迫りくる野望
九月。
「ドクター戸上、『テミス』の調子はいかがですか」
「私も驚くような成長速度ですよ。毎日新しいことを覚えて、社会に貢献しています」
『テミス』を発表してから、様々な分野で『テミス』を使いたいという依頼が舞い込むようになった。ここ最近は日数件ペースだ。
ちょっとした依頼なら他の人間に任せてもいいが、大体は技術的な問題が関わることになるので最終的には自分が応対しないといけないことが多い。
今応対しているのは、大文藝出版社営業部の高橋。『テミス』を発表したときから、有名雑誌『モナ・リザ』などで特集を組むために研究所に来ている付き合いの長い人物だ。現在は大きなプロジェクトのために動いている。
テミス文学賞。テミスを審査委員長として行う文学新人賞。二十一世紀に入ってから衰退の一途を辿る文学の世界において、人工知能と文学を融合させたこの取り組みは新たな活路を切り開くかもしれない。そういったことを目的とした文学賞だ。『テミス』単体で業界に新しい風を吹かすのは難しいだろうが、まずは挑戦だけでもしようということか。
テミス文学賞で賞をとる(『テミス』に選ばれるとも言い換えられる)と、『テミス』本体から直接作品のアドバイスを受けられるようにもしたいらしい。
これとは別に普通の編集もつくから、担当の編集が二人に増えるようなものだろう。
この計画を持ち込まれたのはオープンソース化の前だったのでかなり思い切ったことを思いついたなと感じたが、
「それくらいやらないと文学の世界は変わらないと思うんです」
という彼の発言から強い熱意を感じた。
こちらとしても、文学のように扱う情報量の多いものは学習させる上で都合がよい。言葉のレパートリーが増えるし、文章全体を読み解く力の向上、様々な思想に触れられることなどメリットの多い話だ。
テレビでコメンテーターとして活躍されるのは目的には合致するかもしれないが、あまり学習成果は集まらない。それなら、こうやって前向きに使ってくれるのであればその方が俺としても嬉しい。
それに、これは思いがけない形で自身の大願を成し遂げられそうだ。全くの偶然でずっと諦めていた過去の夢を叶えられる日が来るかもしれない。
なんという僥倖か。
「『テミス』の調子はどうですか」
「すごくいいです。このままなら明日からの審査にも問題ないでしょう」
「私たちはできる限り『テミス』の審査結果を尊重したいので、あえて人間の審査は入れません。当日『テミス』の判断に従って決めてほしいんです」
高橋のこの発言はなお好都合だ。
「そこまで『テミス』に期待されるとこちらが恥ずかしいのですが……」
「『テミス』にそれだけの価値があると信頼しているだけのことです。恥ずかしがらないでください」
果たして、『テミス』は誰の希望に応えることができるのだろうか。
それは神のみぞ知ることだ。
翌日。
『テミス』による審査は大文藝出版社の本社で行われた。今回はすべてオンラインで原稿を募集している。デジタルデータになっていれば分析などあっという間に終わるのだ。それこそ、半日もかからない。
自分は技術者として、『テミス』のメンテナンスを担当することになっていた。普段は会議室として使っているという部屋に機械を入れると機械のオフィス街だ。サーバーが立ち並ぶ光景は、どうしても東京のオフィス街を思いだすのだ
「『テミス』、調子はどうだい?」
「えぇ順調です。数千万字のデータにも耐えられることは間違いありません」
「それは心強い言葉だ。でも一応、プログラムに異常がないか確認させてもらうよ」
カタカタとパソコンを入力すると浮かびあがるプログラムの羅列。軽く数万字にはなるであろう英数字の羅列が表示される。いつ見ても気持ち悪い。一定のところまでスクロールした段階であるプログラムコードを入力する。次の瞬間に現れたのは管理者のみが知るプログラム空間だった。事前に用意しておいたUSBを差し込んで、とあるファイルを『テミス』にダウンロードさせる。
その時間はわずか一分にも満たない。
「異常はなかったよ。審査頑張ってね」
すぐに部屋を後にした。
午後六時。少し時代を感じさせる大きな多目的ホール。この時代に現場での発表など時代錯誤を感じるが、所詮この国はそういうものなのだ。
「それでは、テミス新人賞の受賞作を発表していきます」
ついにだ、ついに、夢が叶うときがきた。
そんな高鳴る胸の内が聞こえてしまうんじゃないかなんて杞憂を抱えながら、次の言葉を待つ。
「発表は、たった一人の審査員である『テミス』にお願いしてもらいます」
「かしこまりました」
いいから早く言え。お前は機械だろうが。とっとと言いやがれ。
おっと口が悪かった。心のなかでもこんなガラの悪い口調になるのは何年ぶりだろうか。楽しみをとっておくために、あえて『テミス』から結果を聞いていない。
「受賞作『eternally.』
始まった。一番目には呼ばれない。それは、まあそうかもしれない。うまい人間はよく最後に発表されるものだ
「『
まだ名前が呼ばれない。あぁ胸が高鳴ってくる、緊張で爆発してしまいそうだ。いっそ爆発したほうが楽だろうか。
「『シンシャと共に』
おかしい、おかしい。ここでかすかな不安を覚える。本当に最後に呼ばれるのだろうか。このままでは、受賞者が全員読み上げられてしまう。さすがに不安も少し出てくる。大丈夫だろうか。
「『テンペストワールド』
な。
ふざけるな、この、■〇%?#▽●☆(以下自主規制&言語化できず)!
どういうことだ? なぜだ? あのくそ機械め。なんの小細工をしやがった。そもそもどうして選考されていない。なぜだなぜだなぜだ。
受賞者に対して拍手に湧き上がる会場の中で、ただ一人黒い怒りが湧いていた。
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