幕間Ⅰ ③呼び方は叶愛にしてほしいです

 乾杯の後に、私は話し始めました。


「皆様に、聞いてほしい話があるんです。私のことと、これからの女子野球部のことで」


 自分に向けられる八つの瞳に、鼓動が早くなります。


 キャプテンの経験があれば、見つめられる緊張を感じることはなかったのかもしれません。中学では誰かと一緒にプレーしていませんから、余計に声が出なくなります。

 以前の私は、どういう風にチームメイトと接していたでしょうか。思い出そうと考え込むことで、無言の時間が流れようとしていました。


 叶愛、ちゃんとした部長を意識しなくていいんですよ。すべきことは、もう見えているはずです。部活の方針を説明して、莉央の言い分を最後まで聞くこと。それがパジャマパーティーの真の狙いです。


 脳裏に浮かんだ言葉に従い、私は重たかった口を動かします。


「私が野球をしていたのは、小学一年生から六年生までを対象にしたスポーツ少年団でした。性別不問でしたが、女子は私一人だけ。ほかの子は得点したときにベンチでハイタッチするのに、私が戻ってきても同じ熱量でやってくれません。力加減なんかしなくても、ハイタッチで腕は折れないに決まっています。それでも遠慮されてしまうのですよね。優勝したときのハグや、じゃれあいでお尻を触ることは、異性ではハラスメントに該当しますから」

「同性でもハラスメントになるときはあるっす。後ろから抱きつかれるの、怖いからやめてほしいっす。どさくさに胸とか脇を揉まれるのも、背筋がぞわぞわして肘で殴りたくならないっすか? ハラスメントと言えば、陸上部に入っていたときに胸や股間辺りを拡大した女子部員のユニフォームの写真が出回って、犯人を懲らしめたことがあったっすね。おっきいのとか、ちっちゃいのとか、どーでもいいっす。そんなところより、タイムを見てほしいんすけど」


 私の口は、またしても止まってしまいました。


 衣紗の過去の方が壮絶でした。もう少し打ち解けたスキンシップがしたかったなんて、どうでもいい悩みを話して申し訳ないです。私の元チームメイト達が紳士の部類だったことに、感謝しなくてはいけませんね。発達段階の私の体を、いかがわしい目で見ていなかったとは断定できませんが。


「遊井さんのタイム、知りたい」

「莉央ちゃーん! そんなこと言われたの初めてっす! 嫁に来ないっすか?」


 莉央にプロポーズまがいのセリフを囁く衣紗は、ハラスメントに認定されないのでしょうか。価値観を大きく揺らされて、私は目をしばたたかせました。


「部長の話、まだ途中」

「あらあらあらあら。莉央さんは、まんざらではないご様子ですのね」


 両手を握りしめた香お姉様が、私と視線を合わせます。話の続きを促してくださっているのは、一目瞭然でした。アイコンタクトは得意です。腕を振って投げろと、ピッチャーにサインを出してきましたもの。


「先ほど述べた経緯があって、私は中学進学と同時に女子軟式野球クラブの入団を考えるようになりました。家から通える距離に、女子野球部のある公立中学はなかったんです。でも、私の家から一番近いクラブは県外で、送迎サービスなんてありませんでした。私は独学で野球を続け、女子野球部が作れそうな高校に入ろうと決めました。一人暮らしで女子野球部がある高校に通うには、学費諸々の費用が大きすぎたからです。某高校のサイトで、三年間学費免除の文字を見つけたときは、夢を見ていると思いましたね」

「一昨年から始まった、聖ヒルデガルド学園の自己推薦型入試っすね?」

「はい。お勉強が全然できなかった私にとって、学力試験で学費免除の特待生になることも、学年主席を維持することも無理でした。『聖ヒルデガルド学園に女子野球部を作り、甲子園に連れていく』プランを説明したおかげで、こうして皆様とお話しできています。面接官の神指先生が担任になったことも、天が味方してくださったかもしれません」


