おじいちゃん、礼儀正しい
かつての名残りを感じさせる、怖いくらいに深々と刻まれた堀。
だがそこには、
今回のレイドを引き起こした元凶と思われるダンジョンじゃ。
例えるなら、ほうれん草のおひたしにトマトソース。上品な出汁と薄口の味付けを、ニンニクの香りとトマトの酸味でぶち壊すような組み合わせ。
和洋折衷とはあまりにも真逆で、テーマパークにでも来てしまったのかと疑うほどの異質さ。忍者と騎士が、舞台の上で客寄せのショーをしていても不思議ではない。
「でけぇなおい……」
「三島の家の百倍以上じゃな!」
「てことは、源ちゃん
外壁は美しい石造りで、苔一つない。まるで、建設されたのようだ。よく研磨されていて、一から作ったとしたらどれほどの時間を要するのか。
茨城県庁とまではいかないが、かなりの高さがある。いったい何部屋あるのだろうか。
王が居るとすれば最上階。そこで戦闘になるとすれば、こちらが不利になる。そのままの造りであればだが。
猪俣がぽかんと口を開けて見上げておる。その気持ちは分からんでもない。
それにしても……ツルッパゲの言葉は聞き捨てならん!
「なんじゃと!? お主の家よりワシの家の方がでかいじゃろ!」
「平屋だから勘違いしてるだけだっぺ? 縦と横があるってのが分かんねか? おはじきを使わなきゃ計算もできないとはな!」
「どっちもどっちだろ……」
"なんじゃこりゃ!?"
"ヘリで上空から撮影した映像とは雰囲気が違うな"
"でけえええええ!"
"ここに魔王が居るんだよな?"
"中どうなってるんだろ? 普通にダンジョンなのか、入ったらその場で魔王戦なのか"
"見た目通りなら、大広間で魔王が待っててもおかしくない"
"家のでかさで張り合う馬鹿二人……"
"猪俣さんしかまともな人がいないw"
遠くから見れば、立派な城に見えるじゃろう。しかし、一点を見れば明らかに違う。
本来であれば入り口扉がある場所が、切り取られたかのように漆黒に染まっておる。その中心で渦を巻く、極楽浄土へ
ワシはこれまで、薄い水色のポータルしか見たことがない。ダンジョンであるのは間違いなさそうじゃが、背中を伝う冷えた汗は、ワシに引き返せと警告しておる。
「なあ? すげぇ恥ずかしいこと言ってもいいか?
猪俣の言葉が
ワシらの動きが、言葉が、コメントが……まるで、ここではない別の世界で置き去りにされてしまったようで。
それほどクリティカルな内容であったということじゃ。
ワシを含めたこの三人は、常人離れした感覚を持ち合わせておる。人間よりも優れた五感を持つ獣の上をいく。第六感が発達しておるというのが正しいか。いつどこでモンスターに襲われてもおかしくない時代を戦い抜いた歴戦の猛者であるからのぉ。
引退して長く、ブランクがあるのは承知の上。じゃが、久しぶりに探索者として活動したワシだからこそ分かる。体は衰えても、鍛えられた
「言わんとしてることは分かんだけどな。この城に入るべきじゃ
三島も理解しておるんじゃろう。目の前に聳え立つダンジョンがいかに恐ろしいかを。
脳内で鳴り響く警笛を無視してまで前に進まざるをえない。猪俣もまた、死を予感しながらも否定はしなかった。……それは何故か。言い表すのは難しいが、探索者を平和へと続く道じゃと例えるとしよう。
一人一人の想いは違えど、手の届く範囲で何かを守りたいという気持ちが大前提にあり、自分が強くなればなるほど道は強固になる。……と、考えておった。
平らで丈夫な道を作り、その道はもっと先へと続いていかねばならん。ワシが守る! ……ではなく、みんなで守るが正しかったんじゃ。これは、第一世代と呼ばれるワシらが疎かにしてしもうた反省点でもある。
