第7話 いたずらは程々になさって?

 怒りをふつふつと煮えたぎらせていると、神指先生が手を叩きました。

 

「さて、淑女の皆さん。どうかお静かに願いたい。この低俗なティーパーティーを、一刻も早く終わらせないとねぇ」


 低俗ですってと眉をひそめる上級生達を一睨みで黙らせる様子は、やはり教師なのだと感嘆させられます。ジト目メガネの沈黙ほど、怖いものはありません。輝くレンズを味方につけて、圧が倍になっていますもの。


「親睦を深めるための催しは奨励されているが、きみらの行為は度を越している。たとえ相手が甘いもの好きであったとしてもだ。という訳で、今日の放課後は生徒指導室へ直行だよぉ。反省文を書いて、一週間の日直と掃除をしてもらうから覚悟してねぇ。本当のおもてなしとは何か、みっちり考え直すといい」


 途中から間延びした通告になりましたが、上級生達にとっては頭を抱えるほどの案件のようでした。三年生一学期の生徒指導は特に、受験や就職に影響しますものね。家業にまつわる企業に就職しようとしても、学園から必要書類を用意してもらえなければ何も動けません。


 いい気味です。叶愛さんやこころの受けた苦しみを、存分に背負いなさったらよろしいですわ。二度とわたくし達に関わらないと、プライドを失った頭で学習してくださいませ。


 上級生達が神指先生に連れられていった後で、こころは叶愛さんに駆け寄りました。


「叶愛。心配したのです!」


 こころが叶愛さんを抱きしめると、叶愛さんも抱きしめ返しました。


「こころ、嘘をついてごめんなさい。大切な方々を巻き込みたくなくて」

「何を言うのです? むしろ巻き込んでほしいのです。私達は、あなたのことを応援したいのです」


 叶愛さんとの抱擁を解いた後、こころは自身の腕時計に視線を落としました。ハイセラミックの白いベルトはスポーティーですが、文字盤にちりばめられた八つのダイヤモンドは華やぎを忘れていません。


「早く出るのです。次の時間は学年集会で、講堂へ行かなければいけないのです」

「そうでした。こころ、呼びに来てくれてありがとうございます」


 叶愛さんは、こころと絡ませた小指を引っ張りました。美しい友情ですわね。


 二人並んで走る光景に、香はハンカチで口を抑えます。


「藍奈さんのおかげで、大変美しいものが見られましたわ。心より! 心よりお礼申し上げます!」

「香さんったら。お二人の美しさについて、わたくしも深く共感いたしますわ。ただ、褒めすぎないでくださいまし。気恥ずかしいでしょう?」


 二人を見とれている間に予鈴が鳴りました。授業開始まで残り五分を知らせる鐘です。


 わたくしは昼を食べ損ねました。



 ⚾️⚾️⚾︎



 睡魔ではなく空腹に悩まされる五時間目が終わると、わたくしは購買へ駆け込みました。パティスリー福光のケーキ一切れでは、午前中の消費カロリーに届かなかったようでした。


 どうか夕食まで体力がもってくれる、腹持ちの優れた食料が残っていますように。


「あら、松蔭寺さんじゃないの。今日はもう売り切れちゃったわよ」


 購買のおばあちゃまに完売の札を掲げられ、わたくしは床に膝をつきそうになりました。昼休みの終わりとともに食堂が閉まった後は、ここが最後の砦ですのに。


 最終手段は使いたくはありませんでしたが、致し方ありません。全校集会で無様な音を鳴らすよりはましでしょう。炭酸水で飢えをしのぐのです。自動販売機へ向かおうとしたそのときでした。


「藍奈もパンを買いに来たのかしら? 代わりでよければ、生徒会室に間食用のローストビーフサンドがあるわよ」


 わたくしに舞い降りた救世主の囁きは、ボールペンの替芯を買いに来た真珠美お姉様でした。去年もよく購買で顔を合わせたものです。


 数日ぶりにお会いしたためか、空腹のためでしょうか。あるいは両方の理由が関係していたのかもしれません。真珠美お姉様の神々しさが増して見えました。


「真珠美お姉様がよろしければ、ぜひとも分けていただきたいです」

「分かったわ。ついてきてらっしゃい」


 今日も生徒会室のソファへ座らされました。ミルクキャラメルのような色のイタリアンレザーは、本革ならではの傷が刻まれ、愛着を感じさせます。


 冷蔵庫から水出し紅茶とローストビーフサンドを出した真珠美お姉様は、わたくしの向かい側に座りました。フランスパンにかぶりつく様子を正面から見られるのは恥ずかしいのですが、貴重な食料を与えてくださっている人に文句は言えません。ええいままよと頬張りました。


 パンの断面にはハニーマスタードソースが塗られ、ルッコラとローストビーフを噛みしめる度に程よい甘みが広がります。わたくしは真珠美お姉様がそばにいることを忘れて、咀嚼し続けました。


「藍奈は本当に美味しそうに食べるのね。有喜良は私の前で無邪気に食べなくなってしまって、差し入れのかいが感じられないの。藍奈の食べる姿が久しぶりに見られて、癒されたわ」


