第11話 導いて差し上げますわよ

 才能が開花する見込みはありません。コーチをお呼びするなり、神指先生の手を貸していただけないでしょうか。


 そのように、わたくしが勝手に相談してもよろしいの? 叶愛さんに断りもなく?


 いいえ、余計な気遣いは叶愛さんの意思に反していますわ。今後の部活動の方針に、悩む様子はありませんでした。わたくしを心配させまいと、明るく振る舞うことも見受けられませんでしたわ。神指先生にお伝えしないといけないことは、助力の懇願ではございませんわね。


 わたくしは悲観的な口調にならないよう、神指先生に報告いたしました。


「野球経験者が叶愛さん以外おりませんの。ですから、ボールを投げるのも、皆様苦労されていましたわ。打ってもらった球を守備している人がグラブでキャッチする練習は、当分先になりそうですわ。基礎練習で容量がいっぱいいっぱいですもの」

「そうか。ノックなら、自分が手伝えると思っていたんだけどねぇ。打球の行方を予想して動くのは、頭を使う。今週は難しいことを考えさせずに、キャッチボールで体の使い方を覚えるのがよさそうだ」

「えぇ。野手に実際の守備位置で送球してもらうのも、難易度が高そうですわ。そもそも捕った後に塁を踏むのかどうかも、ボールをどこに投げたらいいのかどうかさえも、判断できないでしょうね」


 打席に入ったバッターは、球を打つと一塁へ走ります。高く打ち上げられたフライでも、外野で守っていた選手が捕れなければヒットに変わるからです。一塁にランナーがいないとき、セカンドが捕れば一塁へ投げます。


 ただし、ランナーが一塁にいるときは、進行方向の二塁へボールを投げなければいけません。セカンドが飛びついてボールを捕った際、二塁へ移動したショートにトスします。ボールを掴んだ位置が二塁付近ならば、そのままセカンドがベースを踏むようになるのでした。


 なお、セカンドがボールを捕れなかった場合、ライトが二塁へ送球します。一塁から走ったランナーをアウトにするためです。

 

 ランナーの有無や捕球位置によって、次の動作は変わってきます。常に状況を見極めながら先の先を読む、頭脳戦なのですわ。キャッチボールができないなんて、お話になりません。守備が混乱しているうちに、一塁ランナーがホームまで帰ってしまうのは屈辱ですもの。


「松陰寺さん、回りくどい言い方をしなくても、自分には伝わるよぉ。個人の技術も野球に対する理解も未熟だから、シートノックができないってことだろう?」

「わたくしは聞きかじっただけですので、専門用語はよく分かりませんわ」


 手をひらひらと振ったわたくしに、神指先生はさらに追求しました。


「自分が使ったノックという言葉は、一般的な『打つ』あるいは『叩く』の意味ではない。松蔭寺さんが専門用語と判断できた理由を、お聞かせ願いたいなぁ?」


 なんと小癪な。わたくしを罠にはめたつもりですの。

 むきになっては先方の思うつぼですわ。聞かなかったことにいたしましょう。


「とにかく、ルールの理解も基礎もないのが、今の女子野球部が抱える課題ですわ。伸びしろのあることが、せめてもの救いですわね。文字通りゼロからのスタートですもの。少しずつ体力をつけていけば、第三アリーナまでの道のりが険しくなくなることを実感するはずですわ。叶愛さんなら、できないことを投げ出したくなる部員をなだめて、やる気にさせられますわ。わたくしは信じています。強引で危なっかしくて、手を差し伸べたくなる叶愛さんの力を」


 ふっと息をついた神指先生に、わたくしの眉間にしわが寄ります。


 わたくしの発言から、あらを見つけないでいただきたいわ。重箱の隅を楊枝でつつく行為は、褒められたものではなくってよ。


「妹のことをよく見ているのだねぇ。感心、感心。チェス部を抜けたければ、いつでも抜けていい。自分も二つの部活を任されるのは大変でね。チェス部唯一の部員であり部長のきみが、存続を判断してくれるとありがたい。おや。怒りもしなければ、喜びもしないねぇ。新一年生が入らない現状で見切りをつけることに、罪悪感を抱いているのかな?」

「わたくしが選んだ居場所ですわ。退部なんていたしません」


 躊躇なく言い切りましたが、内心は動揺していました。


 三月に卒業された先輩から引き継いだ部が、わたくしをがんじがらめにしているとおっしゃりたいの? 女子野球部に入りたがっているように見えて?


