三章 He who loves his life will lose it. ――ミスター・フォックス

「縛られてる奴の第一声ってよぉ、決まったことしか言わねぇんだよな。目的は何だーとか、お前は誰だーとか、誰の差し金だーとか、こんなこと許されると思っているのかーとか、大体こんなんだろ? だから最初から答えてやるよ。目的はあんたんとこの会社を調べること、依頼人はペイシタナトスとか名乗ってた若い男、許す許さないは……これ毎回思うが誰の許しが必要なんだ? 神か? 裁判所か? あー分かった分かった。今猿ぐつわを解いてやるから、そんな暴れんな。あと騒いだら痛めつけるからな、分かってるよな?」

「――た、頼む、殺さないでくれ」

「あーそれもよく聞く台詞だな。安心して良いぜ。オレはまだそんなに人殺したことねぇから」

「……何でも聞いてくれ。自慢じゃないが私の口は軽いんだ、ははは」

「よし、じゃあ聞くが、あんたんとこの会社で幼い子どもを監禁してるってのは本当か?」

「ああ、本当だ。地下に監禁してる。八人だ。年子で一歳から八歳までの兄弟姉妹。ちょっと変わってる子どもで、教育を受けてないから喋れないし日本語も通じない。ただ飼い殺しにしてるって感じだ」

「……あんた、怖いくらい口が軽いな。聞いてもないことをぺらぺらと……」

「なぁ、これだけ喋ったんだ。解放してくれないか」

「いや、それは困るな。ごめんだけど、オレがその子たちを救出するまではここで大人しくしててくんない?」

「救出? 地下には銃を持った警備がいる、無謀だ。やめとけ」

「まじかよ。だるいな、それ。まーなんとかなると思うけど」

「なんとかって――え、え!? なんで、私が、――」

「あー、あー、こんくらいの声かな。よし」

「どどど、どうやって私の姿に――」

 というわけで聞きたいことも聞けたし変形もできたわけだから小煩い中年男を絞め落として黙らせた。変形というのは文字通りで、一連の会話の流れからお察しの通り今やオレの姿や声なんかも現在気絶中の中年男と瓜二つになっている。この男のお母さんの前でどっちが本物でしょうというクイズを出しても外見だけでは見分けがつかないくらいの完成度だ。

 これは何も自画自賛というわけでもなく自他共に認める事実だ。現に件の児童監禁会社に大手を振って入り込んでも誰からも何も言われず、なんなら廊下ですれ違う従業員に軽い挨拶なんかをしても怪しまれることはなかった。

 そうしてオレは難なくその会社の地下に潜入した。

 地下は壁も床も目が痛くなるほど白一色の如何にも研究所で御座いって見た目だ。子どもたちを使って何を研究しているのか知らないが――知りたくもないが――科学者たるもの倫理観を捨てちゃあかんよな。

 オレは手当たり次第部屋を確認していく。ほとんど理科室みたいな部屋ばかりで子供がいそうもなくて、入ってすぐ出てを繰り返したばっかりに白衣を着た従業員に若干怪しまれた。中には霊安室みたいな場所もあって、ぐちゃぐちゃの死体が二体、裸の死体が一体、両手足が切断された死体が一体の計四体が安置されていて不気味だった。

 子どもたちの部屋は一つの箇所に纏まっていた。一人一人がペットショップ的カプセルホテル的に小さい箱に詰められている。扉を開けて出てこい行くぞって言っても通じないからカモンとか言ってみたが、ぼうっとこっちを見てくるばかり。どうしたものか。

 手をこまねいていると、研究者が駆け足で入ってきて何をしてるんだと凄い剣幕。うわ、これはやばいぞ、サスペンスの匂いだ、と呑気に思っていたらガスマスクを渡され手伝えって言われた。なんでも襲撃者が来て移送するらしい。こんなに好都合なことはないぜ。

 何人かで地下駐車場のトラックに子どもたちを運んで、さて、あとはこいつらをこてんぱんにノシてからトラックを掻っ攫っておさらばすればミッションクリアだ、とか思ってたら武装した集団が突如現れなんの断りも入れずに発砲してきた。オレの身体に銃弾がずぷっと、まるで池に小石を落とすかの如く入って、反対側に抜ける。スローモーションカメラで見れば皮膚が破けて血飛沫がでてそれらが一瞬にして体内に戻る様子が撮れただろうけど、人の目ではそれは捉えきれない。

「お前らよぉ……! 誰だか知らねぇけどよぉ……!!」

 怒りが沸々と沸いてきた。不意打ちを食らうと痛みが走るが、怒りの原因はそれではない。オレの身体には穴は開かなかったけど、トラックに穴が空いていた。

「子どもに当たったらどぉすんだよ!!」

 ついぷっちんきちゃって武装集団に向かっていって、ガスマスクの吸収缶を掴んで壁に叩きつけると、ヘルメットが豪快にぶっ壊れてそいつは気絶した。奴らはオレが誰だが分からずに撃ちまくるもんだから銃弾がオレを貫通して味方に当たりまくり、それを見て、撃ち方やめ、とか、フォックスだ、とか言いつつ全員が距離を取って銃を構えて警戒モードになるが既に遅く負傷者多数の悲惨的状況。その隙間から一人の男が出てきてヘルメットを脱いで自らのイケてる面を晒した。

「私たちは∃機関。君と敵対するつもりはない。子どもたちを保護しに来ただけなんだ」

 そのイケメンは清涼剤みたいな声でそう言った。

 それが本当ならそんなぽんぽん銃撃ってくんなって話だ。見ると既にトラックの姿はなく、地下駐車場にオレの舌打ちが反響する。

 遠藤と名乗るイケメンと連絡先を交換し、今回のようなことが起こらないように今後は協力し合うことで話がついた。完全に信用したわけじゃないが子どもたちが移送された先を見つけたら教えてくれるらしい。こいつらにとったらオレみたいのを使い捨ての駒として使えるんだったら願ったり叶ったりだろう。


    ⧠


 一連の騒動の後、オレは新宿区歌舞伎町に足を運んでいた。

 近頃、治安の悪い御家庭の御子息御息女がうぇーいしにこの付近に集まる傾向にある。そして近頃そういう輩を援助したり御両親を懲らしめたり殺したりすることがオレの趣味として定着しつつある。

