1999

 母さんは挿絵画家になりたかった、と言っていた。

 母さんはあまりお喋りな方ではなかったから、僕が母さんの人生について尋ねた時だけ、その話を聞くことができた。たった数回程度の話だ。

「よくある児童小説の挿絵が描きたかったの。あの上手いわけでもないし、でも下手でもない、ずっと心に残ってるようなタッチの絵」

 児童小説は、一定の読み手が常にいる。僕がはじめて小学校に入ったときにも、驚くくらいの児童小説の読み手がいた。今まで自分しか知らないと思っていた、簡単な探偵ものや、ずっとシリーズ化され続けている魔法王国の話や、アラブの香りのするライトノベルを全部読みあさっているつわものがいた。特に、二年生のころに僕の隣の席になった女の子は、僕がひそかに胸の中で楽しんでいたはずの物語を全て知っていて、とても話が合った。

 今ではもう二度とあんなにポジティブな気持ちで物語について語り合うことはできないだろうと思う。

 三十二歳の今、僕は作家の名前なんかひとつも覚えられずに、何かしらの賞を獲った小説をこれでもかと買い占めて、自分のデスクの上にうずたかく積み上げている。そしてどれひとつとして読めずにいる。義務感だけでページをめくり、五分の一程度で別の本に手を出してしまう。電子タバコをくわえながら冬の公園を目の前にして、僕は本が嫌いなんだ、としみじみ実感して窓を閉める。

 次から次へと湯水のように湧く新書の山を目の前にして、僕はまだ、人生には一握りの本さえあればいい、という先人たちの残してくれた教訓をうまく飲み込めていない。その教訓を心から信じられればどんなにいいかと思いながら、露晒しになった古本屋や、清潔な書店の大ホールで、一体何から読めばいいのやら、とため息をつく。

 僕が今まで魅せられた本や映画に限って、誰でも知っているようなちゃちで大衆的な物ばかりだったので、若い頃の僕は、よく悩んでいた。『羊たちの沈黙』がなんだ、とっくに社会に飽和している世界観じゃないか。これじゃバカな一般大衆と何も変わらない……

 僕が好きなものがたまたま有名なものだった、というのは流石におこがましい。結局僕もただの消費者のうちの一人に過ぎなくて、物事をよく調べもせず、広告で強く打ち出されたものばかり見ていただけだということも、よくわかっているつもりだ。今、こうして広告や作品を相手に提供する仕事をするようになって、そのことがますますわかるようになった。

 僕が今こうした監督業に手を染めて、結局そのまま首までどっぷり浸かっているのは、受け手側の大衆の中から逃げ出したかったから、というのが大きい。高尚な思想が自分にないことだって分かっているし、自分のアイデンティティや胸を張れる祖国もない。この黒髪以外には、ユダヤ的なものを持ち合わせてもいない。無数の小説や映画の中で、自分と同じ民族の人々がドイツ兵に切り刻まれている姿を見たことがあるけれど、とうの自分自身は、一度もまともな差別というものを受けた記憶がなかった。それはきっととても幸せなことで、二千年に渡るユダヤの運命の旅、という言葉は、僕にとって何の意味も持たなかった。

 本当は、僕の単調な雪景色みたいな短い人生の中でも、偏見を受けていたことがあったのかもしれない。でも僕は馬鹿で鈍感で、そんなものに気がつく余裕もなく、野球に明け暮れて、ボーイスカウトの連中を羨ましげに見つめているだけだった。母に手袋をねだって、プレイステーションを買って、ワックスに手をだして、時折ボトルを回してキスをした。

 いじめられたかった。それは人種のこと関係なく、僕個人として、そういう経験が欲しかった。そうすれば、僕はまだ高尚になれる、という歪みきった確信があったからだ。でも僕は虐げられなかったし、虐げられていると思い込むこともできなかった。世界は思ったより腐っていないし、歴史が指し示すよりも優しかった。

僕は絶え間ない自己嫌悪の中で、よく「シンドラーのリスト」を観た。やっぱり面白かったし、泣けた。僕は雑誌のレビューの中で「映画を『泣ける』と評するのはまともな人間のやる所業じゃない」とよく書くけれど、少なくとも、これは、泣けた。一人の男の再生の物語というよりは、たった一人の男が再生するためには数百万人が死ぬレベルの戦争が必要だということを教えてくれる映画だったからだ。

ともかく、僕には映画を生み出す魂が欠けていた。そう信じていた。

 だから母が、曲がりなりとも創作の道を志していたことを知った時、それは僕にとって晴天の霹靂で、僕たちの家族の繋がりや血の絆の中には、類まれなる何かが流れているのかもしれないとぼんやり思ったことを覚えている。

 大衆の枠にはおさまらない、人としてもっと「高尚な」創作者としての血が流れているのかもしれない。

少なくとも僕にとって、創作者はそれくらい高尚な存在だった。あのシンドラーだって、創作という観点からは、何も成し遂げちゃいない。たまたま金を持っていただけだ。

 

