一章 Vanity of vanities, all is vanity. ――ルタ、リア

「ブラックマスタードって知ってる?」

 不意に思い出したかのようにテラが訊いてきた。

「スパイスのこと?」

「ううん、それじゃなくて、これくらいの小瓶のヤツ」

 テラは消しゴムを手にして見せる。

「最近出回りだしたとかで、黒いのとか、BMとかって言われてるみたい」

「危ないクスリの話?」

「いや違うよ。聞いたことない?」

「全く。何なの、それ」

「願いが叶うんだって。どんな願いでも」

 顔を僅かに近づけて、こっそり言った。

 そんな風に言わなくても、朝のHR前で人は疎らで、窓際後方の私たちの周りに人はいない。それに明日から冬休みということもあり、教室内はいつも以上に賑やかだ。

 聞かれる心配もない。

「それはどうするの、小瓶を手に持って願い事を言うの?」

「なんか中に水が入ってるらしくて、それを飲むんだって」

「……なんだかミスマッチな話ね」

「でもすごいよ。噂によると、金が欲しいって願った人は商才が出始めたとか、好きな人と付き合いたいって願って告白したら付き合えたとか、試験前に飲んだらやばいくらい暗記できたとか」

「それって因果関係あるか微妙じゃない? 思い込みなんじゃないの」

「ま確かにプラシーボっぽいね。でもそれだけじゃないよ。先天性の病気が治ったとか、性転換して子どもが産めたって噂もあるよ」

「それが出回りだしたのは?」

「今月からだと思うけど?」

「じゃあ幾ら何でも子どもの噂は尾ひれでしょう」

「でもほら、火の無いところに煙は立たぬって言うし」

「根も葉もなくても火が立つこともあるのよ」

 そう言うとテラは膨れて口を尖らせた。

 池田天愛いけだてらとは七年前からの付き合いである。七年前、拉致監禁された時に知り合った。

 特別友人を作ろうとしない私にとって、親友としてのポジションを維持している稀有な存在だ。

 風貌はギャルに近い。学校の指定すれすれの茶髪で、ノンホールピアスをしている。若者言葉を使い、誰とでも分け隔てなく接し、いろんな部活に顔を出すようなタイプなこともあり交友関係が広い。また、流行に聡く、情報の取得が速い。その上、彼女はこの世の娯楽を味わい尽くすことを人生の目的にしている節がある。

 だから、テラからこういう話を聞くことは珍しいことではなかった。

 ただ今回の話は中でも飛び切り変な話だ。

「ルタは興味ないの?」

「ないわね」

「叶えたい願いもない感じ?」

「そうね。願う暇があったら、行動して自ら願いを成就させる系女子だから。テラは叶えたい願いとか……あー、そういうこと?」

「いや使わないよ。それはなんか違うと思うし。ただ面白そうだなって思ってるだけ」

「いい? 噂っていうのは、人の悪意とか受け狙いとかで話が盛られたり、人伝に間違っていくものよ。それにその話はあまりに都合が良すぎる。そんな得体の知れないものに手出さない方が身のためよ」

「まーそうだね、人が失踪してるみたいだし」

「詳しく話しなさい」

「これも人伝に聞いた話だからホントかどうか分かんないよ?」

「いいから」

「うわー興味の圧を感じる。すごい手のひら返し。手首大丈夫?」

「ええ。そのために二本あるから」

「絶対違うじゃん」

「被害が出ているというのなら、話が変わる。ただの噂話だと捨て置く問題じゃないでしょう」

「人攫いとかだと思ってる? 単純にそういうものに縋る精神状態の人が失踪してるだけとも考えられるけど」

「それで、具体的にはどういう話なの?」

「この話も、さっきのも漫研の先輩に聞いたんだけどね」

 私たちは三年生だから、先輩というと大学生か社会人などだ。卒業しても連絡を取り合う仲の知り合いがいるのか。

「その先輩の更に先輩の漫画家を目指してた人の話でね。その人、売れずにくすぶっててBMに手を出したんだって。んで一ヶ月くらい前に遺書みたいなの残して失踪しちゃったって」

「遺書みたいなの? 内容は?」

「そこまでは知らない」

「確かに、それはその人に原因がありそうだけれど……」

「そうだね。作風も暗かったし不自然ではないね」

「その人とも知り合いなの?」

「いや、その人とは面識ないよ。漫画は読んだことあるけど。グレゴール・ザムザ的不条理系漫画描いてたりしたね」

「失踪ってのはそれだけ?」

「うんや、うちらの学年でもBMに手を出した連中がいるんだけど、軒並み学校に来なくなってるんだよ」

「受験勉強に本腰を入れてるわけではなく?」

「いやそれが就職組なのに来てないのが何人かいるんだよ。隣のクラスのダブりの岩城とか、二週間は来てないって」

「二つ名的に言われても、知らないのだけれど。それは、家にも帰ってないのよね?」

「そりゃね。だから、BMを使ったら最後、枕元に現れて死ぬように誘惑されるって噂もあるって」

 そのオカルト的ファンタジー的噂はともかくとして、何人も失踪しているとなれば、事件に巻き込まれた可能性が高そうだ。

 BMとやらのモノ自体には興味はないが、学校が終わったら調べてみよう。

 ――そのとき。

 私たちは陰で覆われた。黒い動く陰。咄嗟に窓の方を見ると――

 それは一瞬だった。その陰には目があった。目が合った。陰は人だった。頭から自由落下する男子生徒だった。彼は笑っていた。目も口も三日月にして、穏やかで妖しい笑顔を浮かべていた。

 窓を開け、身を乗り出すも間に合わず。

 鈍い音とともに彼は人の形を損なった。

 遅れて、教室に悲鳴が響く。加えて、窓の方を見ていなかった者が、状況を把握しようとする困惑の声。みな窓に駆けつけて下を覗く。

 どこの窓からもわらわらと顔を覗かせ始める。

「さっき言ってた岩城だよ、あれ」

 私の隣で死体を確認したテラは冷静に言った。

「屋上行ってくる」

 私は短くそう言って、疾走し――秒で屋上に着いた。

 道中誰とも出くわすことはなかった。

 一見すると屋上には誰もいないように思われた。しかし、見回して気づく。塔屋の上に男子生徒が一人、何をするでもなく、空を見つめて立っている。これといった特徴のない顔立ちで、上履きを見る限りだと三年生だ。

「あの……」

「やぁ、おはよう」

 話しかける前に、彼は飄々とした挨拶をした。それはあまりにも日常的過ぎた。

「僕は小西汀こにしなぎさ。君の名前は?」

「……ルタ・フィアンマ」

 入学当初以来の自己紹介かもしれない。

 私は金髪の外国人ということもあって悪目立ちする。自意識過剰のようだが、同じ学年で私を知らない人は少ない。不登校か、転校生か、単純に社交性の薄い人間だろうか、とそこまで考えて、今するべきことを思い出す。

