第3話 「自転車は『ドライブ』ではなくて『サイクリング』ですわ」
「いい人いないの?」
帰宅後、携帯に母親からの着信に気が付いた。僕は重たいリュックを下ろしてため息を吐く。冷蔵庫から缶ビールを取り出して、カシュッっと一日の終わりを告げる音を鳴らした。一口飲んで、携帯を耳に当てる。数回のコールで誰よりも聞きなれた声がした。
電話の要件はいつもと同じ。「元気か」「仕事は順調か」「次はいつ帰ってくる」そして、締めに結婚の話。
「別に、今はいいよ」
実際、仕事と自分の面倒で精いっぱいだ。決して多くない給料と休日を他人に使うと考えると正直気が滅入りそうだ。
「あんたの歳にはお母さんもうあんた産んでるのよ」
僕ももうすぐ三十になる。早く孫の顔を、と願う両親の想いは理解できるがもはや神頼みに近い。
「そんなんじゃ、コハルに先越されるわよ」
コハルは僕の三つ下の妹だ。有名大学を卒業した後、大手企業に勤めている言わば勝ち組で、去年はアメリカに一年間出張に行っていたが今年帰ってきたそうだ。同じ遺伝子を受け継いでいるはずなのに、僕とは全て違う物質で構成されているんじゃないかと思える程、優秀で、可愛くて、鬱陶しい妹である。
「また連絡するよ」
長々と続く母親の小言を、なるべく穏やかな声色で打ち切った。携帯をテーブルに放り投げて、ビールを煽る。苦くて、喉がびりびりとした。
「ハルアキ、合コン行かねー?」
翌日、僕とリリィさんの隔離空間デスクに褐色肌の男性がぬっと現れて、そんな事を言った。彼は僕が入社した時からお世話になっているキシ先輩だ。
「行きませんよ、そんな事より企画案、先方の了承取れました?」
先輩は企画書の最終チェック書類と先方からの要望書のメールを僕のパソコンに置いて、にこぉっと笑った。終わってるなら早くくれ。
「先輩、合コンとは何です?」
やけに日当たりのいい一等地で輝く椅子に座り、ネットで購入した安いノートパソコンで仕事をしていたリリィさんが顔を上げた。
「お? リリィちゃん興味ある?」
「ちょっと、先輩!」
厄介事の中心をヒールで闊歩する女ことリリィさんに、余計な知識を入れないで頂きたい。常識が僕たちとは斜め上にずれている彼女と合コンの組み合わせなんて、想像しただけで頭痛がする。そんな僕を無視して、先輩はリリィさんに合コンというのがどれだけ素晴らしいものかを説いている。話が進むにつれて、リリィさんの瞳の中に興味の二文字が見えてきた。
「ハルアキ」
「行きませんよ」
「カンパーイ!!」
会社近くの居酒屋で見知らぬ女の子三人と向かい合うように座る僕とキシ先輩と、普段のスーツではないラフなジャケット姿のリリィさんがそこにはいた。
「わたくし、こう見えて社交界ではぶいぶい言わせていますの」
意味の分からない事を自慢げに言う彼女は、よく見ると化粧も薄めになっている。さっきまで一緒に仕事をしている時は気づかなかったという事は、わざわざこの為に直してきたのか。リリィさんが合コンをどう解釈したかは分からないけれど、この中で一番楽しそうだった。
「あまり変な事言わないでくださいよ」
「ふん、心配無用だわ」
その自信が心配なんですけど。
「ハルアキさん、趣味は?」
「えーっと………ドライブとか、かな」
「えー、車持ってるんですかー? いいなー」
「え? あ、そうかな、ははは、ははは」
飲み会はキシ先輩の慣れた会話術で盛り上がった。初対面の女性に緊張しながらも普段の会話相手が突拍子もない発言ばかりする上司なので、それに比べれば僕もスムーズなキャッチボールトークが出来ているのではないだろうか。それに三人ともタイプは違えど美人で、僕とキシ先輩のくだらない話にも笑ってくれる。
(これは、もしかしてワンチャンあるのでは!?)
