。
さて、私は治癒魔法を使うのに一計を案じた。あの酔っ払いに草の塊…じゃなかった丸薬を「二日酔いに効く」と称して飲ませて、実は裏でこっそりと魔法の力で病を治してやるのだ。
これならば治癒魔術について説明しなくても良い。完璧だ。
酔ったふりをして(実際酔っていたのだが)バシバシと男の背中をたたきながら魔法の力を送り込み探っていくと、案の定酔っ払いは内臓がボロボロだった。
調べれば調べるほど酔っ払いはあまりに不健康なことがわかったが、中途半端なのは気持ちが悪い。全部治してしまうことにした。
なかなかの難治療で治すのに相当の時間がかかってしまったが、彼も私も酔っぱらっていたし、腹や背中を小突いたりする演技をしながら治療をしたので、本人も含めて何が行われていたか誰にも気づかれていないはずだ。
とにかく、悪いところはすべて治した。
途中からムキになってしまい、古傷一つに至るまで完璧に治してしまったような気がする。まあ健康になる分には問題ないだろう。
二日酔いどころか、全身の疾患がきれいさっぱりなくなり健康体となったはずの酔っ払いの彼だが、私の小粋な演出のおかげで、今日目覚めた彼はきっと謎の丸薬の力だと思っているに違いない。
「しかし残念でしたね。それはただの草です!」
……完璧だ。自分のあまりの完璧さににんまりと笑う。
私だってたまには反省するし、成長だってするのだ。
あの丸薬は『使える』。もう少し作っておくべきか。
あと何個作ったかなと、荷物の中をあさっていると重大なことに気が付いてしまった。
「あれ……ない」
いつもしっかりと、間違っても落とさないようにとカバンの内袋にしまってある、その中身の膨らみがないことに。
「やっぱりない」
捨てることもできずに、ずっと持ち歩いていた危険物。
緑の液体を封じた小瓶のいつもの指定席の内袋。
そこは完全に空だった。
「あれ……あれあれ?」
カバンの中身をすべてひっくり返したが、やはり小瓶は出てこなかった。
「まずい……なくした?」
額から冷汗が流れ落ちた。
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