 酔えもしないのに買った缶チューハイを片手にふらふらとネオン光る夜の街を闊歩していると、ホスト同士の喧嘩で人集りができていた。珍しくもない。何の気なしに見ながら横を通り過ぎようとしたとき、これまた珍しくもないが地雷系ファッションのメンヘラ地味た少女が人集りの中にいるのが目に留まった。少女は喧嘩をしばらく携帯で撮影してからその場を去る。ただそれだけのことになぜ目が止まったのかというと彼女の表情がどこか悲しげで憂鬱そうだったからだ。いや、もしかしたらそれは気のせいで単なる無表情がそう見えただけかもしれないが、オレのセンサーがビビビと警鐘を鳴らしていた。

 少女を尾行をしながらツイッターで検索をかけたところ、新宿での喧嘩の動画を上げてる地雷系少女のアカウントがすぐに見つかった。女楽白埜めらしらのというアカウント名で、全身コーデも上げていて、それを見る限りさっきの少女で間違いはなさそうだ。呟きを遡って見てみると家庭内暴力に対する恨みつらみと思われる文言が出てくるわ出てくるわ……。

 少女は寄り道もせずに高級住宅街という程でもないが都内の駅から然程遠くない住宅地の何の変哲もない二階建ての家に入っていった。

 オレも玄関からお邪魔させてもらう。鍵がかかってたから液状化して隙間からにゅるにゅると入って、そっから天井にへばりついてカメレオンのように自分の色味を変えて周囲に溶け込みながら移動した。

 帰宅して手洗いうがいをして飲み物を飲んで自室のベッドでスマホをいじって、と一見普通の十代女子と変わらないどころかむしろ育ちがいいまである。酒飲んだりタバコ吸ったりもなければ、自傷痕もなさそうだし、彼女の部屋には韓流アイドルのポスターが貼ってあったりメルヘン色の家具で統一されていたり熊のぬいぐるみがあったりと悲惨さは欠片もない。そもそも自室があるというのは恵まれている証左だ。

 これはそういう病みツイートをぶって書いているだけの思春期特有のあれなのではないかとも思ったが、普通の生活ができているからこそ暴力に屈しているパターンもある。

 その後、一時間もしない内に父親が帰ってきて、少女が夕食を作り、二人は黙々と食事を摂り始めた。食器の音しかしない様は、まるでBGMで盛り上げるという概念を捨てたつまらない邦画を見ているみたいで退屈だ。ちなみに周囲を探ってみたところ母親のものらしきものがなかったため父子家庭ということで間違いない。

 つまらない冷めきった夕食が終わってから二人は少女の部屋に入っていき、父親が服を脱ぎなさいと言った。あまりにも唐突だったため声が漏れかけたオレに対し、彼女は抵抗する素振りすら見せずまるで内科検診でもするかのように衣服に手をかけた。

 オレは急いで玄関まで飛んでいってインターホンを鳴らす。

「はい」

 父親が出た。厳かな声色なのはモニターに警察の姿が映っているからだろう。

「夜分にすいません。通報がありまして、ちょっとお話聞くことできませんか?」

 オレのガラッとした声が出力されないように気を付けながら柔らかでありながらも厳かな声色を作り上げる。

「通報? なんですか? ウチじゃないと思いますけど」

「すいません、一応決まりなんで、すいません。すぐ済みますから」

 父親が国家権力に屈して渋々出てきた。

 後ろに少女がいないことを確認して、口と鼻に液状化したオレの手を押し込む。呼吸ができなくなり藻掻き苦しみオレの手をどうにか引っこ抜こうとするがどうすることもできずに失神した。

 オレは父親に成りすまして家に上がり少女に、

「ちょっと外出てくる。今日はなしだ」

 と簡潔に告げて父親を拉致した。

 

「――っ、ん――」

「よぉ、やっと目覚めたか」

 廃ビルの一室、パイプ椅子に縛り付けられた変態親父が目を覚ました。まだ状況が飲み込めないのか怪訝な顔でオレを見てやがる。

「君は……? ……ここはどこだ? くそ、なんなんだ一体!」

「よぉ、あんたさ、自分の娘とヤッてんだろ?」

「それがどうした」

「そ、それがどうしただぁ? そういうことやっちゃいけないって知らねぇのか」

「一般的な倫理観を押し付けてくれるな。私は娘に愛されているんだ」

「愛されている、ねぇ……ツイッター見る感じ全然そういう風には見えなかったけどなぁ」

「ツイッター……? さては貴様、ストーカーだな! 娘に手を出したら承知しないからな!」

 まー確かにストーカー地味たことをしたことは否定できないが、実際娘に手を出している父親にそんなことを言われても呆れるばかりだ。

「一応聞くけど、反省する気はあるか?」

「何を」

「分かった」

 オレはこの変態にお灸を据えた。具体的にはグーで殴りまくって階段から落ちたって言い訳が通用しないくらいの顔面にしてやった。明日も会社があるなら顔の痛みに加えて周囲からの視線も痛いということになれば最高だ。

「さて、これ以上やられてぇか? もう娘に手を出さないって誓えば、やめてやってもいいぞ?」

 大抵の奴はここまですれば嘘でも反省の色を見せるが、こいつは悪びれもせず折れた歯をぺっと吐き出してオレを睨んできた。

「おいおい、なんだその反抗的な目は。死にてぇのか? 殺しちゃってもいいんだぜ?」

「私のイケてる顔に嫉妬してこんな仕打ちをしているんだろ。娘は君じゃなく私を選ぶからな」

「はぁ?」

 この父親は鏡を見たことがないのかそれとも男性俳優とかを見たことがないから自分より上を知らないのか、お世辞にも格好いい部類ではないのに尊大なナルシズムを見せつけられてオレは胸焼けしそうだった。

「こんなことをして罪の意識はないのか」

「自分の罪を棚上げにして人を批判すんなよ」

「棚上げにしているのはどっちかな?」

「あ?」

「人様の家庭のことにずけずけ踏み込んだ挙げ句、暴力を振るって自分の意見に従わせようとするその精神性、あまりにも傲慢ではないか」

「いや、傲慢なのはそっちだろう」

「傲慢の話で言うなら父親の求めるものを与えない娘は傲慢じゃないか」

「やっぱりあんたのが傲慢じゃねぇか」

 こいつは殺さないとダメかもしれない。とりまいつものように自殺に見せかけて殺して遺産相続させる流れかな。

 ブラウン管テレビのように殴ったら良い親に戻ることも稀にあるんだけど、ほとんどの場合は親子を引き剥がして子どもを施設に送ることになる。強権的に施設送りに反抗する場合や子どもが生きるのに迷惑になる親は殺しちゃう。極論言えば子どもを産んだ奴は人としての役割を終えていて、子を育てるのだって金さえあれば別に託す手段はありふれている。そういった手段より親の元で育つ方がいいとは思うが、それは良い親の場合に限るよな。