「悪い話と思わないでほしいなぁ。松蔭寺さんの判断によっては、チェス部が約束されている予算十万円を女子野球部に回すことができるんだよぉ。アリーナなどの学校設備はいくらでも借りられるが、大量のボールを買う費用なんてない。バッティングマシンはもってのほかだ。練習に必要な道具の多さがサッカーとは比べものにならないなんてことくらい、松蔭寺さんなら分かるだろう?」


 身に染みていますわ。スパイクを使う共通点はあるものの、野球を続ける方が個人としても部としても費用はかさみます。ボール一つだけでは競技が成り立ちませんもの。


 部費を工面しようとした叶愛さんが、危ない橋を渡るのは避けたいですわ。何をしでかすか分かったものではありません。前科が脳裏をよぎります。ただ、神指先生の提案には頷けませんでした。


「わたくしがチェス部を辞めてまで、叶愛さんが入部を喜ぶとは思えませんわ」

「結論を急ぐことはない。いつでも返答を待っているよ」


 神指先生は話題を替えました。


「練習のとき、ユニフォームの話は出ていなかったかい? 自分の耳には何も入っていなくてねぇ」

「叶愛さんは、注文してほしいと頼みに来ていないのですか?」


 思い返せば、ユニフォームのことは誰も話題にしていませんでしたわね。まだ届いていないと叶愛さんに連絡する方も、おられませんでしたわ。練習着も部活指定のものがあるはずですのに、体操着をお召しになっていました。


 叶愛さんがまとめて注文したと認識していたのですけれど、思い込みはよくありませんわね。大会に出るつもりならば、ユニフォームを早く用意するに越したことはありません。


「一般的には、個人ではなく顧問が業者に頼むものだよぉ。職員室で、業者に電話する同僚の声が聞こえるもの。部費を徴収するかどうかも、それとなく仰木さんに伝えておいてくれると助かるなぁ。姉としてよろしく頼むよ」

「承知いたしましたわ」


 報告連絡相談、ほうれんそうは社会人として当然のマナーですわ。叶愛さんが学園生活で恥をかいてしまってはいけません。わたくしが導いて差し上げますわよ。


 意気込んだわたくしは、図書室にいることを思い出しました。非常識な声の大きさではなかったかしら。


 叶愛さんにはお静かにと注意しておきながら、この体たらくはいけませんわね。いついかなるときでも模範的にならなくては、示しがつきませんわ。たとえ、ほかの利用者が神指先生しかいなくても。



 ⚾️⚾︎⚾︎



 小腹が休憩を訴えた十五時に、わたくしは部屋へ戻りました。


 図書室に居合わせた数学教師が「その数式は美しくない」と指摘するおかげで、集中力と冷静さを消費しました。部屋に置いている金平糖を、時間をかけて味わいたいですわ。


「お姉様、おかえりなさい」


 叶愛さんが着ていたものは、白いパーカーとタータンチェックのワイドパンツでした。制服やパジャマしか見慣れていないわたくしにとって、私服姿は新鮮です。許されるのなら連写しておきたいですわ。


 紙袋の中身を開けまくっていたせいで、叶愛さんの机上は散らかっていました。


 わたくしとは出かけてくださらないのに、買い物を満喫されたようですわね。神指先生と話していた弊害で、嫌味が出そうになりました。叶愛さんの楽しかった一日を、台無しにしないでちょうだい。


