四章 Two are better than one. ――アンク

 やぁ、こんにちは。

 ………………あれ、聞こえてない?

 ……まぁ、いいか。細かいことは気にしないことにしよう。君が誰で、ここがどこかなんて、今更考えたって無意味なんだ。

 でもまだ少し時間がありそうだ。だから話でもしようか。そうしたい気分なんだ。君は聞いてるだけでいい。最初に言っておくと、これは不運な物語だ。こうすれば良かったんだとか、なんでこんなことをしたんだとか、そう思うこともあるかもしれない。いやきっと思う。ぼくもそう思うんだから。後悔でいっぱいなんだ。でもそれは起こった出来事を後からあれこれと考えているからそうなるんだとも思うんだよ。……まぁでもぼくが世間知らずだったってのもあるのかな。それは……しょうがない。

 とにかく、興津幸二と遠藤飛燕とぼくの三人の論議は、ついに決着を迎えなかったんだ。ぼくはそれが問題だったんだと、そう思ってる。話し合いだけで解決すべきだったんだ。それが難しいとしても。


 ぼくの名前はアンク・ヴェレッド。父親はホモ・レグルスで、母親はホモ・サピエンスのミックスだ。と言ってもぼくは両親と会ったことがない。聞いた話によると、父は薬漬けで人格らしいものは残っていないし、母はお金欲しさにぼくを産んだという。なんでも、ぼくを研究している連中がレグルスとサピエンスの混血を求めたそうだ。それで、ぼくともう一人、妹のスラミス・ヴェレッドが産まれた。

 研究者はレグルスを八人産ませたのだけれど、混血はぼくら二人しか産ませなかった。混血はサピエンスと変わらないため食費がかかるので、予算的問題が生じたのかもしれない。それとエレンコス事件の失敗が大いにあるのではないかとぼくは思ってる。

 混血は特異な能力に目覚めることがあるから、レグルスよりも即戦力で多様性がある。事件が成功していたらぼくらは二人の兄妹ではなかっただろう。

 それが良いかどうかは分からないけれども、確実に良かったことは拷問されることがなかったということだ。レグルスの子どもたちは教育も受けられずに閉じ込められていたけど、ぼくとスラミスは教育を叩き込まれた。学術的な天才になることを期待されていたんだ。

 レグルスの血のおかげか連中を失望させることはなく、ぼくたちは教養を蓄えていった。無菌室のような殺風景な部屋で勉強し、時にはレグルスの観察やブラックマスタードの研究を手伝わされるといった毎日。

 あの実験は最悪だった。ブラックマスタードは飲むと確実に嘔吐感に苛まれ吐くことになるのだけど、ぼくは実験体にされ、何度もそれを飲まされたんだ。当然、ぼくは何度も嘔吐した。胃液がなくなるんじゃないかと思ったよ。結局その実験は原理究明には至らず、ブラックマスタードには膨大なエネルギーが内包されており消化しきれないために体外に排出させようとするのではないか、という推測止まりとなった。

 さっきは拷問がないと言ったけれども、よくよく考えてみればこのような実験は拷問のようなものだったかもしれない。ぼくは過酷な実験には率先して協力し、スラミスにやらせないようにしていたから、強制的にやらされたという感覚が薄いのだよね。

「みんなが幸せに生きられたらいいのに」

 スラミスはよくそう言っていた。ぼくの自慢の妹はこんな環境なのに、世界の平和を願うくらいに心が清らかなのである。

「彼らは自分のやっていることが、ゆくゆくは全人類のためになるって、信じてるんだよ」

 ぼくはいつも身も蓋もないことを言う。

 スラミスはぼくの刺々しい物言いを諫める。聞かれたら後の仕打ちが怖いからとか、そんなんじゃない。妹は恨み言も陰口も好きではなく、たとえ相手がどんなに悪くても責め立てたりはしないのだ。悪逆非道を尽くす悪魔と対面しても、敵対的な態度はとらないと思われる。諭すとか説得するとかその方面のことをするぐらいだ。研究者に対してもそれは変わらない。非人道的なことはやめて欲しいと考えているけれども、だからといって敵対的になる訳でもなく、研究には従順に協力している。

「私……お兄ちゃんとだったら、いいよ」

 何もそこまで従順である必要はない。

 普段は年相応に無邪気で元気なスラミスだが、とても賢い。大人たちの機微には敏感で、その思惑も読み取ってしまう。

 連中は混血同士の子も研究しようと企んでいて、事毎にぼくらを引き離したり引き付けたりさせたんだ。ぼくはそれに加担したくはなかったから、表面上は協力的に見せても、常に連中の目を盗んで逃げ出すことを考えていた。

 その好機が訪れたのは、ぼくが八歳の時だった。

 母がその時になって親権を主張したらしい。親権を放棄する契約書に同意をしているから、連中はそれを拒否した。それでもなんやかんや騒動になって、ぼくたちが住処を別に移すことになったのである。

