第2話 「わたくし、今日はおかかの気分でしたの」


 イベントの企画会社に勤める僕の主な業務は他企業とのやり取りと経費調整である。所属する部署はというと、僕とリリィさんだけの超極小部署だ。

 二人しかいないので仕事は尽きる事なく、残業は日常。僕は近くにアパートを借りているけど、リリィさんは会社に住み着いている。籍は自身の実家にあるそうだけれど、便利という理由で倉庫の奥に折り畳みベッドを持ち込んで寝泊まりしている。

 美麗な金髪を腰まで伸ばしたリリィさんは老若男女問わず目を引く美人だ。「危機感がないのでは?」と忠告した翌日には、倉庫の扉に無かったはずの南京錠が付いていた。全くもって、ハチャメチャな人である。

「ハルアキ、こちらの企画経費一覧はどこかしら?」

「あ、はい」

 金曜日の夜。僕とリリィさんを残して皆、退社していた。節電対策で僕たちの頭上の蛍光灯だけが寂しく灯っている。

「そろそろ、切り上げますか?」

 来週の企画会議で出す予算資料の作成に追われている僕ら。気が付けば時計の短針はもう8を差す。リリィさんはデスクワークには不向きなアンティークテーブルで電卓を叩きながら、資料のチェックをしている。

「そうですわね」

 リリィさんは見た目に反して、とても仕事真面目だ。やると決めたら必ずやり遂げるし、納得いくまで突き詰めるスタイルで、今も帰る素振りは一ミリも無い。

 リリィさんが続けるなら僕も、もう少し続けようか。会社に住んでいるとはいえ、薄暗いこの部屋で一人にするのは部下としても男としても気が引けた。

「ハルアキ、お腹が空いたわ」

 資料を見ながらリリィさんが言う。確かに僕の腹も空っぽを訴えていた。

「そうですね、何か買ってきます。何がいいですか?」

「お任せしますわ」

 リリィさんはテンポよく電卓を弾いている。下手に声をかけて気を散らしては申し訳ないので、僕は財布片手に会社を出た。夜のオフィス街は昼間の熱を籠らせたコンクリートがむしむしと熱気を放っていて、風の無い外気は疲れた体を重たくする。

 僕の買ってくるご飯に一度も文句を言った事の無いリリィさんでも、いい加減コンビニ飯は飽きているかもしれない。僕は近所のコンビニを通り過ぎて手作り弁当屋へ向かった。

「いらっしゃいませ!」

 弁当屋に入ると店員のおばさんに明るい声で迎えられ、僕はメニューを眺める。昨日の夕飯は中華飯、今日の昼はミートソースパスタだった。メニュー表のハンバーグ弁当に「オススメ」の目立つシールが貼られていた。よし、今日はこれにしよう。

「あの」

 注文しようとカウンターでニコニコと立っているおばさんに体を向けると、間にスッと別の男性客が入ってきた。男はメニューを見ずに店員に唐揚げ弁当を注文する。

「すみません、お並びのお客様がいらっしゃいますので」

 店員が僕を促すと、男性客は僕と店員を交互に見て無表情で一歩後ろに下がった。僕が、お先にどうぞとジェスチャーすると店員はぺこりとお辞儀をして先に男性客の会計を済ませた。その後ろに並んでいた僕の順番が来たかと思った時、男性客の携帯が鳴った。店員のおばさんが厨房に「唐揚げ一!」と声を上げる。

「はい………はい、はい………わかりました、はい」

 レジ前で通話を終えた男性客がおばさんを呼び止めた。

「追加でかつ丼2つ、幕の内1つ、生姜焼き一つ、野菜炒め2つ」

「あー、少々お時間いただきますがよろしいですか?」

 男は頷き、再び会計を済ませた。順番を譲らなければと、心の隅で思った。

「えーっと、ハンバーグ弁当二つ、どのくらい時間かかりますか?」

 尋ねると30分程かかるとおばさんは申し訳なさそうに答える。会社ではリリィさんが一人仕事を進めてくれているので、あまり遅くなるのは良くない。

「早く出来るのは何ですか?」

「ノリ弁当なら」

 それはすぐに購入できる様に、棚に置かれた作り置きの弁当だった。厨房ではバタバタと料理人が調理していて、おばさんはそちらにちらちらと視線を送っている。早く厨房の手伝いに行きたいのだろうか。

「じゃあ、これでいいです」

 棚からノリ弁当を二つ取り、無意識でバンッと乱暴に置いてしまった。僕はさっさと会計を済ませ、店を後にする。おばさんは「ありがとうございました」と言いながら急ぎ厨房へ入って行った。男性客は壁に寄りかかり携帯をいじっていた。

 外に出ると、またむわっとした空気が纏わりつく。冷たい弁当を持って、コンビニで買えばよかったと後悔しながら速足で会社に戻った。

「おかえりなさい」

 薄暗い社内では出た時と同じ態勢でリリィさんが資料を確認している。後ろから見ると、蛍光灯で照らされた金髪がふんわりと浮かび上がって見えた。

「ノリ弁当ですけど、いいですか?」

「ええ、いただきますわ」

 弁当をレンジで温め、リリィさんに割りばしと一緒に渡す。冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、紙コップに注いだ。

「いただきます」

「いただきます」

 弁当には海苔とおかかのご飯、鮭、ちくわの天ぷら、コロッケが乗っている。ご飯の中心は少し冷たかった。やはり、時間がかかっても作りたてを買って来た方が良かったかなと口に運ぶ前に再度後悔する。

「本当はハンバーグにしようと思ったんですよね」

 鮭とご飯を口に運ぶリリィさんに店であった事を話した。夕飯は何でも良いと言ったリリィさんは僕の話を聞き終えた後、ふむ、と箸を伸ばして僕の弁当からコロッケを勝手に取って食べ始めた。

「コロッケ好きでした?」

 おかずの減った弁当を見下ろして僕は言う。リリィさんは素朴なジャガイモコロッケが二つになった弁当を食べながら「ちくわの方が好き」と答える。

「じゃあ、ちくわを取れば良かったじゃないですか」

「わたくしが選んだものが、常に最善なのですわ」

 良く分からない事を言って僕のコロッケを食べてしまうのは納得いかないけれど、美味しそうにそれを食べるリリィさん相手に文句を言う気にはならなかった。

 米粒一つ残さずノリ弁当を食べきったリリィさんは、花柄レースのハンカチで口元を拭く。

「わたくし、今日はおかかの気分でしたの」

「………それは良かったです」

 仕事に戻るリリィさんを追って、急いで弁当をかき込む。

「ご馳走さまでした」

 久しぶりに食べたノリ弁当は、思ったより美味しかった。

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