 校長や生徒会を説得させるのは、私の行動に懸かっていました。神指先生はあくまでも仲介役として、目標を後押ししてくれました。聖ヒルデガルドに吹く変革の風をきみ自身が起こしたまえと。


「今までの私は聖ヒルデガルド学園に女子野球部を創立するため、人数集めに奔走していました。人が集まらなければ、活動ができません。私の夢に賛同していただき、深く感謝いたします。硬式野球部員にとって、甲子園出場は大きな目標です。中等学校野球全国大会開催を目的に建てられた、野球の聖地ですもの。特に女子硬式野球部員が甲子園の土を踏めるのは、全国高等学校女子硬式野球選手権大会決勝だけ。夢の舞台で優勝することを、私は目標にしようとは思いません」


 支えてくれた家族のために野球で恩返しすると誓う球児を、メディアは民衆を泣かせるための材料として取り上げます。


 好機逃す。雪辱ならず。連覇ならず。地方大会で姿を消す。そのような言葉を並び立て、泣き笑いでチームの健闘をたたえあうという見出しは作られません。敗戦で下がった顔を、翌日も暗くさせないでほしいです。

 届けてほしいのは、ユニフォームを泥だらけにしてプレーする光景です。次の塁へ駆け抜ける瞬間、グラブを伸ばして打球に食らいつく瞬間、無失点で切り抜けたピッチャーが雄叫びを上げる瞬間。全力で取り組むほど野球が大好きだと、見ている人に伝えたいです。


「私が目指したいものは、女子野球をメジャースポーツにすることです。聖ヒルデガルド学園の名を甲子園で響かせることは、あくまでも夢の途中にすぎません。悔しさをきっかけに応援してくれるファンもいますが、チームの明るいムードに惹かれてファンになることもあります。楽しく野球ができるチームになれたら、勝利の女神様も微笑んでくれて自然と勝てると思っています。『勝つから楽しい』のではなくて『楽しいから勝てる』力こそが、強豪校と太刀打ちできる武器になるはずです。まぁ、チームメイトとプレーを楽しみながら優勝できるのは、プロでも難しいんですけどね。首位とかなりの差をつけられて、二位でシーズンを終えるのが現実的です」


 自嘲めいた私の言葉に、部員達は首を振りました。


「尊すぎてしんどいですわ……」

「叶愛ちゃんの思い、熱いっす! 感動したっすよ!」

「どこまでもついていくのです!」


 笑顔の花が咲く中で、うつむく莉央は目立ちました。


「莉央、私の話はそこまで感動しちゃいましたか?」

「無神経なこと、言った、自分が、許せない」

「それを言うのは、私の方です。楽しいチームにしたいと夢を語っておきながら、一方的に怒鳴ってしまってごめんなさい。あのとき莉央は、大きすぎる声援が苦手だと教えてくれましたよね。それなのに、どうして女子野球部に入ろうと思ってくれたのですか?」

