第6話 姉妹ですから、これくらい普通です

 ティーカップの紅茶をかけられ、叶愛さんの髪が濡れている。こころはそのように想像していたのかもしれません。一目で分かる危害がなく、こころは安堵した素振りを見せました。


 フォークを動かす叶愛さんは、三人の上級生に囲まれる形で座らされていました。壁や天井を彩る草花に、表情を和らげる効果はないみたいですわね。この世で一番気乗りしないお茶会です。叶愛さん以上に逃げ出したいと思っているのは、わたくしだけではありませんでした。


「ぴゃっ。見ているだけで苦しくなるのです」


 車酔いで気分が悪くなるように、こころの顔は青ざめていました。一刻も早く新鮮な空気を味わわせてあげるためにも、わたくしが何とかしなければいけませんわね。


「同感です、火角さん。先輩方との交渉はわたくしがいたしますわ。あなたはできるだけ、温室の入り口に近い場所で待っていてちょうだいな」


 こころは手のひらを閉じたり開いたりしました。


 ふふっ。言おうとしていることは、手に取るように分かりますわ。わたくしも真珠美お姉様に待っていてほしいと頼まれたとき、ご一緒させてくださいと即答しましたもの。こころは、断ろうか素直に頷くべきか悩んでいるのですね。叶愛さんとは違う忠犬みを感じさせられます。こころに失礼だと思いつつも、口元が緩んでしまいました。


「お心遣い痛み入ります、松蔭寺お姉様。お姉様がそのようにおっしゃるのであれば、お望みのままに」


 ちょこんと頭を下げるこころの仕草が可愛らしく、思わず撫で回したくなりました。


 藍奈、己の行動に責任を持ちなさいな。叶愛さんが目の前にいることも忘れて、ほかの子を愛でてしまうなど浅さかすぎますわ。嫉妬のあまり叶愛さんに嫌われかねないでしょうに。


 わたくしは咳払いをして、上級生へ手を振りました。表面上はにこやかに。


「ごきげんよう、皆様」

「まぁ、松蔭寺さんではありませんか。いかがなさいました?」


 わたくしが温室に赴いた理由は、分かっているでしょうに。よくもまぁ、平然としていられますわね。そちらがしらを切るというのなら、乗って差し上げますわ。化けの皮が剥がれるまで、わたくしも回りくどい言葉を浴びせることにいたしましょう。


「ご歓談中のところ、申し訳ございません。叶愛さんのご学友の方が探していましたの。叶愛さん、違う場所を教えたら相手の方が困ってしまいますわよ? 温室と職員室は、方向性が全く違いますもの。連絡はきちんと行ってくださいませ」

「そのような事情があったのですね。そうと知らず、ご心配をおかけしてしまって心が痛みますわ。ついつい話に華が咲いてしまったのですよ。そうでしょう? 仰木さん」


 上級生に話題を振られた叶愛さんは、白い顔になっていました。トラウマになる半歩手前というところでしょうか。フォークを持つ手に楽しさは微塵もありませんでした。その証拠に、叶愛さんは首を横に振りました。


「信じないでください、お姉様。私は一方的に話を聞かされていただけです」

「あなた、何を言うのです。人聞きがよろしくなくってよ」

「その通りですわ。憎まれ口を叩く元気があるのなら、まだ食べられますわよね? 福光ふくみつ様のご厚意を無駄になさるおつもり?」


 きゃんきゃんと言い返す取り巻きは、飼い主に近づいた人を誰彼構わず吠えまくる犬のごとし。主に心酔しきり、清原嬢とともに礼儀作法を教えているつもりなのが腹立たしいですわ。


 わたくしは叶愛さんに提供されている品を一瞥しました。


 青いテーブルクロスの上には、温かそうな湯気をまとう紅茶がありました。定番のオレンジの香りが漂っています。傍らの砂時計は蒸らす時間が過ぎているにも関わらず、時間を刻むのをやめていません。福光嬢が叶愛さんに出した条件は、去年と同じようですわね。念のため確認しておきましょう。


「福光嬢。わたくしの妹に、いくつケーキを勧めたのですか? いいえ、この言い方では語弊がありますわね。また『皿に載った分を食べきれたら干渉しない』と、あなたが一方的に有利な条件を提示されたのですよね?」


 わたくしは、忌まわしい三段のケーキスタンドを指差しました。銀でできたケーキスタンドは高級ホテル御用達の品で目を見はりますが、用途が悪すぎました。


 皿に入りきるのは、スコーンやパウンドケーキ、ラスクくらいのもの。ケーキもせいぜい七つ程度ですから、完食は一見簡単な条件に思えます。しかし、大きな落とし穴がありました。食べ終わりそうになったとき、取り巻きがわんこそばの要領で新しいケーキを追加するのでした。わたくしも、一向に減らない皿に絶望したことをよく覚えています。ケーキに使われているのはドライフルーツばかり。口の中がぱさぱさになり、紅茶を大量に飲まざるを得ませんでした。叶愛さんの胃もわたくしと同じ策にはまり、限界寸前のようです。


 濃厚なチョコレートとチーズのスイーツを振りかざす暴君は、よよよと目を覆いました。


「一方的に有利な条件だなんて心外ですわ。仰木さんのわずらわしいお口に、クリームとスポンジでふたをしてあげただけですもの。松蔭寺さんの指導が行き届いていないおかげで、学園が朝から騒々しくて困ります。苛立っている生徒を代表して、仰木さんに聖ヒルデガルド流のおもてなしをしているのですけれど。感謝の言葉すら習っていないとは、嘆かわしいことですわ。仮にも真珠美さんの妹だったのでしょう? 一通りの礼儀作法を叩き込まれたと思っていましたが、真珠美さんに教育してもらえなかったようですね」


