第4話 始まりの終わり
前触れもなく激しい音や動きもなく。男はただ倒れている。静かに。何事もなく倒れている。
「エドワード!?」
「首から下を麻痺させました」
治療には、時には人体を切り開いて治療を行うこともある。太い血管をつながないといけないとき。内臓の底に病巣があるとき。そういう場合には、患部を露出させる必要がある。
そんなとき、治療のためにはできれば全く動かないでいてほしいのだが、現実問題としてそれは無理というものである。人間は痛ければ力む。力めば動く。動けば傷は開き、出血する。
「手術ってわかります……?
病を取り除くのに、身体を切ったり貼ったりしないといけないことがあるんですが、どんなに我慢強い人でもダメなんですよね……」
数々の尊い犠牲により、痛みによる反応は精神や心の持ちようではどうにもならないことが分かった私は、神経系に作用して強制的に肉体を麻痺させる魔法を創った。
それがこの麻酔魔法だ。
治癒魔術は治療の技術だ。けして攻撃魔術ではない。戦闘の中で行使するのは不可能だ。
しかし、ある程度時間をかけて手を触れれば『治療』は可能だ。
なに。やったことは女将の膝を治したのとさほど変わらない。触れている左手から魔法の麻酔効果を叩き込んだのだ。
私は崩れ落ちた男を無視して、地面に転がった山刀を拾った。
「よっと。さすがに重いですね」
山の木々や下草を打ち払うためだろうか、山刀はなかなかに肉厚でずっしりと重かった。
「これは、非力な私に扱うのは無理ですね」
「そ、そうだよ。お嬢ちゃん。物騒なものは離すんだ」
女将がなにか言っているがもう私は彼女には興味がない。興味のない人の言葉は私の耳には届かない。
山刀は武器として振り回すのは無理だろう。だが両手で持ち上げるのに無理はない。ちょっと重いだけだ。さて、これをどうしようか。
「うーん……これは正当防衛ですよね?」
正当防衛が成立するかどうかは過程が大事だ。はて、なんでこんなことになっているのだっけ?
一応は即座に対応できるように山刀の切っ先を男の首スジに向けてはいるが、だんだんと面倒になってきた。
もう、このまま去るか。
「やめろっ!! エドワードから武器をどけろっ!!」
「あ…」
両手で持った山刀をもてあそびながら、どうしようかと考えていたところ、突然大声で怒鳴られる。
大声は苦手だ。怒鳴られると怖くて身体がビクッとしちゃう。
完全に意識の外に追いやっていた女将からの怒鳴り声にびっくりして、つい、手が滑った。
やはり山刀は可憐な私には重すぎたのだ。私の手を離れた山刀の切っ先は、自身の重みで自然と地面に転がる男の頸動脈に突き刺さった。
「おっと」
勢いよく吹き出した血が少し外套の裾にかかる。
大丈夫。問題ない。すぐに避けたのでかかったのは少量だ。
こんなときのための黒い外套だ。多少シミになっても大丈夫だろう。
黒は便利だ。汚れが目立たない。
◇◇◇◇
宿の女将が腰を抜かしながら逃げていった。
足元に転がる男はまだ生きているが、急速に生命を終わらせようとしている。
首の傷自体は私なら治せるが、動脈を的確に切断した状態になっているために、もはや血を流しすぎている。傷をふさいでもそれだけではどの道死ぬだろう。まあ、私なら生きてさえいればなんとかできる。
……一応、治しておくか。あ、だめだった。
首の傷はきれいに治ったが、その直後、男の心臓は止まってしまった。
とりあえず止血をすれば、そのあとどう対処するか考える時間くらいはもつと思ったのに。
意外とあっさり心臓が止まったな。まるで弱々しい。この男、もともと心臓が弱かったんじゃないか。
「あ、そういえば……。麻痺が効いたまま……」
麻酔魔術によって最低限の活動にまで身体機能を低下させせていたのだった。心肺機能も最低限にまで活動を落としていたことだろう。
活動の弱った心臓が、大出血という緊急事態でついに力を失って停止したのか。
なるほど。理由がわかってすっきりした。
「まあ、これは仕方がなかったですね」
できる限りの処置はした。最善を尽くした。私は悪くない。
◇◇◇◇
私は当初の予定通り、村を出て街道を歩いている。
村に人死にが出たのだ。騒ぎになるだろう。
私は自分の正当性を疑ってはいないし、公正であるならば、司法の裁きにこの身を任せ、事件について
細かい法文は忘れたが、王国法の何条かによると街道で賊に襲われたら斬り伏せて問題はないはずだ。確か十何条の附則だ。今度ちゃんと調べよう。
いや、そもそもこれは医療事故でもある。死にかけの患者を助けられなかったとしても、救おうと尽力した医師は罪には問われまい。
しかし、かの寒村である。あの手の村では王国法よりも慣習法が優先される。
つまり、村内で事件が起きれば村長あるいは長老のような人間が独断で処罰を行うのだろうと想像できる。
そこで公平な裁きがなされるとは私には到底思えない。
被害者は村人。加害者は村の和を乱す異分子(つまり私だ)
それだけで結果が想像できる。
もし事態がそこに至ったら。その時私は、自己の正当性を全力をもって主張するだろう。この身に宿る魔法の力と知識の全てを使って全力で理不尽を打ち砕く所存だ。
その結果を想像するに、この度は不幸な事故として私はこのままそっと旅だった方がお互いのためではないだろうか。間違いない。きっとそうだ。
こんなありふれた日常は、すぐに忘れてしまおう。失敗した過去は振り返らない主義だ。
人間の目が前についているのは、後ろを振り返らないためだと言った哲学者がいたらしい。とても良いことを言う。
旅をしていると、たいてい何か事件が起きる。そう、いつもなにかが起きてしまうのだ。後ろを振り返っていたら前に進めない。
だけれども、いいことも悪いことも受け止め方次第だ。どんなに最悪な時だって、前向きに、楽しく生きればきっと最高にできるのだ。
「こういう時に後ろ向き思考はよくありません。よかったことを探して加点しましょう。
宿に無料で朝食がついた。1点。宿の女将の膝が治った。プラス1点。猟師に山刀で襲われたが防衛した。プラスマイナスゼロ……ふふん」
今回あったことを一つ一つ確かめる。歌うように、楽しげに。人生は気の持ちようだ。無理やりにでも楽しい気分に持っていこう。
襲われたことをゼロにカウントするのは、ちょっと甘いだろうか。私に被害はなかったし、山刀で人を脅す悪人はいなくなった。マイナスというほどでもないだろう。
そう。こういう前向きな思考が大事だ。後悔ばかりしていたら精神を病んでしまう。
「そして今回はなんと、関係ない人は死んでいないし、村は滅びていない」
いいことは今後に活かそう。悪いことは繰り返すまい。しかし、総合的に考えて今回の事件の結果は……
「うん。我ながら上手くできたんじゃないでしょうか。満点!」
少々無理やりぎみに、空に向かって一人で満点を宣言。
誰も聞いていないが私の人生だ。私がそう思えばいいのだ。
スカートを翻して先に進もう。少女らしく軽やかに。かわいらしい振る舞いが板についてきたものだ。私はもう誰が見ても、どこにでもいるただのありふれた少女だ。
さあ、些細なことはもう忘れた。次の街に向かおう。次はもう少し都会がいいな。
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