第39話 ドラゴニュート

ムカデのドラゴン、ジンシェンは金床の森を抜けた。エトイナ山はもう目の前にある。ラキラは兜をかぶった。ドラゴンをかたどったやつだ。素材にされたやつは小さいドラゴンだったのだろう。人と争っていた時代に殺され、兜に加工された。


ドラゴンの兜にどういうわれがあるか分からない。だが、罪なき兵団に無残にも踏みつぶされた大人になり切れていない子供のドラゴンであることは変わりない。悲惨な事実だ。だが、戦争とはそういうものだ。元海兵だった俺がラキラ・ハウルを責めることは出来ない。


ジンシェンはエトイナ山を登って行く。カールはカルデラ湖がローラムの竜王の住処だと言っていた。周辺に木々はそれほど密集していない。木の間を縫うように走っていた。順調だと言っていい。


ローラムの竜王からの妨害はみられない。契約云々でいうなら、ラキラ・ハウルとジンシェンは招かざる客だ。ローラムの竜王が一人と一体を嫌うならここまで来る途中で何らかの妨害があって然るべきだ。


だが、それも見受けられない。やはり、ローラムの竜王はラキラを招いている。ロード・オブ・ザ・ロードに現れた灰色のドラゴンは竜王の使いだった。だが、なぜ、直接エトイナ山のカルデラ湖にラキラを呼ばなかったのか。


手が込んでいるとしか言いようがない。何か考えがあるのは確かだ。俺はそんな竜王とラキラの間に割って入らなくてはならない。ラキラの援護射撃なら自信があるが、悪い。俺は己を通さざるを得ない。


森を抜け、緑の草地をひた走る。エトイナ山を登り切った。目の前に広がるカルデラ湖。山の天辺が丸くえぐられたような場所にコバルトブルーの湖面、そして、その真ん中に島が見える。


どうやらここが終点のようだ。俺たち二人はムカデのドラゴン、ジンシェンから降りた。


―――湖中島。そこに巨大な世界樹が生えていた。根は島一杯に張り巡らされ、枝葉はカルデラ湖の直径の五分の一ほどに広がっている。湖の大きさは推定で直径十キロはあろう。その五分の一ともなると単純計算でも、世界樹が枝葉を広げている幅、葉張りは二キロにも及ぶ。


高さは少なく見積もっても八百メートルはある。幹の太さは、直径三十メートルはゆうに超える。


湖面は波一つ立たず、鏡のようだ。雲に遮られていた太陽が現れると外輪山の山影や漂う雲、そして、世界樹が湖面に映しだされる。


雄大で、壮観。そして、神秘的であった。ここに住まうドラゴンがどれほどの力を持つというのか。


カールは言った。あれはもはやドラゴンではないと。きっと神のごとくなのだろう。その力は地形をも変える。竜王の姿は見ずともこの風景を目の当たりにすればそれぐらいは想像出来る。


霧がゆっくりと流れてきた。地表を覆うように広がって行く。やがて霧は外輪山に行く手を阻まれ、行き場を失う。


ジンシェンは赤い魔法陣を造った。そして、ここに来る前にやったようにその魔法陣をくぐっていく。


次から次へと、胴は連なって魔法陣に入っていく。全長二百メートル近くあるのだ。一方で反対側の面からは全く何も出てこない。まるで魔法陣に飲み込まれて行っているかのようだ。


やがて、最後尾が魔法陣に入った。全てが魔法陣に消えたかと思うと反対側から人影が現れた。プレートアーマーを着込んだような全身黒光りのフォルム。三メートルの長身で胴が長く、足も長くて手も長い。片方四本計八本の手が肩から腰に掛けて生えている。一番下の手は地面に付こうかという長さだ。


背に翼があり、首の付け根からはクワガタの大あごのような角が曲線を描いて伸びている。正面から見れば、角は仏像の後光のようだ。


背骨に当たる部分には背びれのようにトゲが連なり、しっぽへと続く。ムカデを思わせる扁平のしっぽでズルズルと引きづって歩き、魔法陣から完全に出るまでには最低、身長の倍ほどの距離を前に進まなければならなかった。


頭はラキラの兜とよく似ていた。ドラゴンの上あごをひさしにし、その下には目が二つあり、鼻があり、口がある。人と同じような顔があった。ただ、人と違うのは皮膚の質感が肌っぽくなく、昆虫の外骨格のような光沢があった。


―――ドラゴニュート。ジンシェンは竜人化した。二百メートル近くに及ぶ巨体。列車のようにばく進し、あっという間にエトイナ山に着いた。それが身長三メールほどに圧縮されたのだ。


その体にどれほどの力を宿しているというのか。列車がトラックに衝突すれば、トラックは粉砕されて粉微塵になる。ジンシェンのパンチは少なく見積もってもそれぐらいの威力があるのではなかろうか。しかも、魔法という力も保持している。


だが、もっと驚くのはラキラの兜だ。ドラゴンはドラゴンでもドラゴニュート。その頭なのだろう。子供のドラゴンを殺したという前言は撤回する。シーカーたちの先祖はドラゴニュートを倒していた。


霧の、湖面への侵入は外輪山の低いところから始まった。北側の尾根を越え、山の斜面を滑り落ちていき、そのままの勢いで湖面を走る。やがて堰を切ったように霧は北側全ての尾根を飲み込み、雪崩を打って湖に流れ込む。


瞬く間に湖は深い霧に覆われ、湖面は見えなくなってしまった。世界樹だけが霧に浮かんでいた。


「王がおでましになる」


そう言ったのは他ならぬジンシェンである。ドラゴンも、ドラゴニュートでなら人の言葉が喋れるようだ。ジンシェンがひざまずいた。


ひざまずいても、俺よりも背丈は高かった。思えばこいつも竜王の客なのかもしれない。ラキラとは近い関係だし、灰色のドラゴンはわざわざこいつの里近くにまで俺たちを飛ばした。


湖の一点を中心に、霧が四方に逃げて行ったかと思うと湖面が盛り上がっていく。コバルトブルーの湖面が白く変わり、それは瞬く間に丸く広がって行く。


湖面に真っ白いドーム状のものがぽっかりと浮かんだ。やがてそれはみるみるうちに大きくなったかと思うと湖面から浮かび上がる。


直径五百メートルほどで、それが湖面すれすれに浮いている。そいつの表面は卵の殻のようにツルッとしていた。大量の湖水がそこを滑るようにして流れていて、湖面に滝となって降り注いだ。


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