「あなた、ここにずっといたの?」

「ああ、いたよ。飛び降りるのも、見てた」

 彼は平然としていた。声色も動作も一切不自然さがない。こと今においては、それが不自然さを醸し出す要因となっている。

「その時のこと、教えてくれる?」

「教えることは何もない。ただ彼がふらっと屋上に来て、そして飛んだ、それだけだ」

「あなたはなんでここに?」

「空を見ていた」

「なぜ空を」

「空は……縛られているものの中でも純粋だ。そして美しい。だけど僕の敵だ。美しいものが必ず味方とは限らない」

「え、何?」

 滔々と述べられた意味不明な言葉が右から左に流れていった。

 私の戸惑いをよそにして、

「君は、どうして屋上に来たの?」

 質問の攻守が入れ替わる。

「人が落ちてきたからよ。他殺の可能性もある」

「じゃあ僕は容疑者だね」

 何が面白いのか彼は口角を吊り上げた。だが、目は笑っていない。

 私は飛び降りた人物の真上の位置を見た。それなりに距離がある。犯人だった場合、わざわざ急いで塔屋に登ったことになるだろう。現実的ではない。

「その可能性は低いと思うけれど――」

 言って、目線の先に、あるものを見つけた。

 黒い小瓶だ。飛び降りた彼が置いたものだろうか。

 小瓶には大きな白い文字でBMと、その下に小さな白い文字でblack mustardと印字されている。

 ブラックマスタード……テラに聞いたばかりで、それを手にすることになるとは……。

 中には丸められた紙片が入っていた。私は指紋をつけないようハンカチでそれを取り出して広げる。


 遺書。これを読むあなたへ。今一度、考えてほしい。生きる価値がこの世にあるのか。わたしは、いじめを受けていた。いじめられた友を助けたことにより標的にされたのだ。それだけであればよかった。それだけであればわたしは絶望せずにいられただろう。助けた友から罵声を浴びせられたのだ。彼はそれにより暴君らに気に入られたようである。彼はわたしの価値を下げ、自らの価値を上げることに成功した。世界はそんなものなのだろう。思えば、この世界は心からの善意を偽善と罵る社会だったではないか。正義を標榜する者は寒い目で見られる社会だったではないか。しかし、正義の心のもとに悪を甚振る行為ばかりは目立つ社会だったではないか。この地上に生きるほどの価値が見いだせない。はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。


「君は、何をしているんだ?」

「――びっくりした」

 いつの間にか、小西が私の背後に来ていた。

「綺麗な髪だ。フィアンマだっけ」

「そう、だけど」

「イタリア系の名前だ。それなのにブロンドなのは珍しい。地毛か? 触ってもいいかな」

「何言ってるの?」

「君の髪を僕の手で触れてもいいかって聞いたんだ」

「は? ……いや、それは遠慮して貰いたいのだけれど」

 気味の悪いお願いと遺書を読んだがために、嫌悪感と倦怠感が綯い交ぜになった感情が沸き起こっていたが、できるだけ平静に対応した。

「残念だ」

 あっさりと引き下がる。……一体なんなんだろう。

「まぁいい。それよりも君のことだ」

「何が?」

「質問しているのはこっちだ。もう一回言うよ。何をしているんだってそう聞いたろ?」

「あぁ、そう、ね……これ、遺書みたい」

 遺書をひらひらと見せる。

「違う。違うな。そのことじゃない。君は何をしているんだ?」

 黒く虚ろな目が私を射抜く。

 彼の意図が全く読めない。

「どういうこと?」

「さっきから疑問で返されてばかりだ」

「あなたの言ってることがおかしいのだもの」

「おかしいのは君だ。仕方ない。丁寧に言うよ。君は自殺を見て、他殺の線を考えた。そしてすぐさま屋上に駆けつけた。それで、今遺書まで読んだ」

「そうね」

「おかしいな。なんでこんなことをしている」

「なんでって言われても」

「見てみなよ。君みたいな生徒はいない。警察の仕事だからだ。一介の女子高生の所作ではない」

「言われてみればそうかもね」

「飛び降りた彼とは?」

「岩城って言うらしいけど」

「知り合い?」

「いいえ」

「君はこれからどうするの? 捜査を続けるつもり?」

「捜査なんて程のことでもないけれど……自殺なら調べるも何もないじゃない。それともこれは他殺だったって言うの?」

「いいや、紛れもない自殺だ。それは警察が証明してくれる。だが、妙な言い方だ。まるで他殺ならば捜査をするという風に聞こえる」

「それが?」

「君はそれが正しいと思っているわけだ」

「正しいか正しくないかで言えば正しいと思うけれど……さっきから何が言いたいのよ」

「君の動機が知りたい。何に突き動かされているか」

「動機ね。生憎そういうのは考えないようにしてるのよ」

「考える前に、行動していた、と」

「そうね」

「後悔はする? 君も過ちは犯すだろう」

「しない。後悔って過去に拘ってするものでしょう。少しばかりの反省だけで十分よ」

 一二月の冷たい風が、遠くから救急車とパトカーのサイレンを運んできていた。

「なるほど、君は自律的なんだね。君の道徳律が君の原動力なのか」



    ✗


 私は怒りを顕にしていました。頬は膨らんで、眉間には可愛くない皺が寄っています。

「これは怒っているのでしょうか?」

 鏡を前に悶々としているのが愚かに思えてきました。この惨めさも姉さんに原因があります。

 時刻は二時になろうと、短針を進ませていました。今日の学校は二限目で終了し、11時には帰宅できるはずだというのに、姉さんは未だ姿を見せません。一緒に昼食を、と思っていた私がお腹を空かせて待つことに耐えきれず、遂に独りで昼食をとったのが三十分前。文句の一言でも言おうと慣れない感情「怒」の練習をしていた次第でありますが、それも虚しくなり現在に至ります。

 困ったもので姉さんは事あるごとに余計なお節介をする質なのです。遅くなった時点でまたかと察しました。大方なにかしらの事件にかかりきりになっているのでしょう。先生からの頼み事などであれば私も安心なのですが、そうであれば連絡の一つもすると思われます。それがないということは、その余裕がない程の事件に関わっているということ。そう思うと多少の心配も湧いてきますが、姉さんが危険になることはないという自信も湧きます。

 私は姉さんのことをこんなにも思っているのに、姉さんは私を待たせるばかり。姉さんはどうせ待たせる身の苦悩など持ち合わせないのでしょう。そもそも、世の中どれほどの人が待たせる身で苦悩を感じるのでしょう。というか世の人々は待つ身と待たせる身、どちらの方が辛いと答えるのでしょう。誰かアンケートなど取っていないのでしょうか。私は断然待たせる身のが辛いと思うのですが。細かいことを言えば、状況にもよるでしょう。一人で待つか、何をして待つか、何を理由に待たせるか、誰を待たせるか、など条件は幾らでも考えつきます。