「ささやかなもので恐縮なのですが、こちらをお姉様に差し上げます。いつも助けていただいているお礼です。お気に召されなかったら、捨てていただいて構いません」

「捨てませんわ。叶愛さんが選んでくださったものですもの。嬉しいですわ」


 わたくしのために、わざわざ朝から買いに行かれていたのですね。それを嫉妬してしまった数秒前のわたくしは、心が狭すぎるのではないでしょうか。


 罪悪感を抱きながら包みを開けると、真紅のリボンが見えました。在原業平の詠んだ「ちはやぶる神代も聞かず竜田川から紅に水くくるとは」の一首が思い出されますわ。


 光沢を抑えた生地のおかげで、フォーマルでもガーリーにも仕上がる万能なヘアピンになっています。


「素敵ですわ。編み込みやハーフアップにしたいときでも、使えそうですわね。リボンの形は、何だかトランプのクラブに見えますわ」

「さすがお姉様です!」


 天才と言わんばかりの拍手は、ただの感想に分不相応ですわ。悪い気はしませんけれど。


「トランプのクラブは、春を表しているんです。お姉様の生まれた季節に合わせて、選んでみたんですよ」

「わたくしの誕生日をご存知なの?」


 訳あって叶愛さんに教えていませんでした。どなたから聞いたのでしょう。


「香お姉様に教えていただきました。お姉様のお誕生日が入寮の前日だったのは、思いもよりませんでした。どうしてお姉様のお誕生日が、入寮日にならなかったのですか? 当日に教えてもらったとしても、私はすぐに準備しましたよ。来年は、当日にお祝いさせてくださいね? お姉様?」

「えぇ。楽しみにしていますわ」


 覚えていてもらえると、期待してもよいのかしら。わたくしはリボンを撫でました。


「明日つけるのが楽しみですわ」


 叶愛さんが心の中で言っていることが、はっきりと分かります。お姉様に今すぐつけてほしいと願っているのですわね。今日は妹をとことん甘やかしましょう。


「どのヘアスタイルが似合うか、事前に試しておくべきですわね。叶愛さんの意見を聞かせてくださる?」

「私でよければ!」


 叶愛さんはわたくしの髪を解いてくれました。ドレッサーの前に座ったわたくしは、叶愛さんのなすがままです。叶愛さんの力加減が気持ちよくて、両目を閉じてしまいたくなります。


「ヘリコプターの移動が暇だったので、こころの髪で練習していたんです。こういうヘアアレンジはどうですか? 編み目を適度にほぐして、フィッシュボーンのできあがりです。リボンはここにつけちゃいますね。椅子を回転させるので、手鏡を使って仕上がりを見てくださいますか?」

「もう完成させたのですか? 早く見たいです」


 叶愛さんが結ってくれた髪に、わたくしは溜息をつきました。こんなに完璧な仕事をされると、解きたくなくなりますわ。容赦なく元に戻す叶愛さんは鬼ですわね。コテでウェーブを作ってくださるときの表情が真剣ですので、茶化すに茶化せませんわ。


 そういえば、とても大切なことを忘れているような気がいたしますの。見失っているボケがあるような。


「叶愛さん、ヘリコプターの移動とおっしゃいました? 今日はどこへ買い物に行かれましたの?」

「私の実家です。新幹線の移動だと半日消費されるので、こころが貸してくれたんです。せっかくバットとグラブを新調するのなら、私の実家が経営する店にしましょうって。ネット販売だと握り心地が分からないので、私としても店頭に行きたいところでしたが。皆様お優しいのですよね。普通は県外の遠い店に、わざわざ行く気は起きないはずなんです。部員全員が購入してくださって、本当にありがたいですよ」


 ヘリコプターを貸すなんて、セレブの発想ですわ。一般人にはできない芸当ですわね。そんなことよりも、わたくしの優先順位は部員より下ですの。勝手に舞い上がってしまったからこそ、ショックが大きいですわ。


「お姉様、鏡を見ていただけますか?」

「これは……!」


 毛先まで編み下ろした髪型は、ヒップホップのダンサーのように見えます。


「ブレイズでしたか? こんなに細い三つ編みをたくさん。わたくしの髪で遊ばないでくださいませ。さすがに目立ちすぎて、学園では不向きですわ。ベテランの先生から注意されますわよ。元に戻してくださる?」

「はぁい。悪気はなかったんです。誤解しないでくださいね? お姉様の髪が触り心地よすぎて、つい……」


 叶愛さんに触ってもらえるよう、トリートメントをこだわってよかったですわ。わたくしはほくそ笑みました。

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