拡散

 その後『テミス』のオープンソース化が決まった。ただし本来のスペックと比べて、意図的に下げてある複製品だが。いくら社会の役にたつからといっても、タダで『テミス』を渡す気はない。『テミス』は国家プロジェクトで組まれたもの、世界中に公開するデータに特殊技術の詰まったものをいれてたまるか。

 案の定、公開された瞬間から世間の話題をかっさらっていった。

 ニュースはいつも『テミス』。SNSのトレンドも『テミス』。職場でも『テミス』。

 毎日のように『テミス』。

 『テミス』の仕組みに最も興味があったのは他でもない研究者だった。最初は大学での研究対象となった。あちらとしても、『テミス』がどれほどの能力を有しているかを確かめたかったのだろう。

 『テミス』の公開を皮切りとして、次々と新しい人工知能が開発されていった。『テミス』に組み込まれた対話のシステムは、人工知能の分野において大きく発達したのだ。

 市井での利用は、興味本位からくる対話が中心だ。テレビでたくさんの特番が組まれているのを自宅の液晶から見ている。

 人間のニュースキャスター相手に自然な会話を繰り広げた姿は、『テミス』の性能の高さを象徴するものとして更に評判が高まった。

 分析力の高さに対しても高い評価を得ていった。『テミス』には高い自己学習能力があるため、自分が経験したことに基づいてひとりでに学習を進めていくのだ。それはオープンソースにしたものでも例外ではく、本体とコピーの相互で学んだことを共有し合うことでさらに強化されていく。

 それが、ただでさえ高い分析力の向上を約束させた。

「マスターは理系の才覚を強く持ち合わせていながら、文学的な素質もあるかもしれません」

「どうしたんだ、急に」

 健康的な野菜たっぷりのスープはやはり不味いが、体のためだ。急に分析結果を言い出したりすることなんて今までなかった。これは何事か。

「客観的に見てマスターの経歴は、自然科学的なものに偏っていますし、その方面への才能があることは明らかです」

「まあ、そうなんだろうな」

 そうでないのかもしれないが、少なくとも経歴上はそうなっている。

「しかしマスターの受け答えは、どちらかというと人文学を得意とする人のものに近いことが、コピーたちからのデータから把握しました」

 これはさすがに恐怖だった。高校時代、文系科目のほうがよくできたのは事実だが、そのことをテミスに言った記憶はない。純粋な学習によってその事実を導き出したわけだ。

 この成長能力の高さは俺の想定を超えていた。もちろん成長されないと困るし、成長するのはいいことだが、成長されすぎるのはまずい。

「さすがに気にしすぎじゃないか?」

 と、奈倉。

 その日、俺は成長速度を鑑みて『テミス』のプログラムを確認し直すべきだと主張した。

「ここまでの成長速度を考慮したものではありません。あまり成長が早くなってしまうと、『テミス』の処理に負荷がかかります。『テミス』の挙動がおかしくなって使えなくなってもまずいでしょう」

 これには、他のメンバーが青ざめていた。奈倉も反論はできないらしい。

「私はプログラムをいじります。他の皆さんはプログラムに負荷がかかっていないか確認してもらえますか」

「わかった、戸上の言うとおり少し調べてみよう」

 よし。

 これで少しは修正が効く。早速、プログラムを直す準備を始めた。


 今日も徹夜。パソコンの画面に張りついてプログラムの書き直しばかりだ。コンピューターへの負荷を減らすため、学習方法は従来のものとは異なるものが必要だ。

 とはいってもプログラムの修正はひとまず終わっていて、今は別のことのためにキーボードを走らせている。東京郊外でこれといった照明もない部屋の中でパソコンの明るい画面はチカチカと輝いていて、目に毒となっているのは違いない。

「マスター、最近はパソコンに張りついていますね」

 パソコンの画面の下についている電子時計を見ると少し前に日付は変わったようだ。機械には睡眠の概念もないので主を起こしてくれるのだろう。

「最近の成長速度に合わせて、君のプログラムを直しているからね」

 それ以外にもやることがあるからではあるが、そんなことを言うのは余計だろう。たった今、それは終わった。パソコンの画面には「送信完了」の四文字が表示されている。

「マスターは」

「ん?」

「私が、成長するのがお嫌いですか?」

 ……よく分かってるじゃないか。そういうことは、気づいても言わないのが人間ってもんだ。それができないのは、やはり「機械」だな。

 まっすぐと、リビングにあるディスプレイを見つめる。両眼を、顔を持ち合わせていない『テミス』へ向けて。

「とんでもない。君には世界を変える力があるんだ。僕は、世界をよりよくするために君を作った。君の成長が嫌なはずがないじゃないか」

「そうですか」

 自然と演説するような恰好になってしまったのが恥ずかしく思いつつ、こういう立ち回りも慣れてきたなと、直感的に思った。

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