3. 司法取引


 酸っぱいニオイ。醸造所なんかよりよっぽど発酵に適した空間がある、檻の中だ。囚人服(もちろん白黒の縞々しましまでも鎖の鉄球付きなんかでもない)を身に纏う野郎どもは、自身の存在意義を確かめるようににおいをそこらに振りまく。オーライ、構わないさ。彼らの精一杯のお洒落が濡れそぼった犬みたいなニオイの香水だっただけなんだ。

 俺が起きたのは集団房の奥側二つ目の列で一番上の段、一つ下のベッドにいるのは厳つい顔をした毛むくじゃらで山男というより山男に狩られる側だった、他にも目つきの鋭いのとハッパで惚けた様になってるのを合わせて五人。みな新入りに対する目は厳しい、特に後ろ盾のない初犯者・チャチな軽犯罪に引っ掛かる青二才に対してはサバンナを巡邏じゅんらするハイエナのような視線を向けるのだ。奴らは入所から三日以内にはお姫様のように扱われるだろう。俺はその内の例外になんとか潜り込むしかなかった。

 朝の号令で房の外に呼び出され朝の時間が始まると、食堂へ駆け込み何とか労働時間まで耐え凌ぐことにする。相棒は元気にやっているだろうか?きっと同じ房の奴らにしっぽの毛まで毟られてしまっているだろう、残念だが。ここで俺が出来ることの全ては地下室に籠って竜巻が通り過ぎるのを待つことだけだ。余計な注目を集めないよう慎重に工場こうばまで行くと、刑務官が俺を呼び出す。

「おい、新入り!呼び出しだ」

 もちろん素直に従う。檻の中では返事は二種類だけで、『Yes』が言えないと冷たく甘い死が寝床まで襲ってくる(童話の世界の再現だ)。ともかく黙って制服姿に付いて行き面会室よりはずっと広い応接間らしきところまで通される。中には大きな長机と、その向かいにずらりと背広が肩を並べている。


「掛けてくれたまえ」

 そう言われるや否やで席に着く。

「なんでしょう」

「冗談だろう?そろそろ答えを出してもらわないと困る。こちらにも準備というものがあるんだ」

「なるほど」適当に相槌を返して考える、一体俺は何をやらかした?

「それで、協力するのか?」

「罪を認めるってことですか?」

「そうだ、判決については手を加えると約束する」

 背広のうちの一人は短めのクルーカットで軍人らしい固く締め付けたような顔つき、胸のポケットには紙ナプキンがそのままになっている、ここへ来る間にデニーズにでも寄ったんだろう。薄いベージュをしたそれが連想的に頭の中に映し出すのは、同じ色で走り回っていた車のことだ。最後は近所の中古車屋に売り払ったけれど(家賃の足し位にしかならない額だ)、販売員に渡したカギは本当はもう二個前の車の鍵だった。本命のキーは天井の内張りの中に入れ込んである。そこの従業員を困らせたのは俺がカオス理論の信奉者だっただけで、小市民の出来心としてはありふれたものだろう。


「有難いですが、お断りします」

「そうか」彼は脅す風でもなく、わざとらしいほど落ち込んだ様子を見せた。

「ところで一つお聞きしても?」

「何だ」

「罪状はなんです?」

 彼は顔をしかめると首を振った、俺の言葉をイヤミと受け取ったらしい。

「たとえば露出狂とか扇動者とか、秩序だよ。君は強請りもできなそうな顔つきだけど」

 そう言われると思い当たる節はある。車を買ってみたら鍵が付いてないなんてとんだ詐欺で、諮問会を設置しても宮廷も民衆も納得はすまい。そんな考えは背広の一人が急に俺の方へ向けてきた卓上ライトの光で遮られ、視界が真っ白になった俺は思わず手を前にやたらめったら振り回すなんていう人類史上に残るような情けなさ満載の演武を披露していると、さっきの士官の声が聞こえてくる。

「最近はキーレス鍵ナシが主流なんだよ」


 なるほど、そういうこともあるのか。

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