第53話 法廷
『熱くなるな。近衛兵が来る』
「し、しかし、」
『納得できないのは分かる。俺もそれを十分承知で言っている』
カリム・サンの咀嚼筋が動いていた。ギリギリと奥歯を噛みしめている。今にも飛び出して来そうな言葉を必死に喉の奥で押し留めているのだろう。俺は信用しろとばかり強い眼差しを送った。
『おまえが約束してくれるのなら、弁護人にシルヴィア・ロザンの事を話す』
カリム・サンは強張った肩を落とす。仕方ないという風である。苦虫を噛み潰したような顔つきであった。
「分かりました。お約束します」
『神に誓って?』
「はい。神に誓って」
おまえは俺の望みの綱なんだ。議会の思惑に逆らうようなことをしてみろ。おまえ達にどんな仕打ちが待っているか。最悪、闇に葬られるかもしれない。そうなったら俺は終わりなんだ。
『で、おまえ達、シルヴィア・ロザンのことは誰かに話したのか?』
「いいえ、誰にも。フィルも誰にも話していません。誓って」
『結構。もし誰かが知ったらあの娘の身が危ない』
「はい。承知しております」
『よし。で、国民会議議長の
「バイロン・ワーグマンにはこう言っておきます。殿下には何の策略もない、呆然自失状態で話にならなかったと」
『ご苦労だった、カリム・サン。感謝する。明日の裁判が終わったら、また話そう』
カリム・サンは、返事するでもなく、うなずくでもない。裁判が終わったら会えるなんてこれっぽっちも思ってない。疲れ切った表情で俺を見ていた。俺はというと書いた紙を手際よく小さく折り畳んで、差し出した。どこか人知れず処分してくれという意味だ。
カリム・サンはそれを察した。小さく畳まれた紙を受け取ると胸にしまい、部屋を出て行った。
足取りが重いように見受けられる。シルヴィア・ロザンの件と引き換えに落馬以降を証言しないということにまだ納得できていない。それどころか、シルヴィア・ロザンの件がちゃんと実行されるのかも不安に思っている。
それでも、カリム・サンは俺への約束をちゃんと守る。そういう男だ。だが、悪いな。おまえの不安は的中している。
俺はお前との約束を破る。シルヴィア・ロザンを出廷させるつもりはない。彼女は自由の身となったんだ。これ以上、我々に関わるべきじゃない。
☆
弁護人が近衛兵二人を引き連れ、部屋に入って来た。近衛兵は俺に長い鎖の付いた手錠を掛け、鎖の先端を握った。俺はまるでリードを付けられた犬のようで、近衛兵は鎖を引いて俺を法廷へ誘導した。
裁判は謁見の間で行われるようだった。市街地にある裁判所は使わない。王族だけは特別なのだろう。バージヴァル家の長い歴史において家族の一員が法廷で裁かれることなんて稀であった。
今回の件で籠城しているイーデン・アンダーソンでさえ、アーロン王と衝突した際、法廷で裁かれることはなかった。自発的に賜姓降下を申し出て、国会で承認されたと聞いている。
弟を追い落とすため、アーロン王は議会と結託した。あるいはその前の王アンドリューの指示なのかもしれない。ともかく、今回の謁見の間の使用は数少ない事例にならった。伝統を重んじるアーロン王なら当然のことだ。
謁見の間の大扉は開かれていた。中は傍聴人で溢れている。帰還式を彷彿させたが、状況はまるっきり逆だ。皆の視線が痛い。軽蔑と怒りで謁見の間は満たされていた。
俺が監禁されている間、世論を操作したのだろう。この場合、場が温まるという表現が合っているとは思えないが、悪いやつが裁かれるという雰囲気は確実に謁見の間には出来上がっていた。
傍聴席が用意されていた。整然と並べられ、その様子は教会にある長椅子のようだ。俺を大噓つきの大悪党に仕立て上げる舞台は整ったというわけか。
人々は座らずに立っていた。大扉から一直線に開けられたスペースを俺は犬が引かれるように歩いた。うつむいていたが、人々の視線が肌に刺さる。こういうのを文字通り、注目の的というのだろう。
玉座の前に証言台が仮設されていた。そこに俺は立たされた。椅子はない。近衛兵が持っていた鎖は証言台の金具に結ばれ、鍵が掛けられた。
玉座がある高い所には男が四人立っていた。法廷というからにはそこは法壇なのだろう、玉座を挟んで両側に椅子が一つずつ設えてあった。
中央の玉座の横には執政が立ち、両サイドの椅子の横にはアーロンの弟と国民議会議長がそれぞれ立っていた。裁判長と二人の裁判官というわけだ。
そして、左手隅にも証言台。その横には法務大臣が立っている。法務大臣は検察官の役割を担うのだろう。証人の名を読み上げ、証言を誘導したり、傍聴席に訴えかけたりもする。
執政は前に進み出ると
皆が落ち着いたのを見計らって、法務大臣がアーロン王の告訴状を読み上げた。アーロン王が告訴したからには裁判に対して自らが手を下せない。あくまでもアメリア国は立憲君主制を
法の定めによると刑事事件の被害者は裁判に出て被告人と争うことが出来ない。俺の世界と同じだと思っていい。当局と被告人が法廷で争う。ただし、王族の裁判においては国王が裁判長になるのが決まりだ。
今回の場合、法で想定していない国王自らの告訴であった。裁判長に敢えて代理を出すことでアーロン王は自分も法の下では一般市民と同等であるという印象を民衆に植え付けた。そのうえで、アーロン王は俺を心置きなくフルボッコにするつもりなのだ。
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