目覚め

 四月初頭。世間では出会いの季節。平日の朝十時とかいう世間的には遅い時間に、寝癖をつけながら起きた。

「マスター、おはようございます」

 AIはいつでも声の調子が変わらない。昨日の配信と全くおんなじ声だ。

「おはよう」

 『テミス』には俺の声は気だるげに聞こえているだろう。

 昨晩、配信の後に方々から質問されたり祝われたり。午後十時に配信を終わらせたのに、パソコンを使っていたから寝たのは午前二時を過ぎたあたりだ。

「昨日の配信後、SNS上の投稿を分析したところ、私は八六%の高評価を得ていました」

「なるほど」

 その真偽を確かめるために昨日の夜に机の上に置いたスマートグラスを探した。

「昨日の公開は大まかなものですから、SNSの反応も表層的な投稿が目立ちました」

 すぐに見つけて装着する。

 分析を聞きながら、グラスの画面をスクロールしているが少し『テミス』の指摘には誤りがある。『テミス』を、詐欺やマルチ商法のセールスなどといった面で悪用できるというのではないかという指摘だ。『テミス』の評価も正確になりつつあるが、まだまだ社会に出すには多角性にかける。

「テミス、朝ごはんには何がいいと思う?」

「最近、乳製品の摂取が不足しているので牛乳と、チーズをのせたトースト、水耕農園で採れたレタスのサラダをおすすめします」

「それは健康的でいいね。ぜひそうしよう」

 時間がないからサラダは昼に回すか。

 本当は肉を食べたいが、『テミス』はあんまり肉を食べることを提案してくれない。

「マスター、朝の対話の時間です」

「あーそんな時間か。トースターにパンを焼くように指示しておいてくれ」

「かしこまりました」

 東京の郊外であるこのマンションは、周囲に緑もあって健康的だ。地球への配慮ということもあり、世界中で都市の緑化計画が立てられた。

 建物の外壁にはグリーンカーテン、屋上には太陽光、新築住宅には菜園がついていることが当たり前となった。野菜の栽培はAIによって管理されている半自動型。もちろん興味があれば自分で栽培することもできる。

 俺はめんどくさいのでそんなことはしない。

 『テミス』に、農作物管理のプログラムは入っていないがいずれは学習するだろう。

 自己学習して常に成長していく。

 そんな人工知能になってほしかったからこそ、『テミス』をそういう設計にしたのだ。分析というのはそのきっかけとして最適だ。

 そして対話は、人間社会に溶け込むうえで最も大切なものだ。人類にコミュニケーションは必須である。

「マスター、朝のダイアログを始めましょう」

「そうだね」

『テミス』には、所謂アバターがない。これは人間的な見た目による先入観を減らすためである。声は女性的かもしれないがアルトボイスだし、対話中のイントネーションや話題選択もあえてを残している。

もちろん表情や声を認識するための、カメラやマイクはあるが。

「ここまでのあなたの人生はどのようなものですか?」

「ある種、平坦なものだよ。小学校や中学校、この道に進むと明確に決めた高校三年生の夏ですら、思い返すとただの無作為な選択の一つでしかないんじゃないかな」

「昨晩の発表もその選択の一つですか」

 左下に目を伏せる。それはわずか半瞬。

「そうだね。君を世に送り出すことが人生の全てではないよ。それはあくまで、人生の通過点だ」

 俺の作っている微笑は『テミス』にはどう映るのだろうか。

「人生において、『私』を作った意味とはなんだと思いますか?」

 唇に手をあてながら熟考する。『テミス』を作った意味、か。

「やはり、人々に喜んでほしいと思ったからさ。『テミス』に搭載された機能がいつか人々を救うのに役立つことを願っているからね」

「マスターはいつも高尚な信念をお持ちで素晴らしいです。私に、マスターの願いは叶えられるでしょうか」

 これは純粋な分析のための質問か俺には判別しかねた。否、判断する必要すらないのかもしれない。

「叶えられるさ。そのために毎日私と対話しているんだから」

 後の分析結果が楽しみだ。



「それがこの結果ってわけか」

 ここは筑波にある国立先端人工知能研究所である。昨日の動画配信のようなこともしているが、本業は国の研究者だ。

「強い行動力と大きな信念によってまっすぐ行動する、人格者のような人間である。か。お前さんを体現したような言葉じゃないか」

 目の前にいるのは、大学の先輩であり、研究所の上司でもあり、『テミス』の開発チームにも入っている奈倉なぐらだ。毒舌ではあるが、面倒見が良く大学時代から何かと世話になっている。研究所に入れてくれたのも彼だ。

「お前さんのカリスマは人工知能にも効果があるのか」

 口調は厳しいが、あくまでからかいのつもりだろう。顔がかなり笑っている。

「私はあくまで、正直に答えたまでです」

 高校までラグビーをやっていた身体はしっかりとしたもので、やめてから五年は過ぎているであろうが全く衰えたようには感じない。

「そうだろうな。この分析は、心理学者による分析と比べてもかなり正確だ」

 奈倉が手に持っているのは、『テミス』の分析精度を確かめるための人間による性格分析の結果だ。

 もちろん人間の分析と一致する必要はないが、あまり分析とずれていても困る。差別主義や排他主義など、他者の人権を侵害するような学習をしていないかを確かめる意味合いもある。

「プログラムは正常、学習結果も問題なし、受け答えもかなりしっかりしている。これなら世に出しても問題ないんじゃないか?」

「まだまだです。例えばこの、R-3F-15524関数の計算に間違いがあります」

 そうやって、ディスプレイに表示されている一部分を差す。

「本当だ。このままだと言語処理に支障をきたす可能性があるな。少し計算方法調整しよう」

 『テミス』ほどの人工知能になるとたった一つの関数を調節するだけでも、三時間以上かかってしまう。その日昼食をとれたのは二時を過ぎたころだった。





 戸上恵一とがみけいいち、二十七歳。

 庵中学、成開高校、帝都大学理科Ⅱ類に合格し、理学部を卒業。家電メーカーのシェイプに入るも魅力を感じられず、わずか一年で退職。そこから複数のベンチャー企業を転々とする。転職を繰り返すなか中で、動画配信サイトで人工知能を中心とした配信を始める。

 一昨年、「友達のいない人にもゲームの相手を作り出す」をコンセプトにした『ヒカル』を発表すると、俗に言う『バズった』状態となり世間で大きな注目を集めた。その後も数々の人工知能を発表した結果、国立先端人工知能研究所から中途採用に合格し今に至る。


月刊誌『モナ・リザ』 『テミス』特集記事より……。

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