 そんなくだらないことを考えていると廊下の方から足音が聞こえてきました。

 私は即座に扉の横に移動します。

「ただいまー――あれ?」

 ちょうど扉の陰になって姉さんから私は見えません。姉さんは本棚やベッドの陰に私がいると推量したようで、背後ががら空きです。私はすかさず、後ろから抱きつきました。

「おかえりなさい、姉さん」

「ぅわ、なんでそんなとこにいるのよ。ちょ、ちょっときつい……」

 ぎゅーと締め付けてやります。これは私を寂しがらせた罰なのです。

「遅かったですね、姉さん」

「ん、まぁちょっとね」

「また、何かしらの事件に没頭していたのでしょう?」

「そうだけれど、それよりお昼食べた?」

「食べました」

 平然と話しながら、姉さんは私の拘束を解こうと力を入れています。当然私にも力が入ります。

「姉さんは何か食べたんですか?」

 白百合の庭では朝夕はみんなで食べることになっていますが、昼は学校給食がある子もいるため、それぞれ自由に食事を摂ることになっているのです。

「軽くね。紅茶だけ飲もうかな。リアは?」

「マルコポーロで」

「了解。じゃあそろそろ離してもらっていい?」

「3時間はこうしてます」

「長すぎる!」

「私を待たせた時間分は愛を注いでもらいます」

「いつからそんな愛に飢えたメンヘラみたいになったのよ」

「姉さんがそうさせたのです。責任を取ってください」

「悪かったから、ごめん、ごめんって」

「うぇさん、あいひてまふ」

 服に口をつけて喋ることによる攻撃。

「わ、っちょ生暖か! きもちわるっ!」

「姉さん、それはあまりに直接的な暴言です」

「いや、これは仕方がないでしょう!」

「ところで姉さん。成績の方はどうでした?」

 姉さんは引き剥がすことを諦め、引き摺りながら、紅茶の用意を始めました。

「まずまずだったわ、テストはリアのお陰で問題なかったから、いつも通り出席日数で評価が下がってたわね」

「シスターに怒られない程度であれば良かったです」

「おかしいわよね。引き籠もってるあなたが怒られないで私が怒られるなんて」

「私は家で勉強してますし、姉さんは事件があれば、あれれーおかしいぞーって学校行かずに事件を追っちゃうからです」

「ぐう」

「ぐうの音が出ているところ初めて見ました」

 と話している内に紅茶の良い香りが立ち始めました。

 白百合の庭の各個人の部屋には好きに物を置いて良いことになっています。私たち姉妹の部屋はシングルのベットが二つ、学習机が二つ、窓際に丸テーブルが一つと椅子が二つ、茶棚が一つ、本棚が一つ、小型冷蔵庫が一つといった構成です。茶こし付き電気ケトルもあるので、ティータイムを始めるのに時間は要しません。

「それで、今回は何があったんですか?」

 姉さんへの拘束を解いて席に着き、本題に入りました。

「今朝クラスメイトが自殺した」

 割りと驚きな一言目でしたが、私は相槌だけして、後を促しました。

「それで学校に警察が来て、知り合いの刑事から妙な話しを聞いてね。なんでも、ここ一ヶ月ぐらいで似たような自殺が四件あったって。いえ、正確には三件の自殺と一件の失踪ね。自殺の方法はばらばらだけど、現場には毎回BMって小瓶が置いてあって、その中には遺書」

 姉さんは言いながら私にスマホの画面を見せてきました。小瓶の写真です。

「この小瓶を調べたところ未知の物質が検出されたそうよ」

「未知の物質ですか」

「噂だと水が入っているらしいけれど、ただの水ではないってことね。あと、これらの情報は公開されてないから、似たような事例が立て続けに起きているってことは、自殺教唆かネット上の狭いコミュニティなどで情報が共有されているのか。それと、これら五件とも霊安室や病院から死体が消えたらしいのよ。だから組織的な面でも警察は捜査してるようね」

「消えた、というのは、遺体が盗まれたということでしょうか?」

「それかヴァンパイアになって目覚めて夜の世界に消えたか」

「歌舞伎町ですね」

「いや、そういう意味ではなく……」

 言いながら姉さんはスマホの画面をスワイプしました。

「それで、これ。遺書ね」

 姉さんから自殺者の情報を聞きながら、私は遺書に目を通しました。

 一人目は伊庭龍也いにわたつや。二十一歳、男性。大学を中退後、単発バイトで生計を立てていた。自殺かどうかは不明。遺書は次の通り。


 感動を失い、空虚が訪れた。世界が、白い。何事も私の心を揺さぶらない。幸福の追求を止めて久しい。あれほど追いかけていたのは本当に自分だったのか。過去の私との連続性がない。記憶の許しにより、辛うじて私は繋がれている。私は漫画家を志していたが、今はもう何故志したのかさえ判然としない。創作活動というのはどれも、先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。嘗てはそのことが私を狂わせた。私の描く漫画は悉く既視感があった。空虚からくる赫怒。私の漫画に似ている作品を嫌悪した。嫉妬や焦燥の中、ペンを走らせた。それで少しばかり私にも信者ができた。彼らは紛い物を有難がる愚鈍だ。賛美よりも酷評の方に私は共感し歓喜した。だが次第に酷評も私に痛痒を与えるようになった。どいつも私の酷評は超えられない。私は私の作品の最大のアンチとなっていたのだ。そしてそんな自分を更に嫌悪した。自他ともに殺傷性の高い私は、気がつくと、空虚だけに支配されていた。万物が虚構の仮面を脱ぎ捨て、白い裸体を顕にしている。あのときの激情は私から分離し、何処かへ行ってしまった。私はこの白い世界に溶けて行くのか。分からないし、知らないが、それもどうでもいい。

  

 二人目は中山允志なかやままさし。四十歳、男性。会社員。目を抉り出し、手足を自家製のギロチンで切断し失血死。遺書は次の通り。


 俺に続く者のための遺書。日夜テレビで不倫報道がされ、巷ではパパ活が流行り、性犯罪はなくならない。これらはすべて俺のせいであり、男のせいだ。俺の内なる欲望は俺の意図とは関係なく、俺はそれを捨てられずに困り果てていた。外を歩くことさえままならない。罪を重ねたくはない。特に夏は、目のやり場に困る。次第に俺の肉なる欲望は罪悪感を通り憎悪へと変貌していた。街中を歩く性的な連中め、お前らはマウントでしか生きられない哀れさに溺れればいい! 俺は他者から蔑まれるが、お前たちは羨まれる、この不公正さ! ……なぜだ。彼女らはただ歩いているだけなのに、なぜこの醜き罪のある男に憎悪されねばならないのか。嘆かわしい。俺はこの世界にはふさわしくない。これは俺だけではないはずだ。罪の誘惑に絡め取られている者よ。女を情欲を抱いて見つめる者はみな、心の中ですでにその女と姦淫を犯したのだ。もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。