 両親がクソってほど最悪なことはないぜ。嫌いなやつの遺伝子を受け継いでんだから下手したら自分まで嫌いになっちまう。そうなったら最悪だ。

 

 朝になって父親のフリをして朝食をいただきつつ少女の反応を窺っとこうと思ったら、朝食が用意されなかった。まさか朝は父親が作る手筈になっているのか。少女は何も言わず食卓についている。適当にハムエッグを作って提供してやった。頂きますをしてオレは食い始めたが、少女は動きを見せない。物言わぬその姿は人形のように可憐だ。

「どうした、食わないのか?」

「……」

「おい、無視するな。なんとか言ったらどうなんだ」

「……あなた、誰?」

 空気やミネラルを含まない透明な氷のような声で少女は呟いた。

「……いつから気づいていた」

 変形を解いて質問。

「最初から」

 知らない奴が父親の姿して朝食作ってるのをどんな気持ちで見てたんだ、この娘。

「まー食えよ。変なものは入れてないから」

 そう言うと少女は一口食べた。小さな一口だ。

「オレは巷でミスター・フォックスって言われてる。名前は?」

「女楽白埜」

「それはネットネームだろう」

 確か表札は女楽じゃなかったはずだ。

「女楽白埜」

「分かった、じゃあ白埜。こうなったらぶっちゃけるが、父親との生活はどうだ?」

「どう、とは」

「父親との関係をオレは知ってる。望むなら良い施設を紹介できるぜ」

「望み……私に望みはないから」

「そんなことないだろう。施設が嫌なら一人暮らしでもいいけど」

「私に意志はない……正確には私の意志は私の意志で否定されている」

「そりゃどういうことだ?」

「自分の内側に相反する考えが遍く事柄に混在している状態」

「……もっと分かりやすく具体的に言うと?」

「例えば私がお金が欲しいとする。お金があれば困ったときにそれで解決できる。でも、私の頭には同時にお金を欲してはいけないという考えが浮かぶ。お金に執着するとより大切なものを見失う。そしてお金に執着をしない程度に欲すれば良い、執着しない程度という曖昧なものに頼ってはいけない、などと続く。否定の否定の否定の否定――延々と続く否定があらゆる欲望、あらゆる倫理、あらゆる物事で発生し、私は何もできなくなる。だからそうなってからは他人の命令に従って生きてきた」

 それで唯々諾々と父親の言うことを聞いていたのか。そんな人生はあんまりだ。

「だったら、始まりの感情に生きてみたらどうだ?」

「始まりの感情……?」

「衝動的に思うことがないわけじゃねぇんだろ? ぱっと思いついても、それを脳内で否定しちまうんだったら、あとから否定してくる考えを無視してみたらいんじゃね?」

「そうした方がいいの?」

「いいんじゃないか。他人に自分の人生握らせるよりかは」

「なぜ?」

「なぜって……エレンコス事件の被害者みたいなことを言うなぁ」

「被害者だもの」

「……まじかよ」

 親父に虐待された上にあんな事件にまで巻き込まれているとは、まるでオレみたいだ。

「……いいか、生きるってのは欲望的でいいんだ。食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、欲望の赴くままに生きる。他人に全権委任してたらやりたいことができないだろ?」

「やりたいことなんて、私にはない」

「好きなものとかはあるだろ?」

「ない」

「ファッションだって、自分で選んだんじゃないのか?」

「違う」

「ツイッターは流石に自分の意志でやってるだろ?」

「ツイッターなんてやってない」

「……部屋にポスター貼ってたろ。好きなアイドルがいるんだろ?」

「ポスターなんて貼ってない」

 矛盾点というか趣味的なことは認めたくないのか? まぁあんまツッコんで訊くのはよしとこう。

「やりたいこと……というかやって欲しいことは、ある」

「お、いいね。なんでも言ってくれ、オレが叶えられることだったらなんでもしてやるよ」

「私を殺して」

 なるほど、これはかなり病んでる。

「それはできないな」

「なんで」

「時期尚早だからだ。やりたいことが見つからない状態ってことは疲れてるってことだ。疲れてるのに考えを巡らすな。5%以下の充電で必死にカメラ開こうとしてるようなもんだ。そういうときは充電するよな、普通」

「これは私の性格の問題。好転する可能性は薄い。あなたが始まりの感情に生きることを提案した。私は死にたい。だけど、それを否定する考えも私の中にあって、行動できない。だから、殺して欲しい」

「いいや、だめだ。つーかそんなんが始まりの感情な訳あるか。辛いことに目を向けるからそんなん思うんだ。まずはそこから逃げなきゃだめだ。それからでも遅くない」

「サロメみたいに踊るから、それが良かったら殺してくれる?」

「サロメってなんだったか、ファム・ファタール的なあれだったか? なんでそれが関係すんだよ」

「だって狐でしょう?」

「……まぁとにかく、オレはお前を殺さない。殺す訳ない。死にたいんだとしても、生きろ。てか自分で死ねないなら、生きる他ないだろ。でも安心していいぜ。もう親父からは解放されたんだ。未来は明るいぜ」

 オレがそういっても白埜は湿気た面を明るくさせることなくいつまでも憂いの具現化みたいな態度を崩さない。

 ……ったく、なんだってんだ。親父からは解放されるっちゅーとんのに。

「…………オレもよ、幼い頃に虐待に遭っててよぉ。親父が勤めてた会社が潰れて無職になって、母が早く働けって言ってよく口論になってたんだよ。そんで、お互い働きたくないからって子どもで稼ごうって結論になって、可愛い服着させられて、まず親父に犯されたわけ。その次からはキモいおっさん連中に金で買われたんだ」

 それが一年ぐらい続いた後にエレンコス事件に巻き込まれ、そんな家だったけど監禁されるよりはましだと思って必死に抜け出そうとしたら身体がおかしくなって、そのおかげで扉の隙間から脱出できて、帰宅したら心配も歓迎もされなくて気づいたら殺してた。初めての殺しにビビりまくって動転して、オレは両親を食っちゃったんだよなぁ。