 母はほとんど家から出ない女性だった。

 もちろん近所のストアで買い物をしていたし、鉄道敷設の現場管理を担当していた父のもとへ泊まりがけで行くこともしばしばあった。ただ、PTAに関わるような短髪の女親たちからは距離をとって、家の中で黙々と家事をこなすタイプだった。不平ひとつもなく、とは言わない。片付けても片付けても僕の本ですぐに埋まってしまうカーペットを見て、怒ったこともある。烈火の如く、私は召使じゃない、と叫んで僕の脚を踏みつけ、耳を引っ張った。僕はその母親の姿がひどくショックで、泣き出しはしなかったけれど、透明な傷ついた胸を隠して、その日一日は殊勝な顔をして勉強机に向かった。それでも、頭の中に母親の赤い叫び声がことあるごとに蘇って、その度にぼうっとしてしまった、必死に覚えようとした年号はひとつも頭に入らず、頭蓋骨の表面をするりと撫でて飛んでいってしまった。母さんも人間なんだ、とバカみたいに実感していた。


 一生涯同じ毎日を繰り返す主婦という職業ほど、尊敬に値する生き方はないと僕は思っている。昇進もなければ人間関係もない。より良いパフォーマンスというものもなければ、目新しさもない。あくまで家事というものは、僕たち家族の生命を維持すること以外になんの目的も持たない。くそ従順な内臓と同じだ。

 平坦で激烈な人生を送る勇気は、みんなが持てるものじゃない。特に若い世代はそうだ。最近も、ホテルに止まった時、朝靄の中、有料テレビに女子高生の環境活動家が映っているのを見てどっと疲れが湧き起こった。若い彼女たちが砂漠を森に変えようという絶望的な目標を掲げている間に、ひとりの主婦は愛娘の命が絶えないように命を懸けつづけている。目の前のタンクトップとドルフィンパンツの女子高生が、モザンビークの干ばつについていったいどんなにあっぱれな思いを抱いているのかは知らないが、少なくとも、本当に価値ある仕事は、そのタンクトップを洗濯し、オートミールをつくることだと思わずにはいられない。

 ルームサービスのベーグルを作っているひとりのコック。チェックアウトした後に窓枠まで拭いてくれる清掃員。このホテルにいる限りどんな客にも真心を尽くすベルボーイ。でも、彼らはお金をもらっているし、定時が過ぎればその金で好きなことができる。

 主婦は、その全てを無償で、血の繋がりという理由だけで、こなす。

男だろうと女だろうと、関係ない。いくつものやり方で、これでもかと愛を示してくれる存在には、僕はとても恐縮してしまう。そこに母親も父親もなかった。父親だって尊敬している。ただその生き方の凄まじさに惚れ込んだのは、僕の場合、やっぱり母親の方だった。


さて、僕の弟は人から見れば多少発達が遅れているように見えた。少なくとも僕には、年齢の割にあまりに幼すぎるように見えた。食べ物を口に入れる代わりに床にぶちまけるし、貸した本は高確率で破けて帰ってくるし、言うことを聞かないどころか、理解しているようにも見えない。僕が泣き叫んで止めるように言っても、僕が楽しんでいると勘違いして、ゲームカセットを嬉しそうに叩き割りつづける。そんな時、僕は大袈裟でなくて、世界に絶望する。神なんていない。例え居たとしても、その加護は僕には未来永劫宿らないのだろうと発見する。

僕の全身全霊の訴えが、目の前のたったひとりのちっちゃな存在にすら届かないなんて。人間と人間の間がこんなにも遠く、蜃気楼ができるくらい乾いていることに愕然として、膝をつく。僕はどんなにいいことがあっても神様の存在を信じないけれど、こういう時だけは、僕の真上にいる神様はなんて酷い性格なんだと思ってしまう。

それでも、母親は、弟に対して誠実だった。弟の見えすいた苛つきや策略に対して、何も言わなかった。僕がカッとなって手を出すたびに、それが人外の行いかのようにきちんと咎めた。

おそろしくまじめで、疲れを知らない素晴らしい母親だった。


僕が十九歳のある日、弟がまともな小学生らしくブロックで遊んでいた。

僕たちはその頃、郊外に間借りしていた一軒家を引き払って、極限まで荷物を減らしてこぢんまりとしたマンションに引っ越していた。

僕が大学に入学することになったタイミングで、父親の日本出向が決まったのだ。僕一人をアメリカに残して、母さんも弟もそれについていくことになっていた。だから今までの大きな家を引き払って、日本に行くまでのわずかな期間、父は小さな家を借りた。合格通知が届いてから正式に大学が始まるまでの数週間は、僕もその家にいた。

一人暮らしするためのアパートを探して州中を駆け回っていた僕は、その日の午後二時に家に帰った。回転する換気扇から、秋晴れの黄金の光がちらついて入ってくる。隣には枯れた雑草と砂利であふれた公園が広がり、子供たちの小さな絶叫や笑い声が聞こえた。この家はとても壁が薄い。本当に引っ越すまでの暫定的なねぐらにすぎないんだ、という気持ちにさせられたのを覚えている。荷物がほとんどなくて部屋が殺風景だったからでもある。