 三人目は青山伶太あおやまりょうた。四十五歳、男性。引きこもり。電車への飛び込みにより轢死。遺書は次の通り。


 父さん、母さん、ごめんなさい。生きているときも、そして死んだ後もぼくはあなた方を傷つけていることでしょう。まず生きているときは引きこもって家族の輪を乱してごめんなさい。でも、ぼくは外に出ることができなかった。外に出ると、人びとの悪意に晒され、自分でしていることがわからなくなるんだ。自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしてしまうんだ。罪を犯してから、後悔することばかりだ。それなら罪を犯さないようにしようって思うのが普通だろ? だから引きこもった。でもそれも罪だったんだね。これに気づくのには時間がかかったよ。それで思ったんだ。僕の肉の内には善なるものが宿ってないんだ。なんでかって善をしようとする意志は自分にはあるんだけど、それをする力がない。善をしたいのに、したくない悪を行ってる。したくないのにしてるってことは僕の内側に悪が宿ってるってことだ。これは僕の善なる心と悪なる身体の戦いだ。そういうわけでこの肉体を破壊してくる。最後に、死んでごめんなさい。


 四人目は大江富貴おおえとみたか。五十四歳、男性。CEOだったが、自殺する数ヶ月前に解任されている。ビルの屋上にて裸で仰向けに倒れているところを発見される。死因は低体温症による凍死。遺書は次の通り。


 わたしの周りのたくさんの華。

 幸せを振りまく華。

 心を満たしてくれる華

 わたしの周りのたくさんの華。

 増えよと水をやる。

 輝けと水をやる。

 水をあげすぎて枯れてしまう。

 わたしの周りにはもう何もない。

 わたしはもとから変わらない。

 わたしにはない、華。

 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。

 また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。


 そして五人目が岩城寧人いわきやすと。十九歳、男性。今朝、学校の屋上から飛び降り死亡。

「どの遺書でも聖書が引用されているんですね」

「そうね。伊庭龍也は伝道者の書一章九節と一一節、中山允志はマタイによる福音書五章二八節と一八章八節と九節、青山伶太はローマ人への手紙七章一五節から二三節、大江富貴はテモテへの手紙一の六章七節、岩城寧人は詩篇五五篇六節をそれぞれ引用している」

「遺書の内容と関連した部分を引用して、自殺方法もそれに沿った形にしているようですが、次の自殺者を特定できる要素はなさそうですね。この五人に繋がりはあったのですか?」

「個人的な繋がりはなし。警察は宗教的な繋がりがどこかであったんじゃないかって見てるらしいけれど、家族や知人の証言では、特定の宗教には傾倒してないことが分かってる。ただ、五人とも家族との関係は悪くて、友達もいない、孤立状態だったみたいだから、その情報は古いかもしれない」

「エレンコス事件もそうでしたね」

「そうね」

 エレンコス事件……あれは、七年前の七月のこと。うだるような暑さに目を覚ますと、辺りは暗闇で何も見えませんでした。夢でも見ているのかと朧気ながら起きようとして、頭をぶつけたのを覚えています。私は棺桶のような箱に閉じ込められていたのです。ほとんど身動きが取れない狭い場所と暗闇で、私はパニックになりました。姉さんはどうだったのでしょう。姉さんは強いですから、動じなかったかもしれませんが。それから、どこからか機械的な音声が聞こえてきました。「なぜ生きる?」と。私は声に向かってここから出して下さいと助けを求めていました。馬鹿な話です。混乱していたのでしょう。その状況でそのようなことを聞く人が助け出してくれるはずもありません。質問に答えないでいると、同じ質問が繰り返されました。それは延々と続くのです。ようやくおかしいと感じ始めた私は、質問者が監禁の首謀者なのだと思い至ります。そして必死に考えて「幸せになりたいからです」と答えました。凡な回答です。すると「なぜ幸せになりたい?」と質問が続きました。それにも答えると、更に深掘りした質問が飛んできて、無邪気な子どものような、なぜなに攻撃が続くのです。その質問に答えれば助けがあると信じて、答え続けるしかありません。生きることに対する疑問を、体感で三日ほど浴びせられ続け、次第に思考が混濁としていきました。「生きる理由は」「生きる価値は」「生きる意味は」「どうして生きる」「どうして」どうして」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」――私は、何故生きているのか、分からなくなってしまいました。

 箱から出された後、違う拷問に移っていきましたが、誰が言ったのかこの初めの拷問内容からエレンコス事件と言われています。被害者は老若男女、数十名で、どなたも家庭環境に問題があるなど、比較的騒ぎになりにくい人物ばかりでした。実際、監禁は二週間にも及びましたが、失踪が相次いでいるというニュースもなく、関係者しか知らない事件となっています。

 白百合の庭には何人かその事件の被害者が入所していて、私や姉さんもその内の一人です。

「まぁなんとかするわ。人脈を辿るのは難しいとしても、完全に人脈がない人間っていうのはいないから」

「それなら私が――」

「――駄目よ。大人しく家にいなさい」

「普段は家にばっかいないで外に出なさいっていうくせに……」

「それとこれは別。危険かもしれないでしょ」

「じゃあなんで見せたんですか? そのためじゃないんですか?」

「それは違う。意見を聞きたかっただけよ。人が亡くなってる事件の調査なんて危ないことさせられない」

「姉さんが一緒なら危険はありません」

「信頼してくれてるのは嬉しいけれど、ダメなものはダメよ」

「幽霊っていうのは現世に長く留まることは稀です。霊体の状態で意識が覚醒しないことも多々あります。私が行ったところで何も得られない可能性が高い。ですが、ゼロではありません。可能性を上げるためにもすぐに行ったほうがいいです。そうすれば次の犠牲者を救えるかもしれません」

 情に訴える道徳心あふれることを、私は言いました。

 嘘はついていません。実際に亡くなった方にお会いできれば、事件の真相は直ちに分かることでしょう。それが希望的観測だとしても、救われる命があるのであればそれに懸けることはなんらおかしいことではありません。

 しかし、私は自分のその発言で良心の呵責を覚えました。

 はっきり言いますと、私は姉さんのような純粋な正義感は持ち合わせていません。理論上倫理上その方が正しいとしても、好んで事件解明に勤しむ主人公のような特質は私にはないのです。インドア派の私には安楽椅子探偵が精々でしょう。

 それでも事件解決が早まるのであればその方が良いという考えはあります。それは、姉さんが事件に関わってしまうから。私は、姉さんの手助けがしたいだけなのです。

「……ずるい言い方ね」

 姉さんは、もうわかったわよ、と投げやりに言うとカップの残りを一息に飲み干しました。私も続けて飲み干します。

 私たちは外着に着替え、エントランスまで降りました。私がシスターに出掛ける旨を伝えている間、姉さんは職員室の壁に貼られたバイク使用に関する用紙に自分の名前を書いています。これはバイクを使用する時のこの施設での決まりです。もっともバイクを使用できる児童は姉さんだけなので、用紙には姉さんの名前しかありません。

 施設内の駐輪場には黒光りするバイクが停まっています。ドゥカティのディアベル1260S、今年の夏に、白百合の庭の創設に携わった一人でもあるマクシミナさんという女性から施設に寄贈されたバイクです。バックレストも取り付けられているので、安心してタンデムできます。