「でも、今は元気にやってる。オレがこんなんなんだぜ? だから大丈夫だ。生きてりゃ良いことある」

「月並な台詞……」

「月くらいでっかけりゃ十分だろ」

「……」

「とりまムズいだろうがあんま深く考えず気ままにやってったら良い。あとは自分を信じる力をつけないとな」

「自分を信じる……?」

「そうだ。自信がないからあれこれ思い悩むんだ。それに思い悩んでも自信があれば自分なりの結論を出せる」

「どうすればいいの……?」

「そうだな……まずは映画館でも行くか。黙って映像見てるだけでいいから楽だろう。映画は好きか?」

「分からない」

 まーこんなすぐに好き嫌いをはっきり表現できないか。


 オレは白埜を映画館に連れ出し、その後カフェに来ていた。店舗の前の丸テーブルに腰掛けて注文を待つ間に感想を言い合う。

「やっぱDolby Atmosは最高だな。立体的で繊細な音、音の迫力、64chは伊達じゃない。極爆音響の音が空気圧として響いてくるのも、LIVE ZOUNDのそれこそライブのような音楽の鳴り方も好きだが、やっぱDolbyだな――いや全部好きだけどね! デカい音ならもうなんでもいい! きっと今後音の良い映画館はもっと増えるぜこりゃ。近いから新宿の映画館に来たが、今度は有楽町に行こう。そこに最近Dolby Cinemaができたんだ。本物の黒が見れるらしいぜ」

「映画の感想じゃなくて、映画館の感想ばかり……」

「でも良かったろ」

「……うん。画面も大きくて迫力あった」

「ああTCXだからスクリーンサイズも大きめだったな。スクリーンも音もこだわりたいならうってつけだ。そういやスクリーンのでかさなら最近池袋に日本最大のができたってな。アスペクト比が1.43:1だから全編IMAXの映画を見るときには最適だ。今までそのサイズは大阪にしかなかったから東京に来てくれて助かるよなー。これでノーラン映画を上下切り取られてない状態で見れるってもんだ」

「……」

 おっと、オレばかり喋っててもしょうがないな。

「映画館の感想はこのくらいにして、映画を見て率直にどう思った?」

 映画は恋愛映画で、惹かれ合う男女が中盤に二重人格のもう一人の自分だということに気づいてしまい女は絶望して男を避けるが男はそんなの関係ないと追いかけ回し、終盤にはお互いが付き合うのだけれどそれのせいで人格が統合されてしまうというバッドエンドな映画だった。

「……気持ち悪かった」

「気持ち悪い? どこが?」

「自分を愛してるみたいだから……」

「あーなるほどね。自己愛がキモいと。まー確かに女の方が男を避けてたのもそういう理由でもあったっぽいしな、わかんなくもない。でも、いいじゃんか、自分を愛しても。生きていくには一番必要なスキルだぜ?」

 そう、と短く答え、遠くを眺める白埜。視線の先には自分の心があるような目だ。

「映画は登場人物もその世界も全てに意味がある。作者に意味を与えられている。でも、現実の私たちにはそれがない。だから意味を探し求める。短い人生で意味を見つけられないこともあるのに、みんな必死に探す。それがあまりに憐れで惨め……」

「意味が与えられてたら自由なんて言えないだろ」

「でも意味がなければ悲しい……。本来淘汰されるべき私みたいな弱者を、社会は受け入れるように変革されて来た訳だけど、それは果たして救いだったのかな……」

 白埜は物憂げに映画の感想というよりも自信の悩みのようなものを口にした。実際に映画を見てそう思ったのなら別にいいのだが、あまりこう悲観的なことを言っていると心配になる。エレンコス事件の影響かそれとも彼女の性格ゆえか、とにかくオレはもっとハッピーな話題の方が好きなんだ。でも彼女なりに始まりの感情を発露させようとしているのなら無理やり止めるのも忍びない。できる限り自然にそっちの方向に誘導してやろう。

「俳優とかはどうだった? オレはしないが、俳優目的で映画を見る人も多いみたいだからな。好きな俳優とかいたか?」

「いや……」

「そもそも好きな俳優とかいるのか?」

「いない、かな……」

「じゃあ好きな有名人は?」

「いない……」

 ハッピーな話題への転換はそう簡単には行かず失敗に終わった。白埜は依然、悒々として笑顔を見せることはない。

 カフェの後に食べ歩きをしたりウィンドウショッピングをしたりしてもそれは変わらず、オレはいつしかこいつを笑わせたいという気持ちになっていた。せめてマックのバイトの面接に行っても落とされないくらいにはさせてやる。

 日も沈んだ頃、オレらは新宿サザンテラスにいた。植木にはゴールドのLEDが装飾されていて、闇夜を照らすように金色輝く世界が広がっている。見上ぐれば時計塔。紫、橙、赤の色が暗黒の空を背景にライトアップ。時刻は八時になろうとしている。

 幻想的なその中をタピオカミルクティー片手に練り歩くオレら。白埜は相変わらず憂鬱そうな顔で電飾を眺めながら言った。

「人はなんで光を有難がるの。人はなんで必要もない飲食を楽しむの。人はなんで自分とは関係ない物語を見るの。現実でもないフィクションでも、心を痛めるの」

「そんなの当たり前だろ。楽しいからだ」

「なんで楽しもうとするの。この疑問は私の始まりなの?」

「さぁな、でもオレはそんな疑問が浮かばないくらいお前を楽しませてやるよ。今日が駄目でもこっからな」

「なんであなたは私に構うの?」

「そうしたいからだ」

 お互いの主張はずっと平行線を辿っている。これはもはや理性と感情の対決だ。オレの行動にそれらしい理由をつけることはできるが、結局のところそうしたいに帰結するしかなくてそれ以上の疑問の追随を許さない。

 さて、この勝負はどっちが折れるのが先か見ものだ、なんて思っていたら、

「でも、今日は、ちょっと楽しかった」

 白埜は振り返りざまに微かに笑ってそう言った。

 闇夜のイルミの中の、地雷系美少女の微笑がオレの網膜に焼き付いて離れなかった。


 沈んでいる。ゴポゴポと泡が上がっていき、揺れる太陽は遠のいていく。


 微笑に捉われていた意識が戻ると白埜の背後に斧を持った父親がいた。その斧を振りかざして白埜の頭が割れて脳みそが飛び散る。脳か血か、何かは定かではないがオレの口に何かが入ってきて鉄の苦味が口の中に広がった。

