第5話 十人の後見人
「よろしいのですか」
俺が戻って来るとカリム・サンはそう言った。おそらくは、貴族の娘二人が泣き叫んで走って行くのと、町娘が逃げていくのとを両方目撃したのだろう。公爵二人が戻って来ないのを気にかけている。
俺は答えなかった。馬車へと向かう。俺の行動に有無を言わさないという態度だ。
辺りはとっぷりと暮れ、学生たちはもういない。カリム・サンらが俺の後ろから食い下がって来た。日が暮れて危ないから明日にしようと言うのだ。
「何か思い出せそうなんだ。それともなにか? 俺が記憶を取り戻したら困ることでも?」
腹に一物有ろうと無かろうと、これを言われて断れる者はいない。馬車に乗ると目的地に向かった。
しばらくして、繁華街の大きな十字路で馬車は止まった。
ここか? という俺の問いに二人は同時に頷いた。
そもそも俺はキース・バージヴァルと別人格。現場を見ても何も思い出すわけがない。
馬車を降りた。
にしても、繁華街だったとはな。
招待状の場所はシルヴィア・ロザンに聞いていた。こんなことだったら落馬した場所も聞いておくべきだった。まぁ、これで大体察しはついたがな。
二人が馬車を降りると俺は尋ねた。
「俺はなぜ落馬した」
二人は答えようとはしない。落馬した所がここ。そして、キースのことだ。王族にあるまじき行為をしていたに違いない。
「てっきり乗馬の訓練中に馬から落ちたかと思ったが」
俺はキースを甘く見てた。俺の想像だと落馬したのはだだっ広い草原。そこまで行って暗闇に紛れ、馬でもかっぱらって侍従二人をまこうと思っていた。
あたりは酒場ばかりで街は
ここで逃げたら騒ぎになるだろうな。
色鮮やかな生地に身をくるんだ女が男の腕に絡みついて、通りを歩いている。他に歌を歌っている者もいるし、立ち話をしている者もいた。そして、その誰もが酔っていた。
「殿下、もうそろそろいいですか。人目に付きます」
フィル・ロギンズが耳打ちをして来た。確かに俺は目立っているようだ。遠目だが、通行人の何人かは立ち止まってこっちの方を見ている。
豪華な馬車に、肩に詰め物のプールポワンの服装。この場所で俺が落馬したのなら、町の人間はその騒ぎを知らないはずはない。あるいは、キースが記憶を失ってしまったのも、もう知っているのだろう。
俺と目が合って、立ち止まっていた者たちは何も見なかったかのように動き出した。明らかに、彼らは俺に慣れている。しかも、その雰囲気から腫物に触るような扱いであるのが明らかだった。彼らにとって俺は疫病神なのかもしれない。
「カリム・サン。俺は酔って落馬したのだな」
まいったなぁという表情を見せた。もう隠せないって顔だ。
「俺は何歳だ?」
「もうじき十八歳になります」
「こんなガキが毎晩飲んでいたのか? 行きつけの店はあったのか?」
継承権を持つ王子であろうとも、自分で自分を罵っているのだから誰も咎めやしないだろうよ。
「城を抜け出して、それが毎晩です。我々もそれで心を砕いていました。行きつけの店はこの先です。遊女屋が多く集まる遊郭がある。そこです」
遊郭ねぇ。それはシルヴィア・ロザンに招待状の場所を聞いて知っていた。王族がその辺の酒場なんかで満足はいくまい。それに人目に付き過ぎる。秘密クラブか何かいかがわしい場所。キースが夜な夜な城を抜け出していたのはただ単に女目当てってだけじゃぁあるまい。なにせ相手は王族に招待状を出さんとする輩たちだ。
落馬した場所に行くって言って二人が明日にしようと食い下がったのはこういうことでもある。
もう二人をまく必要もあるまい。堂々とお祝いパーティーに出席する。
「ロギンズ。お前はここに残れ」
二人は俺が遊郭に行くのを察したようだ。もちろん、二人はそれを容認しない。やはり、食い下がって来た。
「記憶を戻すためだ。俺はカリム・サンと行く。一人では行動しない。それならいいだろ? ロギンズ」
そう言うと聞く耳を持たず馬車を後にした。カリム・サンはというと後ろにピタリと付いて来た。ご立腹のようだ。背中に感じる視線が痛い。
「見せたいものがある」
俺はポケットから紙を取り出し、後ろのカリム・サンに向けてひらひらさせた。
カリム・サンは興味を持ったようだ。横に付くとその紙を手に取り、食い入る。読んでいるのも構わず俺は尋ねた。
「そこに書いてある“十人の後見人”とは何者だ」
「これをどこで」
「シルヴィア・ロザンに手渡された。どうやら送り主のそいつらがシルヴィア・ロザンの真の雇主のようだ」
カリム・サンは俺の前に出て、立ち止まった。そして、強い眼差しで俺を見据える。一国の王子に侍従がする態度でない。多くの通行人が俺たちを置いて通り過ぎていく。
「あんた、一体何者だ」
さっきは町娘を助けて、今度はシルヴィア・ロザンを気にかけている。まぁ、そうなるわなぁ。俺はキースではない。
それにここは魔法とドラゴンの世界だ。何者かが魔法を使ってキースの姿になり、何かを企んでいる、と疑いを掛けるのは自然な流れだ。返答次第ではカリム・サンが剣を握って、いきなり切りつけて来てもおかしくはない。
だが、あえて言おう。
「キース・バージヴァル。メレフィス国の第二王子」
案の定、納得しないカリム・サンは強い視線を俺から離さなかった。別に本当のことを話してやっても良かったが、今はまだ正直に話すわけには行かない。どんなトラブルに巻き込まれるか想像だにできないのだ。
「いいか、カリム・サン。人っていうのは生まれながらに持っていた気質と、育った環境に影響を受けた性格で成り立っている。俺はキースがゲスであることは承知している。だが、それは環境がそうしていたんだ。そもそもの俺はこういう人間だったんだよ」
「“俺はキースがゲスであることは承知”? まるで他人のようだ」
納得がいかないようだな。無理もないか。
「じゃぁ、もし、俺がキースではなかったら」
「殿下の居場所を聞き出さなければならない。それとあんたの目的もだ」
「キースはここにいる。それと目的か? 今やってるじゃないか。招待状にあるムーランルージュって店に行く」
「行ってどうする」
「“十人の後見人”に会って、シルヴィア・ロザンの解放を求める」
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