「それじゃ、まずは学校に行くから。しっかり掴まってるのよ」

「はい、姉さん」

 こうして図らずも先程同様の格好で事件の調査が開始されました。


    ⧠


 最初に訪れた学校で、岩城寧人さんが見つかりました。

 彼は始めこそ記憶の混乱があり自身が既に亡き者であることを自覚されていませんでしたが、懇切丁寧に説明すると、特に取り乱すこともなく、現状を受け入れ、私に自殺に至る前の話を聞かせてくださいました。

「わたしはアンクファミリーという団体の集会に足繁く通っていた。その集会で、わたしはある男に出会ったんだ。男、といっても同学年の小西汀だ。一瞬誰か分からなかった。学校にいるときは無害そうで地味で影の薄い奴だったが……奴はそこではペイシタナトスと名乗っていたからな。後で調べたところ、この言葉には自殺勧誘者という意味があった。ふざけた名前だ。ともかく奴とは集会で何度か顔を合わせ、悩みを打ち明けるまでになった。奴はある時、小瓶を一つ突きつけてきて、『この中のものを飲めば苦しまずに死ねる。恐れもなくなるだろう』、とそう言ってきた。怪しい台詞だ。胡散臭いことこの上ない。平時であれば煙たくあしらっていただろうが、わたしはその時には既に自殺を模索していたから、それを欲した。たとえ言葉通りでなく騙されたとしても、これから死のうとしているのだから気に留めることではない。奴は下卑た笑いを浮かべて、渡す代わりに条件がある、と言ってきた。なるほど、汚いやり方だ。餌に食い付いたあとに商売を始めるとは。だが、無償で頂くよりも余程良い。財布を出そうとしたわたしを、けれど奴は制した。金は要らず、別の条件があるという。『このBMを飲み干し、その中に聖書を引用した遺書を入れてほしい』、とこうきた。不思議な話だろう。だが、特に断る理由も見当たらず、わたしはそれに従うことにした。聖書に精通していなかったために遺書には苦労したが、最後に文を認めて自殺するというのはなんとも趣深い心落ち着いた時間だった。結局BMとやらの効果は然程も感じられなかったのだけれども――」

 喋り終えると、彼は疲れたのか満足したのか消えてしまいました。


    ✗

 

「ここ、ね」

 マンションの前に着いた。

 とりわけ珍しいこともない中層マンション。エントランスを見ると、オートロックではない。

 バイクを路肩に停めて、マンションの中に入っていく。

「直接聞いて白状するといいですが」

「白状しなくても、リアのお陰で実行犯だってことはもう分かってるから、十分よ」

「いえ、運が良かっただけです。……でも、これって自殺幇助に当たるのでしょうか」

「その判断は司法に任せるわ」

 小西汀の部屋の前に着いた。

 インターフォンを押す。と、扉が開いて、角刈りの筋骨隆々な男が出てきた。

「小西汀はいる?」

 少々面食らったが、同居人だろうと思い尋ねる。

「いや、今はいない。要件は?」

 男は野太い声でそう言った。

「BMについてなんだけど」

 私の後ろでリアが小さく驚いたのを感じた。単刀直入に聞いてしまうのは危険かもしれないが、同居人ならば知らないはずもない。しらばっくれるのだとしても、何らかの反応は示すはず。

「ああ、入りな」

 これには私もちょっと驚いた。

 小西汀を捕まえるという発想に囚われていたから敵対的になることを予想していたが、BMの噂を聞きつけてやってきたと思われたのかもしれない。

 警戒を怠らずに黙って入室した。リアはお邪魔しますと言って入室する。

 玄関からは短い廊下が伸びていて、その先に内扉、右手にも扉が一つ、左手には狭いキッチンと冷蔵庫があった。

 内扉を開けると、異様な光景が広がっている。

 まず、十畳ほどの部屋なわけだけど、家具が一切なかった。殺風景だ。寝具すらない。

 あるのは左の壁に飾られたレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐だけである。そしてそれはよく見ると――本当によく見なければ分からないほど――キリストとヨハネの間に本来いるはずのない人物が描かれていた。他と溶け込んで描き足されていたのは、小西汀だ。

 それよりも異様で無視できないことがある。

 四人の男が暗い部屋で、読書に耽っているということだ。何の本か、すぐに察しはついた。

 聖書である。

「冷蔵庫にBMが入ってる」

 角刈りの男が言う。

 私の身長よりも大きいサイズの冷蔵庫を開けると、そこにはびっしりとBMの小瓶があった。

「一つだけだ。二つは飲むな。二つ飲むなら三つの方がいい」

「どうして?」

「二つ飲むと一週間は腹を下す。三つならば嘔吐で済む」

「そういうものなのね……ねぇあなた達は何をしているの?」

「遺書のために聖書を読んでいる」

「なぜ遺書なんか」

「死へのクラウチングスタートだ。自殺の文化的促進だ」

 角刈りの発言に、

「それは冒涜だ。俗なことを言うな。神聖な儀式だぞ」

 長髪で細身の男が苦言を呈した。

 どちらの言っていることも理解ができない。私の知能の問題だろうか。

「こちら側に興味があるのなら」

 角刈りの男がノートを手渡してきた。

 省察と題された黒いノートである。始めのページにはこう書かれていた。


 エレンコス事件を振り返って。

 なぜ生きるのかについて。

 なぜ生きるのかという問いはその性質上、どう生きるのかという問いへの答えにもなる。いや、むしろほとんどの回答が後者の答えにしかなっていない。なぜ生きるのかの問いに、事件の被害者の多くは幸せになるため、と一回は答えたようだ。だが、それは間違いだ。幸せになりたいからであれば、まだ正しい。確かに、全人類を見渡せば幸福追求に余念がない。不幸を望む者もいるが、それは不幸の先の幸福を夢見ているに過ぎない。幸せになる、というのは分解すると幸せを目指すことと幸せであり続けることを意味する。そうでなければ、幸せになった途端になぜ生きるのかという問いに答えられなくなる。この構造に違和感を抱くのは僕だけか。僕たちは幸せになる云々を考える前に既に生きていた。生きているから、幸せを願うに過ぎない。生も死もない空間でどちらか選べる状況で、幸せに生きたいからと生を選んで初めてなぜ生きるのかの問いに幸せになるために生きていると答えられるのではないか。そうでなければ肉体的な欲求の後追いに過ぎない。肉体は種の保存と自己保存に忠実だ。肉体的な意志に対してさながら政治的話題を避けるように僕たちの精神は無関心に流されただ生きる。積極的に精神的な意志をもって生きている人間はいない。人はほとんどが無意識に、つまり肉体的な意志に突き動かされて生きている。肉体的な意志を超えて精神的な意志を保つことはできそうにない。今は絶望してないから肉体的な意志に従ってできれば幸せになって生きたいと思っているから生きる、というのが正確な表現である。

 なぜ死なないのかについて。

 恐怖。倫理的忌避。別離の悲しみ。生よりも積極的な理由が見て取れる。死にたくない、というのは心の奥底から湧き上がるような気がするのはなぜか。生きたい、という言葉は死に瀕してないと出て来ない。我々は生きているがゆえに生きることについてはおざなりだ。その代わりに死は最も恐れる。生きる理由を死にたくないからと答えた者もいるようだが、それはあまりに消極的で僕は好きではない。