「おい……嘘だろ……なんで……」

 地面に突っ伏した白埜は動かない肉塊と化した。ただの価値のない肉塊であるから周囲から関心を寄せられることもない。往来の邪魔になるからさっさとゴミ箱にでも捨ててしまおう。


「……あなた、誰?」

「……いつから気づいていた」

「最初から」

 父親のフリをして朝食をいただきつつ少女の反応を窺っとこうと思ったら、席に着いた途端に正体を見破られてしまい変形を解いた。

「白埜。こうなったらぶっちゃけるが、父親との生活はどうだ?」

「どう、とは」

「父親との関係をオレは知ってる。望むなら良い施設を紹介できるぜ」

「どんな施設?」

「白百合の庭ってとこだ。いいところだぜ」

 白埜はただでさえ近い目と眉の距離を更に近づけて考え込む。

「こんなとこであんな奴とずっと過ごすのは嫌だろう」

「嫌……確かに嫌……だけど、本当にそれだけ?」

「それ以外あるかよ」

「あなたもそうだった?」

「オレ? オレの何を知ってる?」

 白埜は何かを思い出したのか顔を歪ませて取り乱した。

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い死んで欲しい吐きそう殺してやるでもほんとにそれだけ? 感じてた求めてたそんな事言わないで気持ち悪いやめてでも事実身体はうるさい! うるさいうるさい!!」

「おい、どうした! 落ち着けって!」

「死にたくなったことはない?」

 コマ落ちでもしたかのように落ち着きを取り戻している。

「……そうだな、なくはないかもしれないが」

「私、死にたい。苦しい。生きてても良いことない。どうして簡単に死ねないんだろう」

 オレは白埜を抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫だから。オレがお前の親父を懲らしめといたから、もう大丈夫だ。これからは別のとこで暮らすことだってできる。これからは好きなことができる。これからは生きててよかったって思えるようになる」

「無理だよ。逃げられない」

「そんなことない! オレが保証してやる! 絶対だ!」

「世の中に期待しなければ傷つくこともない。私は何も信じない」

「ダメだ、それは。まずはオレだけを信じてみろ。絶対後悔させない!」

「会って十分も経ってないのに?」

「時間なんて関係ない!」

 白埜の肩に手を置いて目を見て言ってやろう。確かになんでここまで熱くなっているのか分からなかったけど、オレはそうしたいからそうするだけだ。

「オレの目を見ろ。嘘をついている目に見えるか」

「嘘だよ。ほら」

 オレは白埜に夢中になっていてその背後にいた父親に気づかず、斧はまた振り下ろされてしまった。

 また? またってなんだ?


 普通の奴は刑務所に入ることを恐れて憎い奴を殺せずに関わらないという選択しかできないが、オレは有罪になっても逃げ切れる自信しかないから平気で人を殺せる。刑務所から脱走するのなんてお茶の子さいさいだし、いざとなれば顔を変えて生きていけば良い。現に今まで何人か殺してきたけど警察に捕まりそうになったことはない。

 太い柱が何本かあるだけのまっさらな廃ビルの一室で、椅子に縛られた男とその男を殺さんとする男がいた。前者は白埜の父親で、後者はオレだった。顔面を殴って殴って殴りまくっても拳が痛くないように硬質化しているために父親の顔面はみるみる内に形や色を変えていく。

「もう娘に手を出さないって誓え!」

「……くくく」

 凄んで脅したというのに不気味な笑いが帰ってきた。血だらけの顔面でよくも笑えるものだ。

「おい、今日のオレは気が立ってる。誓わないんだったら殺すぞ」

「あんたには無理だ」

 殺してやった。どうせこんな奴死んだ方がましだろうし白埜だって生きていて欲しいなんて思わないだろう。


 沈んでいる。揺れる太陽の日差しは遠く、深海の圧は胎盤の如き心地よさ。


 お待たせしましたという声とともに注文した料理がオレらの前に並べられた。皿の上に縮こまったサソリの素揚げが乗っている。

 食べようとしたらサソリが息を吹き返して逃げてしまった。しょうがないので食事は諦め白埜を楽しませる次なる娯楽へと向かう。

 場面は変わり新宿サザンテラスで電飾を眺めて白埜が言った。

「人はなんで光を有難がるの――」

 なんだろう。

 筆舌に尽くしがたい違和感が心中に漂い、その原因が何か判明するまでオレを放してくれそうになかった。オレの今の役目は白埜を元気づけることだというのに心ここにあらずなために白埜はこれまでずっと憂鬱そうな表情のままだった。

「ねぇ、なんであなたは私に構うの?」

「そう、したいから……」

「違う。あなたは若者を自分の過去と重ねてそれを手助けすることで自分が救われようとしている」

「確かにそうかもしれないがお前に言われる筋合いはない。ぶっ殺すぞ」

 なんだ、オレは何を言っているんだ。

「昔のあなたに戻ったみたい。結局、人は変われない。その方がお似合い」

 昔? 昔ってなんだよ!

「やっぱりお前は殺さないと駄目みたいだな」

 逆だろ。彼女を死なせないためにオレは……!


 幼い白埜が何かをやらかした。幼いオレはそれに怒っている。オレは白埜を殴っている。死んだ方がいいと罵声を浴びせている。お前が生きている方が迷惑だ。さっさと死ね。死なないなら殺してやる。きっと私は産まれない方が良かった。誰も私が生きていることを望んでいない。分かっているならなぜ死なない。オレはお前に失望している。お前がやらかす度にオレにしわ寄せが来る。まだ生きているのか。まだ死なないのか。死ね死ね死ね!


