(四)

 二見盛久の家は、久留米藩の足軽だった。幕末の久留米藩も佐幕派、尊皇派、攘夷派など内部では意見が分裂していた。当初藩政自体は佐幕派で占められていたが、戊辰戦争が始まる直前に尊王攘夷派が政権を握り、新政府軍に援軍を派遣した。

 新政府軍が圧倒的に有利な状況ではあったが、当時の藩主有馬頼咸よりしげは、幕府・新政府軍のどちらが勝っても藩が存続するようにと、密かに幕布側にも援軍を送った。もちろん、藩としては新政府側につくという体裁をとっていたので、援軍としては足軽を何家かのみ派遣するにとどまった。二見家はそのうちの一つであった。


(続く)

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