第13話 プレイボール!
体育がない日の下着ほど、無防備なものはありません。可愛さよりも着け心地を優先していますもの。バストを中心に寄せ上げていませんのに、抜き打ちチェックしないでいただきたいわ。
谷間までめくられた裾を奪還するべく、ロボットの手を振りほどこうとしました。
「何をなさるのですか! おやめください。わたくしのお腹が、丸見えじゃあありませんの!」
わたくしが抗議すると、脇腹をつままれました。ふにふにと弾力を楽しまれている気がしますわ。
「くっ! やめなさいと言っている声がああぁ、聞こえないの、ですか? ふぅっ……! そんなとこ、ろ、自分の手でも触らない場所、ですの……にいぃっ!」
くすぐったさのあまり、変な声を出しそうになります。すでに手遅れかもしれませんけれど。
「ごぉらぁぁぁ! 叶愛のお姉様に何しているのですか!」
キャッチャーマスクをロボットに投げつけようとした叶愛さんは、わたくしの腹部を見て固まりました。
「いやぁ! 叶愛さん、見ないでください!」
「ふぉおぉおおっ! これが噂のシックスパックですか? ひどいです、お姉様。こんな羨まけしからんものを隠し持っていたなんて。お風呂だと、湯気が邪魔で見えなかったんですよね。触ってもいいですか?」
瞳をきらきらとさせた叶愛さんは、わたくしの了承を待たずに腹筋をなぞりました。ロボットの手つきと異なり、くっきりと浮かんだ線を撫で回しています。脇腹を揉まれたときよりも背筋が震えました。膝の力が抜け、立っているのもやっとです。
「んんっ!」
叶愛さんに触れられたところが熱いですわ。これ以上は触られたくありませんのに、もっとほしいとねだってしまいたくなります。
遠慮のない叶愛さんに、わたくしは息も絶え絶えで尋ねました。
「筋肉ムキムキなわたくしでも、叶愛さんは好きでいられますか?」
「はい! 叶愛はどんなお姉様も大好きですよ」
くびれを保つために続けていたトレーニングは、この笑顔を見るために必要な儀式だったように思えます。わたくしは頬を赤く染め、言えずにいた本音を囁こうとしました。
「叶愛様。お戯れは程々になさってください。ファウルボールを取りに行ったかと思えば、松蔭寺様のところへ馳せ参じて。随分とお元気そうですね。こちらのプレーに戻りますよ」
「古都羽お姉様ー! あんまりですぅ! せめてあと五分だけ、お姉様に触らせてください!」
叶愛さん、そこまで筋肉に飢えていたのですか。冬のお布団並に恋しく思ってもらえるのは、鼻が高いですわ。
「駄目です。続きは寮のお部屋でなさいませ」
「そんなに待てないです! あぁっ! お姉様が遠くなっていきます……!」
ずるずると引っ張られていく叶愛さんの姿は滑稽であり、ちょっぴり残念でもありました。めくられたままの服を直し、わたくしはペンを握りしめました。わたくしとしたことが、何を口走ろうとしたのやら。
目指す場所はベンチですわ。一歩引いた視点で記録しますわよ。
⚾︎⚾︎⚾︎
「プレイボール!」
球審の有喜良が高らかに叫びました。プロ野球さながらの球審の声量です。
女子野球部初日の練習のリベンジと聞いていましたが、部外者の方が気合いを入れていますわね。古都羽のボールの軌道を見られる特等席だからでしょうか。
練習試合は土日に行うのが定石ですけれど、初心者揃いの部員が三者凡退を連発すれば時間短縮になるでしょう。
そのように高をくくっていたため、先頭打者の香がセーフティーバントをしかけたのは意外でした。ピッチャーの投球と同時に、構えていたバットを横に寝かせたのです。ちょこんとボールに当てる行為は、内野ゴロを生み出します。足の早い選手なら、サードがゴロを捕ってファーストに投げる間にセーフになります。ヒットが打てなくても出塁できる戦術でした。ただし、バントにふさわしいボールか見極めてバットを当てることは、傍目で見ている以上に難しいです。加えて、相手のバッテリーや守備に警戒されていない隙をつかなければ成功しませんもの。
最初に大きく空振りしていたのは、敵を欺くための演技だったのですわね。わたくしも騙されましたわ。
「さすが香お姉様! サードがもたついております! 今のうちに一塁へ向かわれてください!」
叶愛さんの叫びに、香は体育の授業以上に全速力で走りました。しかし、健闘虚しく一塁へボールが送られてしまいます。
サードは取り損ねたボールをわざと、お手玉しているかのように見せたのですか。小賢しいこと!
そして香さん。なぜバットを持ったまま一塁へ走ったのです? 打ったバッターは、後生大事にバットを持ち続けませんのよ。走塁する時のスピードが落ちますし、見栄えがよろしくないでしょうに。WBCの映像をパジャマパーティーでご覧になりませんでしたの? 一塁に走り始めたときに、バットを手から離していなかったかしら?