 オレが白埜と知り合ったのは今朝のはずなのにありもしない記憶のようなものが流れてきてアッパーを食らったときのように脳内が揺れている。頭にマイクロチップでも埋め込まれてしまったのか。

「オレらは……昔に会ったことがあるのか」

「……? 今日が初対面だと思うけど……?」

 さっきまでの辛辣な白埜はいなくなっていてイカれたオレの言動に怪訝な目線を送っている。居た堪れない……オレは何をしているんだ……。

 その時、白埜の背後に黒い影が現れオレは瞬時に白埜を突き飛ばした。なんでそうしたかは分からないがそうして良かった。背後にいたのは白埜の父親で危うく斧で殺されるところだった。

「っがぁっ……! ぁああ……!!」

 左腕が斧によって切断されて地面にボトっと落ちて、切断面からドロドロと血液が滴った。それを見て白埜が悲鳴をあげ、釣られるように通行人も悲鳴をあげ遠巻きから携帯を向け始める。

「なんで、娘を殺そうとしてんだよ……!」

 左腕をくっつけることもできたがちょうどいいからそのままにして悪態をつく。父親はそれには応えず斧を振り回し、避ける必要もないがひょいひょいと躱し、さらに抗議する。

「何が目的なんだ、何がしたいんだ! おい!」

 やはりそれに対する応えは貰えず淡々とオレの死を願って斧を振っている。

 オレはわざと躓いたふりをして後ろ向きに倒れた。奴にとってはこれほどの好機はないだろう。案の定態勢を整えられる前に素早い斬撃を繰り出してきて、オレの頭は綺麗に二つに割れる。それで奴は勝負があったと、後ろから見ていても分かるくらい油断した。

 そう、本物のオレは奴の背後にいた。今しがた斧が刺さったオレの肉体には既に魂はなく、左腕から作り出したもう一つの身体に、斬撃の直前に移していたのだ。

「――なに!」

 背後の気配に気づいたところでもう遅い。やつの顔面を掴んでぶん投げてやったらイーストデッキから落ちてしまい、ちょうど電車が来て跳ねられた。

「うわ……やっちゃった……損害賠償怖いから逃げよっと」

 頭が割れた肉体を吸収してから白埜の手を掴んでギャラリーのいる現場から逃げ出す。

「怪我はないか?」

「うん……」

「親父多分殺しちゃったけど、大丈夫か」

「平気。……清々した」

「ははっ! そいつぁ良かった!」

 そのまま夜の新宿をひた走り、気づいたら掴んでいた腕が缶チューハイに変わっていた。

「オレ、何してたんだっけ……」

 ああ、そうか。製薬会社に侵入して子どもたちを救い損ねてから酒を片手にふらふらしてたのか。オレの身体はアルコールを綺麗に分解しちゃって基本酔うことができないはずだけど、少しだけ頭がぼんやりするってことは酔ってるってことか?

「酔ってねぇよ!」

 酔っ払いの常套句を叫んでいたら珍しくもない喧嘩で人集りができていて、その中にいた少女が目に留まった。少女は喧嘩をちらっと見ると人混みに掻き消えていき、オレは居ても立っても居られなくなり追いかけていた。

 なんだか分からない衝動がオレを突き動かしていた。少女を早く見つけなければいけないという焦燥感に駆られている。

 道の先にその少女を見つけてオレは彼女目掛けて一直線に走り、知りもしないはずの彼女の名前を叫んでいた。

「白埜!」

 だがそれは全くの別人で、オレは小さく謝罪してまた走り出す。

 そうだ、彼女の名前は白埜だ。間違いない。オレはなんでかそのことを知っている。早く見つけなければ。どこだ、どこにいるんだ。

 オレは何をしてるんだろうって疑問も振り払って、夜の新宿を駆け回り、そうしてやっと見つけた。白埜の家の前、帰宅の直前でオレは彼女の腕を掴んだ。

「なんですか? 離してください……」

 白埜は困惑気味にオレを見ていた。

 なんだか余所余所しい気がするが、初対面なのだから致し方ないか。

「行くぞ」

「行くって、どこにですか?」

「ここじゃないどこかだ」

「意味が分かりません。警察呼びますよ」

「いいから、来いって!」

「なんでですか?」

「なんで……なんでって、ここにいないほうが良い気がするんだ。大丈夫、怪しいもんじゃない」

「十分怪しいです」

「あ……」

 掴んでいた腕は引き剥がされ、白埜は家の中に入っていってしまった。

 オレも家に入る。鍵はかかっていなかった。不法侵入だ。やめよう。いや、とめなければ。何をだ? オレはこの先何が起るか知っているのか?

 思考が細切れになっている。頭が痛い。まるで斧でかち割られたような痛みだ。そんなわけない。オレは無敵なんだ。

 白埜の部屋の前まで来てしまった。ドアが僅かに開いている。そこには白埜とその父親らしき人物がいて、父親が斧を持っていて、それを振り下ろして、白埜の頭が割れて、血が飛び散って――それからオレは白埜の父親を殺していて、白埜の死体が目の前にあって、白埜は顔の上半分がぐちゃぐちゃになりながらも、喋ってる。

「謙遜はしばしば履き違えられ自虐へと変貌し、蝕む中毒となる。やめられない。美徳が悪徳の手玉にとられることは世の摂理であり、目を伏せましょう。でなければ次はあなたが中毒者。自傷は生きようとする意志の回復なのだから、だからこそ忌むべきであると言える。産まれるというのは痛みを伴い、生きるというのは苦しいものだから、ありのままを受け入れる覚悟がないものには相応しくない」

 可哀想な白埜をオレは食べてあげた。

 美味しく平らげたあとは血塗れの現場がいつだって虚しい。


 溺れている。光差さない深海で息ができずばたばたと暴れ……。


 気づいたときにはそこに立っていた。壁も床も泥と錆で薄汚れていて、裸電球が点々とあるが光量が僅かしかないため薄暗く、機械の作動音が不気味に響くために薄気味悪い。天井から海水がぽたぽた漏れ滴り床に水が溜まり、ぴょんぴょんと飛び跳ねるカエルがいる。

 そこは海底の工場だった。

「八じゃなくて七にしましょう」

「七なもんか。八だ。八でいいんだ!」

 油で顔まで汚れている作業員らしき二人の男が言い争っている。壮年の男の提案を老年の男が否定している構図だ。そこに青年が加わった。

「ここはもう古いから壊したほうがいいですよ」

 青年の意見を他二人は否定する。暫くそのやり取りを見ていると老人がオレに気づいた。

「お前は……お前は黄色だ。黄色のレーンに行け。間違っても青のレーンには行くな」

 黄色のレーンに行けば良いんだな。

 指示された方向に行くと黄色のベルトコンベアと青色のペルトコンベアがあって、その上を箱が流れている。言われた通り黄色の方に流れている箱に飛び乗った。

 ガタガタ、ガタガタ――箱の中に小さく収まり運ばれていると両脇に吊るされた死体が現れた。かつてオレが殺した奴らだ。死体だから当然だが血の気がなくぐったりとしている。