 移送の前日の夜、布団の中に二人で潜って密談を交わした。

 監視されているかもしれないから、念には念を入れて、二人で作った暗号でお互いの意志を伝え合った。それは単純なもので、あいうえお表を五本指に置き換えただけのものである。あ段は親指で、い段は人差し指、う段は中指、え段は薬指、お段は小指と割り振られ、あ行ならば一回、か行ならば二回、さ行ならば三回指で叩く。濁点や半濁点や拗音や促音は爪を立てて叩くなどの変化で伝え合う。慣れるまで読み取りに苦労したが、一年もすれば淀みない意思の疎通が可能となった。

 明日、隙を見て逃げ出すと伝えると妹は眼をまんまるにして驚いた。不安そうに、どうやってと訊いてくる。状況を見て判断する――危険なんじゃない?――大丈夫、絶対なんとかする。タイミングを見て合図をするから――分かった、じゃあ今日は早く寝ないとね――そうだな――おやすみ、お兄ちゃん――おやすみ――

 絶対に逃げ切ってやるという強い思いがあった。妹が安全に暮らせる環境を、ぼくはいつだって求めていたんだ。

 移送はトラックだった。特に拘束されることもなく荷台のベンチに腰掛けて、運ばれた。向かいには屈強な男が一人、運転席にも体格の良い男が一人。どちらも拳銃を携帯している。ビニールの窓から外を眺めていると電柱に新宿とあるのが見えた。

 こっそり妹の背中に手を伸ばし指で叩いて作戦を伝える。――隙を見てトラックから飛び降りて二手に別れる、集合場所は新宿駅東口駅前広場――。妹は目配せだけで了解を表明。

 新宿駅は遠いだろうか。せめて具体的な場所が分かれば……。集合場所は交番の近くにしたが連中が国家権力と繋がっていたら終わりだ。それでも人が多い場所に越したことはないか……。不安や緊張で、余計な心配ばかりが頭に過っていた。

 さて、あとは隙が訪れるか、もしくは隙をどう作り出すか、という問題だ。しかし、それは案外楽に解決した。信号待ちから発進しようとした時に何らかのトラブルで車が動かなくなったのだ。異常箇所を探るため、ぼくらへの監視がなくなった。ただ警備がざるなのか、余程ぼくが優等生を演じていたから逃げ出すなんて少しも思っていないのか――

 こっそり抜け出すと、そこは人通りの少ない住宅街だった。後続車もなく、通行人もいない。作戦通り二手に散り、お互い別の方向の、近くの狭い路地に走った。しかし、すぐに怒号とともに銃声が鳴ってしまう。足音で気づかれたのかもしれない。射線を切るまで距離がまだあった。死ぬんじゃないか、そう思った。だけどぼくが囮にならなければ妹が危険だ。ぼくは手に持っている箱を見せつけた。一緒に移送されていた、中にブラックマスタードが二つ入っている箱である。銃を構えた男は箱をしかと見た。これでぼくの方に標準を構えるはず――そう思ったのだけれど、実際は違った。

 二発目の銃声が鳴っても、ぼくは倒れなかった。妹が倒れた。ぼくの頭は真っ白になった。今思うと、なんでこうも上手くいかないのか不思議でしょうがない。たった十秒でもいいから、連中から見つからなければ、逃げられたかもしれないのに。

 ぼくは急いで妹の元へ駆け寄っていた。撃たれたところからじわじわと血が広がっている。見るからに重傷だった。言葉も紡ぎ出せないほどの瀕死だ。

 どうして、撃った。ぼくたちは混血だろう。実験材料だろう。なんの能力にも目覚めないから、必要ないのか。どうして、どうして――!

 憤るぼくに対して、妹は穏やかな顔をしていた。なんでこんな時まで、そんな顔をしているんだ。妹がぼくの腕を掴んで、指で叩いた。親指一回、人差し指一回、人差し指三回、薬指四回、中指九回――――それは、愛している、という意味だった。

「ぼくも、愛してる……!」

 違う、駄目だ、こんなの最後みたいじゃないか。今から病院に行けば間に合うはず……いや、そうだ――!

 ぼくはやっと、冷静さを取り戻した。妹の目は虚ろになっている。ぼくは箱の中からブラックマスタードを取り出し、傷口に当てて治れと願った。

 治れ、治れ、治れ――!

 ブラックマスタードの研究は、難航していた。いくら実験しても、結果がいつも違う。万能薬としての効果が出ることもあれば、まったく効果がないこともあった。何の条件があれば効果が出るのか、まだ分かっていない。始めはぼくたちの祖父母のブラックマスタードで研究していたのだけれど、それもすり減ってなくなり、今あるのは一年前に新しく入ったものである。

 ぼくが願ってどうなったのか、その結果はとても良いものだった。傷口が塞がっていったのだ。

 すると、若い男が大丈夫かとぼくらの心配をしてきた。早く車に乗れと言ってくるんだ。研究者ではない。見ると、屈強な男二人は地面に突っ伏していた。この男が倒したのだろうか。この男は何者だろうか。この男の目的は何だろうか。一瞬にして湧いた疑問を振り払って、ぼくは車に乗り込んだ。妹は男が抱きかかえて、荷台のベンチに横たえた。荒かった呼吸も落ち着きを取り戻している。