ダンジョン配信を始めてコメントの衆とやり取りをしたり、エリカや北村と一緒にモンスターを倒したり、そこで気づくことができた。
……繋げるべきだったんじゃな。
ワシらが挑むことは、ある種バトンとも言えるじゃろう。これから何が起こるのか、どのような魔物が現れるのか、配信とともに後続に伝えることができる。
ワシらの実力じゃからこそ、意味があるというもの。まあ、もとより死ぬつもりはないがな。
「死ぬだの逃げたいだのと情けないジジイどもじゃのぉ。帰りたいなら帰ればええ。どうせ行くんじゃろ? さっさと動かんか!」
「はぁ……分かってて言ってるのがタチ悪いぜ」
「ほんと素直じゃねえよな。配信見てる奴らも、源ちゃんみたいなのが友達なら嫌だっぺ? ほら、行くべ行くべ!」
決死の覚悟ではない。戦い抜くという強い意志じゃ。
棺桶に片足を突っ込んだ老人どもとは思えん炎のような揺らぎが、両の目を
なんと頼もしい友じゃろうか。一緒に死んでくれと言っておるようなものだというのに。
「コメントの衆よ、これから瞬きを禁ずる! ……というのは冗談じゃが、この先の様子を保存するなり解析するなり、力を貸して欲しい。
"信じてるぞ!"
"ゲンジが負けるわけないだろw"
"暴れ納豆! 暴れ納豆!"
"同じ茨城県民として、皆さんの行動を誇りに思います"
"動画保存して、スロー加工とかトラップ位置とか、分かりやすく編集してみるよ! おじいちゃん達が勝ってくれればそれでいいしな!"
"瞬きしません!"
猪俣がライダースーツを脱ぐ。バイクの後部に取り付けてあるサイドバッグの中から装備を取り出し、着替え始めた。
白の肌着とベージュの股引きの上から身に着けたのは、黒い革の上下。ジャケット風の上衣に、足のシルエットがはっきりと分かるパンツじゃ。さらに、鬼鉄の胸当てで急所の守りを厚くして守りを固めておる。
剣も盾も持たず、代わりにグローブをはめた。上腕を覆い隠すような小手じゃ。
かつて猪俣が自慢しておった、氷を操る龍を倒したときの物じゃろう。どこか禍々しく、近寄り難い上位の存在を思わせる雰囲気がある。
「っし!」
猪俣が両の拳を打ち合わせると、真夏だというのに大気が凍りつき、軽快な音とともに白いもやが発生した。
あの小手もまた、ワシの持つ鷲羽の剣と同様に不思議な力が秘められておるようじゃな。
さて、準備は万端じゃ。ポータルの入り口に向かって歩き出す。
近づけば近づくほど、城の巨大さが分かる。得体の知れないプレッシャーを感じて、このワシですら物怖じしてしまう。
小さく伸び縮みを繰り返しながら螺旋を描くポータルの前で立ち止まる。魂ごと飲み込まれてしまいそうで、大型の魔獣が大口を開けて待ち構えているようじゃ。
右を見れば、不安そうに長い顎髭を撫でる三島の姿が。左を見れば、猪俣が眉間にシワを寄せ、厳しい表情を浮かべている。
こういう時こそワシの出番!
平常心を保ち、先陣を切る!
「お邪魔します!」
城じゃからな。誰かが住んでいるはず。
礼儀を忘れてはならん。
ダンジョンに入る時に感じる平行感の欠如。強い目眩が襲ってくる。
揺れ動く紫色の光に包まれること一瞬。赤いカーペットが敷き詰められた大広間にワシは立っていた。
「
「随分気持ち悪いポータルだったな」
二人も来たようじゃな。
部屋を見渡すと、大広間の奥には階段が続いており、壇上には
後ろを見れば、石造りの壁。普通のダンジョンであれば、入り口兼出口のポータルがあるはずなんじゃが。
高い天井には豪華なシャンデリアがいくつも吊るされており、明かりは装飾に反射して宝石のような輝きを放っている。
扉もなければ次の場所に繋がる通路も見つからない。どうしたものか……。
"ガチの城じゃん!"