アップルパイの香りが何重にも染み付いたミトンが、オーヴンのそばに転がっていた。降りたブラインドの隙間から、寂しい北風の音がした。

母さんも弟も、リビングでブロックの箱の周りに座っていた。弟はテディベアのように足を投げ出してぼうっと座りながら、黒い目をてらてら光らせて母さんの手元を見つめていた。母さんは中腰になったまま、僕の入ってきた玄関に背を向けて、しわっぽい指を動かしていた。もう二度と外れなくなった結婚指輪が、くすんだプラチナの最後の輝きを放っていた。

「それなんなの」と僕は尋ねた。

「面白いよ、これ。この子のブロック」

 このブロックはもともと僕がねだって買ってもらったものだった。もう数年手を触れていないうちに、母さんの認識では、このブロックは僕のものではなくて弟のものになってしまったらしかった。

 一度も反抗期にならなかった僕は、少し気恥ずかしいような気持ちで、あかぎれた母さんの指が挟んでいた大きなブロックの板を見つめた。

 それはブロックで組み上げられたパッチワークのコースターだった。グレーとピンクと水色を幾何学的につなぎ合わせ、天文学的バランスで不規則に白いパーツを混ぜ込み、そのすべてが計算されたように美しく映えていた。僕が、手につかんでいた不動産資料を机に置いて、そのパッチワークを手に取ると、母さんはなんの未練もないようにその手を放し、台所に向かっていった。

「お手本見ながら作ったの?」

「違うよ。わたしが自分でつくったの。うまいでしょ」

 母さんは雑菌まみれの台布巾を思いっきりシンクに突っ込みながら、それきり振り返らなかった。後ろから見た日に焼けた髪は少し茶色くなっていて、父の髪の色に似ていた。キューティクルがほつれていて、安い黒ゴムでまとめられている。

 弟がブロックの詰め込まれた大きなボックスをかき混ぜるたびに、ざーっと打ち寄せる波のような音がした。

 僕は母さんの作った美しいパッチワークを持ったまま、自分の部屋に引っ込んだ。そして部屋の電気をつけないまま、自然光の中でそのパッチワークを、まつ毛の上の方で掲げた。

 なんていうセンスだろう。ひょっとしたら、母さんは、今あるどんな芸術家も簡単に押しのけてしまうくらいのポテンシャルを持っているのかもしれない。

 僕は椅子に座り込んで、ほとんど書類しかない部屋の中で空想した。

 実は母さんは、世界に認められるべき稀有な存在だったのかもしれない。シカゴでもニューヨークでもミネアポリスでも展覧会を開き、度肝を抜くくらい美しい母さんの白黒写真が未来永劫『アートインアメリカ』のバックナンバーに輝き、サザビーズから車くらいはプレゼントしてもらえたかもしれない。母さんは、それだけの女性だったのに、この二十年間、僕はいっさい気がつかなかったのだ。僕は、本来なら途方もない値のつく芸術品を生み出すはずだった母さんの手のひらで作られた料理を食べてきたのだ。そんな才能ある手のひらで僕の服は洗濯されて、そんな手のひらで尻を拭かれて、カメラのシャッターを押され、ここまで押し上げられてきたのかもしれない。その世界最高の主婦の手で。


 僕は、そのパッチワークをもう一度眺めながら、ぼんやりと考えた。


 子ガラスをカゴに入れ、高い高い崖の上まで親ガラスは必死に飛んでいく。子ガラスはとっくに親ガラスたちよりも大きくて立派な毛並みをしているくせに、餌はまだかとガーガー唸ってカゴの中でふんぞりかえっている。親ガラスは、ある時、崖の中腹にカゴを置き、満足げに一声鳴き上げて、そのまま奈落の底へと墜落していく。その時、母カラスの翼はすっかり毛羽立ってしまっていて、くちばしは黒ずんで、眼は真っ白に濁っている。脚からは膿んだ血が流れている。頰の下から折れた骨が飛び出している。それでもなお、満足そうに。母ガラスは、どんなに罵られ石をぶつけられたとしても幸福そうに、自分の役目を全うした勇者の表情をしていて……


 僕はそんなイメージをなんとか文字に起こそうとしたが、無理だった。目の前に浮かんだ風景は遠く霞んでいて、今どんなに手を伸ばして瞑想しても、絶対に届くわけがなかった。母親の背中は太陽よりも遠かった。一生をかけて主婦という凄まじい仕事を勤めあげなければ、手に入らない境地だった。


 まごうことなき、無意識のうちに編み出された配色の美しさ。


テーブルに置いたパッチワークの上に、新しく淹れたコーヒーのマグカップをそっと載せてみた。あっという間に熱で変色してしまった。薄く乾いた鼻血と同じ色だった。

 母の血は、たぶん、まぎれもない創作者の血だった。僕にもその血が受け継がれているのか、僕よく自身にはわからない。少なくとも、あの母さんのつくったパッチワークの美しさを超えるような映画は、今もまだ撮れていない。

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オールド・ニューブリッジ 神田朔 @kandasaku

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