好プレーではなく珍プレーに取り上げられそうですわ。
後続の衣沙はファーストフライ、莉央はショートゴロで倒れました。一回裏の守備の始まりです。
「もう相手の攻撃なのです? 早すぎるのです」
「ご安心ください。女子野球は七イニング制ですもの。男子よりもイニングが二つしかない分、二時間くらいで試合が終わりますわよ」
「香お姉さまぁ。それでも疲れるものは疲れるのですぅ」
ベンチから内野への移動で、こころさんは息を切らしていました。先週から毎日欠かさず筋力トレーニングを継続しているそうですが、まだまだスタミナ不足は解消されないのでしょう。
守備の穴を、知能の高いロボット達は見逃してくれませんでした。こころの守るサードを、何度も強い打球が襲います。必死で食らいついていましたこころでしたが、打球目がけて走り出すタイミングがあと一歩遅いのでした。
「申し訳ないのです。あっという間に、ノーアウト満塁のピンチなのです」
「こころ、大丈夫ですよ。私と古都羽お姉様が何とかしますから!」
励ました叶愛さんのミットめがけて、古都羽はインコース高めのストレートを投げました。球審の後ろへ打ち上げられたボールは、紛うことなきキャッチャーフライです。マスクを外した叶愛さんの手には、きらめく歯と同じ白いボールが握られます。この回に取れた初めてのアウトです。
無失点のまま次の回へ行くのは、話がよすぎるようでした。犠牲フライを打たれ、三塁ランナーがホームに戻ってきてしまったのです。二者連続三振でベンチへ戻った古都羽は、簡単に一点をあげたことを悔しがっていました。
「ふがいないです」
「そんなことないですよ、古都羽お姉様。まだまだ一点差です! 皆様、次の回で取り返しますよ!」
「バットに当ててみせるっす! あっ、当ててみせますよ!」
二番の衣紗に打順が回る気はしませんでしたが、チームの盛り上げ役は必要です。どんなときでも笑顔を絶やさない存在は、反撃の闘志を奮い立たせてくれます。
ただ、プロ野球選手のデータを組み込んだロボットの投球に食らいつくことは容易ではありません。四回表終了まで、女子野球部は奪三振ショーを披露してしまいました。
点差は開いて、ゼロ対四。
古都羽も腕を大きく振って、自分の投球を続けてはいました。しかし、守備の連携に課題がありました。最少失点でしのぐという目標すら、誰の心にも湧き上がってきませんでした。
流れは完全に、フルメンバーのロボットチームのものでした。フォアボールを出さなかった古都羽が、二連続で献上してしまう有様です。六十球を超えてからコントロールが乱れてきました。
次の打者は外野フライに仕留めたものの、二塁ランナーが三塁へ進む切符を渡してしまいました。ワンアウト一塁三塁のピンチの中、サードとショートがボールを譲ります。動けなかった両者の間を通り抜ける結果となり、二人がホームインしました。ヒットの山がさらに積まれ、守備が終わったときには十一点が刻まれる事態になったのです。
五回終了以降で七点以上の得点差になれば、コールドゲームが適用されます。残された攻撃は五回表のみ。試合終了の宣告は目の前に迫っていました。未だ得点のない女子野球部の作戦とはいかに。
記録を書いていたわたくしの手が、叶愛さんに包まれました。
「お姉様。次の打席は、古都羽お姉様に回ります。普通ならピッチャーではなく代打を出したいところですが、人員不足ですからやむを得ません。私達は外野の守備をロボットで補いましたが、攻撃は部員だけでやってきました。お姉様もお気づきでしょうが、女子野球部はまだ一度も三塁にランナーを送れていません。今だけでいいんです。代打として出ていただけませんか? 皆様にホームインの興奮を味わわせてあげたいんです」
「叶愛さん。それはできませんわよ。わたくしは部外者ですもの」
「あらあらあらあら。謙遜する必要はなくってよ。壁視点では、あなたも立派な観察対象ですのよ」
香はわたくしの肩に触れました。
「事ある毎に私達へアドバイスをされるのは、男子に混ざって野球をしていたころの杵柄でしょう? 有喜良から聞きましたわよ。正直におっしゃい。今の藍奈さんは、野球を見ているだけで満足しているのかしら?」
有喜良、審判にあるまじき人間性ではなくって? 口笛なんか吹いても様になるのが腹立たしいですわ!
わたくしはもう、バッターボックスに立ちたくないのです。練習しか監督に起用されないわたくしを憐れむ声は、味方からも相手からも向けられてきました。中学が引き際だったと思います。野球帽の君と再会するために野球を続けてきただけでしたもの。叶愛さんと違い、生きがいとまでは呼べませんわ。
「えぇ。満足で……」
すという口の動きをして、叶愛さんは悲しげに目を伏せました。
「叶愛さん、そのような顔をしないでくださいませ! 分かりましたわ。今だけですわよ。代打としてのお役目、わたくしには分不相応かと思われますけれども」
「ありがとうございます! お姉様! 大好きです!」
叶愛さんからヘルメットとバットを受け取りました。これほどまでに重たかったかしら。
わたくしは久々にバットを握りました。マメは薄れたはずでしたが、不思議と手に馴染みます。
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