 存在価値について。

 死は積極的で、生は消極的なことから、生きる理由を自らの価値に求める者もいる。しかし実存は本質に先立つ。僕たちは道具のように用途があって生まれたわけではないので、ただ存在しても価値はない。価値を創造しなければならない。しかし、価値に生きるのはおすすめしない。それは、他者との競争により、多くが敗者になるからだ。勝者になってもその座席を固持して生きなくてはならなくなる。延いては、いじめ、嫉妬、ひきこもり、宗教依存、物質主義を招く。存在価値を上昇するために、人は他者を蹴落としたり、環境を変えたり、自己を変えたり、と無意味に奔走し疲弊する。

 存在理由について。

 存在価値が周りから認められるものなのに対し、存在理由は自分が認めるものである。よって、存在価値には他者が必要で、存在理由には他者は不要だ。また、存在価値は価値上昇という目的があり、行動は手段となるが、存在理由は行動そのものが目的となる。自らが定めた正義、意志、欲望に依拠する、趣味や慈善活動などがそれに当たる。存在理由を更に分類してみよう。趣味的なものは個人的存在理由、慈善活動などは社会的存在理由と分けられるだろう。社会的存在理由は存在価値と個人的存在理由の中間に位置し、自分以外が必要で、目標とする結果が目的になり、行為は手段となるものである。存在価値との違いは他者の評価を気にしたり、自らの価値に頓着しないことだ。だが、これら存在理由はあまりに個人主義的すぎる上、幸福に生きる道と代わりはない。一貫して自らの人生を肯定できうるものか。人の意志は長続きはしない。人の意志は疲弊する。人はほとんど意志を持たない。どの生き方にも無理がある。

 

 それ以降のページも似たようなことが、更に深掘りして書いてあった。見るだけで頭が痛くなるような文章だ。

 リアと共にざっと読んで、お互い顔を見合わせた。

 ノートをぱたんと閉じて、角刈りの男に返す。

「最後まで読まないのか」

「また今度にする。門限があるから、そろそろ帰らないと」

 門限があるのは本当だった。

 拉致監禁の被害者も入所しているため、シスターは門限には厳しい。

 と言っても、私はよく門限を破っている。

 私は他と違うから、特別対応が緩い。

 私の場合はシスターよりもリアの方が厳しく怖いくらいだ。


    ⧠


 白百合の庭に帰ると、夕食のために一階の食堂に人が集まりだしていた。

 良い匂いが香ってくる。トマトの匂いだろうか。急に食欲が湧いてきた。動き回っていたからお腹が空いていたようだ。

 シスターに帰った旨を伝えて、服を着替えるために三階の私たちの部屋に急ぐ。

 階段を登っている最中、低学年の男子と出くわし、仮面ライダーいじりをされた。バイクに乗って颯爽と事件を解決している内に、そういう認識が広まってしまっていたのだ。

 私はそれを適当にあしらう。

「姉さん、もっと愛想良くしないと嫌われてしまいますよ」

 変身ポーズをしてと言われても、知らないのだからどうしろというのか。

 そういうリアに対し、悪ガキたちは、リア姉が外に出てるから明日は雨だ、などとからかった。

 始めは優しそうに対応していたリアだが、からかいの度合いがエスカレートして、怒り出す。悪ガキたちは逃げ、リアが追いかけていった。

 これが愛想がいいということか。

「あれー、なにしてるのー?」

 二階の踊り場に立ち尽くしていた私に、蕩けるような甘い声がかかった。この声は内田飛羽うちだあすはだ。

 三階から彼女が降りてきた。

 その後ろには中川二弥なかがわにやがいる。この二人は同室なため、一緒にいることが多い。

「二人は小西汀って知ってる?」

 彼女たちもエレンコス事件の被害者であるため、出会い頭に遠慮なく聞くと、知ってるよーとゆるふわな返答をもらった。

 詳しく聞くと、彼女たちはエレンコス事件の第四の拷問で同じ班になったという。

 エレンコス事件ではいくつかの拷問が行われたが、第四の拷問は殺し合いだ。一つの牢獄に十人弱が集められ、生き残った者がここから出られる、とそう言われた。

 それまでの拷問が苦だったために、殴り合いになった場所もあったというが、素手で人を殺すまでに至った場所は、流石にない。

 私とリアは同じ場所だった。そこでは、私が殺気立った者を組み敷き、リアが説得していったため、負傷する者は出なかった。

 飛羽の話によると、小西も私たち同様、殺し合いを率先して止めるように尽力していたという。頻りに人殺しは良くないと言っていたようだ。

 それを聞き、小西の人物像が揺らいだ。

 それと飛羽から今日の夕食はテクス・メクス料理のエンチラーダとチリコンカンだと聞かされる。どんな料理だろうと空想していると、リアが戻ってきた。

 二弥が、早くしないとシスターに怒られる、と静かに言って飛羽を急かし、二人とはそこで別れる。

「私たちも早くしないと」

 小西の情報をリアに伝えながら、階段を上がる。

「自殺を人殺しにカウントしていないんじゃないですか?」

「そういうことなのかしら……」

「それで、この後はどうするつもりですか?」

「小西に遺体の場所を聞いて、後は警察に任せるわ」

「じゃあクリスマスは一緒にいられますね」

「ええ」

 リアは喜んだ。

 私も事件が好きな訳では無い。私だってクリスマスくらいリアといたいと思う。早く解決して良かった。

 ――部屋の扉を開けて、私は固まった。声が出ないほどの驚きで身体が硬直する。

 それを怪訝に思ったリアが私の肩越しに中を覗き見た。

 部屋の中に、小西汀がいる。

 ベッドに座り、フランスパンを食べているのだ。とても硬そうで、奥歯を使い、まるで獰猛な獣のように噛みちぎっている。

「何、してんのよ」

 シスターから来客がいるとは聞いていない。明らかに不法侵入だ。

「そんなところにいないで、入ってきたらどうだ。もうすぐ夕食だろう。早く話を済ませた方が良い」

「なんでいるのよ」

「くだらないことを言い合う暇があるのか?」

「……。屋上のときも思ったけれど、あなたこの状況でよく平然としてられるわね」

 先に行ってて、とリアに合図を送るが、リアはそれを拒んだ。

 二人で部屋に入る。

 私はリアの半歩前に出て、

「あなたの部屋に行ったわ。BMを配って自殺の勧誘してるでしょ。なんでそんなことしてるのよ」

「……子どもの頃、フランスパンを食べてる時、父が言った。『喋ってはいけない、長いものを食べている時は、喋るな。恵方巻きもそうだろう』。僕はそれを信じた。だけど後でそんなことはないって知った。驚いたよ。怒りさえ覚えた。父は、僕の声が耳障りだったからそんな嘘をついたんだ。それから僕は余計なことは言わないようになった」

