第193話 空


「人はあなどれません。個々は小さな存在ですが、寿命も短い。もとより世界樹一本に比べようもない。ですが、人が十となったらどうでしょう。百となったら、千となったら。寿命が短いせいか繁殖力は旺盛です。見る間に万となり、億となる。僕はそれをこの二千年間、まざまざと見せつけられました。人間の魔素の浄化作用、いや、私のウィルスの浄化作用は、必ずや世界樹の森をも凌駕する」


人類を滅ぼそうとしている。いや、人類のことなんて気にもかけていない。こいつは魔素の浄化だけしか頭にないんだ。


突如、空が暗転した。暗闇の中、綿毛がたおやかに宙を漂っている。


「ドラゴン世界以前、ある文明がありました。魔素の発見と増産、そしてルーアーの発明でその文明は転機を迎えます。飛躍的な大発展を遂げたのです。ですが、その文明も六千五百年前を頂点に滅びの坂を転げ落ちて行くことになります。彼らは長い時間を生き、生殖活動も拒み、やがて全てが“空”となり、四千年前にたった一人を残して、その文明はこの世界から忽然と姿を消したのです」


俺たちを中心に近未来を思わせる建造物が立ち並んでいる。アナナマスが映像で過去の文明を見せているのであろう。建造物はどれも黒色で、形も多種多様であった。


空を駆ける者たちや宙で立ち話をしている者。木々は花を付け、実を結び、湖は満々と水をたたえる。どこもきらめいていた。


「ある錬金術師が居ました。彼は大気中に魔素というものがあることを発見しました。魔素は人の意思に反応し、何にでも変化します。彼はそれを魔法と名付けました。魔法の効力は魔素の濃度と比例します。当初、大気にはほんの微量の魔素しかなかったところ、彼は魔素の濃度を上げるべく人工的に魔素を合成したのです」


映像は薄暗い石壁の通路を奥へ奥へと進む。やがて明るい部屋に出る。燭台やランプの明かりの中、試験管やら実験器具に囲まれている男がいた。その姿はまさに中世のマッドサイエンティスト。


「魔素の濃度が濃くなったことで、効力の弱い魔法だけですが、一人につき何個か魔法が使えるようになりました」


錬金術士は手のひらの上に火の玉を造った。それが突然凍る。炎の形をした氷がぽとりと手の平から落ちたかと思うと床で粉々に飛び散る。


「まだ満足がいかなかった錬金術士は触媒を使うことを思い付きました。触媒は人の魂と魔法によって造られます。最初の一つは聖地で造られました。そこの魔素の濃度が他より濃かったからです。さらに大量の魔素を散布し、聖地を魔素で満たしたのです」


石造りの塔に向かって大勢の人たちが祈りをささげている。服装は粗末で、だれもが痩せこけている。低階層の市民なのだろう。突然光が、塔の頭頂部から発せられる。


地面に平伏していた者たちは塔の異変に身を起こす。光は地に向かって放射線状に放たれ、四方八方にラインを描いていく。塔の躯体を滑り落ちるように走って行ったかと思うとひざまずく者たちの足元を突っ切って進む。


瞬く間に、大勢の者たちを呑みこむような、大きな光の円が描かれる。巨大な魔法陣。それは空に向けて発光したかと思うと人々は悲鳴を上げる間もなくバタバタと倒れて行く。


塔の頭頂部には錬金術士が立っていた。一方、倒れた者たちからは煙のような気体が立ち上がる。錬金術士が手を差し出す。すると地上を漂う煙のような気体は、次から次へと錬金術士の手に吸い込まれるがごとく塔の頭頂部に向けて飛んで行き、その手の平の上で渦を巻き始める。


それはまるで惑星誕生の過程のよう。渦は一点に凝縮されていく。瞬く間にピンクオレンジの玉となると重力に耐えきれず落下。錬金術師はその玉を落とさないよう手の平に収める。


「ルーアーの発明により、以前よりは魔法が使えるようにはなりました。それでも錬金術師の試行錯誤は続きます。自分の造ったルーアーが満足のいく出来栄えでなかったからです。彼は魂の数を増やしてみました。魔法の効果は全くかわりません。それで気付くのです。量でなく、純度が足りてなかったと。最初のルーアーは純度が低かった。それを足がかりに錬金術士は純度を上げていきます。実験を繰り返す内に魂が百人分で十分なのも分かりました。少なかったらルーアーは出来ませんし、かといって多くても効力は何ら変わらない。もちろん、誰もがルーアーを求めました。争いも多く起こり、命も沢山失われました」


狭い石造りの部屋に多くの者が集められている。彼らは泣き叫んでいた。女、子供も関係なくぎゅうぎゅうに押し込められている。


「ですが、いつかは晴れ間が来るものです。残された者たちは文字通りこの世の春を謳歌した」


目の前に映し出された光景は、初めに見た魔法の文明だった。人々は空を駆け、戯れる。テーブルに山と積まれた果物は魔法でジュースとなって人々の喉を潤し、分厚いステーキは魔法でカットされて次々と人々の口へと運ばれていく。


「この頃はまだ、ルーアーにリスクを伴うってことは知られていませんでした。ルーアーは人の魂の集合体です。いうなれば、一つの体に魂が幾つもあるってこと。本来の魂がそれに影響されないわけがない。長い時を駆け己の魂とルーアーは融合していき、己の魂は魂であって魂では無い何かに変貌してしまう。生命の海には帰れず、転生も出来ず、魔素と同じように未来永劫大気に漂うのです。これがいわゆる“空”と呼ばれる状態です。彼らはそのリスクに気付くのが遅かった」

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