 男はフォックスと名乗った。ぼくたちの母からの依頼で、助けに来たという。結果論だが言わせて欲しい、ぼくたちはじっと車の中にいれば、それだけで助かったってことだ。ほんと、余計なことをしたよ……。

 結局、妹は入院することとなった。傷口は綺麗に完治していたけれど、意識が戻らなかったのだ。フォックスは入院の手続きをしてくれて、あとは母親に任せたと言って去っていった。エレンコス事件で唯一力に目覚めた暴君という風に聞いていたのだけれど、そうでもないらしい。風評よりも優しそうな人だ。

 それから数時間経った後、爽やかな顔をした役人風の男が病室に入ってきた。

「やぁ、初めまして。君がアンク君かな? どうした元気がないな。ポジティブが足りてないんじゃないか」

 男の軽快さに、ぼくは閉口した。

「心配なのは分かるが、君が信用しないでどうする。絶対良くなる、そうだろ?」

「……言われなくたってそうだ。あんたはなんなんだ?」

「遠藤飛燕。∃機関の者だ。君を閉じ込めていた者の元お仲間だよ」

 元お仲間……?

「警戒しなくて良い。危害を加えるつもりはない。我々は彼らをエレンコス事件を期に方向性の違いで追放した立場にある。つまり、彼らのように非人道的なことはしない。今は言わば償いの期間だ。おっと今のはシーズンとかそっち方面の意味だ。ダジャレじゃないぞ」

「連中は非人道的なことをしているなんて思ってないようだったけど」

「だから我々もそういうことをするかも? いいや、しないよ。何もしない。今日ここに来たのはある提案をしに来たんだ」

「提案?」

「そう提案。気に入らなければ断っても良い」

「一応聞くよ」

「賢明だ。我々の提案は四つ。一つ、金銭の授与。入院費とか諸々必要なものに使うと良い。二つ、スラミスちゃんの警護。三つ、住居提供。ここで寝泊まりするわけにも行かないだろう。四つ、君の警護。彼らが襲ってきても即座に対応できる優秀なのを当たらせよう」

 指折り過剰なまでのサービスが提案された。

「なんでそこまでする?」

「それが仕事だからさ。まぁ君の自由を侵害するつもりはないから、好きに注文をつけてくれ。できる限り対応するよ」

 遠藤はぼくに対等に接していた。普通八歳の子どもにそんな選択は突きつけないだろう。何も言わずに保護するものではないか。

 結局、三つ目の住居の提供だけ断り、それ以外をお願いした。住居に関しては、あとから母親が訪れて解決した。∃機関の面々からしたら母親が扶養の意志がある以上、そちらを優先するしかないようだ。母親は終始、謝罪をしていた。ぼくは、とにかく困るしかない。八年間放置した怒りを露わにすればいいのか、初めて会った母親に喜べば良いのか、ただでさえ分からないのに、息子に謝罪を続ける母親なんて対処の仕様がなかった。

 

    ⧠


 妹が入院して二日経ったか、三日経ったかくらいのとき、ぼくはその辺をうろうろしていた。

 母が住む家にいるのも気まずく、妹の側にずっといたのだけれども、何もすることがなくじっとしているのは良くない。気が沈んでしまう。それに病院にずっといると自分まで病人になった気になってくる。

 だから、散歩することにした。

 十一月の肌寒い風が、ぼくの頭を冷やしてくれる。外を一人で気ままに歩むのも初めてかもしれない。いつも妹と一緒だったし、外に行く機会も少なかった。

 ∃機関の護衛はついているんだろうけど、その気配は一切ない。窮屈な思いをすることなく、徒然と一人、当てもなく歩き回った。さながら色だけ知らないメアリーの如く、街や人を観察する。地域の特色などの知識はあってもそれは新鮮に映った。街行く人の風体や年齢層、建築物の見た目などの違いをぼくは楽しんだ。ぼくにとって外にあるもの全てが美術館のようなものだった。

 病院の横には公園があって、ぼくと同い年くらいの子どもが数人、一緒に遊んでいた。本来であればぼくもあのように奔放に子どもと遊んでいたのだろう。それを眺めて歩いていたばかりに、足元が疎かになっていて、段差に気づかず転んでしまった。反射でついた手が擦りむけている。情けない……。運良くその子どもたちに見られていなかったから、からかわれることもなく、そそくさと立ち上がった。

 ぼくは一人だ。幽閉されていたぼくには、倒れた時に助け起こす友がいない。

 伝道者の書四章一〇節。……ひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。

子どもの怒声が聞こえ、視線を戻すと、なにやら喧嘩を始めていた。ずるをしたとか、してないとかで言い争っている。ぼくはそこに割って入って、咎めている方を宥めた。

 マタイによる福音書七章一節。人をさばくな。自分がさばかれないためである。

 子どもは聡く、罪を追求しなければ悪がのさばる、とそのようなことを主張した。ぼくは言う、罪を犯したものはいずれ裁きを受ける、御天道様は見ている、と。子どもは鼻で嘲笑した。神が死んだことはニーチェで習っていたが、八百万の神までがこの有様とは、正直驚きだ。