 オレはそいつらの顔を一人一人確認してどういう行いをしたから殺したかを思い出していく。ほとんどが自分の子どもに対して暴力を振るっていたから制裁としてなぶり殺した連中だ。やはり慈悲をかける必要もない誰がどう見ても殺されて仕方ない奴らだな。

 さらに進んでいくと道が二股に分かれた。一方の先には身を屈めなければ通れない小さな門が、もう一方には難なく通れそうな大きな門が見えている。ベルトコンベアの幅も大きな門へと通じる方が広く分岐がしやすそうだったが、オレは小さな門に通じる方に進路をとった。体重を移動しベルトコンベアから落ちそうになりながらもなんとか流れに乗れた。

 身を屈めて門をくぐった先でベルトコンベアは途切れていて地面もなく、大きな穴が空いていて緑色の液体が溜まっている。対面を見ると青色のベルトコンベアが同じく穴に物を落とすように突き出ている。

 オレは落下して緑色の液体に飲み込まれ溶け合って意識を失った。


 目覚めるとそこは白埜の家の食卓で、右手の席に白埜、正面にその父親が座っていた。白埜は俯き加減で表情優れず、父親はオレに粘着質な目線を寄越している。

「なんで、二人とも生きてるんだ」

 白埜が父親に殺される場面も父親をオレが殺す場面もオレは記憶していた。

「二人に殺されないと死なないのだよ。だから殺してやりなさい。死にたいようだから」

「はぁ? 相変わらず意味分かんねぇ事言うな、あんた」

「父親に向かってなんだ、その口の聞き方は」

「誰に言ってんだよ」

「お前だよ」

「あんたの息子になったつもりはない」

「ああ私には息子はいない。娘だけだ」

「自分の発言省みろよ、おかしなこと言ってんぜ」

「何もおかしくはない。お前は女だったんだから」

「はぁ?」

「自分の元の顔を覚えていないのだな」

「元も何もこれがありのままのオレだ」

「違うな。自分の姿形を変えすぎて忘れたんだ。それとも元の自分が嫌いだたったのかな」

 オレが女? こいつの娘? 駄目だ、突拍子もなさすぎる。変態かこいつ。

「父親の顔も忘れたのか」

「……父親はオレが殺した。もうこの世にいない」

「じゃあミスター・フォックスくん、自分の名前は言えるかな?」

「……あんたに教える必要はねぇ」

「覚えていないだけじゃなく?」

「そんな与太話してる暇もねぇな。お前、白埜をこれ以上困らせんなら殺すぜ」

「殺せない。彼女が望んでいないから」

 彼女、と白埜を指す。白埜は面を上げて言った。

「殺す殺さないも何も、私たちは数年前に死んでいる。私は父親に殺され、それに怒ってあなたが父親を殺した」

 ――は?

「……待ってくれ。オレが白埜に会ったのは一二月二四日だ」

 その前日の夜に街中で白埜の姿を初めて見たんだ。

「あなたは覚えてない。その記憶を封印したから」

「封印? そんなんしてない。なんで封印なんてするんだ。やめろよ、白埜まで変な事言うな」

「ああ彼女は変なこと言ってるな。恥ずかしいんだろう」

 オレたちの会話に父親が割って入ってくる。恥ずかしいってなんだ?

「いや、恥というより、気持ち悪いのか。吐きそうなんだろう。否定したいんだ。否定がアイデンティティだって言うのに、自分の理想が自分のために尽くそうとしているのが、鳥肌もんなんだろう。キモイねぇ……行き過ぎた自己愛みたいなもんだ」

「何を考えているのかわからないけれど、勘違いしている。妄想で私を貶めようとしないで。私は事実を伝えているだけ」

 白埜はきっぱりと父親に向かって応えた。話の流れからオレが白埜の理想ということだろうが、そんな要素は微塵も感じられない。

「この際、事実なんてものは価値がない。己の主観のみだ。なぁ、フォックスくん、どっちが正しいと思う?」

「どっちも間違ってる」

 オレが女だったとか、白埜と旧知の間柄だったとか、二人の発言は尽くオレの記憶にはない。だから正解は別にあるはずだ。

「真相はこうだ。新宿の街中で白埜を見つけてストーキングして、そこまでが現実で起こったことだ。そっからはきっとまだ起こってない。オレは酒を飲んでたから……普段は酔わないが身体を変形させすぎて酔いが回ったんだろう。それで未来が見えるようになった。分岐した未来の可能性だ」

「非現実的……」

「それはあんまりな推理だ。がっかりだよ」

「二人してなんだよ。オレがそう言ってんだから間違いない。白埜は死んでもないし殺させない。オレはそんなの認めない。未来ではあらゆるパターンで殺されてたが、安心しろ。殺されない未来もあった」

