第194話 拒絶反応


めちゃくちゃだ。人の命を何だと思っている。


この星を、生きとし生きるもの全てに返さなければならない。それは虫の知らせでのヴァウラディスラフの言葉だ。彼らは浅はかな知恵で世界を、生命を、めちゃくちゃにした。ヴァウラディスラフはそれを償おうとしていた。


風景が変わった。爽やかな夏間近の空だった。


「お話ししましたとおり、独り残ったマスター・ヴァウラディスラフには真のルーアーを造るすべはありません。しかし、あのお方は方法を見つけました。それは分霊。そして、魔素の浄化に適した生体構造。それが世界樹。あくまでも、世界樹が主でドラゴンはそのガーディアン。ルーアーは結局ごときな物で、当然ごときな物を造るのが目的ではありません。むしろ、ごときな物は目的の副産物」


ローラムの竜王が言っていた。この世界の秘密を知った後、厳しい選択を迫られると。


ここに連れて来られた理由をさっきこいつに問うた。何も求めていないっていうのがこいつの答えだった。そんなわけがない。


どうやら俺は帰れそうにない。ここは馬鹿げたファンタジー世界かもしれないが、そうとばかりは言い切れない。クリアに全くハッピーエンドが見えて来ない。俺にとって状況は悪くなる一方だ。


「俺はここに来て、お前ご自慢のウィルスに感染したってことか?」


は何もしなくてもいい。仕事をするのはウィルス。王族キース・バージヴァルを使ってウィルスを王国中に蔓延させようって腹なんだ。キースは容姿的に申し分ない。そういうことなんだろ?


「御心配には及びません。ウィルスは貴重。新型となれば尚更です。最も効果的だと思われる場合にのみ使用されます。私はそんなもったいないことは致しません」


違うのか。


「だったら何だったんだ、俺をこの世界に連れてこられた理由は」


「計画はあくまでも計画で、現状は絶えず評価され、見直さなければなりません。これは君達人間から学びました」


今はどうか知らんが、やはり何かをさせようとしていた。きっと良からぬこと。それは確かだ。


「その口ぶりだと当初お前は俺を欲していたってことだよな。俺に何をさせようとしていた」


「それをお話しするにはまた長い話を聞いてもらわなくてはなりません。ですが、君は見るからに弱っています。かなり疲れているご様子。僕の波動は竜王の加護を吹き飛ばすことが出来ます。どうでしょうか。僕に竜王の加護を解いてほしいと頼むなら白魔法を施しましょう。お嫌なら、一度お休みになったら。体調が戻り次第、お話ししましょう」


俺が来るのを楽しみに待っていた、とこいつは言っていた。わざとラキラのクローンも見せた。どうせ俺がお前の申し出を断ることを承知してわざとそう言っている。本心は今すぐにでも喋りたくてうずうずしているんだ。いいよ、喋れよ。


「何もする必要もない。聞こう。続けてくれ」


案の定、アナナマスはニッと歯を見せると余韻を残すように奇妙な笑いを顔の中で揺らした。


風景が変わり、天空に星が煌めいていた。目を凝らすとゆっくりと星の位置が移動しているのが見て取れる。俺はこのような風景を以前、見たことがある。そうだ。月や衛星軌道のコロニーに向かう時だ。


俺は花の絨毯で宇宙を飛んでいる。大気圏を離れ、挙句足元に青い星が見えてきた。


進む向こう。そこにスペースデブリがあった。それは衛星軌道上を回っているようだった。


真っ暗な空間に光を反射して白く輝く。大きさはまだ米粒ほどである。近づくにつれなぜか心臓が熱くなる。鼓動はドラムを打つようだ。胃はというと強い力で絞られたよう。ねじ切れるかと思うほど痛い。やがて白い物体が何か分かる。


船!


突然、ハンマーで殴られたような痛みが頭を襲った。一瞬、目がくらむ。膝を折り、手を付き、必死で意識を保つ。目の前にフルフェイスのヘルメットが転がっている。這々ほうほうていで見上げた。


スペースデブリは宇宙船だった。角の滑らかな直方体で、四方の角にそれぞれ稼働式のエンジンが搭載されている。機体には“13”と数字があった。


「あれに見覚えがないかい?」


吐き気をもよおした。込み上げてくるものに我慢できず嘔吐した。俺はあれを知っている。


花園の一角に光が照らされていた。そこに多くの者が集まっている。皆、黒い衣装を身に着けている。


壁の一つがスクリーンへと変わった。カメラが移動したかのように映像が動き出す。人々に近付いて行ったかと思うとその体をすり抜けて映像は止まる。そこに映し出されたのはキリスト教式の墓標。聖書の言葉と名前が刻まれている。


【神楽 杏】


また鉄の塊りで殴られたような痛みが頭を襲った。呼吸もどんどん速くなり、めまいや吐き気も覚える。


胃液がのどに押し寄せた。また嘔吐する。這いつくばって頭痛と胸苦しさ、胃の痛みと戦った。また胃液がのどに押し寄せる。嘔吐した。


ガラス越しに里紗りさがいた。真っ白い部屋でベッドから上半身を起こし、俺を見ている。


髪は乱れ、鼻にチューブを付け、目はくぼみ、頬は痩せこけ、肌は全身かさぶたのようにめくれ上がって、唇は干上がった池の底のようにひび割れていた。


「おとうさん。私、死ぬの?」


爪を立てた冷たい手で心臓を鷲掴みにされたようだった。呼吸が止まり、胃が波打った。だが、吐く物はもう無い。俺はもだえ苦しんだ。


そうか。あれはそういうことだったんだ。ドラゴンライダーがウィルスに侵されていると聞いて体を襲った拒絶反応。


ここはどこでもない。まごうことなきリアル。………現実の世界。


俺は記憶を取り戻した。あん里紗りさは逝っていた。サイド5の研究所から人工ウィルスが流出したためだ。暴動での度重なる停電が原因だった。

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