第5話 逃走 ――2:32 p.m.



 ……なんだ?


 上半身を起こして、辺りを見回す。このだだっ広い野原の中、当然俺たちの他には誰も……、いることにはいるが、本当に数える程のお年寄りや無害そうな人々ばかりで、誰一人として爆音をかましそうな奴はいない。じゃあ一体……。


 ふと、視線の先、丁度森林の上空にデカい何かが見えた。

 白い胴体に、白い翼。うむ、正面から見えているんだ間違いない。あれは飛行機、それも旅客機の類の奴だ。


 ――ここで俺が小学生、いや、幼稚園生並の推理をしてしまったのにはある理由がある。普通、飛行機は下から見上げるものだ。遥かに高く空へと飛び上がった飛行機の腹を、地上にいる俺らは何気なく見遣る事がある。ゆったりと空を往くその巨体に、人々はいつも想うのだ。あれは、一体どこからやって来たのだろうか。あれは、もう何時間飛んでいるのだろうか。……そして、もう一つ。


 なぜその場所を飛んでいるのだろうか、と。俺は今、その最後の問いかけを強烈に感じている。


 ……もうお分かり頂けただろうか。その飛行機は地上から程近く、しかもこちらに向かって飛んできていたのだ!!!!


「(絶叫)」と記したい所だが余りの唐突さと理不尽さに、もはや呆れと混乱で声も出せない。後ろを振り返る事も出来ずに思わず草華の肩を連打する。……変だな。反応がない。展開の速さに飽和しかけた頭を何とか後ろに向けるとそこには――――


 目を真っ赤にして泣いている、草華がいた。


 …………。


 いやそんな事を一々気にしている場合じゃねぇ!!非常事態だ!!!!


 再び我に返って叫ぶ。いや、叫んでしまう。


「おい草華!!あれ見えてるよな?早く逃げるぞ!!」

「………いやだ。」

「HA?」


 草華は朝の時の俺みたいに手足を四方に放り出している。それはまるで玩具を買ってもらえずにグズる四才児のように。数秒前まで綺麗に整っていた顔をくしゃくしゃに歪めて、草華は叫び始めた。


「もういいのよ、何もかも!!貴方の言った通り私の人生になんて何の意味もなかった。お父様から褒められるように一生懸命努力したし、その分苦労もしたけど、結局何も出来なかった。……いいから放っておいてよ。貴方だけでも逃げればいいじゃない。」

 面倒くせー。まぁ謝りゃいいだろ。だがそんな甘い見込みはまたしても外れる事になる。


「分かった分かった俺が悪かった、さっきは言い過ぎたよゴメンなあれは全部ウソだ!!よし解決!!じゃ早く逃げ――」

「だ・か・ら、もう放っておいてって言ったでしょ!!それともまだ罵られたいワケ?」

「\(^o^)/」


 本当だったらそのお言葉に甘えて何もかも放り出したい所だが、生憎舌戦が終わって自己嫌悪に成りかけている俺にはどうも気が向かない。


 ——さぁ考えよう。いやそんな呑気な事を言ってる場合じゃねぇ、考えろ俺!!草華をここから連れ出すには、一体どうすればいい?


 幸運なことに、さっきの口論で使用された俺のイカれた思考回路はまだ残っている。恐らく過去イチで頭をフル回転させて、捏ね繰り回して、コキ使って、死物狂いで働かせて。


 何とか思いついたのが……これだった。


「……お前さ、気持ちよくなりたいから、俺をデートに誘ったんだよな?」


 言った数マイクロ秒後に気づく。あっ、これ様々な誤解を招く可能性のあるヤバい台詞だな、って。だがどうやら精神退行している草華にはそのままの意味合いで受け取られたらしい。鼻水を啜る音に混じって悲痛で震えた声が聞こえる。


「えぇ、そうよ!!それの何が悪いって言うの?もうこれ以上頑張り続けるのに疲れたの!!将来の為、って自分に言い聞かせてどんな苦痛も必死に堪えてきた!!他の人の心を踏みにじる事も平気でやってきた!!それだけ一生懸命喰らいついて、一生懸命努力してきた!!」


 矢継ぎ早に、草華は心の内に秘めていた事を吐き出していく。回想に耽っていた数分前の俺と同じように。


「でも隕石が降ってくるって聞いて……、今までの所業に天罰が下ったんだと思った。このまま惨めに死ぬしかないんだと思った。最低な私は、絶対に幸せになっちゃいけないんだと思った。そんなんだから――、夢を見てしまったの。私の事を商売道具じゃなくて、本当に私の事を大切に思ってくれる誰かと、一緒に楽しく最期の時間を過ごせたら、どんなに幸せだろう、って。……はぁ、でもやっぱりダメね。そうは問屋が卸してくれない。今まであれだけ皆にヒドい事してきたんだもの。神様が私を幸せにしてくれる筈ないわ。……ホント、バカだなぁ、私って。」