 真珠美お姉様の信者は、どうして熱狂的な方が多いのでしょうね。お姉様直々に釘を刺されているはずですが。真珠美お姉様とお話ししたさに関わってきていたとしたら、重すぎる愛に胸焼けを覚えます。


 わたくしは挑発を笑って受け流しました。


「老舗洋菓子メーカーの力を総動員させたおもてなしだとしても、嬉しくありませんわ。餌づけしてまで、誰かをご自分の意のままにしたいのですか? 哀れですわね」

「負け惜しみにしか聞こえませんわ。あなたに私以上のもてなしができるはずないでしょう。ご存じですわよね。松蔭寺百貨店は、いまだにわが家のメーカーを出店させることができていないのですから。この圧倒的な力関係は、学園でも変わりませんわ」


 わたくしは、思い違いをされていると指摘しませんでした。福光嬢の振る舞いを父に話さずとも、甘ったるいケーキが百貨店の方針に合わなかっただけだったのです。老舗という名前を笠に着る先輩が、哀れでなりません。


 わずかな沈黙を都合よく解釈した福光嬢は、たたみかけるように言いました。


「妹に強く言えないなんて姉失格ですわよ。女子野球部設立という愚かな目標を抱く妹に、現実を示してやりなさいな。資金も部室も練習場所も、部員でさえも集まらないと。早々にあきらめさせることも、姉として為すべきことでしょう」

「一理ありますわね」


 わたくしは頷きました。神指先生と話をする前の自分ならば、叶愛さんを説得させたはずです。


「ですが、叶愛さんのことを応援してくれる人がいるのです。このような妨害で夢をあきらめさせることは、わたくしが承知しませんわよ」

「勝算がないくせに威勢だけはいいのね」

「勝算はありますわ。叶愛さんを解放するための条件は、そちらの砂時計の砂が落ち切るまでですの?」

「少しくらいは聡明になったと思っていたのですけれど、私の見当違いだったようですわね。あと一分も残っていませんのに、何ができますの? 長話をしたご自分の所行を悔やみなさいな」

 

 後悔するのは、あなたの方ですわ。

 わたくしは言葉にはせず、甘い香りをまとわされた妹の前に立ちました。


「叶愛さん、手を貸してくださる?」

「ふぇ? お姉様、何を?」


 わたくしは手を取り、フォークに刺さっていたケーキを口に入れました。


 抹茶ロールの上に載っていたのは、栗ではなくホワイトチョコでした。表面のきな粉の甘みが広がった後、わらびもちのような弾力に驚かされます。細かいパーツは素晴らしいのですから、ほかのケーキもこれくらい甘さ控えめにしていただきたいですわ。


「完食しましたわ。まだ砂が落ちきっていないうちに。これでよいのでしょう? 叶愛さんにつきまとうのは金輪際ないと、今ここで誓ってくださいませ」


 わたくしの勝利宣言を喜んでくれる方は誰一人いませんでした。叶愛さんでさえ、口を抑えて固まっています。福光嬢はすっとんきょうな声を上げました。


「反則ですわよ! あーん、だなんて破廉恥です。間接キスになることを、理解していらして?」

「取り巻きの方もご覧になりましたよね。わたくしはフォークを奪っていませんのよ。皿を空にしたのは叶愛さん自身です。距離の近さを、とやかく言われる筋合いはありませんわ。わたくしと叶愛さんは姉妹ですから、これくらい普通です」


 叶愛さんも同じ外部生ですから、姉からの愛が重くならないように気をつけているつもりです。真珠美お姉様がわたくしにしてくださったことに比べれば、ほんの序の口に過ぎません。わたくしを膝に乗せて撫で回したり、ボディタオルの代わりに手で身体を洗ったりされましたもの。


 現生徒会長の溺愛ぶりが醜聞にならないことを配慮し、わたくしは明言を避けました。そのせいか、わたくしこそ異常者と見なされたようでした。


「一体どこが普通なのですか? 知り合いの眼科を教えて差し上げますわよ」

「そちらこそ神経が乱れているのではなくて? 長手病院を紹介しましょうか?」


 言い返したのは、わたくしではありません。

 聞き覚えのある病院の名に振り返ると、ぬふふと笑う少女がいました。


「美しいものを愛でることは、神が人類に許してくださった至高の贈り物です。あなた方こそ静かにしていただきたい。美しい光景の余韻に浸る途中でしたのに、騒騒しい声のせいで興が削がれますわ」


 どうしてわたくしの行く先々に香がいるのですか。


 光を求めて枝を伸ばす植物と、供給源を感知する香の本能は同じかもしれません。


 福光嬢達は、香の態度に肩を震わせていました。ご自分の言葉が跳ね返ることは、さぞ不愉快なことでしょう。


 それにしても、香の来るタイミングがよすぎます。せめて、わたくしが来る前に参上していただきたかったですわ。叶愛さんがスイーツを嫌いになってしまったら、テスト前に差し入れできなくなるでしょうが。


 わたくしが苦言を呈しかけたとき、空気を読まない方がもう一人現れました。


「これは予想していなかったなぁ。自分が来るのが早ければ、ただでケーキを食べさせてもらえたというのかい? こんなことなら、松蔭寺さん達と一緒に行けばよかったよ」

「甘いものがお好きなら、神指先生に代わってほしかったです。しばらくクリームなんて見たくないですもん」


 ほーら、わたくしの予想通りになってしまいましたわ。叶愛さんへの差し入れ計画は、泣く泣く延期するしかありませんわね。その上、無期限の!


 叶愛さんへ余計なちょっかいを入れた福光嬢には、どのような制裁を下しましょうか。生ぬるい処罰では、わたくしの腹の虫が治まりませんわ。

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