第55話 教会


ムーランルージュの支配人は俺をチラリと見、芝居がかったおどおどした素振りで話し始める。


「特定の女性はいませんでした。殿下が来られたのは客の望むサービスをムーランルージュが心掛けていたからです。一口に性嗜好せいしこうと言っても実体は多種多様で、類型を想定するのは非常に困難であります。他の店は古臭い型に捕らわれていてその多様性に対応できていませんでした」


「あなたの店では、対応出来ていた、と言うのですね。被告人が望んだサービスとはいったい如何なるサービスなのか、差し支えなければお教えいただきたい」


法務大臣オーガスト・アグニューの言葉に抑揚がまるでない。台本を覚えるだけで精いっぱいって感じだ。


「私は何もかも話す心づもりでやってまいりました。今更隠すつもりはもうとう御座いません」


ちっ。やはり偽の玉座か。


「殿下の場合、新人が入って来るとよく尻の叩き合いをさせました。ほら、あれ。悪さをした子が罰を受けるでしょ。あれと同じように尻を叩く。違うところはお互いが全裸であるということ。叩いた娘が今度は叩かれる。交互にそれを何度も行うのです。気の強い娘などは倍にして返す。逆に気の弱い娘で、それが手を緩めようものなら殿下がその娘に鞭を打つ。娘は若ければ若い方がいい」


おぞましい物でも見るような多くの視線。それを俺は一身に浴びていた。


「なるほど、被告人はそれで欲情するのですね。変わった趣味です。支配人、あなたが言う性嗜好せいしこうは多様だというのは分かりました。ですが、変ですね。あなたの話は辻褄が合わない。被告人は毎晩ムーランルージュに入り浸っていたはず。そんなに毎日若い娘が入って来たのですか、あなたの店には」


「いいえ。半年か、いや、三か月おきか。殿下は新人が入るのを楽しみにしておりました」


「では、被告人は普段、何をしていたのです」


「地下に殿下専用の部屋があります。そこに座っていました」


「ただ座っていただけですか。先ほどあなたが言っていたような性嗜好せいしこうの被告人が黙ってそこに座っていたとは思えない」


「不思議に思われるかもしれませんが、実際にそうしていたのです」


「信じられませんね。その部屋には何があるのです。被告人を満足させる何かがあったはずです。例えばです。先ほどの少女らの話から私なりに考察するに、全裸の女同士を戦わせていた。そして、それを被告人が観戦していた。私の考察は間違っていますか?」


「はい。間違っています。尻を叩き合うのと格闘とは似て非なるものです」


「では、お教え願いたい。あなたはなぜ、被告人が毎日、地下の部屋で何もせず、ずっと座っていられたと思いますか。ご意見をうかがいたい」


支配人は一言発して口ごもった。「ギョ」とだけしか聞こえない。傍聴席はシーンと静まり返り、誰もが耳をそばだてた。


これが“”というものか。支配人にスポットライトが浴びせられたような錯覚に陥る。支配人め。なかなかの役者じゃないか。


「聞こえません。言葉ははっきりと」


「ギョ、玉座………。地下には、玉座がありました」


「ギョクザ? 私の耳が正しければ、それはあの、玉座のことですか?」


法務大臣はわざとらしく、執政のデューク・デルフォードが座っている玉座を指差した。


「はい。お恐れながら、あの玉座に相違ございません」


静まりかえっていた謁見の間は一気にざわついた。竜王の門にある玉座が娼館ムーランルージュの地下にもある。王城と対局する場所での玉座の存在に、人々の理解は追いついてこない。傍聴席は混乱している。


支配人はというと、罪が自身に及ぶと恐怖を感じた男を装い、まくし立てる。


「殿下がお命じになられたのです。私に断ることは出来ませんでした。反逆の片棒を担ごうなどこれっぽっちも思っていません。先ほど言ったように私どもはお客様の要望に応えるのみです。殿下の場合、道徳的な偏見に性欲が掻き立てられるのだと軽く考えていました。罰を与えるプレーがお好みだったでしょ、あれです」


「訊かれたこと以外は口を慎むように」


「はい。取り乱して申し訳ございません」


「で、具体的にはどういう要望だったのです」


「元々遊郭の地下には大浴場がありました。そこを謁見の間と同じように模様替えしろとのご命令です。浴場はそのまま使われ、多くの娼婦や客がそこで戯れていました。殿下は大変気に入っておられ、ずっとその玉座に座って皆が戯れる様子をご覧になってお過ごしでございました」


ざわつきは収まらない。法務大臣は手ぶりで支配人に、はけろと命じた。支配人はすごすごと証言台から降り、謁見の間から姿を消した。


玉座の横に小さなテーブルが設えてある。その上のガベルを、執政デューク・デルフォードは手に取るとバンバンッと二度打ち鳴らした。


「一時休廷とする」 


デューク・デルフォードはざわつきが収まるのを待たず、玉座を立った。これ見よがしに、してやったりと満足気な顔を俺に向け、言った。


「本法廷は、一時間後の再開とする」


きてきた傍聴席を一気に証言台へ引き戻す。そして、休廷からの判決。休憩時間での会話は自由だ。さらに場を温めようという魂胆なのだ。これなら俺の有罪判決に歓声も起ころうってもんだ。何とも意地の悪いやつだ。


ムーランルージュの支配人もとんだ食わせ物だ。なかなか堂に入っている。思ってもみない罪が自分に降りかかってくる。被害者を演じるのもさることながら、しっかりと偽の玉座でこの場を盛り上げた。


傍聴席の誰ひとり、やつがマフィアのメンバーだとは思ってもみない。実際は十人のファーザーたちに出廷を命じられ、やつは証言をした。命じたファーザーたちも自分たちの一存でないことは明らかだ。ファーザーたちに命じたのは他でもない、大司教マルコ・ダッラ・キエーザ。


つまり、エリノア・バージヴァルは議会だけでなく教会をも掌握している。蓋を開けてみればエリノアの独り勝ち。正義も公平もあったもんじゃない。この法廷には幾つもの欲望や思惑が交差している。それを一つにまとめ上げるとはなかなか大した女じゃないか。


だが、どういうわけだ。魔法を喉から手が出るほど欲している議会ならいざ知らず、教会は神の軍団側。教義では赤毛の乙女が現れて、ドラゴンをも支配するってことだったんじゃないのか。


キースを担いでいたのはただ単にキースがバカだったから。どうせ信者にして、王国を簒奪するつもりだったのだろう。だが、エリノアはバカじゃない。

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