「神が信じられないのであれば、虫に任せれば良い。知らないのか。悪いことを栄養源にする寄生虫だ。怪我をしないために痛みがあるなど、人には死なないためにあらゆるセンサーがあるけれども、悪いことをしても、それはある。嘘をついたり、親の言うことを聞かなかった時に、いけないことをしたとか、怒られる、と思ったことは? それは寄生虫から身を守るための警告である。それを無視すれば確実に寄生され、悪いことを栄養に大きくなり、最後には身体を乗っ取られる。そうなったら最悪だ。駄目だと分かっていても悪いことしかできなくなり、誰からも信じてもらえなくなる」

 その場で思いついた出鱈目を言うと、それなりに怖がってくれた。妖怪とかもこうやって生まれたのかもしれない。

 責められていた方の子が、それを聞いてみんなに謝った。責めていた方も言い過ぎたことを謝罪して、問題は解決した。

  箴言三章二七節。あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。

 それからぼくは、駅前で活動を始めた。画用紙に「困っている人 救います」と書いて、それを掲げて立ったのだ。道行く人に笑われるのを覚悟していたが、意外にもそんなことは少なかった。たまに奇異な目で見られるくらいで、ほとんどの人は尻目に見るだけで気に留めない。都会の人々は他人に無関心で時間に追われているようだ。だけど、善意は失われていないらしく、初めてぼくに声を掛けてきたのは警察だった。誰かが通報をしたようだ。困り果てていると、∃機関の護衛の方が現れ、説得してくれて、事なきを得た。

 善を成すべく行動してみても、困っている人はなかなか現れない。動画投稿者かと聞かれたり、両親の所在を聞かれたり、そんなのばかりである。悪は容易に行えるけれども、善は困難を極めることを、このときにぼくは思い知ったね。

 初めの活動は、女子高生だった。何の気なしに声をかけてきて、他愛のないやりとりから、恋愛相談へと至ったんだ。幼馴染が七年前から音信不通らしい。憂いに近い不満を漏らしていた。彼女はその人への思いに気づいていない様子だ。

「寛容で情深くあり、ねたむことをせず、高ぶらず、誇らず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨まず、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐えなさい。あなたにはそれができるはずだ」

 コリント人への第一の手紙一三章四節から七節を元に、ぼくは助言した。彼女はそれになんて言ってたかな。確か甚く感心してたような気がするよ。

 それからぼくの活動は軌道に乗り、悩む者の話を聞き、助言し、求める者に与えるという生活になった。一週間もしない内に駅前での活動は人が増えすぎて限界を迎えたくらいだ。だから、支援者が提供してくれた場所に移ることにした。百五十席ある、リストランテである。

 初めてそこに移った時、みな席に着いてぼくを見ていた。ぼくは、言った。

「何を見ている。ぼくは教祖ではない。崇めてはいけない。ぼくの時間は短い。ここにいる人々はいずれ、ぼくを見限っていなくなる」

 シラ書二五章一節。わたしを大いに喜ばす三つのもの、それは主にも人にも麗しい。仲よく暮らしている兄弟、友情で結ばれた隣人、仲むつまじい夫婦。

 ぼくは、更に言った。

「背景と化した隣人たちによって、個は希釈されてしまっている。確立された個は排他的な抑圧を受ける。その間違った共存が、人を疎ませる要因となる。また、家族は形骸化し、会社は機械的になり、地域の繋がりは希薄化している。本来、群れから外れた動物は、別の群れを作って生存を図る。だけれども、現代の社会システムは群れを作らずとも生きられるよう設計されている。結果、多くの人間が孤立化してしまった。正しい共同体はどこにあるか。

 君たちは、困っているときに相談できる人はいるか。本当に好きなものを語り合える人はいるか。一緒にいて心休まる人はいるか。利益がなくても助けたいと思える相手を探しなさい。それは、利益がなくても自分を助けてくれる人だ。代替可能性のない人々同士での共存関係を目指すのだよ」

 こうして、集会は始まった。そして、それはいつしかアンクファミリーと呼ばれるようになる。

 しかし、それは実態を表している名とは言い難い。集会に来る人々は烏合の衆だ。ぼくを目当てに来る人もいるけれど、そればかりではない。出会いを求めて来る人、ただ飯にありつこうとする人、家に帰りたくない人など事情は様々である。ぼくが一対一で悩める人の話を聞いたり、癒やしたりする中、その他の席では一見普通のリストランテ同様の風景が広がっている。それが家族らしいのであればそうなのだろうけれど、全体的な繋がりは薄い。