 私の質問は無視された。

 フランスパンを咀嚼しながら、小西汀は語る。

「父はキリスト教徒だった。それも罪深い信徒だ。聖書の読み方を間違えていた。文盲だったのかな。……聖書は人が書いたものであり、書いてあることを信じたとしてもそれは人を信じたことになる。神を信じたことにはならない。宗教は人を信じる心を教えてくれるだけに過ぎない。聖霊はふざけている。信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することという文言は、人を馬鹿にしている。神性を目の当たりにしていない我々は、人々の思い込みと権力者による事実の改ざんがある聖書を信じなければならない。ヨハネによる福音書の後に太宰治の駈込み訴えを差し込んだ方がいい……と概ねそう宣っていた。愚かだろう。愚か故に、一家心中を計った。僕はそのなか生還した。その一年後にエレンコス事件に巻き込まれたんだ。それから閉鎖的な児童養護施設に移った。ここは良さそうだね。良いとこだ。僕がいたとこは陰鬱だった。山の上にあったから、暗かった。まぁその施設も二年前に解体されたけどね」

「同情して欲しいの?」

「同情させる要素なんてあったかな? 今のぼくは満足してる。その施設を運営していた団体から金銭補助を受けているから、不自由はない」

「じゃあ何が言いたいの」

「君らも似ている。八年前に両親と弟を災害で失った。そのとき力を得て、それから親戚に引き取られる。けど妙な力のせいで疎まれていた。厄介者だ。一年後にエレンコス事件があり、この施設に移る」

「よくこの短時間で調べ上げたじゃない。褒めてあげる」

「気になったことがある。妹の方は、家族の死後、全く外に出なくなったのだろう。なぜ? 何をしていた?」

「そんなこと聞いてどうしようっていうの」

「お前は誰だ。自分のことが分かってないのか」

「はぁ? あなた神経ないの? 普通に考えれば分かるでしょう」

「君は閉居していない」

 姉さん大丈夫です、とリアが半歩前に出て私と並ぶ。

 リアは当時のことを何とも思っていないかもしれないが、気分のいい話ではないのは確かだ。

「初めの頃は、家族を探していました」

「家にいながら?」

「はい。それからエレンコス事件後は、事件で問われた内容について、考えていました」

「答えは見つかった?」

「どうでしょう」

「曖昧な返事だ」

「それについてはあなたの方が吟味を重ねているのではないですか?」

「僕は答えを見つけられなかった。生には意味がない」

「だから、死ぬべきだって言うの?」

「そうだね」

 私が強い口調で問いただすと、けろっと肯定した。なんて奴だ。

「最近は外に出るときもあるそうだね」

「……はい。姉さんの手伝いで」

「なぜ」

「なぜ……ですか……」

「理由があるだろう。姉の手伝いをする、理由」

 リアは自分の心に探りを入れる目線をして、

「……姉さんを、愛しているからです」

 そう答えた。

「素晴らしい理由だ」

 小西は口元だけに笑みを浮かべてそう言った。

 リアの私への愛を汚されたようで不快だ。

「人は過疎地を寂しいと言う。子どもが減っていることを嘆く」

 また何かを語りだした。

「この世は、この一つの法則に従って動いている。創世記にもある通り、生めよ、ふえよ、だ。生きて、繋がって、増えて、そうやって今の僕たちはある。脳の神経細胞と宇宙の構造が似ているのも、そういうことだ。動物も、植物も、宇宙もありとあらゆるものが、広がっている。それを当然のように受け入れている。ほとんどの人間が、正しいことだと思っている。疑問視しない。それに唯一抵抗することができるのが我々の魂、精神である。

 この世は地獄だ――終わっちまった世界なんだ。楽園を追放され、肉体という檻に閉じ込められ、自由意志は0.2秒まで抑え込まれてしまった。肉の欲に支配されている。死ぬことは難しい。だから生きてる。解放するんだ。この不純を清めなければならない。意識と意志の乖離を是正しなければならない」

「ご高説を賜れて恐悦至極幸甚の至りね。だけど分かってる? あなたのやってることは犯罪よ」

「法は万能じゃない」

「聖書を読んだことがあるなら分かるでしょ。自殺は良くないことよ」

「勝手なことを言うな。聖書は自殺を禁じてない。禁じたのは教会だ」

「モーセの十戒で汝殺すなかれってあるでしょうが」

「こじつけだ。神はなぜモーセにはっきり自殺を禁止させなかった。キリストはなぜ新しい律法に自分を愛することを入れなかった。パウロは自害しようとした獄吏を止めたが、なぜ人は自殺してはならないと言わなかった。どれも自殺をしてはいけないように聞こえて、その実、明言は避けている。答えは簡単だ。聖書は自殺を推奨している。肉欲を自ら断ち切る行為は神聖だ。キリストは使徒に手本を示した。知っていながら磔にされた。利他的な自殺だ。これは神の計画である。ならば、裏切りの意味も変わる。ユダの自殺の意味も変わる」

 小西はリアを見て、

「君なら分かるだろう。僕は全人類を自殺に導こうとしているんだ」

「ごめんなさい。全く分かりません」

「私は分かったわ」

「姉さん!?」

「言っても無駄そうだってことがね」

「姉さん……」

 全人類を自殺に導くなどというおよそ不可能な妄想をしている相手に、これ以上まともな会話は期待できない。

「僕もそう思っていたところだ」

 小西が立ち上がって、半分まで食べたフランスパンを私の学習机に置いた。

 非常に汚い。普通にやめて欲しい。

「ゲームをしよう」

「ゲーム?」

「戦意喪失または無力化された方が負けだ」

「私のこと、調べたのでしょう? 結果は目に見えてるわ」

 小西はどうかな、と言って懐からBMを取り出してこれも学習机に置いた。

「使うと良い。公平に行こう」

「何に使えって?」

「それは好きにするといい」

 それからまた懐からBMを取り出して、今度は蓋を開けて中身を飲み干した。空の小瓶をまたもや私の学習机に置く。

 その辺に放られるよりはましだが、段々腹が立ってきた。

 ……なんでこの男は我が物顔で私たちの部屋にいるんだ?

