(四)-2

 そうして二見家では、幕府方として戊辰戦争に参加し、会津で盛久の兄の益久が、函館で父親の富久が戦死した。

 留守居役として久留米に残った盛久は、父と兄の戦死を受けて急遽家督を継ぐことになった。

 しかも藩は新政府側の立場を取っていた。幕布側についた藩士について俸禄は出せないと言われた。危うく完全に浪人になる所ではあったが、藩主の命令でのことでもあったため、完全に俸禄が途絶えることはなかったが、額面は半分以下となった。

 また、この頃母の喜久は病気がちで幕末の頃には寝たきりになってしまっており、薬代など物入りであった。さらに元服したばかりの弟は藩への出仕も許されなかった。


(続く)

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