ちらりと先輩を見ると、ニカリと褐色の肌に白い歯を見せた。きっと、同じことを思っているに違いない。後で、先輩の気になった子が誰なのかトイレで聞いておこう。
僕ら二人のアイコンタクトをよそに、レモンサワーを飲んでいたリリィさんに向かいに座っていた女性が声をかけた。
「お姉さん、すっごく美人さんですねー」
「ふふ、ありがとう。貴女も、とても可愛らしい爪をされているのね」
そういって、食器の置かれた皿の間から女性の爪に振れるリリィさん。
「ええー、駅前のネイルサロンで半額セールだったんですよー」
少し照れたように女性が笑った。やはり、リリィさんの美貌は男女問わず影響するのだろうか。
「わたくし、現代の装飾品に疎いのですわ。最近の女性はどういったものが流行っていらっしゃるのかしら?」
所々、言葉遣いに引っかかるが相手の女性は酔っているのか気にしていな様子で会話を続ける。
「そうだなー、これとかー」
「えー、リリィさんにはこっちの方がー」
「普段、何処で買い物してるんですかー?」
気が付けば僕らを置いて、リリィさんと女性陣での女子会トークが始まっていた。さすがのキシ先輩も女性のファッションやコスメの話には入って行き難いのか、残っていたビールをグイっと飲みほして店員さんに追加注文をしている。
「おいハルアキ、リリィお嬢さんは何で男側に座ってんだよ」
僕に言われても。リリィさんは服装やメイクも相まって、海外の中性的なモデルみたいで、心なしか声色も低い気がする。控えめに言って、格好いい。
一瞬、もしかしてとも思ったが、僕は頭を振りジョッキを飲み干した。
「私は介護の仕事だからネイルとか出来ないんですよねぇ」
女性の内の一人が自分の爪を見て呟いた。僕はネイルとかよく分からないが、キシ先輩はうんうんと相槌を打っている。
「あら」
リリィさんは手を伸ばして女性の手を取り、両手で包むように撫でる。目の前で二人の手が重なるのを見て、体温が上がるの感じて少し気まずくなった。そんな僕をちらりと見て、リリィさんがくすりと笑うものだから余計恥ずかしい。
「貴女の手、とても綺麗にケアしているのね。人に触れる機会も多いお仕事でしょう? きっと、この手で支えられた方は心が安らぐのでしょうね」
なんてさらりとした口調で微笑むリリィさんに、女性陣の関心が完全に僕とキシ先輩から外れたのを感じた。肩を落とすキシ先輩に日本酒を注ぐ。
「あの、リリィさんのお話も聞きたいんですけど」
怒涛の質問攻めにあうリリィさんはいつの間にかウイスキーを飲んでいた。
「ふふ、嬉しいですわ、でも今日は皆さまのお話をお聞かせくださいな?」
カランと、グラスの中で氷が鳴った。少し濡れた唇。ほんのりと染まった頬。長いまつ毛がゆっくりと揺れる。
「わたくしのお話は、また今度に」
「リリィさんが全部持って行っちゃうから、先輩泣いちゃったじゃないですか」
「ふふふ、なかなか有意義な食事会だったわ」
結局、女性達の連絡先をゲットしたのはリリィさんだけだった。先輩はしょんぼりと飲み直しに夜の街に消えて行った。
「はぁ、僕もリリィさんみたいに話せたら、少しはチャンスがあったかも」
「あら、ハルアキは恋人が欲しかったの?」
「うーん、どうでしょうね。居たら居たで楽しいと思いますけど………」
「ふうん、それは悪いことをしたわ」
微塵も思ってい無さそうな口ぶりで、夜のビジネス街を歩く。
ふと、リリィさんが訪ねてきた。
「ハルアキは恋人が出来たら何をしたいのかしら?」
「え? えっと」
急に言われても、すぐには出てこない。社会人になって恋人がいた経験のない脳で浮かぶ回答はどれも幼く感じる。三十歳前の男性が恋人とする模範解答を考えていると、リリィさんは手を空に伸ばしてぽつりと呟く。
「わたくし、幼い頃に運命の王子様が白馬に乗って迎えに来てくれるって本気で信じておりましたの」
「はぁ」
そんな事、誰もが子供の時する妄想だ。僕だって、地球を侵略しに怪獣がやって来て、それをド派手に倒す妄想をしたものだ。決めポーズまであったと思う。
「ですが、大人になって気が付きましたわ」
そう。誰もが大人になって、世界の回り方を知り、自分の立ち位置を知る。そして、やっと気が付くんだ。白馬の王子さまも巨大な怪獣も居ないという事に。
「この国で馬は軽車両と同じ扱いなんですの」
「は?」
「つまりは、どれだけ颯爽と現れても、二段階右折をしなければいけないの」
空にまっすぐ伸ばした腕をぶらんと下ろして、僕の顔をのぞき込む上司。相変わらず綺麗で整った顔だ。すっかり酔いも冷めたのか、いつもの突拍子もない事を言い始めた。もしかして、酔っている方がまともなんじゃないか?
「愛の極意、教えてあげても良くってよ?」
「そんなのあるんですか?」
あの短時間で女性たちの心を掴んだ彼女の言葉。今のうちにご教授願いたい。是非にと言うと、リリィさんは人差し指をくるくる回しながら。
「会話の始まりから終わりまで心を向けて聴いて、指先から髪の端までをゆっくりと見つめて、その人の今までの人生とこれからの人生にグラスを傾けるの」
そう言った。
「カッコつけすぎじゃないですか?」
そう返すと、今度は年相応のしたり顔で、
「それと、自分自身が飾らずにいること」
くるりと僕に背を向けて後ろで手を組むリリィさんは、くすくすと茶化すように言う。
「ハルアキ、自転車は『ドライブ』ではなくて『サイクリング』ですわ」
「………参考になりました」
僕の上司は女王陛下 咲守 蛙 @sakimori-kaeru
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