第4話 舌戦 ――2:29 p.m.
快晴。そう表現するにはどこか弛んだ昼下がりの青空と、西に少し傾いた太陽から放たれるとんでもない量の電磁波が、俺の全身を遍く照らす。町中に注意勧告みたいなのも出ていたが、どうせ死ぬまで後半日、それまで好き勝手にやらせてもらおう。
左腕の安っぽいデジタル腕時計には、点滅する「ERROR」の文字。……そういえばもうぶっ壊れてしまったんだっけか。まぁ今は少なくともあの告白から四時間以上は経っているだろう。俺の両足がさっきからそう悲鳴を上げている。
それから右を見遣れば、今度は逆にうんともすんとも言わない悪魔が一人。黒髪を指でくるくる巻いたり摘んだり。俺と同じように緑の芝生に寝転がって、その長すぎる毛髪を弄んでいる。
気怠げに寝返りをうって、ボヤく。向こうも同じ事を思っていたのだろう。あれ程反りが合わなかったというのに、この期に及んで奇しくもハモってしまった。
「「……ヒマだなぁ。」」
行くアテがない。
そう気付いたのは、不器用に互いの手を握りしめた俺らが、学校の校門を出て直ぐの事だった。元々デートはおろか誰かと一緒に外出した事すらも無かった俺の人生だ。デートスポットに適した場所など到底思いつける筈がない。ならばと徐ろにズボンのポケットに手を伸ばし、ソレに触れてからようやく気づいた。
そうだ、スマホもう使えねぇじゃん。
日本時間午前8時43分。丁度俺が放心状態のまま学校に到着して直ぐの事。前々から言われていた通り、100年、いや1000年に一度の超大規模な太陽フレアの発生が世界中の天文台でついに観測された……らしい。隣にいる悪魔からそう聞いた。そんなに前から予測されていたのに、どうして何の対策も取らなかったのか。世界の覇権を握ってる奴らは案外俺と同じように脳味噌スッカラカンなのかもしれないが、まぁそれはそれとして。
それから数分後、今度はアメリカの……たしかNから始まる超有名な機関が、あと十数時間で超巨大隕石が地球に落ちてくると、景品発表のオマケ感覚で発表しやがった。どうやら世界的なパニックになるからギリギリまで情報を伏せていたらしい。じゃあ最後まで言うんじゃねぇバカかお前ら。
太陽フレアのせいでスマホもパソコンもエアコンも更には電車まで使えない。限られた知識と己の足が許す範囲でようやく辿り着いた安住の地がここ、スタート地点の学校から然程遠くもない割りと広めの自然公園という訳だ。……もうかれこれ30分以上ここに滞在している。
無人のコンビニから盗ってきたパンを頬張って、ヤツを視界の隅に入れながら考える。ここ四時間で何かヤツとの関係が進展した事はあっただろうか。ここに至るまでのヤツとの会話をもう一度頭の中でリピートしてみる。
すると、愛すべき彼女からの想いの詰まった大量の言葉が、次から次へと頭の中に浮かび上がってきた。
「……だから、スマホ使えないってテレビで言ってたじゃん……、貴方バカなの?」
「はぁ!?隣町に水族館があるからそこ行く!?電車止まってるに決まってんじゃん、バッカじゃないの!?」
「あ〜あ、疲れた〜。隣にいるマヌケな誰かさんが『もしかしたらまだ堅物なオーナーのいる喫茶店とかがあるかも』とか言わなければこんな事にはならなかったのにな〜。……ホント最悪。」
……まぁ、うん。
特殊な性癖でも無い限り悦べなさそうな悪魔の囁きが、容赦なく俺の全身を擽り回してくる。もうこれ以上彼女との思い出に浸るのは止めた方がよさそうだ。
——不意に、罵詈雑言が消えて静かになった頭の中で、ある疑問が俺を捉えた。なぜ初めて会ったあの場所でその問いをヤツにぶつけなかったのだろう。たった今思いついたような口ぶりで、問う。
「なぁ。」
「何よ。」
「そういえばさ、何でお前は特に知り合いでもない俺をデートの相手に選んだんd」
「バカな奴の方が都合が良かったから。デートするのに。」
なぜか喰い気味で返される。髪を弄るのを止める素振りも見せず、草華はそのまま続けた。
「アンタってさ、いつも先生に数学の問題であてられては珍回答を連発してるじゃない。ほら、この前も簡単な代数の計算で間違えてたでしょ?」
ん、そんな事あったっけ……?もう覚えてねぇや。
そんな腑抜けた事を考えている間にも、尚も無慈悲に草華の口撃は続く。
「それに、昔何かの本で読んだんだけど、そういう単純な計算の出来ない頭の悪い奴ってなぜかエロい思考とアタマが直結しやすいんだって。だからデートとかに誘えばすぐに食いついてくれると思ったの。」
マズイな、終わる気配がない。それどころか寧ろ加速していく。
「でもまさかこんなにもアンタが馬鹿だとは思わなかった。だって貴方全然私を楽しませてくれないじゃない。しょうもない所で下手を打っては私をうんざりさせるだけ。ホント、貴方を選んだ自分の頭の悪さの方を呪っちゃうわ。」
ようやく終わったか……。そう思った俺が馬鹿だった。
「はぁ~~~。逆に今までどう生きてきたらこんなに頭悪くなれるのかしら。」