「認める認めないの話ではないのだがね。君は相変わらず自分の思い通りにならないと気が済まないのだね。強欲だ」

「黙ってろ、色情狂」

 お互い睨みを効かせ、同時に卓を超えて殴りかかった。結果なんて分かりきっているのになぜ挑もうとするのか。一発だけくらってやった後は馬乗りになってタコ殴りにする。

「くはは……!」

 歯が折れて口から血を吐きながら笑う。

「イカレ野郎」

 殴る、殴る、殴る……こいつはいくら殴ればそのふざけた笑みをやめるのか。

 横からすっと白埜が包丁を持って現れたかと思うと父親の喉に突き刺した。

「なん、っで……」

 こればかりは予想外だったのか目を見開いて驚いている。

「ああ、そうか……始まりの感情というのは、悪手だったな……」

 また意味不明なことを言って絶命した。

「……白埜、大丈夫か」

 オレが不甲斐ないばかりに親殺しをさせてしまった。くそ……。

「これは、仕方のないこと……もう決まっていたこと……」

「なにがだよ」

「私はもう死んでいるから、忘れて……」

「忘れるなんてできるかよ。第一死んでるんだったらこれはなんだよ、訳分かんねぇ」

「人を殺してしまったことも、助けられなかった命も、私が許す」

「許すも何も、オレは別に――」

「もう殺さない方がいい。人食いもしてはだめ。罪というのは内からやってくるものだから……」

「罪って、だからオレは別に――」

「色々ありがと……」

「だから――!」

「バイバイ……」


    ⧠


「大丈夫ー?」

 綿あめみたいなふわふわと甘ったるい声がする。この声は誰だったか思い出そうとしながらゆっくりと瞼を開けるとそいつは目の前にいた。オレを心配そうに覗き込んでいる。

「ああ、大丈夫だ……」

 状況は把握した。オレは路地裏で缶酎ハイ片手に酔いつぶれていたようだ。そこに偶然出くわした内田飛羽が声をかけてきたと。

「こんなところで酔っ払ってないでたまには顔だしたら?」

 飛羽の後ろには中川二弥もいたようで鋭利な声が飛んできた。

「そうだよーみんな会いたがってたよ-パパ-」

「おい馬鹿、こんなところでそんな呼び方するな。パパ活だと思われるだろ」

 この二人の両親はオレがその昔お説教的なあれこれをしてその結果二人には白百合の庭に行ってもらうことになったという、そんな間柄だ。

「今、何時だ」

「八時だよー?」

「何日の?」

「二四日のだよー?」

 じゃあつまりあれか、製薬会社に潜入してから酒を飲んでそっから全て酔っ払って見た夢なのか? ……うーん考えてみると、白埜の家も廃ビルもカフェもホスト同士が喧嘩していた場所さえ朧気で本当にあった場所か定かじゃない。

「そうだ、しら……」

「んー?」

「いや、なんでもない」

 エレンコス事件の被害者だって言っていたから知っているかもと思ったが、白埜って言ったって本名ではないんだから分かるはずもない。

 ツイッターで検索を試みても、「女楽白埜」の検索結果はありません、「mela_cilano」の検索結果はありません、と表示されるばかり。

 二人に心配そうな顔で見られていることも構わず、オレはふらふらと白埜を探し歩いた。手がかりはないに等しいが、映画館や新宿サザンテラスなど覚えている場所もある。

 映画館に行ってみたが、二重人格の恋愛映画はやっていなかったことが分かるだけで何か思い出すこともなく、白埜はいない。

 朝の新宿サザンテラスは夜と違って殺風景に見えてどこか寂しげだった。ここだってオレが連れてきた訳だから白埜が一人で来るはずない。ああ、分かってる。こんなのほとんど意味がないんなんてことは、とうに分かってる。

 どうやって彼女を探せば良いのか……まさか本当に彼女は……いやそんなはずない、オレの言った通り未来なんだったら、早く助け出さないと……いややっぱり全部夢だったんじゃないか……。

 イーストデッキの欄干にもたれながら取り留めなく考える。目の前のSuicaのペンギン広場は工事中で、その下では度々電車が来てはスーツの人間がうじゃうじゃと降りてきていた。生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか分からなくなった類の人々だ。いっそああゆう連中を殺したほうがいいのではないか。

 いや、彼らは彼らなりに一生懸命生きている訳だし、社会のためになることをしているのだろうから、むしろ死ぬのは何をしているでもないオレの方ではないか。そもそもすぐ人を殺そうとするその精神性は社会にとって悪となる。白埜も人を殺すなって言っていたじゃないか。

 殺人というものは社会通念上または法律上否定される悪行だが、ほとんどの人間が場合によってそれを悪とは見ない。特にこと日本においては公の場で殺人を肯定する奴はいないが、殺された奴が悪人であったり殺した奴に暗い過去があれば幾らか同情的になり殺人も致し方なかったと思われる。仇討ちの文化も影響してるのか応報感情を国に肩代わりさせるという死刑制度が未だにあるくらいだから、殺人ということに対して罪に思わない民族性に違いない。オレもそうだ。世の中には死んだ方が良い奴ってのがわんさかいて、そいつらは法に殺されることなんてない。せいぜい豚箱に入れられて必死に働いている奴らの税金で飯を食う生活だ。ほんとはみんな分かってるんだ。だけど殺人が罪とされている以上、殺せない。だからオレが代わりに殺してやってるんだ。

 ただ、本当にオレの殺人は善だろうか。司法ですら何年もかけて裁判する割に冤罪があるわけだしオレの判断で人を殺すことは正しいと言えるか、いや言えない。そもそも法律の目を掻い潜っている奴ならいざ知らず、国に任せても死罪にならないからと人を殺すのは行き過ぎている。頭の良い人が考えた末に罪に対する罰が制定されているのだから、オレみたいな馬鹿が異議を申すのも違うし、変えるべきと思うなら政治家にでもなるべきなのだ。

 オレはとんでもない間違いをしてきたってことだ。なんでそれに気づかず、いや気づいていても無視してそれが正しいと信じていたんだ。なんて愚かな奴だ。オレは裁かれなくてはいけない。どうすればいい。出頭しようか。だが、逮捕されるかどうかは微妙なところだ。オレが殺したという証拠が出るだろうか。仮に逮捕されて、結構な数殺しているから死刑になるだろうけど、どうやってオレを殺すのだろう。オレはどうやったら死ぬのだろう。痛覚が刺激されたら反射で防衛してしまうオレの身体は死を経験することはできない。きっと寿命でしか死なない。不便な身体……。そう考えるとなんて悍ましい身体をしているのだろうか。消えてしまいたい。

 身体を分解して気体と化した。空に漂いながらそれでも不滅のオレは考えをやめない。

 ここに罪人がいる。罪を背負いながらのうのうと生きてあまつさえ更に罪を重ねることを考えている者がいる。オレは油断をすれば人を殺してしまいそうで自分が恐ろしい。なぜ今までそれに耐えられたのか、分からない。今は気体となって無害そうに振る舞っているが、考えが変われば世界の敵になる力を持っている。そんなのは駄目だ。だが駄目と分かっていることをオレは今までやってきたのだから自分が信じられない。

 よくよく考えているとオレのような存在は必要悪というのではないか。法律や倫理の限界で裁かれない悪を裁くというのは映画でもよくあることだし、それをヒーローと呼んだりもするじゃないか。であれば、罪人と呼ぶべきではないのではないか。何も無差別に殺してる訳でもないのだし、悲しむ者が出てくる善人を殺してる訳でもないじゃないか。

 ほら見たことか。すぐにこうやって自分の罪から逃げようとするじゃないか。駄目だ、駄目だ。さっさとどうにかしないとまた誰かが犠牲になってしまう。

 試したことはないが食わなきゃ死ぬんじゃないか。今のオレは餓死に期待する他なさそうだ。でもどうだろう、腹が減ったオレは粛々と死を待つことができるだろうか。空腹で人を食う怪物にでもなるんじゃないか。

 オレは罪人なんだ!

 誰か、誰かオレを殺してくれ――!

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