 さて、集会に来る人の中に、小西汀という高校生がいた。彼について話そう。まずは出会い。

「どうも。髪伸びてるね。切った方がいい。良い美容院を紹介しようか」

 彼はぼくの目の前に座りながら、そう言った。フレンドリーさはあるけど、まるで台本を読んでいるかのような奇妙な喋り方だ。

「そうだ、これ。あげるよ」

 彼は手袋を差し出した。

「これは?」

「アンクが――ああごめん、アンクって呼んで良い?」

 ぼくは首肯する。

「ありがと」

 彼は謝辞を述べて口角だけを吊り上げる。

「アンクが奇跡を行うとき、よく観察してたんだ。小さくて黒いものを手にしてたね。それが奇跡の正体でしょ? それは隠した方がいい。そのための手袋だ。その黒いのを裏側に仕込めるようにしてある」

「どうして?」

「観察してたの?」

「いや、隠した方がいい理由」

「お人好しな人だ。狙われるかもしれないからに決まってる。もしかして皮膚に接触させないと効果がない?」

「試してみないことには分からない。使わせてもらうよ、ありがとう」

「どういたしまして」

 ぼくは手袋を受け取った。

「神を信じてる?」

 不意を食う質問に面食らう。

「よく聖書を引用するよね」

「必要な時に」

「すべて信仰によらないことは、罪である」

「ローマ人への手紙一四章二三節」

「なんだ知ってるじゃないか。知らないかと思った」

「一四章一節にはこうある。信仰の弱い者を受けいれなさい」

「弱い? ないんじゃなくて」

「……あるところに、生まれた時から父親を知らない三人の男の子がいた。その母が、父の置き手紙を読ませた。良い子でいることと、そのためにするべきことが書かれていた。長男はそれに従わなかった。次男はご褒美がもらえると思って良い子でいた。三男は疑り深い性格で、その手紙は母が自分たちを従わせるために書いたと思った。長男次男と違い、父はもういないと思っていたんだ。だけど、手紙の内容は正しいと思ったから良い子でいた。三男の読みは外れて、父親は帰ってきた。父は三男には銀貨を、次男には銅貨を与え、長男には何も与えなかった」

 彼はぼくの譬え話を聞いても、不服そうな態度を変えず、まぁいいよそれより、とエレンコス事件について話し、人はなぜ生きるのかについての意見を求めてきた。

「理由は必要ではない」

「それじゃ生きてる心地がしない」

「死ななければいい」

「なぜ死んじゃ駄目だと?」

「連綿と続く血族の歴史を否定するだけの理由がなければ、到底死ぬことは考えられない。生きられるのであれば生きるべきである。それに死ぬことは生きることよりも簡単だ。一番簡単な道は、一番最後に通るようにするべきである」

「じゃあどうやって生きるのが正解?」

「正解はない。何かを基準に生きる場合、それは一つではない方がいい。その基準が失われた場合、生きる目的を失うからだ。一つでは脆弱である」

「それでも一つに絞るなら? 最も大事なものは」

「……内発的利他的利他に生きることだ。それには人と関わり、聡い眼を養う必要がある」

「分かりやすい答えだ。ショーペンハウアーは読んだことある? 幸福について」

「孤独に生きられる人は限られる。多くの人には向かない。それに孤独はあらゆる健康リスクや死亡リスクを増大させる。死に近づくということを忘れてはならない」

「そうだね。うん。なるほど。よく分かったよ」

 小西汀はそれ以降もよく集会に訪れ、閑談をした。聞かれたので、ぼくのことも話した。監禁されていたこと、兄弟のこと、ブラックマスタードのこと。

「助けるべきだ。なんとしても」

 彼はぼくの兄弟を案じていた。

「ラーハムって兄に接触してみては? 協力してくれるかもしれない」

「それはどうだろう。あっち側の人間かもしれない」

「フォックスは?」

「どちらにしろ、難しいことだ。敵は武装している」

「協力してくれる仲間ならたくさんいる。そのために集めたのでは?」

「違う」

 ローマ人への手紙一二章二〇節。……「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

 彼の立ち居振る舞いは怪しい。質問は鋭く、答えづらいものばかりだ。目の奥は黒く、審査されている気になる。だけれども、思想は善人に見えた。だから、彼なら人々のために使ってくれると信じ、ブラックマスタードも託したんだ。始め彼ではブラックマスタードの効果が出なかったのだけれども、様々な方法を試みて、ある程度使えるようにはなったようである。

 彼が人を自殺に導いていることを知ったのは、犠牲者が出てからだ。それから集会には来なくなった。ぼくにとって最も不運だったことは、信じた相手が悪かったということかもしれない。

 そして――

 十二月二十四日、昼前。いつものように集会を開いていると、大柄で無精髭を生やした男が、ぼくの目の前にどかっと座り、名刺を差し出してきた。製薬会社社長の興津幸二という人物だということと、会社のロゴから、ぼくやその兄弟を監禁していた連中だと分かる。

