第32話 石窟
卑屈な気分になりつつ部屋に入った。が、拍子抜けした。誰も居ない。左壁には大きくローラム大陸の地図が描かれていた。
部屋いっぱいに並ぶテーブルと長椅子。右側には等間隔に柱があり、その先はテラスだった。外はどこまでも真っ青な風景。
思ったのは、ここは砂漠のど真ん中だということだ。普通なら庭木の一本や二本、テラスの外に見えるはずだ。だが、テラスに向かうと悟った。俺は地上からずっと離れ、
空にいるという意味ではない。切り立った断崖、その絶壁部分であった。
テラスだと思ったのはバルコニー。絶壁は左右に広がっていた。まるで本を開いて立てたようでここは一番深いところ、本でいうとノドだった。両翼の崖には岩を削って多くの住居が造られている。吊り橋や張り出した歩廊が人々の行き来を助けていた。
バルコニーから青く見えたのは空だった。見下ろすと崖の縁に沿って堀があり、その先にはコンクリート製とも思える大きなドームがあった。
俺は長い階段を降りた。地下道も歩いた。勝手に地上に着いたと思い込んだ。
このような場所を
画像でしか見たことがないが、こういうのを絶景というのだろう。俺はV字の一番深い部分の一番上、最も見晴らしのいい場所にいる。右と左にヘルナデス山脈の山影があり、正面下には森が広がる。
得した気分だった。長城近くの石の小山がこのような所に繋がっているとは。
「いい景色でしょ。少しここで待ってて」
ラキラ・ハウルはそう言って広間から出て行った。残されたのは俺と衛兵のシーカー二人。俺を挟むかっこで突っ立っている。そうだった。俺はまだ、歓迎されてはいない。
シーカーらは黙って立っていた。鯰のような細い髭に、氷柱のような顎髭。威圧的というか、とても気軽に話しかけられるような雰囲気ではない。眉間に皺をよせ、口をへの字に曲げている。
彼らの鎧はラキラらと同じような色とりどりのプレートが縫い付けてある。分厚い、綿詰めの布が下地のようで、ズボンとシャツというようなタイプではなく、外套がそのまま鎧になったって感じだ。
ロングコートを着込んだように全身を覆い、身丈は膝下まである。頭にかぶるっているのは耳当てが付いた帽子のようであり、そこにも隙間なくプレートが縫い付けられている。
弓を背負い、槍を持っている。大男ではないことからこの里のシーカーらは素早く動いて敵と戦うのだろう。物腰に、重量級のラキラらとは違う凄みがあった。
俺はソードベルトを外し、剣に丸めてテーブルの上に置いた。鎧も外していく。虎や赤いワイバーンの血をかぶったのだ。真っ白いパレードアーマーは台無しで、乾いた血と、血を接着剤とした埃とで、まだらにどす黒く変色していた。
時間がありそうなので鎧の手入れをすることにした。拭く布と水を衛兵に頼む。一人がその場を外すとすぐに布と桶を持って帰って来る。
作業にふける。しばらく時間を忘れることが出来た。このところ、いつも時間を気に掛けていたような気がする。まるで太陽と追っかけっこしているようなものだった。
やがてプレートアーマーがほぼ元の姿に戻った頃、日は暮れていた。月がバルコニーを照らし、俺のテーブルは燭台の明かりで包まれていた。衛兵たちはというと、俺がテーブルに座った時と寸分も違わぬ位置に立っている。
布と桶を持って来た以外、この二人は全く動いていない。どうりで物音ひとつ立たない訳だ。二人には悪いが、おかげさまでゆっくり時間を過ごせた。
気持ちが落ち着いた。プレートアーマーが真っ白くなったのも気持ちがいい。初めは見せかけだけの役立たずと思っていたが、こうやって磨いてやると愛着が湧くってものだ。
俺は月明りを浴びようとバルコニーに出た。風がすがすがしい。雲がゆっくりと動いている。ラキラはここを里だと言っていた。俺は勝手に小規模な集落を想像していた。だが、違った。ここは十分大都市だ。断崖を掘削した多くの住居に光が灯されている。まるで摩天楼のようではないか。
前の世界にいた時、俺の部屋から眺める風景もこのようだった。高層ビルが建ち、その先に緑豊かな公園が見えた。妻は今、何をしているのだろうか。娘は………。
突如、突風が吹いた。そして、巨大な黒い影。俺は二歩、三歩、後ずさった。バルコニーを横切ったのは、ドラゴン。
だが、変である。ドラゴンが現れたことじゃない。俺はバルコニーの手すりに身を乗り出していた。
今まさに、ドラゴンに人が乗っていた。確認しようにも乗っていた人の姿はもう見えない。ドラゴンのシルエットだけが崖下のドームへと吸い込まれて行く。
衛兵たちは動じていないようだった。驚いているのは俺だけ。もしかして、彼らは気付いていないのではないか、と思った。が、それはない。目の前をあれだけの巨体が横切ったのだ。
羽ばたいた時に出た風も感じたはずだ。とはいえ、人が乗っていたのを見たかどうかは別だ。彼らはちゃんと見たのだろうか。ドラゴンに乗った人の姿は俺の目にしっかりと焼き付いている。
俺の目が正しいかどうか、彼らに問おうとした。だが、止めた。彼らは少なくとも、ドラゴンが現れても微動だにしなかった。俺が何を問おうが答えやしない。
ドームは静かだった。それを取り巻く森もドラゴンが暴れた気配はない。月明りに青く照らされた谷底はまるで深海のように不気味な静寂に包まれていた。
俺はテーブルに座った。ラキラ・ハウルはドラゴンのことをよく知っている。ドラゴンに知人がいるのではないかと疑うほどだ。だが、今見た光景は知人どころかあれは馬。
そう、まるで馬ではないか。ラキラは頭にドラゴンを乗せていた。逆に人がドラゴンに乗ったとしてもおかしくはない。
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