4. ヘンゼルとグレーテル


 彼はどこに行ったんだろう?


 主人を失った従者の哀れなる鳴き声、諸君は動物的なソレにわずかに含まれる添加物のような香りを感じ取れるだろうか?犬の発声器官は人間的言語を介するコミュニケーションに適してはいないから、機微を含んだその鳴き声の本当の意図は分かってはいなかったものの、304号室の住人は生来のお人好しを働かせてその捨て犬を拾って帰ることとした。犬は自分の礼儀作法を見せつけるように慇懃いんぎんと付いて行き、扉の前まで水滴と抜け毛をたっぷり落としながら辿り着いた。部屋の扉を丁寧に閉めてしまうと、この城の主はベルベットに似せた化学繊維製ソファに腰を下ろし、新たな小さいルームメイトの名前を考え始めた。


 今更ながら、この犬(今にも最もふさわしい名前が付けられる)は我々の代理人である。は創造的生物と言われる人類種のソレより遥かに深慮な言動によってその知性を証明した。彼が在野にあった際発表した論文の中から引用すれば『神の不在より私を当惑させるのは、救いの在り処だ。ましてや偉大なる主は、選ばれた者にしか救いが訪れないと言う』という訳で、運よく雨の中から拾われたなんていうのは筆者の救世主伝説でしかあり得ないのである。

 さて我々がいかなる物質世界においてもっとも受け入れがたい事実といえば、ストーリーテリングの荒波に逆らう鮭、非業な運命、もしくはとびきりの幸運。自分が相手を好きになれば、こちらも好かれているはずだという純粋で幼稚な発想。精神病の一種。目の前で起こったことをすっかり信じては、瞬きの間に疑念を挟み込む達人技。教養とは軒先にぶら下がった肉を切り落としては上に積み直すプロセスであり、始まりを覚えていないのにやけに終わりエンディングが気になるという記憶処理における脳神経の限界。そのなれ果ては未来そのものだ。


 まともに読む必要はない、それこそ奴の思う壺だから。


 まずもってこの犬の名前がどうこうとか、そんなのが作劇上重要だろうか?『相棒』なんて呼ぶのもいかにもらしい。我々を煙に巻くための下手な芝居だった訳だ、最初から様子はおかしかった。俺には分かっていたんだ。奴は正気ではない、あの頭の中も。立ってる場所すら怪しいモンだ。でもあの犬コロは違う、言いたいのはそれだ。目くらましみたいに虚構を重ねて作り上げたにしては立派な居城、その最後には全てを台無しにするために仕組まれたトロイの木馬、そしてその中の数人のギリシア人は青銅の剣を持っている。

 ほら、見てみろ。アイツは新たな主人が気に入らないみたいだ。つまらない人間が安っぽいソファの上で一人考え込む間に颯爽と、そして短い真っ黒の毛を撒き散らして開けられた窓から飛び降りた。


 それでどうなったかって言えば、ここが三階だったかどうかなんてのは全く関係が無い。この独りよがりな物語がアイツをどう扱うかなんて分かることだろう?

 

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