"あれ……魔王どこいった?"
"魔王のやつ、びびって逃げたんじゃね?w"
"かーっ、ゲンジには勝てんかーwww"
"こっちはレジェンド三人おるからな。俺が魔王でも部屋の隅っこで震えてるよw"
"なんか拍子抜けしたなw"
何もないということは無いじゃろう。スイッチや隠し扉があるのやもしれん。となると、怪しいのは……あの椅子じゃな!
一歩ずつ慎重に進み、何が起きても対応できるよう体に緊張感を持たせておく。
大広間の中央まで来たその時……不気味な高笑いがホールに響き渡り、思わず足を止めてしまう。
階段の下に突如出現した丸い影。頭からトンネルを潜り抜けるように、ニュルッと人型の何かが姿を現した。
「ようこそおいでくださいました。魔王様がお客様の訪問を歓迎していらっしゃいます」
黒の燕尾服に、鳥の翼のように小さく折り返された襟先――ウィングカラーの白いシャツ、黄色の蝶ネクタイを身につけた男……なんじゃろうか。声だけ聞けばな。
性別が判別できない理由は奴の顔にある。毛は一切生えておらずツルンとしており、目も鼻も口もない。プラスチックのような白い顔の半分が口で、歯だけが不気味な黒に染まっている。
「なんじゃ貴様!」
ワシが鬼鉄の剣とメタルリザードの盾を構えると、三島と猪俣も戦闘態勢をとった。
「お待ちくださいお客様。こちらに戦闘の意思はございません。魔王様から丁重におもてなしするよう申し付けられておりますので。こちら、城の管理を任されております、オットマンと申します」
オットマンと名乗る奇妙な
"歓迎されてる……?"
"なんか気持ち悪いな"
"倒しちまった方がよくね?"
"やっぱり、この城には魔王が居るんですね"
"下手に手を出さない方がいいんじゃないか? 僕はランクの低い探索者だけど、見ているだけで気味の悪さを感じるよ"
「おい、お歯黒。お
三島が前に出ながら牽制する。盾を体の前に構えていることから、十分に警戒しておるようじゃ。
「落ち着いてください。まだこちらの話は終わっておりません。お客様には、二つの選択肢がございます。一つは、お帰りいただく。その際には、こちらが責任を持って城の外までご案内します。そしてもう一つ……魔王様に挑戦なさいますか?」
弱々しい雰囲気だったオットマンが口の端を吊り上げて醜悪な笑みを浮かべると、体を突き抜けるような威圧が発せられた。嫌な汗が吹き出し、毛根のあたりがチリチリと痒い。
舐めてかかっておったら足元をすくわれておったじゃろう。ワシが戦った四天王――ヘイルメリーよりも格上の存在だと認識せざるを得ない。
自分の力の片鱗を示し、魔王と呼ばれるモンスターがはるか高みにおるという恐ろしさを擬似的に体験させようとしておるのか。
「オットマンとやら。聞きたいんじゃが、街にモンスターが現れたのはお主らの仕業か?」
「こちらども……というより、魔王様のお力によるものでございます。お楽しみいただけましたか?」
「なるほどのぉ。では、魔王を倒せばモンスターは引くのか?」
「えぇ、おっしゃる通りでございます。……で、どうされますか?」
やはり、ワシの予想通りじゃな。
となれば、もちろん……。
「魔王とやらに挑戦してみようかの!」
「それは素晴らしい! 魔王様もお喜びになるでしょう! では、お客様にその資格があるか試させていただきます」
大広間が再び不気味な笑い声に包まれる。満足そうに笑いながら、オットマンが小さく三回手を叩く。
その音が鳴り止むと、一瞬だけ視界が歪んだ。
赤いカーペットが敷き詰められた大広間に居たはずじゃが、ワシらは砂の敷き詰められた闘技場のような場所に立っていた。
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