第195話 パイリダエーザ


サイド5の人口の約八割が命を落とした。それだけでない。感染は衛星軌道上のコロニ―に留まらず、月のコロニーへ。そして、地球をも襲った。


あん里紗りさを失った俺は月にいた。過去類を見ないバイオハザードはすでに終息し、人口が減ったためか、それともウィルスの流出や蔓延の原因となったデモを忌み嫌ったのか、人々は個人を優先し、快事を求めた。


繁華街は大勢の人でにぎわい、夜になると歓楽街が人を集めた。誰もが後ろめたい過去を忘れたかったのであろう。生き延びられた嬉しさもあろう。心に暗い影を落としつつ、人々は精いっぱい生を謳歌した。


良いニュースもあった。サイド6建設が中止されたのだ。変わって世間を驚かせたのは地球と似た星の発見と、そこへの移民計画を地球連邦政府が打ち出したこと。


星の名はパイリダエーザと名付けられた。移民船はニ隻。アルカディアとラグナロクである。パイリダエーザは地球から距離にして二千年の彼方だという。酒場で話される話題もそれで持ち切りだった。


俺は仕事も辞め、ネオン街と部屋を行き来する毎日をすごしていた。その日も行きつけのバーに行き、いつものようにヤマザキのダブルを頼む。初めの一杯を飲みきらないうちに老人が横に座った。


「あの話、決心してくれたかい」


老人は俺のよく知る男だ。俺の親父の旧友。親父も政治家でこの男も政治家だった。


「ああ、その話、受けようと思う」


男は満面の笑みで帰って行った。俺はあん里紗りさを失った辛さから逃げるように地球を去っていた。行き先はどこでも良かった。とはいえ、老人の申し出に迷ったのも事実だ。老人は二番艦の13ブロック長を俺に努めてくれという。


―――ラグナロク。


神々の死と滅亡の運命が語義である。破壊と創造。何もかも失ったところから新たな時代を切り開いていくという意味を込めて二番艦はラグナロクと命名されていた。アルカディアとは対照的だ。


陰と陽というのだろうか。二つで一つ。最悪、必ずどちらかがパイリダエーザに到達するようにと正反対の名前が付けられた。


船の名前のせいだけでもなかろうが、ラグナロクはイメージ的に荒くれ者を引き寄せる。希望者は一番艦のアルカディアに比べ軍経験者や木星土星の労働者、果ては裏社会の者が多く含まれた。


ブロック長に誰もなり手がいないんだとよ。で、俺に白羽の矢が立った。俺はその手の者たちを手なずけるのに定評があったからな、親父の旧友だった男に推薦されたんだ。13ブロックは日本政府管轄、日本国籍の者たちで占められている。


地球連邦政府の腹は見え透いていた。バイオハザードもあり、ここでダメ押しとばかり人口を一挙に減らしたいんだろう。旅先で何かあっても絶対に助けは来ない。ある意味、死への旅路。


アナナマスが言った。


「思い出したようですね。でも、君の知らないことがある」


俺とアナナマスは花の絨毯に乗って宇宙にいた。青い星を見下ろしている。ラグナロクはその星の周回軌道上にいた。コンテナを数珠つなぎにしたトレーラーのようなフォルムで、機体の色は純白。


俺は這いつくばって、ラグナロクを見守る。


幾つもの衛星を射出すると軌道制御用エンジンを噴射、楕円軌道に入る。大気圏突入を開始したのだ。


宇宙空間の運航時から粒子シールドは展開されているはずである。さらに姿勢制御用のスラスターを噴射した次の瞬間、青い星に縦横と赤く輝く光のラインが走る。


まるで星全体に網がかぶせられたようである。降下していくラグナロク、その真ん中が光のラインに触れる。すると船体は、発泡スチロールが熱線に切られるがごとく輪切りに切断されていく。


―――惑星シールド!


ラグナロクは第6ブロックを基点にちょうど前後に二分割された。前半分は火を吹きながら青い星に降下。後方はというと宇宙へ投げ出されて行く。第6ブロックの爆発から始まり、第7ブロック、そして第8ブロックへと、炎と爆発は導火線のように進む。


爆発が起こる度に船体は軌道を変えた。宇宙を転がるように飛ぶラグナロクの半身。AIレベッカは青い星に落下して行く前半分と同時に後部の対処を迫られる。


炎と破片を飛び散らせる中、全てのブロックが切り離された。しかし、それも間に合わない。第9ブロック、第10ブロック、第11ブロックと各々が順に爆発していく。


俺は息を呑み、その光景に魅入っていた。1ブロックにつき一万人。一つ消えるたびにその命が失われていく。


第12ブロックは辛うじて機体を保ったものの、内部は大破しているのだろう、制御を失って宇宙のかなたに消えて行ってしまった。残ったのはたった一つ、第13ブロックのみ。四つのエンジンを稼働し、なんとか衛星軌道上に留まった。


「君たちのテクノロジーでは感知できなかったんでしょうね。僕の魔法を」


惑星シールド。あれはこいつの魔法。


「世界樹にガーディアン。この星には管理人。それが僕。隕石がたまに降って来るでしょ。マスター・ヴァウラディスラフに抜かりはありません」


俺は二千年にわたり今もなお、この星の宇宙そらをさ迷っている。


映像が変わった。スクリーンに映し出されたのは俺の居宅。杏がピアノを弾いていた。アヴェ・マリアだ。湖畔のマリア像に乙女が、父のために祈る癒やしの曲。

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