亡者の皇帝
第5話 西の都
「おお 亡者の皇帝よ。
なんと おぞましき姿
神の理に背いた 哀れな男よ」
西の都の酒場に吟遊詩人の朗々たる声が響き渡る。
演目は『亡者の皇帝』 不死を求めた皇帝の話だ。
かつて北方に存在した帝国の皇帝。
彼は自らの命が永くないことを悟り、死を恐怖し命に執着する。
皇帝は不死を求めた。
不老長寿の霊薬、病を癒す魔法の石。臣下に命令して様々な宝物を世界中から集めるが皇帝の望みはかなわない。
そしてついに、皇帝は邪悪な魔法使いと契約してしまう。
魔法使いの邪法により皇帝は不死を手に入れる。
だが天に唾するその行為には神罰が下った。
皇帝は亡者としてこの世を永遠にさまようことになったのだ。
……と、いうようなあらすじである。
「邪悪な魔法使いとは失礼な。
それに亡者とは何ですか。彼は今もちゃんと生きています」
酒場を照らすろうそくの光は心もとない。
黒いシックなワンピースを着た私の姿は、薄暗い酒場の影に紛れて目立たない。串焼きの肉をかじりながら、一人文句を言う私に注意を向けるものはいない。
胃のあたりが火照っているのがわかる。食事とともに少しだけ飲んだワインが、少しだけ、ほんの少しだけ回っているのかもしれない。
この辺りではワインは水よりも安いし安全だ。汲んだ水は保管が利かない。すぐに腐ってしまう。だが酒精の入ったワインは腐らない。
だから、このあたりの地域では食事にはワインがつくのが当たり前であり、食事の際には子供でも普通にワインを飲む。
私がワインを飲んでいても未成年だからと止める者はいない。
やはり都会は良い。適当に入った酒場でも料理は安くて美味しい。田舎の寒村とは比べるべくもない。
「それにしても懐かしい。あれがこの身体を得たきっかけですね」
その時。数十年前。私はまだ、かつての男の姿だった。
いまだ治癒魔法を作り上げる道半ばだった私は、病人やけが人を誰かれ構わず癒していた。
技術は知識だ。そして知識を得るには試行錯誤が必要だ。そのためには実践が一番だ。
貧しさから怪我や病を治せない貧者たちを私は癒した。
私は知見を獲得し、彼らは快癒する。まさに双方両得。あの頃の私は上手くやっていたのだ。
そんなことを続けていると、巷に出没するという治癒魔術士(私だ)の噂がかの皇帝の耳にまで届いたらしい。
皇帝に請われて、と言うと言葉が良すぎるが、私は不老不死の研究をすることになる。
まあ、ありていに言うと、なかば拉致されたうえ軟禁状態で何年も不老不死の研究をさせられたのだが。
「しかし……あの研究は素晴らしかった」
思わずほうと火照った息を吐く。
いつもは陶磁のように透き通った白い肌がほんのり朱く染まっているのは、ろうそくの灯りのせいだけではないだろう。
やはり少し酔っている。肉体年齢的にはまだ成熟途上のこの身は酒精には強くない。
「あれがあればこそ、私は、人体の神秘を解き明かすことができたのです」
潤沢な資金。研究に必要な『もの』はいくらでも与えられた。まさにこの世の春だった。
そこまでされれば研究ははかどるというもの。時間はかかったが、私は……いや、私たちは、永遠の命を実現するための解を手に入れた。
皇帝が求めたのは『永遠』だ。
「不老」で満足しておけばよかったのだ。それであれば比較的早い段階で安全な方法論が確立できていたのだ。そう、現に私はその成果を使って生きている。
「不老」と「永遠」は全く異なる。この世の理に従う限り「永遠」は成しえない。
例えば、ずっとそのままの姿であると思われている石や鉄だって「永遠」の前には無力だ。いずれ朽ち果て土に帰る。
「はっそうの、ひっく。ひゃくっ!……飛躍が必要だったのです」
ワイングラスに手を伸ばす。空だ。空なのはよくない。
お替りのワインを頼もうと、店主に合図を送るが気づいてもらえない。