 小西は私の学習机の引き出しを開けて、中にあるナイフを私に放った。刃が折りたたまれた状態のナイフが孤を描き飛んできて、私はそれを片手でキャッチする。

 Extrema Ratio 136NEM Nemesis――父親の形見のフォールディングナイフだ。

「公平のため、僕も同じのを用意した」

 小西の手にはいつの間にか同じナイフが握られていた。

 彼は一体いつから私たちのことを調べ、いつナイフを手に入れたのだろうか。

「さて、始めようか」

 十一・五センチの刃が私に向く。

「最後にこれだけ聞かせて」

「何かな」

「死体はどこにやったの」

「中身のない器に興味はない」

「そう」

 何となくそんな気はしてた。

 死体遺棄の犯人は、別にいる。

 小西を警察に引き渡した後、その犯人も探さなくてはならない。

 さっさとこの茶番を終わらせよう。

 戦い合っても意味はない。

 私に勝てるはずなんてないのだ。

 ――そう、思っていた。

 それは一瞬の出来事だった。

 比喩表現や誇張表現ではなく、コンマ一秒の世界で事態は動いた。

 その事態を一般人が見たら――いや、見えないだろう。

 目にも留まらぬ速さだ。見えるはずがない。

 小西との距離は目測で二メートルはあった。

 そうなると必然、二歩はかかる。

 飛べば一歩でも事足りるかもしれないが、それでも見えないことはない。

 そう、小西は、姿を消した。見えなくなった。

 驚きが勝っていたら、私はやられていただろう。

 だけど、私は本能的に、反射を優先させて動いていた。

 半身を引くと、そこに小西が突きの姿勢で現れる。

 反射的に動いていなかったら、ナイフが私の腹部を貫いていただろう。

 私は加速した。

 加速すると、周囲は遅延する。リアがいつの間にか接近していた小西にやおら顔を向ける。それはあまりにも遅い挙動だ。世界がスローに見える。

 ――しかし、小西はスローでは見えなかった。

 私の加速に合わせ、肘を曲げて切り払おうと迫る。喉元まで伸びたナイフを、飛んで避けた。小西はたたらを踏む形になる。

 さっきと、立ち位置が逆転した。

 リアは驚いて壁際まで逃げる。

 小西が私を見て笑う。

「今の、何? なんで私のように……」

「All things are possible to him who believes.」

 ――信じる者にはすべての事が起こり得るのだ。マルコによる福音書九章二三節。

 聖書の引用を聞いた私は、次の瞬間には夜空を眺めていた。

 視界いっぱいの暗い空に、きらきらと輝く星々が点々とある。

 夜空を写し取ったガラスの破片が舞い――

 一滴、二滴……赤黒い絵の具が散り――

 星は遠ざかり――

 肌寒い空気が私を纏い――

 開放感、浮遊感――

 ――私は今、宙にいる。

 自分が、窓ガラスを突き破って落下しているのだと、気づく。

 赤黒い絵の具は、私の血だ。どこかをガラスの破片で切ったようである。

 これは、まずい……。


 ――リアだけでも守ろうと思った。必死だった。

 そうしたら、速く走れていた。

 無我夢中で、何がなんだか分からず、走っていた。

 だけど、両親も弟も、助けられなかった。

 そのときには、それが限界だった。

 だから、これからは、私がリアを守らなければいけないと、そう決意した。

 ……このままじゃ、死ぬ――

 

 ……体中が痛い。特に強打した背中が痛い。

 だけど、動けないことはなさそうだ。

 三階から落ちた衝撃が、木々の枝に吸収され、なんとかなった。折れた枝が周囲にある。ぱらぱらと木の葉が落ちてくる。

 ――小西も落ちてきた。私目掛けて、飛び降りてきた。

 私は転がって避け、その勢いのまま立ち上がって林の中に駆け込んだ。

 一秒――

 走る、走る、走る――施設の周りの林をじぐざぐに走り抜けていく。後ろから小西が追ってくる足音。やはり私同様の速さだ。もう分かった。こんなことは初めてだが、やってやる。やらなければやられる。私がやられたら、リアにまで被害が及ぶかもしれない。それは避けなければならない。絶対に。

 二秒――

 走る、走る、走る――林の中を駆け回ったことで靴下の裏がズタボロになってしまい、一度立ち止まり、脱ぎ捨てる。そしてまた走る。さて、どうするか。いつもなら、相手に見えない速度で衣服を切り刻んで脅かすだけで済んだが、今回はその手が使えない。小西は私の後方を一定の距離で追いかけてきている。速度はどうだ。私を追い越せないのか。それとも様子を見ているだけか。真っ向勝負を挑んだときに本気を出すのではないか。

 三秒――

 走る、走る、走る――「いつまで逃げるつもりだ」と小西が発破をかけてくる。そろそろ決断しなければならない。私は私を信じることに決めた。

 四秒――

 立ち止まって、向き直り、ナイフを開刃した。ロッキングバーが嵌まり、カチッと音が鳴る。小西が突っ込んできた。懐に入り込むように受け流し、前腕を切る――浅い。腕を掴まれ引っ張り上げられてしまう。腹部への刺突――まずい! ――身体を捻ってなんとか避けられた。こめかみに膝蹴りを食らわす。腕が解放される。

 五秒――

 回避、斬撃、回避、斬撃――繰り返される攻防。攻撃し、躱され、攻撃され、躱す。攻撃し、受け流され、攻撃され、受け流す。浅い切り傷だけが増えていく。お互いの速さは拮抗し、決定打は生まれない。そろそろ体力的にきつくなってきた。心臓もばくばくしている。呼吸も乱れてきた。対する小西は、どうだろう。傍目からは余裕そうだが……。

 六秒――

 このままでは駄目だ。殺される。小西を上回らないといけない。これ以上の速さとなると、経験がない。できるだろうか。いや、できるできないではない。やらなければならない。

 

 ――限界を超えろ!

 

 身体が軋んだ。

 心臓が震えた。

 筋肉が悲鳴を上げた。

 速さに身体がついていってないが、それらを全て無視する。

 動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け――!

「な――!」

 小西が急加速した私に驚愕を示し、回避しようと動く。

 だが、もう遅い。

 私は、小西の両腕の前腕を深く切りつける。

 小西は握力を失い、ナイフを落とした。腕を垂れさせ、痛みに耐えている。

「はぁ、はぁ……これで……っ……私の勝ち、ね」

「いや、まだだ――!」

 襲いかかってくるも、もう速度は出ていない。緩慢な動作で、組み付こうとしている。

 腕を掴み後ろに飛び、転ばせた。足を首に絡ませ、三角絞めに移行する。

 頸動脈を絞められ、悶え苦しむ小西は、為す術もなく気絶した。


    …


「姉さん――!」

 小西との、時間にすると短い戦闘が終わり、大木を背に休んでいるとリアと警察がやってきた。

「大丈夫ですか? 怪我は――切り傷がいっぱいです……!」

「このくらいなんてことないから。それより疲労のが大変」

 警官が小西を抱えて運んでいった。

 私はリアにおぶってもらい、帰路につく。事情聴取は後日にしてもらった。

「大事にならなくて良かったです。一時はどうなるかと思いました」

「ええ、そうね。今までで一番厄介だった」

「あれもBMの力でしょうか。それとも彼の力なのでしょうか」

「さぁね。……リアは平気?」

「はい。姉さんのおかげで無傷です」

「……ごめんなさい。やっぱり巻き込むべきではなかった」

 身体が無事でも、小西やその取り巻きに合わせたのは失敗だ。悪影響でしかない。

「私は平気ですよ、姉さん。私は姉さんをお手本にしてるから問題ありません」

「……それ、どういう意味?」

「答えのない問いについて、あれこれと深く考え込むということほど無益なものはないですよね」

 あっけらかんとしてリアが言う。

「まぁ正直に言うと、ああいう話は嫌いではないんですが、結論は好きではありませんでした」

 それを聞いて一抹の杞憂は消えた。

 そもそも本当に心配だったら始めの段階からこの事件の話をしなかっただろう。

「そうだ、リア」

 返してない言葉があった。

「なんですか?」

 抱きしめる力をそっと強くして、言った。

「私も愛してる」

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