 ――ふと、何かが、俺の中に込み上げてきた。それは静かに湧き出しては、俺の凝り固まった心を融かし、奥底に深く染み込んでいく。



 それが、「他人ひとへの同情」という久しく忘れていた感情の欠片だと気付いた時――、


 心の底から、愚かにも想ってしまったんだ。こいつをたすけてやりたいって。


 化け物だというのに、人並みに願ってしまったんだ。最低で最悪な俺らの、ささやかな幸福ってやつを。


 巨体が空を切る凄まじい轟音の中で、ようやく、俺は口に出せた。


「――じゃあさ、これから神様に見せつけてやろうぜ。俺たちの幸せって奴を。」

「はぁ?また何言っt」

「幸せになりたいんだよな?」

「……まぁ。」

「楽しくなりたいんだよな?」

「……えぇ。」

「気持ちよくなりたいんだよな?」

「……うん。」


 どんなに下品でもいい。どんなに馬鹿げていてもいい。ただ、そこに、本当の想いさえあれば。


「好き勝手やりたいんだよな?」

「……うん!!」

「死ぬまで誰かと一緒に過ごしたいんだよな?」

「うん!!」

「思いっきり遊んでみたいんだよな?」

「うん!!」


 目の前の草華にもよく聞こえるように。ありったけの想いを込めて、叫び、謳い、撒き散らした。


「よぉし!!なら行こうぜ、ハッピーが俺たちを呼んでいる!!」


 爆音の中、俺の言葉が草華に届いたかどうかは分からない。ただ、一つ言える事は――、彼女は既に至って冷静であるという事だ。


 草華の視線の先を見れば、目と鼻の先に迫りくる飛行機。既に視界の三割はそれに覆われている。常人ならばこの辺で人生を諦め、今頃走馬灯を頭の中に垂れ流している所なのだろう。だが非現実的な状況と数秒前のカタルシスに痺れた俺達の脳に、そんな興醒めなものは全く現れる素振りを見せなかった。


 一旦息を吐き出して、それから最低限の挙動で。直ぐそこの草むらの中から、俺はさっきから目をつけていた黒光りする「それ」を引き起こす。その小説も吃驚びっくりなご都合主義的展開に、草華はお嬢様らしからぬワルい顔を浮かべた。


『使い方は分かるの?』

 確定はできないが口の形から見るに、凡そこんな科白を言ったのだろう。余裕の笑みを放って、俺はその言葉を返す。


「ああ。いつも大家さんが弄っているのを部屋の窓から見てるんだ。」


 その言葉を最後に、俺達はフルスロットルで駆け出した。





 数分後――。俺たちは公園の近くの道路に倒れ込んでいた。オレンジ色に染まりきった空を、ひしゃげたバイクから出る灰色の煙が汚す。


「バイク、壊れちゃったね。」

「………ああ。」

「いつからそれに気付いてたの?」

「爆音がして、周りを見回した時。」

「……そう。」


 そういえば飛行機はどうなったのだろうか。地面に衝突する音までは確かに聞こえたが、バイクを扱うのに必死で全くその後の顛末にまで興味が向かなかった。日が沈みかけて絶妙にヌルい温度になったアスファルトの上に寝転がりながら、逃げてきた草原の方を見遣る。


 驚いたことに、飛行機は大破してなどいなかった。こういうのを不時着というのだろう。車輪は地中に埋まり、翼は木にぶち当たって折れ曲がっているが、火や黒煙は全く見受けられない。


 中の奴らがどうなったのかは知らないが、あの様子では全員が助かったのだろう。世が世なら奇跡と言われる案件に違いない。……最も、数時間後に全員仲良く昇天することになるわけだが。


「ねぇ……、これからどうする?私まだ全然楽しめてないんだけど。」

「マジで?バイク乗ってる時とか、結構スリルあって楽しかったけどな。」

「私は何もスリルを求めてる訳じゃないの。普通の恋人らしく、純粋でキレイなデートを楽しみたいのよ。」


 純粋でキレイなデートかぁ、そんなもの今更存在するかね。


 そう思い倦ねていたその時。一枚のチラシが、風に吹かれて俺の顔の上に乗っかってきた。時間とプリンターと人手が無かったのだろう、薄っぺらい紙にはデカデカと、こう乱雑に書き殴られていた。


『花火大会 今夜開催』


 ……中指まで突き立てたというのに、どうやら神様はまだ俺らを嫌いになれていないらしい。疲れたので、暫くそのまま寝る事にした。


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