「あの、ね」


 こしょこしょと耳元で聞こえた言葉に、私は呆然としました。


「そんなことできるのですか?」

「これが証拠。自分で、作った」


 莉央が見せたスマートフォンの画面に、言葉を失いました。

 お菓子を手作りするこころに驚いたばかりでしたが、すぐに今年びっくりしたことランキングは更新されました。

 技術・家庭科で作った私のはんだ付けラジオは、思い出したくない惨状でした。それと比べて莉央は天才です。


「テスト、は、してる。現場、は、使えてない。入部を決めたの、はこんな……不純な、動機。だから、言えなかった」


 香お姉様がむせました。


「苦手、なのは、人の声が聞こえすぎるせい。心を読めるとか、そういうの、じゃなくて。ある程度の距離、だったら、聞き取れる」


 群衆の声を一人一人認識できるというのですか。


「香お姉様、ちょっとした実験に協力してもらいたいのです。ドアの前に立っていただいて、何かお話ししてほしいのです!」

「私なんかに、大それた無茶ぶりですこと! よろしいですわ。しばし考えさせてくださいまし!」


 香お姉様の声は、サイレンのように聞こえなくなりました。耳を澄ませていた私とこころは、聞こえてきませんわねと目配せをします。


「皆様、お気をつけくださいまし。発売日から一夜明けたとは言え、地方民ヲタのフォロワー様にネタバレ感想を言ってしまうのは『めっ!』ですわ」

「香お姉様、そんなに長く話されていたのです?」

「仕込みされていないことは、最初から分かっていますよ?」


 こころと驚く私に、疑いは微塵も残っていませんでした。莉央の意外な特技と、ずっと言いたかったことを褒めます。


「莉央のルームウェア、可愛いです。もこもこでトイプードルみたいですね」

「仰木さんの、も。似合ってる」

「呼び方は叶愛にしてほしいです。名字で呼んでくれるより、嬉しくなります」

「似合ってる。かな、め、のも」


 私は笑顔になりました。蚊の鳴くような音が聞こえたのは、気のせいだったのでしょう。


「皆様、喉が渇きませんこと? 紅茶のおかわりは、いつでもお申しつけくださいまし。叶愛さん、かねてより気になっていたのですが、藍奈さんのどこが好きなのですか?」


 いきなり来ましたね。パジャマパーティーらしいガールズトークが。私は香お姉様に微笑みました。


「全部です。今日のお姉様も素敵でした。部活の後、お姉様は神指先生に私の好待遇を問い詰めていました。あのとき、神指先生はたまたまだと即答されていました。それから『松蔭寺さんはシスターコンプレックスなんだね』と言われたとき、お姉様は何とお返事したと思います? 『叶愛さんは放っておけないのですわ』と、きっぱり言い切ってくださったんですよ」


 各々が枕や袖で黄色い声を抑えました。衣紗に揺さぶられた莉央は、嫌な顔をせずに無表情を保っていました。


「皆様、ご理解いただけましたか? 先ほど述べたお姉様のセリフは、叶愛さんだけは放っておけない大切な存在ってことですよね。私は浮かれてもいいのですよね」

「大変素晴らしい関係ですわ。カステラだけでは足りませんわね。実家から送られたクッキー缶も、開けてしまいましょう」


 私達はお菓子をつまみながら肩を寄せ合い、WBCの名場面集を観ました。逆転サヨナラ勝ちや、不振だった四番バッターのホームランは、黄色い声を部屋に轟かせます。


「野球は面白いですわね。今まで観てこなかったことが悔やまれますわ」


 香お姉様の呟きに頬を緩ませた私は、秘めていた思いを打ち明けました。


「野球とは全然違う話になるのですが、相談を聞いていただけますか?」

「そのためのパジャマパーティー」

「莉央の言う通りなのです」


 同意をもらい、私は昨夜からの悩みを打ち明けました。


「福光先輩と取り巻きから救出してくださったお姉様に、助けていただいたお礼は伝えました。でも、いまいち伝えきれていない気がして。ささやかな気持ちを形にしたいのですが、決め手がなくて困っています」

「贈り物が決まっていないってことっすか?」

「ハンカチやボールペン、定番商品は一通り見たんです。バレッタやブローチを見ても、これと言ったものがなかったんですよね」


 藁をもすがる思いで、スマホの履歴を一つ一つ開いていきました。

 三人寄れば文殊の知恵。四人も集まれば心強いです。


「お菓子はこころちゃんがあげたんすよね」

「アクセサリーは重い」

「これはどうでしょうか? 温かみのあるベロア素材がいいと思うのです」

「こころさん、季節は夏に変わっていきますのよ。何と言っても、透け感は重要ですわ。オーガンジーなら上品さも兼ね備えて、程よく甘さをまとえますもの」

「莉央ちゃーん、私はもう話についていけないっす」

「Cheer up!」

「莉央の言う通りなのです。衣紗、元気出すのです」


 深夜のお茶会に盛り上がっていると、ドアが大きく叩かれました。時計の針は、消灯時間の十五分前を指していました。寮監の巡回時間でしょうか。私を含めた本来いてはいけないメンバーは、カーテンの後ろに隠れました。

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