 それからすぐ、隣の席に遠藤が座った。

「興津さん、久しぶりですね。見ない間に少し変わりました? まさかあなたが出張ってくるなんて」

「おめぇのせいだよ、遠藤。派手にやりやがって」

「いやはや、あなたは逃げ隠れするのがお上手ですね。隠れ鬼とか得意だったでしょう」

「お前らが定時で帰ってなければ今頃捕まってただろうよ」

「そっちはブラックなんですね」

「んなことよりな、こっちとしても殺し合いは避けたいんだ。手を引け」

「そっちが手を引いたらどうですか」

「研究をやめろって? 俺は全人類のために研究をしているんだぞ」

「子どもたちの自由を侵してまですることですか?」

「することだろう」

 興津はリストランテ全体を見回した。

「――なぁ、多数決で決めないか。俺は人の意見が変わるなんて思ってない。お前らは頑固そうだしな。ここにいる全員に状況を説明して、投票してもらうんだ」

「――ですが、それは」

「なんだ、自信がないのか? それとも武力で捻じ伏せた方が簡単だって発想か? 俺は犠牲を最小限にするべくここに来たが、そっちがその気なら――」

「いや、いいですよ。やりましょう。ただ誓って下さい。過半数が取れなかった場合、潔く投降することを」

「ああ、問題ねぇよ」

「それなら、ぼくからみなに説明しよう」

 周囲にいる人たちの注目を集め、公平を期すために、必要な事実のみ教えた。知らない顔が何人かいて、まさか勝つために卑怯な手を使ったのかと思ったが、過半数を取る程の人数はいないようである。興津の仲間と∃機関の護衛だろう。

 みなぼくの話を真面目に聞いてくれたが、どれほど理解できたかは定かじゃない。

 説明が終わり、静まり返った中、論議は始まった。

「俺の研究は一部の犠牲で、医療が飛躍的に発展する可能性がある。病苦も、障害も、老いですら、人類は克服できるチャンスかもしれない。量産しない訳にはいかない。子どもの人権だとか自由だとか、そんなちゃちな倫理観を翳している場合じゃねぇんだよ。ブラックマスタードで奇跡ごっこをしていたアンクなら理解できるよな?」

 興津は早速自分の研究の最大の利点を語り、ぼくまで味方につけようとしてきた。それまで敵対的行動を示さなかったがために理解者と思われていたようである。心外だ。

「理解できない。ぼくは犠牲を伴う救済は行っていない」

「犠牲って確かに俺は言ったがな、よく考えてみろ、あれはホモ・レグルスだ。サピエンスじゃねぇ、つまり人間じゃないってことだ。なら牧畜と変わらねぇだろ」

「それは違うでしょう。ほとんど人間と変わらないんですから。自由意志もあるんですよ。せめて大人になってから自分の意志で選択させるべきですよ」

 てっきり遠藤と共闘して興津の論を覆すのかと思っていたが、ここで既にぼくの考えと乖離した。これは三つ巴の戦いになりそうだ。

「なんだお前ら、医療の発展に貢献する気がないのか?」

「今論じているのはその方法論です。それに関しては誰もとやかく言わないでしょう」

「だからな、自由意志に任せたら増産は不可能だ。自分から死ぬ奴はほとんどいないだろう。仮にいたとしても一人や二人死んだところでどうなる。レグルスが絶滅寸前までいってたことも鑑みると、サピエンスに取り込まれてブラックマスタードの研究はできなくなる。それでどうやって医療の発展になるんだ? 人類のことをもう少し考えろよ」

「そんなに言うなら法律を変えてみたらどうですか? 現行法でそれを行っても、略取・誘拐や殺人の罪に問われますよ」

「お前さっき自分の意志で決めさせろって言ってたよな?」

「はい」

「腫瘍を摘出したら死んだ。因果関係はないから殺人罪じゃないって主張か? そんなことやりまくってたら業務上過失致死罪に問われる。捕まる覚悟のある医者を何人も用意する必要があるな」

「自殺してもらってから摘出すればいいんじゃないですか?」

「それでも自殺教唆に当たる可能性があるのと、臓器の摘出は遺族が拒めばできなくなる問題があるな」

「自殺教唆は解釈の分かれる問題ですね。それと臓器移植法五条によるとブラックマスタードは臓器に含まれないでしょう」

「だったら死体損壊罪になるじゃねぇか。お前が言ってることも法に従ってたらできねぇよ。どの道、法律遵守だとか倫理観だとか道徳感情だとか下らねぇこと気にして、ぐだぐだやってたら助けられる命がどんどん失われていく一方だろ。法律なんて無視しろ。実験医学の父、ジョン・ハンターだって解剖のために死体を盗んでいた。立派な犯罪だが、それで人類のためになるなら認められんだろ」

「興津さんのはナチのそれですよ」

「お前らがこの研究を認めれば簡単な話だ。協力しろ」

「無理ですね。法も無視、人権も無視、それについてくる人は少数ですよ。興津さんこそ無理言ってないで常識の範囲でどうにかできないか模索するべきですよ」

「二人の話は間違っている」

 ぼくは割って入った。黙して聞いていたが我慢がならなかった。ぼくよりも年上の良識のある大人が、法律まで持ち出しているというのに、レグルスの子の生死について、まるで間違った答えを出そうとしている。

