第2話 希望とは妄想の別名である
「どうですか?」
治療を終えた私は、女将の膝に当てていた手を離した。
女将の膝は、関節の軟骨がすり減っており、骨が神経を圧迫していた。歳を取るとよくある症状だ。
軽く魔法力を流し込んで神経を保護する。あとは軟骨の再生を促せば治療は終わりだ。再生系の処理は、魔法で無理やり新陳代謝を進めるため、あまり広範囲に行うと様々な問題がおきることもあるが、今回のような簡単な治療で問題が出ることはまずない。
「すごい、痛くないよ!」
宿の女将は喜びの表情で、膝を曲げたり伸ばしたり忙しい。放っておけば、今にも走り出しそうな勢いだ。
「それは良かった」
しばらくは安静にしろとか無理はするな、などとは言わない。この膝は完治した。酷使してもあと二十年は大丈夫だろう。
スープ一杯の礼としては多すぎるが、まあよかろう。女将は親切で私にスープを提供し、私はそれに親切で応えた。それだけだ。
「長年苦しんでた膝の痛みがあっという間に治っちまった! お嬢ちゃんは教会の……には見えないね。治癒魔法って言ったかい?」
「ええ、まあ。魔法の一種です」
再現可能な技術なので個人的には『魔術』と呼んでほしいところだが、まあ『魔法』で間違っていない。魔法による治癒術というのは、私が知る限り世に広まってはいない。
病や怪我の治療を行うのは、魔法とは全く関係なく薬草など使う医者、魔女のたぐいか、信仰魔法を使う教会の信徒だ。
薬ではここまで短時間に劇的に治ることはないし、信仰魔法は厳しい修行の果てに神との対話に目覚めた信者が長ったらしい聖句を唱えてやっと発動するものである。それを教会に治療を頼むには多額の寄付を必要とする。
その点、私の確立した治癒魔術は大変に優れている。効果は即効。信仰心など欠片もなくても扱える。必要な魔法の力もほんのちょっとだけ。
女将は少し真剣な顔をして何やら考え込む。
む、もしかして彼女は信仰心の篤い人間だったのだろうか。
神の奇跡を魔法などと軽々しくいうと、相手が敬虔な神の信徒であった場合異端として糾弾されることがある。少し話した感じでは、そこまで信仰深そうには見えなかったのだが。
「診てほしい人がいるんだ」
あ、……いけない。これはまずい流れだ。
私は目を泳がせながら『言い訳』を考える。
「急ぎますので。もう旅立たないと」
本当は特に急いではいないのだがそれとなく断ってみる。
他人の機微に敏い人ならば、受ける気がないことをこれで察してくれる。
「少しだけでいいんだよ。お願いだ」
婉曲な断りの言葉は一切無視された。概して、おばちゃんは押しが強い生き物だ。
「いえ、無理です」
仕方がないので、今度ははっきりと断る。
「なんだいケチくさいね! ほんのちょっとくらいいいじゃないか!」
ケチくさい……。これは本格的に良くない奴だ。
私はスープ一杯の対価の礼を気前よく支払ったつもりだ。私が施した治療は、例えばもし教会に依頼すれば、スープ百杯、いや千杯でも足りない額の喜捨を求められるだろう。
本来ならば感謝されこそすれ憤慨されるいわれなどないのだ。だがなぜか私は女将に批難されている。
これは良くない。非常に良くない。早く逃げなくては。
私だってこれまでの数多くの失敗から学んだのだ
「急いでるというのならすぐに連れてくるから! そこで待ってておくれ!」
女将はすごい勢いで宿を飛び出して走って行った。
なんて速度だ。膝の治療は完璧のようだ。さすが私だ。
いや、
私は黒い外套を羽織ると宿をあとにした。
◇◇◇◇
人間というものは不思議なもので、自分に都合のいいことは当然起こりうるべきで、そうではないことは起こらないのが世の理だと錯覚してしまう生き物だ。
元より手に入らないと思っていたものには諦めがつくが、いちどそれが手に入りそうになると、それを持っているのが当然の権利のように思うようになるのだ。
今日の私にとっての「望外の幸運」は一杯のスープ。
もしも、あの宿に素泊まりの料金を支払ってもう一泊したとしよう。そして、明日の朝にスープが提供されなかったとしたら。
私は『なぜか』がっかりするに違いない。素泊まりで食事が出ないのは普通のことなのに、いちど幸運を経験してしまうと次もスープが出るのが当然のこととして期待してしまうのだ。
宿の女将が長年悩んでいたのは膝の痛み。
彼女にとってはそれが普通の状態であり、痛みがあるのは当然と諦めがついていたはずだ。
しかしそれが、私という「望外の幸運」の登場により治ってしまった。
そうなると、彼女の中にあった同種の問題。他の村人に怪我人あるいは病人がいるのだろうか。それについても「自分が治ったのだから治るのが当然」という思い込みが女将の中に『なぜか』生じる。
「望外の幸運」が「通常の基準」となるのだ。
人間は自分の都合の良いように物事が進むことを信じて疑わない。それをあるものは「希望」などと言うが私に言わせれば「妄想」だ。
妄想、いや希望を抱くのは結構。より良い未来が待っているという根拠のない希望がなければ人は生きていけない。私だって根拠もなく明日のスープを期待してしまう。人とはそういうものだ。
だが、その希望が自分の思い通りに都合の良いように進まなくなったとき、彼らは『なぜか』その希望をもたらしたものを恨む。
それはこの場合、つまり、私だ。
兆候はすでに表れている。スープの対価としては十分すぎるほどの礼をしたはずなのに、
はてさて、彼女の妄想した輝かしい希望はいかほどのものか。
想定として一番小さなものは「一人の怪我人がいて、私が無償で治癒してくれる」というものだ。
大きな想定としては「大勢の村人がけがや病気に苦しんでいて、全員が治癒するまでおとぎ話の聖女よろしく献身的に看病する」だろうか。
どちらにせよ、村人は全員健康体となり、涙を流して喜び感謝をして、めでたしめでたしというわけだ。
断言してもよいが、その妄想の中には私が治療に対して金銭を要求したり、治療が不可能あるいは失敗するということは含まれていない。
輝かしい妄想の未来に一つでも反する事態が発生したとき、彼女はきっと、間違いなく、私を指してこう叫ぶのだ。
「こんなことになったのはこいつのせいだ!」と。
知っている。この展開を私は嫌と言うほど知っている。
早く逃げなければならない。この村から
急いで街道に抜けよう。
村人は村に生き村で死ぬ。一生村の外には出ないものだ。村を出てしまえば追ってこない。
あまり猶予はない。
今の私の姿かたちは、実は結構気に入ってはいるのだが、いかんせん小柄なこの身である。いくら急いだところで、大人が全力で走ったらすぐに追いつかれてしまう。
「やっと追いついたよ……」
そう、追いつかれてしまうのだ。
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