第153話 銀の騎士

「叔父上、この魔法陣に入って下さい。もう魔法は使ったのです。後戻りはできないですよ」


イーデンはうなずいた。俺が、「さぁ」と声をかけるとゆっくりと進む。魔法陣の前で足を止めた。悔しさ、辛さ、怒り、後悔。色々な感情が入り混じっているのだろう、何とも言えない悲しい表情で俺を見つめる。


俺は、うんと頷く。イーデンは目線を足元に移すと魔法陣に足を踏み入れた。その時、俺はプレッシャーを感じた。イーデンが一歩、一歩と進む度、それが解けていく感覚を覚える。


やがて魔法陣の中心に立つと魔法陣は光を放ち、消えた。俺を襲っていた圧迫は完全になくなっている。


成功した? アトゥラトゥルがイーデンに掛けた魔法を解除した時、イーデンの体に何の変化も見えなかった。だが、アトゥラトゥルは、魔法は解けたと断言した。魔法陣を作った者の方に影響が現れる。


「イーデン殿、喜んでくれ。魔法は成功した」


イーデンはガクッと膝を落とした。色々な感情から解き放たれたのだろう。前かがみに頭を垂らし、己の膝を強く握って震えている。泣いているんだ。


竜王の門には王族しか立ち入れない広大な庭園がある。そこに霊廟があり、歴代の王が絶えずバージヴァル家を見守っているとされている。王族たちは子供の頃からそういう教育を受けて来た。


魂の永遠を信じるイーデンにとって魔法の成功不成功はまさに死ぬか生きるかだった。


一人にしてやろう。イーデンを置いて、先に野営に戻ろうかと思う。


「殿下、」 


呼び止められた。歩みを止めた俺は言葉を待った。だが、イーデンはうまく言葉が出ないようだった。イーデンのことだ。言いたいことは分かっている。俺は背中に向けて手をさっと上げた。もう何も言うまい。言葉を待たずして俺はその場をあとにした。





国境はもう間近だった。遠くに見える丘を越えれば国境の町ブノワトだとソーンダイクの騎士が俺に言った。


その丘の上に突如とつじょ、騎士の影が現れた。単騎で、身に着けている防具は光の反射から鏡のように磨かれたプレートアーマーだと思われる。手には旗。色味から言っておそらくはユーアの旗だろう。


物見にしたら見栄えがする。出迎えか。おそらくは名のある騎士だろう。ソーンダイクの騎士もそう思ったに違いない。馬に鞭を入れ、隊から飛び出して行った。丘を駆け上がって行く。


やがてソーンダイクの騎士が丘の上に到達した。それを待っていたかのようにユーアの騎士がアーメットヘルムのバイザーを上げていた。


即座にソーンダイクの騎士は馬を下りていた。片膝を立てて頭を下げている。間違いなく相手はソーンダイク家。


王族が直々に、それも単騎でお出迎えとは。俺は馬に鞭を入れ、隊を離れた。疾走する馬にイーデンが後ろから付いて来ている。


丘を登り、ユーアの王族の前で俺は馬を止めた。アーメットヘルムを脱ぎ、脇に抱える。


「キース・バージヴァルと申す。お見知りおきを」


男は返事をしなかった。バイザーを上げたそこから白肌の頬と大きな目を覗かせている。ブラウンの瞳で、髪が長いのか黒髪が頬で乱れていた。


王族に変人が多い、ってぇのはこの世界に来て身をもって体験している。俺は構わず男の馬に横付けし、握手を求めた。しかし、男は俺の手には目もくれず、俺を嘗め回すように見ていた。


イーデンは無礼だと思ったのだろう、たまりかねて馬を寄せて来た。俺は、いい、と手の平で合図を送った。イーデンは引き下がり、馬を止めた。


男はふふふっと笑った。そして、アーメットヘルムを脱ぐ。黒髪がサラッとほどけて広がった。


「ジャクリーン。わたしはジャクリーン・ソーンダイク」


黒髪が風になびいている。


「お父様がまた私の結婚相手を勝手に決めたから頭に来てるだけ。でも、いいわ。お父様を許す」


そう言うと女は手綱を引いて馬の向きを変えた。そして、振り向いて言った。


「あなた、噂とは違うわね。悪くはない」


女は丘を降りて行った。見下ろすと女が走る先にブノワトの丸く密集した町並みが、平原にぽっかりとあった。


なるほど。そういうことか。エリノアが和平の仲介の対価として俺をローレンス王に売った。あるいは、リーバー・ソーンダイクが仲介の見返りとしてエリノアに俺との縁組みを要求したか。


多分、後者だろうな。リーマンがリーバー・ソーンダイクをそそのかした。バリー・レイズの一件以来、やつは俺を味方に引き込もうとしている。それはリーバー・ソーンダイクも望むところだ。


騎士団が追いついてきた。馬車は止められ、カリム・サンらが俺を囲むように馬を寄せて来た。今のはなんだったんですか、とカリム・サンが問うたので、ジャクリーンだと答えた。


「ジャクリーン? ジャクリーンってあの?」


「そうだ。俺と結婚するらしい」


カリム・サンの驚きよう。呆気に取られている。フィル・ロギンズやハロルドまで目を丸くしていた。アビィとジーンはというと、はぁ?ってなって顔をしかめている。


笑ってしまった。俺が結婚するのがそんなに変か。


「心配するな。俺に結婚する気はない」


カリム・サンは、はっとして慌てた。


「いやいや、反対するなんて滅相もない。わたしはただ驚いただけで、」


言い訳なんぞ聞かない。言葉の途中で俺は馬に鞭を入れた。丘を駆け降りる。カリム・サンは、殿下ぁと叫びながら俺を追って来ていた。


レンガ積みのアーチをくぐり、白い壁と赤茶けた屋根の町並みを進む。前方がぱっと開けた。ブノワトの中央広場だ。


噴水があり、石畳で、普段は市場なども開かれて賑わっているのだろうが、そこに市民の姿はなかった。


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