「二人は人の命を軽く見すぎている。人殺しも自殺も、どんな条件であっても許してはならない」

 例外的に認められていいとしたら、病に苦しんでいる患者が自らの死を望み、医者から許された場合のみだと、ぼくは思う。それ以外の場合は、倫理的にも道徳的にも厳しい姿勢であるべきである。

「アンク君。それでも、人類のために死を選ぶ人を止める訳にはいかないんじゃないか?」

「いえ、ぼくなら止める。例えば、自分の家族が死のうとしていて止めない人はいない。身内にするならば、見ず知らずの他人にもそうするべきだ」

「あーそうかい、そういう綺麗事言うように育ったのか。だからフォックスを差し向けて来た訳だ」

 興津はどうやらぼくがフォックスと繋がっていると思っているようだ。けれど、そんな事実はないので、おそらく小西の仕業だろう。彼からすれば、ぼくたち兄弟は全人類自殺計画の邪魔になる上、このことが露見すれば争いになる。まかり間違って国家間の戦争に発展すれば、自殺者は減ってしまう。

 ぼくは特に否定をすることなく、遠藤に話を向ける。

「自由意志による自殺がいけない理由を話そう。それは、本当に自由かどうか分からないからだ」

「さっき言ってた自殺教唆になるんじゃないかってことだね」

「大人になったときに、ある人が現れてこう言う。『お前が死ねば、何百人の命が救える』。彼はこの一言だけで思い悩む。事が大きいだけに切実だ。それで死ぬことを決意したとしたら、これを伝えた者が殺したようなものだ。生きる選択をしたならば、常に悩みを抱いて生きることになる。それはあまりに可哀想だ」

「自分のことくらい知っておくべきだと思うな。それで死ぬようなら、彼の選択じゃないか、アンク君」

「それは間違いだ。彼の選択に見えるが、その実、環境に左右されている」

「誰しも環境に左右されるものだよ。誰からも、どんなことからも影響を受けない人間はいないんだよ。どんな選択も外部の影響は排除できない」

「それは自由とは呼べない。ただの運だ。たまたま貧乏でお金が必要だったから死を選ぶかもしれない。たまたま病に臥せっている家族を持っているから死を選ぶかもしれない」

「それは外的要因が強すぎるんじゃないかな。純粋な正義感で他者のために死を選ぶことを否定はできない」

「外部の影響は排除できないのなら、純粋な正義感など存在しないのでは?」

「外的要因が全くない状態なんてのはないからね。そこまで行くと机上の空論だ。だけど、現実的に人は自分自身のことを自由な存在だと思ってるし、自分の行動は自分が選択したと信じてる。それを、君は外的要因でそうなっただけだとか言ったらそれこそ可哀想だね」

「それなら、より現実的に考えてみよう。『お前が死ねば、何百人の命が救える』なんてことを伝えるということは、死んで欲しいという意志があるということだ。この人物が一言だけで済ませるか。いや、死に追いやるだろう。子どもの頃から他人のために犠牲になることを美徳として教え込むかもしれない。単純に死ぬことを迫るかもしれない。このように強要されて選んだ道は、自発的とは言い難い」

「強要はよくない。その通り。強要させないような環境を作り上げれば良いんじゃないかな」

「空気の醸成は無意識的に行われる。無意識化の強要の発生は避けられない。それに、一つの自殺を許容すると、他の自殺が増加する。サピエンスの間でも利益になるから自殺をしろといういじめが増えるかもしれない。意味がある死は認めちゃいけない。死というのは自然の摂理であって、人工的であってはいけない。人は死んだ方がいい人間と死んでもいい人間というものを想定してはいけない」

「ブラックマスタードの利益のがデカいならいいじゃねぇか。そんなの」

「黙れ、ユーティリタリアン」

「あ?」

 遠藤との会話に興津が割り込み一触即発の空気が流れる。自殺者の増加を「そんなの」で片付けられては話にならない。

「レグルスが周知の事実になっている場合を想定している? そうする必要はないよね」

「秘匿してもいずれは露呈する。各地で奇跡が連発すれば、今の社会ならばすぐに情報は拡散されることは想像に難くない」

「やれるか分からないけど、国が主導で管理すればいい。事実を伝えるのも家族がやったりしてもいいし、書面なら余計な情報はカットできる」

「たとえ国や家族が機械的に事実を告げるのだとしても、人が死ぬかもしれない事実を突きつけるのは間違っている」

「まったくその通りだぜ」

 興津が言う。

「こんな馬鹿な話はねぇな。遠藤の言う話は粗がありすぎて現実的じゃない。中途半端にそんなことをやっても結果は得られない。それだけならまだいいが、自由を認めるってのは日本以外の国にも行けるってことだ。いいのか?」

「それの何が問題なんですか」

「俺と同じようなことをやらないとも限らないだろ。だったら、この国で極秘裏にやった方がまだましだ。俺は全人類のために研究するが、別の国のお偉方は国の繁栄のためにしか動かないだろうしな」

