第3話 治療の対価

「どうして逃げたんだい? 探しちまったよ」


 女将の口ぶりはまるで犯罪者を追い詰めるかのようだ。私は何も恥ずべきことはしていない。


 それにしても、予想よりもかなり早くに追いつかれてしまった。

 女将が走っていったのとは別方向に来たのだが、まだ村の端までも来ていない。


 異邦人の私は目立つ。特に、黒ずくめな上に美しく可憐な少女である私は、昼間にはとても目立つ。誰か村人に見られていたのを辿ってこられたか。


「先を急がなければならないので」


 今度こそ嘘は言っていない。

 面倒なことになるのが目に見えたので、急がなければいけないのだ。

 なぜ私は急ぐのか。急がなければいけないから急ぐのだ。うん。実に誌的だ。


「この男はエドワード、猟師をやっている男さね」


 女将は大柄な壮年の男を連れていた。

 ああ、さっきから見えていたさ。ちょっと現実逃避をしていただけだ。


 エドワードなる男は、毛皮のチョッキを羽織り、腰には山刀。いかにも山の男という風情の格好をしている。


 私を追うためにわざわざ武器を持ってきたのか。

 いや違う。足が草汁で汚れているし肩には木の葉が引っ掛かっている。

 ちょうどよく、私にとってはちょうど悪く、山から戻ってきたところを捕まえて連れてきたのか。


「エドワードの娘はね、不憫なんだ」


 女将は私の返答を無視して男の身の上を語り始めた。

 いやだ、聞きたくない。


「山菜を取りに山に入ったときに足を滑らせてね……腰を強く打っちまった。若い身空なのに今では寝たきりだ」

「お嬢さん。聞いたよ。マーサの膝をたちどころに治したそうじゃないか。どうか診るだけでも診ていただけないだろうか」


 女将のおばちゃんはマーサというのか。もはやそれもどうでもいい。


 さて、山男エドワードは今のところ紳士的だ。

 そして、事態はまだ一番小さな想定のうちにあるように見える。

 しかし、ここで引き受けてはならないのだ。引き受けたが最後、第二第三の怪我人が現れ、事態は次々に大きくなっていくに決まっている。


「残念ですが、お力添えは出来かねます」


 私はきっぱりはっきりと断ると、村の外に向かって歩き出す。

 今の私は、優柔不断だったかつての男とは違うのだ。嫌なことは断れる女なのだ。


「やっと見つけた希望なんだ」


 知らない。聞きたくもない。


「こんなに頼んでいるのに無視かい! この人でなし!」


 女将が叫ぶ。

 ほらみたまえ。ついに私は、ケチから人でなしになってしまった。


「待ってくれ!」

「……痛いです。離してください」


 エドワードに右腕を捕まれた。小柄な少女の腕をを力ずくで引き留めようと大きな山男がつかんでいる。おお。なんと犯罪的な光景か。


 私はエドワードの腕を振り払……おうとして失敗した。

 む。さすが山男だ。筋力が違う。

 私はか弱い少女なのだ。力づくではかなわない。致し方ない。少々『無理』をすることにしよう。


「離してください……と、言っています!」


 瞬間、右腕の筋力を限界寸前まで増幅。気合一閃。掴まれた腕を振り払った。


 治癒魔術は肉体を魔法の力で操作する技術だ。

 見た目の通りまったく鍛えていない非力な少女の私だが、魔法の力で筋肉を無理やり動かせば少々無理な力を出すこともできるのだ。


 ただ、魔法力で無理やり筋肉を動かしたところで、しょせんは火事場の馬鹿力。身体を上手に使って出せる限界の力には到底かなわない。


 たとえば、同じこの身を武術の達人などが使えば、わざわざ魔法力を使うまでもなくもっと効果的な力が出せるはずだ。

 だがしかし、私はどうにも運動能力のセンスがない。素の身体ですら上手に動かすことがおぼつかないというのに、魔法力で強化された力なんぞを使って全力で動けば、顔から転ぶ自信がある。


 なので、私がこの「火事場の馬鹿力」が使えるのは一瞬だけだ。しかも、たいして強くもない。さらに、翌日は関節痛や筋肉痛になることは必至。

 後に無理の代償が残るのに、あまり役に立たない小技だ。


 少しだけ驚いた顔をしたエドワードだったが、治癒魔術の小技が行使されたことには気づいていまい。


 うまく身体のバネを使って勢いで払ったと思ったにちがいないし、おそらく同じくらいの体格の大多数の少年少女なら普通にそれができるのだ。

 だけれども、私にはそんな運動能力はないのだ。

 なので、これは間違いなく治癒魔術の力なのだ。


 なんだろう……悲しくなってきた。


 私の意志が固いと見たエドワードは、腰の山刀に手を伸ばした。


「悪いが……こうなったら多少強引にでもついてきて来てもらう」


 右手に山刀、空いている左手。その両手を広げて通せんぼする格好で道をふさぐエドワード。


「武器を、抜きましたね」


 私は目を細める。




◇◇◇◇



「エドワード、やりすぎだよ!」

「いや、マーサ。傷つける気はないんだ。だが、このままでは逃げられてしまう」


 傷つける気はない。うん。知っている。私を脅迫する人はみんなそう言う。

 女将よがんばれ。いまならまだ、ぎりぎりだが、まだ間に合う。


「そうさね…。お嬢ちゃん。どうかエドワードの家まで行ってやってくれ。それだけでいいんだ」


 だめか。思えば、この事態そのものの原因は彼女だった。期待するだけ無駄だった。


 私は諦める。


 私の諦観を見て取ったエドワードは、山刀を持っていない方の左手で私の腕をつかむ。先ほどとちょうど逆の腕を掴まれた格好だ。


「すまない。どうしても天が与えてくれたこの一縷の希望を捨てきれないんだ。いちど診てもらって無理なら諦める。だからお願いだ。娘を……」


 エドワードの言葉をもう私は聞いていなかった。もう、全てを諦めたのだ。


「武器を見せながらお願い? それは脅迫っていうんですよ」

「何を……」


 彼は最後まで言葉を紡げなかった。エドワードの身体から力が抜けると、膝から地面に崩れ落ちた。


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