む、視界の中に入っているはずだ。気づかないはずがない。そんなに私にワインを渡したくないのか。きっと、ひとり占めして全部飲んでしまう気なのだ。
「お嬢ちゃん。いける口だな。俺が注いでやる!」
一人で飲んでいたはずなのだが、気が付いたらテーブルには別の酔っ払いがいた。
はて、彼は誰だろう。
まあ良い。こういう酒場では勢いで見知らぬ人間の隣に来ることなど普通だ。
それに、私にワインをくれるこの人はきっと良い人だ。
「おい注ぐなよ。その子、まだ成年してないだろう。それくらいにしておけって」
店主が嗜める。
なんと、重大なことに気が付いてしまった。店主は、ワインを求める私の訴えを意図的に無視していたのだ。
「わたしはれっきとした成人です。客を無視するとは、けしからん店主れすね」
「そうだぞ。客に酒を渡さないのは酒場失格だ!」
「おじさん、いい人ですね。店主、ワインをもう一本下さい。瓶で」
店主はあきらめたように、肩をすくめると、ワインの瓶を置いて行った。
◇◇◇◇
面白いお嬢ちゃんだったな。
あくびを噛み殺しながら昨晩のことを思い返す。
いつものように途中からは覚えていないが、いつものように朝まで飲み歩いたようで寝床に戻ったのは明け方近くのようだ。
目が覚めたらすっかり日が昇ってしまっている。
「おう、マック。今日は顔色がいいじゃねえか。
末期の酒飲みらしくいつも気味悪い土色の顔してんのにによ」
「おうよ。昨日一緒に飲んだ奴からもらった二日酔いの薬がすごい効き目でな。
金払ってでも、もっと分けてもらえばよかった」
しこたま飲んだはずなのだが、昨夜のお嬢ちゃんがくれた「二日酔いに効く」という丸薬を飲んだおかげかすこぶる体調がいい。
二日酔いどころか全身がすっきりしている。こんなに気持ちがいい体調は何十年ぶりか。
「ん、なんだそれ。なんか小洒落たもん持ってるじゃねえか」
そういえばもう一つ土産物を貰ったな。
なんとなく、手の中で転がしていた小瓶を取り出す。
「これはな。なんと、かの『亡者の皇帝』が求めた『永遠の命の妙薬』だそうだぜ」
親指の先ほどのきれいなガラスの小瓶には緑色の液体が封入されている。小瓶とはいっても蓋はない。ガラスを割らないと中の液体を取り出すのは不可能だろう。
「おお、そいつは怖い。ついに酒の亡者、マック皇帝の誕生か」
「バーカ。そんなたいそうな薬が手に入ったとしたら売って酒を買うさ。永遠より俺は今日の酒の方が大事だからな」
「違いねえ。がはは」
もちろん、俺もこの馬鹿も、これが本物の「永遠の命の妙薬」だなんてかけらも信じちゃいねえ。
きっと、どこかの露店で買ったちょっと小奇麗なだけの何に使うかよくわかんない民芸品。かさばらないしキラキラ光ってなかなか綺麗だ。旅の土産として女に持っていけば喜ぶだろう。
そんなどうでもいい品さ。
しかし、あの嬢ちゃんは酒をよくわかってる。
ちょうど吟遊詩人の歌っていた『亡者の皇帝』に合わせてお嬢ちゃんがあることないこと話をつけたら、この安物の土産物が酒の肴に化けちまった。
酒の席での与太話ほど美味い肴はねえ。
「しかし『亡者の皇帝』ねえ」
「最近、帝都に侵入して生きて戻ってきた連中がいるらしいぜ。そいつらによると、なんとまだ皇帝は動いていたそうだぜ」
「マジかよ。『帝国の災厄』からもう五十年だろ?」
「ピンピンしてたらしいぞ。本当に永遠の命を得たんじゃないか? その薬でな!」
「おお、おっかねえ。わはは」
いいじゃないか。ネタにするにはちょうどいい胡散臭さだ。この小道具は今度酒の席で使わせてもらおう。
俺は『永遠の命の妙薬』をポケットにしまった。
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