ブチッッ
俺の中の何かが、盛大に引き裂かれた音がした。
………ほぉ〜?言ってくれるじゃあねぇか。(怒)俺は化け物ではあるが、一応これでもまだ人間だ。何の事情も知らない他人から生き様についてとやかく言われたら、当然こちらにも思う所はある。最も、ヤツの見立てに関しては大正解と言わざるを得ないが。
分からせてやろう。世間知らずのお嬢様に。
下劣で邪悪な発想が、俺の全身を激しく駆け巡って、口から溢れ出た。
「いやスゲェな!!流石我が校の偉大なる生徒会長様だ、洞察力が卓越している!!!い〜っぱい努力したんだろうなぁ。た〜くさん苦労したんだろうなぁ。やっぱりバカで間抜けな俺とはレベルが違うな!!」
こんな風に、まずはやり過ぎな程にわざとらしく持ち上げて見せて。
「は?何よ今さ――」
「あ〜、でも本ッッッ当に可哀想だなぁ、お前。そういう大層な努力とか苦労が全部報われなくてさ。」
「なっ――」
「だってよ、結局はこうやって見ず知らずの頭ピンクな野郎と異性交遊しちゃってるんだぜ?折角の努力も今になって見返してみれば全部水の泡じゃん。」
「………。」
「それにさ、馬鹿の方がデートするのに都合よかった、だの何だのいかにもそれっぽい理由つけてるけど、裏を返せばそれは、付き合ってくれる相手が周りにいなかった、ていうか、そもそも友達が一人もいなかった、って事だろ。違うか?」
口論ってのは己の解釈の押し付け合いだ。100%正解でなくていい。せいぜい七割方事実に即していれば、相手の勢いを殺し、一方的なこちらのターンに持ち込む事が出来る。そして今、こいつの勢いは完全に消えた。
嵌った——。そんな勝利の感覚が俺の頭を隅々まで支配して、舌戦で相手にトドメを刺した時の快感が、俺の背筋を下から上へと迸って。洪水の様なその勢いにノリながら、俺はひたすら捲し立てた。
「大人からの人望はあっても、生徒からの人望がこれじゃあなぁ。お前の事を全く知らない奴に清純な乙女のフリでもして近づけば何とか………あ、でも学校中に噂が広まってるからもう無理だったか(笑)」
1メートル横にいるそいつによく聞こえるように、原っぱ中に響く程の大声で嘲笑い、貶し、煽り、ぶっ潰す。後ろめたく思う必要なんてない。これは全部、ヤツが始めた事だ。
「残念だったなぁ!!どれだけ努力しても結局そのイヤミな性格は変えられなかっただなんて、全くとんだ笑い話だぜ。お前は不幸にしかなれねぇ。お前の人生になんて何の意味もなかったんだ!!」
止められない。止まらない。ハジけた感情の赴くままに、俺は更なる追撃を加えようとして―――、ようやく気付いた。
草華にもう闘争の意思はない。反論もせずにじっと黙って、ただただ罵声の嵐を耐え凌いでいる。そんなヤツの様子を見てようやく、俺はネバネバとした醜い快楽から我に返る事が出来た。
暴言を吐き終わって、体の中からほてりが引いていく度にいつも思う。あぁ、やっぱり俺は、化け物のような醜い存在なんだな、って。
昔からそうだった。すぐにキレる俺をネタにしようと蛆虫みたく群がってきた奴らを、その都度叩き潰しては追い払ってきた。精神的にも、それから止むを得ない場合には物理的にも。中学校生活最後の日、俺はもはや誰からも話しかけられなかった事を記憶している。
……分かっている。そうなってしまったのは、ガサツで何もかもを平等に拒絶していたあの頃の俺のせいだ。まぁ、高校に上がって数ヶ月経った今も友達なんていないから、言うて何も変わっていないのだけれど。
それでも、憐れみなんていらない。同情なんていらないし、後悔もしていない。そんな事をするなら新しいゲームを買うための金をくれ。ケンカ?いいぜ、喜んで買ってやるよ。これでも少しは体を鍛えてるんだ。………なんて、平気で啖呵を切れる程に、今の俺は孤独と性悪である事に何のマイナスも見い出せなくなってしまった。こんなキモい奴を化け物と呼ばすして、一体何と呼べるのだろう?
……草華には少し言い過ぎたかもしれない。だがこれでいい。どうせ破局するのは最初から目に見えていた。
「もう帰る」
その一言さえさらっと吐いてしまえば、お前は家に帰ってパパママと幸せな時間を過ごせるし、俺はもう四回くらい世界を救ったRPGを存分に楽しむ事が出来る。それでもう終いだ。俺たちの仲も、俺たちの短い人生も。デートなんて高等芸能は、クズで最低な俺らには出過ぎたマネだったんだ。
なぁ神様。
宙を見つめて、思う。心の中で、吐き捨てる。
アンタやっぱり最低最悪だ。……くたばってしまえ。
怒りは込めずに、ただ疲労だけを込めて。
紺碧の空の果てにいるであろう存在にも、よ〜く見えるように。俺は日に焼けた赤色の中指を、ただひたすらに真っ直ぐ、天を刺すように突き立てた。
――どこからか爆音が聞こえてきたのは、そう毒づいた時だった。
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