「国のためでも全人類のためでも、犠牲を強いるやり方はするべきではない」

「じゃあお前肉食うなよ。牛豚は良くて人間に似た生物は駄目な理由があんのかよ」

「さっき言った。世相が乱れる。生きるために殺す、生きるために食べる、しかしその中に人間が含まれないのは当然のことだ。社会の維持と忌避感によるところが大きい」

「だから、人間じゃねぇって」

「それなら、どこからが人間だ。ぼくも人間ではないのか。半分レグルスの血が入っているぼくは殺される対象か?」

「そんなの分かりきってることだろ。成人まで何しても死なねぇのがレグルスだ。そいつらは化け物なんだよ。害獣だよ。血を残すために近親交配を繰り返してきた種族だ。それでもサピエンスのように遺伝子異常を起こすことはないんだからな。人類と似たような種族の人権がどうのって言って戦争になるのはSFでよくあるが――ロボットだとか猿だとかな――このまま解き放ってみろ、それが現実になるかもしれない。今だったらそんな戦争に発展しなくて済む。俺に任せてみろ、数年後にはみんなハッピーになれる」

「知性ある人間を殺すというのは自らを殺すことと変わらない。自分の心と身体を殺すのである」

「……将来は人権団体とか立ち上げそうだな、おめぇ」

「人権の話で言うのなら、人権を奪ったのはあなただ。ラーハム・ヴェレッドも、その両親も、日本国籍を所有しているはずだ」

「侵略から守ったってことだな」

「先程は絶滅するというようなこと言っていたはずでは」

「可能性の話だろ。絶滅したら平和の実現は潰える。増えたら戦争だって言ってんだ」

「しかし、増やしているのはあなただ」

「人類のためにな。言ってるだろ。だからなんだよ。お前らが余計なことして逃げたりしなければ戦争には発展しねぇよ」

「殺し合いには発展したようだ」

「だから話し合いに来たんだろうが。順序が逆だと思わねぇか? ひでぇ話だ」

「結局、小規模な争いには発展している。このまま話し合いで解決すると?」

「俺はそのつもりだが、納得できねぇなら仕方ねぇよな」

「仕方ないのではなく、諦めた方がいい。子どもたちを監禁することに関しては二対一だ」

「それもふまえて投票だな」

 三者はやはり合意を得ることはなかったため、投票に移行した。

 ぼくと遠藤では子どもたちを監禁することには共通して反対しているため、その点において、遠藤に票を合算することを持ち掛け、協力関係を築いた。興津はそれに異を唱えることはなかったので、投票先は二つに絞られる。

 興津は最後に、全人類のために研究が必要なことを訴え、ぼくは最後に、罪もない子どもを犠牲にしてはいけないと訴えた。ぼくの気持ちが伝わっていることを願う。

 投票は匿名でなければいけないため、グーグルフォームで簡単なアンケートを作成し、URLを配布して行われた。

 開票――結果は二票の差で興津が勝利。

「負けるかと思ったが、勝っちまった。ははは、面白い結果だな」

 不正を疑ったが、誰かが二回投票していることもなさそうである。遠藤と野合を組んだと思われたのか。ぼくの言い方が悪かったのか――

「俺に投降しろって言ったんだから、そっちも分かってるな。∃機関は俺らの研究を認めろ、黙認でもいい。アンクは自分の兄弟を諦めることだ。こっちももうお前には興味はない。好きにしていい。……こんな良い条件ないだろ。ありがたく思え」

 その後に起こったことを、ぼくは目で追えていなかった。だからよく覚えていないのだけれども、恐らくこういう事が起こった。遠藤が懐から拳銃を取り出して、興津に向けた。興津は後から拳銃を取り出した。遠藤が撃つ前に、興津が先に撃った。そうして遠藤の眉間に穴が空いて倒れた。と、こういった具合である。

 興津は生まれる時代と場所が違えばガンマンとして名を馳せていたかもしれない。

「約束を反故にすることが一番駄目じゃないか。なぁ?」

 耳がキーンとしていてまるで夢を見ているようだ。興津の右手には拳銃が握られていて、それがぼくの方に向けられた。銃口の仄暗い闇に吸い込まれそうになって――

 次の瞬間、ぼくは死んだ。

 最後に浮かんだのは妹の顔だった。この先、母親と仲良くやっていけるだろうか。そんな心配しなくても、スラミスなら大丈夫か。でもあいつ、結構人見知りするタイプだからな。どうだろう。ごめんな。お兄ちゃん、死んじゃった。もっと、生きたかったな……。


 ああ、生きたかった。今でもそう思うよ。

 今更過去を悔やんでも変わるものでもないからね。諦めるしかない。妹が目覚めて、元気に暮らせるならそれ以上は望まない。

 さてと、もう行かなきゃいけないみたいだ。

 呼ばれている気がする。

 最後に話を聞いてくれてありがとう。

 それじゃ。

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