 真珠美お姉様は顔をほころばせました。


「そう。食事は本来、楽しく過ごすものなのよ。妹達を威圧するためだけのティーパーティーなんてもってのほか。一年前も福光に釘を刺したのだけど、私の刺し具合が足りなかったのかしら。藍奈の妹に危害を加える愚行、生徒会としても厳しく対応させてもらうわ」


 福光嬢と彼女の取り巻きのことは、もう真珠美お姉様の耳に入っているのですね。そして、相当お怒りのご様子。


 わたくし以上に怒ってくださることは、ありがたいです。下手に干渉しすぎると、妹贔屓の反発に遭うというのに。


 わたくしは真珠美お姉様の怒りを和らげようとしました。福光嬢らへの憐憫は毛頭ありません。あのような者のせいで真珠美お姉様の名が汚されることだけは、許せないからでした。


「ご配慮に感謝いたします、真珠美お姉様。六時間目は全校集会ですよね? 私はもう食べ終わりますが、お姉様は先に講堂へ向かわれた方がよろしいのでは?」

「私は構わないわ。今のうちに気を紛らわせておかないと、生徒会長挨拶で噛むかもしれないもの。一年生との顔合わせで、失態を見せる訳にはいかないでしょう? それに」


 真珠美お姉様は立ち上がり、わたくしの横髪に触れました。


「可愛い妹から元気をもらいたいのは、私も同じなのよ。今だけは生徒会長としてではなくて、藍奈の姉でいさせてちょうだい」

「真珠美お姉様……」


 わたくしは触れられていないはずの肩を震わせました。


 しっかりした姉というより、甘えたい盛りの妹に見えますわ。


 わたくしだけに見せる生徒会長の裏の顔は、実年齢よりも少し幼いのでした。そんなお姉様の危うい魅力から目が離せなくなるところに、有喜良と同じ血が流れていると感じずにはいられませんわね。姉妹揃って、とんでもない人たらしの才能です。


 ひたすら真珠美お姉様から髪を撫でられていたわたくしの耳に、ノックの音が聞こえました。来客を通すべきか迷いましたけれど、真珠美お姉様は涼やかな声で了承したのでした。


「失礼いたします。会長、そろそろ講堂へお越しくださいませ。全校集会の準備が整いつつあります」

「呼びに来てくれたのね。ありがとう」

「お邪魔しております」


 わたくしは書記と会計の二人にえしゃくをするときに、小さな違和感を覚えました。


 リボンの色が違いますわ。緋色と黄色。


 色の違いは二人が上級生と下級生の関係だと意味しているのですが、今回気になった理由は別にありました。


「気づいたことを発言する無礼をお許しください。わたくしの記憶では、書記は三年生が務められていました。恋人同士の仲睦まじさを全校生徒に見せたいのであれば、そのままでもよろしいのでしょうが。お二人は関係性を公表しておりませんでしたよね?」


 姉妹ではない二人の距離の近さは、同級生のようにも見えないこともありませんでした。しかしながら、交換したリボンをそのままにしていては、甘い空気を抑えられません。香が全校生徒の前で発狂を疑われないためにも、あるべき位置にリボンを戻していただきたいですわ。無粋な下級生でごめんあそばせ。


「……あ。松蔭寺さん、教えてくださって感謝いたしますわ」

「あ、じゃあないのですよ! 忘れていましたよね? 私を着替えさせてくださるなら、ちゃんと着替えさせてください!」


 会計のつけていた黄色のリボンをほどきながら、書記は口角を緩めました。


「うふふ。あなたが全然気づいてくれないせいよ。ちょっとしたいたずらのつもりだったの。そのままにしていたら、ステージ裏で直してあげるつもりだったもの。会長なら味方してくれるわよね?」

「えぇ。仲のよさは素晴らしい仕事の出来と比例するから。ただ、いたずらは程々になさって?」

「会長、甘すぎます! 会長が甘すぎるから、この人は調子に乗るのですよ!」

「あなたが私をしっかりさせてくれるじゃない」


 いろいろと満たされたわたくしは、そそくさと退出しました。


「ごちそうさまでした」


 一食分の栄養とたとえた香に、今なら同意できますわ。生徒会の親衛隊に知らせたくない秘密の数々は、背徳感漂うハイカロリーのものばかりでした。


 わたくしが自分のクラスの列に並んだとき、真珠美お姉様が登壇しました。

 先ほどまで甘い声を出していた方と、同一人物には見えません。今日も完璧な自己紹介を披露し、公の場で上級生と下級生を繋ぐ架け橋になりました。


「向かい合ってください。聖ヒルデガルド学園を選んでくれた大切な妹達よ。そして、彼女達を支えんとする優しき姉達よ。この場に立っている奇跡に、盛大な拍手を」


 生徒会長の拍手は、講堂に伝染していきます。


 それは牽制でした。伝統校に新しい部活を創ろうとする叶愛さんに、危害を加えることは許さない。生徒会長の権威を私情に使ったと、陰口を叩かれても構わない。そのような覚悟が、毅然とした態度から感じられました。


 大好きです、親愛なる真珠美お姉様。わたくしの代わりに、全校生徒へ伝えてくださって。


 早く寮に帰りたいですわ。予測不能の事態ばかり起きて、何も考えない時間がほしいです。

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