黒衣のクリス〜災厄の治癒魔術師〜 天才可憐な私が失敗なんてするはずが……あっ

遊離電子

プロローグ

第1話 黒衣の少女

 私は濡れ羽色の長髪をおざなりに整えながら旅装を整える。


 さらさらの直毛は軽く撫でただけですぐにまとまるから楽だ。

 フリルやリボンがあしらわれたシックな黒の少女らしいワンピース。髪色も相まって小柄な全身は黒一色。ブーツも黒。鞄も黒。手袋も黒。

 黒は便利だ。汚れが目立たない。


 あとは外套(もちろん黒色だ)を羽織れば準備完了だ。いつでも旅立てるというところで声を掛けられる。


「お嬢ちゃん、朝食くらいは食べていきな。こいつはサービスだよ」


 ふむ。私は「お嬢ちゃん」ではないのだが。


 素泊まりの料金しか払っていないのだが、宿の女将はわざわざ朝食をふるまってくれるようだ。

 宿の女将と言ったが、「宿」というほどの規模でもないし「女将」というほどの役職でもなかろう。ここは村唯一の酒場、兼食堂、兼簡易宿屋。彼女は、それを切り盛りしているおばちゃん、といったところだろうか。


 小さな寒村だ。

 宿があるなど期待していなかったが、街道沿いのために旅人が比較的頻繁に通るらしい。宿があった。

 屋根があるだけでありがたかったのだが、ちゃんとした寝台付きの部屋で眠ることができた。さらに暖かい朝食までついてくるなどこれ以上望むべくはない。


「ありがたくいただきます」


 私の口から紡がれる礼の言葉は、我ながら鈴を転がすようなと形容するにふさわしい可愛らしい声である。

 こんなに可愛らしいのだから、お嬢ちゃん呼ばわりされてしまうのも致し方あるまい。


「若いのに一人旅は大変だろう?」


 私は若くもないのだが。

 温かいスープに免じて訂正はしない。寒いこの季節にはありがたい。無心に匙を往復させてスープを退治することに集中することの方が大事だ。


「いえ、慣れていますので。これでも何十年も旅をしていますから」


 普段はあまり世間話などしない方だが、望外の朝食にありつけた私は機嫌が良かった。饒舌にもなろうというものだ。


「ははは。お嬢ちゃんまだ十四、五だろう? 何十年も旅してたら私みたいになっちゃうよ」


 しかし、女将は冗談だと思ったのか笑う。


「そんな元気に旅なんてできるのは若いうちだけさね。年を取ると身体のあっちこっちにガタが来てね。私も最近膝が痛くてやってらんないよ。あーやだやだ」


 私は目に『力』を込めてちらりと女将の膝をみる。なるほど、だいたいわかった。


「ふむ。よくしてもらったことであるし膝を診てあげましょう。

 実は、私、治癒魔術を少し嗜んでいるのです」



◇◇◇◇



 私はかつてクリストファー・アインシュラッドという名の「男」だった。そう男だ。いや、男だった。

 今の私は四十余年の人生の全てを治癒魔術にかけた男の成れの果てだ。


 宿の女将が「お嬢さん」呼ばわりをしたのは彼女が耄碌しているわけではない。今、私は成人前の年頃の可憐な少女の形をしている。なお、この国の成人は十六才である。


 この姿になってからは男の名を使うのも目立つので、ただ「クリス」とだけ名乗っている。


 かつて治癒魔術士として生きた男が、なぜいま十四、五才の見目麗しい少女の姿をしているのか。それについては長い話になるのでまた次の機会に。遠くないうちに語る機会があるだろう。


 一つだけ説明するなら、治癒魔術とは人体についての構造と成り立ちを理解しそれを魔法で操作する技術である。極めれば人間の姿かたちを多少いじることなどは造作もない。

 「多少」ではなくなぜ元の姿と似ても似つかない少女の姿になっているのかという疑問に対しては、技術的な都合上であるとだけ答えておこう。


 別に、趣味とか一度女の子になってみたかったとかそういうことではない。女性の肉体になったらどうなるのかということに知的好奇心的な興味がなかったかというと嘘にはなるが、あくまで、その時点での制約による結果である。

 あのときは生きるか死ぬかの瀬戸際だった。仕方がなかったのだ。けして、趣味でなったわけではないのだ。本当だ。


 その話は一旦終わろう。


 さて、この世界で「治癒」と言えば信仰による神の慈悲、奇跡というあやふやな概念。俗に「信仰魔法」と呼ばれるものを指す。


 もちろん、彼ら敬虔な神の使徒たちの前でそれを「魔法」などと言ってはいけない。曰く「神の御業」である。神の信徒たちが祈りを捧げると慈悲深き神がその信仰心に応じて奇跡の力を授けてくださるのだそうだ。


 魔術士から見れば魔法技術の一種なのは明らかなのだが。それは言わぬが花である。


 だが、かつての若き青年魔術士だった私にはそのあやふやさが許せなかった。

 よく言葉のあやで「人体の神秘」などと言うが、神秘は解き明かされるべきである。理解し、方法論を確立すれば神秘は技術となる。


 私は神秘を探求し、技術を追求し、生命を研究し、そしてあやふやな信仰魔法(あえて魔法と言おう)を体系化した「治癒魔術」を求めた。


 魔法の力で人体に影響をあたえることができることは明らかだ。

 自然の力を操作する魔法はある。

 炎や風を動かして敵を倒す魔法。大河の水を凍らせて軍隊を渡河させる魔法。

 世間で「魔術師」と呼ばれる英才たちはその大きな力を現実に発揮して活躍している。

 であるのならば、同じ自然現象である人体の営みに影響を与えることができないはずがない。


 私は長い時間をかけて、幾千もの試行錯誤とその結果からなる確かな知識のもとに、治癒魔法を再現できる技術、「治癒魔術」として体系づけることを成し遂げたのだ。


 私の治癒魔術は何人も癒やした。腕を失った農夫。病に冒された商人、生まれつき障害のある貴族。命の尽きかけた王。


 だが結果的に、私は失敗した。そしていま、少女の姿で旅をしている。

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