第38話 おっさん本能

ローラムの竜王に仕えるジェトリが統べる森である。うっそうと茂り、木々は密集している。もちろん道なぞない。そこをこのムカデはどうやって走破していくというのか。


ラキラは全然気にしていないようだった。ムカデに全てを委ねている。案の定、ムカデは森に突っ込んで行った。


九十度傾くと幾つもの大木の幹をはしごに、ムカデは森を駆けあがって行く。そして、海から飛び出すクジラのように森から飛び出すと森の屋根を草原のごとく走って行く。


森の上は思ったより快適だった。回廊や、崖や、山を走るように上下左右の動きはない。木々の密度が濃いこともある。木の葉が飛沫のように後方に巻き上げられていった。


ラキラはワイヤーから手を放し、立ち上がった。あなたも立って、と言う。恐る恐るだが、俺も立ち上がった。ただし、ラキラのようにワイヤーから手を離さない。


「あの川がロックスプリング」


ラキラは指差した。


「ヘブンアンドアースの支流。ヘブンアンドアースは南の狭い海に流れ込んでいる」


右手に森の切れ目があった。そこに川があり、その向こうにまた森が広がる。おそらくあれは煙嵐の森であろう。俺たちが始めにいた場所だ。


ムカデのドラゴンは川の流れに沿って森の屋根を蛇行して走っていた。振り返るとムカデのドラゴンは何十車両もある列車のようだった。長い体に多くのジャバラ。森の上という高さもあり、俺は列車の屋根の上にいるような気分だった。


「川を越えたら金床の森。チアナ国から蝶の塔に向かうロード・オブ・ザ・ロード、その橋を渡るわ。そこからは蝶の塔を横目に見てエトイナ山に向かう」


ラキラは兜を脱いだ。少しカールがかかった癖っ毛の、オレンジっぽい赤い髪が風に揺れる。さっきまではしゃいでいたのが嘘のようである。その眼差しはうれいを帯びていた。


ローラムの竜王に会う緊張だろうか。それならば寂しにはならない。おっさんの俺は母性本能ならぬ、おっさん本能が刺激されてしまった。がんばっているこの子を応援したい。


昨晩、ドームでも沈んでいるようだった。孤立していると言っていい。タイガーの称号は里のおさをまとめるキングではなく、里の主らの代弁者。俺の見たところ、シーカーは全てドラゴンに乗れるわけではない。外の世界を知らないあの給仕の女なぞそうだろう。乗れる者が上級市民で、後は下級市民。


だが、ドラゴンに乗れる者はドラゴンを従わせるためにはやはり、タイガーが必要だ。ドラゴンを得るには主に頼らざるを得ず、タイガーを間に立てざるを得ない。


彼らにとってタイガーは煙たい存在だ。タイガーは主の言いなりでシーカーをないがしろにしている、と不満を持っているバカもいよう。


あるいは、なぜあの小娘なのかと嫉妬するやからがいるかもしれない。いずれにしてもラキラ・ハウルは微妙な立場に立たされている。


―――赤毛の乙女。とんでもない運命さだめを背負わされたものだ。ラキラ・ハウルは分かっているのだろうか。己の歩む道がいばらの道であると言うことを。


「もうそろそろです」


ラキラは兜を被り、ワイヤーを掴んだ。


「橋を渡ります」


俺も兜を被る。ほどなくムカデのドラゴンは森に沈んだ。ロード・オブ・ザ・ロードに入ると橋を渡る。そのままロード・オブ・ザ・ロードをひた走る。


中継地ルートイン蝶の塔を走り抜けた。ロード・オブ・ザ・ロードから外れ、森に突っ込む。通常なら三日月と星の塔へ向かい、そこから熊の塔を経て、エトイナ山に向かう。大きく迂回することを強いられたわけだが、今回は違う。


森から浮かび上がる。右手に見えるのは草原キングラン。多くのワイバーンがハゲタカのように宙を舞っていた。


ムカデのドラゴン、名をジンシェンと言ったか、そいつはキングランに沿って北上して行く。ラキラは立ち上がり、兜を脱いだ。


「あとはエトイナ山に向かうのみです」


いよいよローラムの竜王とご対面というわけか。俺も立ち上がって兜を脱いだ。ラキラ・ハウルのために何かしてやりたい気持ちはある。だが、ローラムの竜王が元の世界に返してくれると、もし言ったなら俺はどうするか。


俺自身に不安を覚えた。ここまでの旅は元の世界に帰るためのものだったはず。なのに竜王がその方法を知らないのを期待する自分がいた。珍しく、揺れ動いている。


俺は竜王に自分の望みをちゃんと言えるのだろうか。いや、言わなければならない。ラキラ・ハウルの力になってやりたいなんて一時の迷いだ。この先、何が待っているか知る由もない。だが、何があろうともこの世界はこの世界の者で守らないといけないんだ。


そもそも俺一人でどうのこうのするなんて無理だ。出来っこない。そんなこと考えること自体、傲慢だし、この世界の者たちをバカにしている。


それに俺は所詮しょせん、異世界人でおっさんだ。愛する妻子もいる。


キース・バージヴァルも気にかかる。人殺しするまでの根性はないにしろ、誰かにたぶらかされ、俺たちの会社をめちゃくちゃにしているって可能性は大だ。それ以上に妻子が心配だ。


やつの性癖を考えると怒りの感情を抑えられない。人殺しをする根性はないのは分かっている。分かっているが、出会いがしらってものがある。殺す気はないが殺してしまった。あるいは、妻がキース・バージヴァルを殺してしまった、ってことがあり得るかもしれない。


基本、キース・バージヴァルは俺たちの社会を理解できない。そこで生まれ、生きていた俺にとっても複雑怪奇な世界なのにそれをあいつが理解できるだろうか。裁判でゴタゴタしているとか、娘が家を飛び出して行方不明だとか、俺が警察につかまっていて檻の中にいるなんてことはまだいい方なのだ。


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