開かれた真実

 大きな寝台に、人魚が横たわっている。

 身体の大きさは、ざっと成人男性二人分に満たない程度か。上半身は人間の少女程度の長さだが、魚のような形態をしている下半身が非常に大きい。尾鰭は魚と同じく縦向きになっているため、寝台に寝かせるのに少し邪魔だった。

 横たわる人魚の顔は鱗塗れで、そもそも人間や亜人と同じような変化をするのかは分からないが……一見して、少女のように見える。

 ただしその目に生気はない。半開きの口と瞼はぴくりとも動かず、胸も上下していない。

 当然だ。この人魚は死んでいる。腹に開いた、大きな穴が致命傷となって。他にも腕や脇腹に穴が開いており、苛烈な死闘を繰り広げた事が窺い知れる。


「す、凄い……こんな新しい人魚の死体は、少なくとも記録されている中では初めて確認されたものです」


 死んだ人魚を前にして、イーヴィスは若干興奮気味だ。絵面としては女性の死体に興奮する青年であり、ネクロフィリア死体愛好に見えなくもない。

 実際には学術的な意味での興奮である事は、同じく新鮮な死体に興味惹かれるエレノアも分かっている。イリスは怪訝な顔をしているが、エレノアがイーヴィスと似たような反応をしているので事情は理解したのだろう。剣を抜くような真似はしない。

 人魚研究に関わる者なら、この死体に興奮しないなんてまずあり得ない。

 王国の長い歴史を見ても、人魚の死体は腐乱した、欠損が激しいものしか手に入らなかった。欠けた身体では知れる情報は極めて限定的で、だからこそ謎だらけの存在だった人魚。その秘密が、この死体を解剖する事で幾つか解き明かせるだろう。学者として、興奮しない訳がない。

 しかし同時に、これは亜人の遺体でもある。


「……まずは哀悼の意を捧げましょう」


「あ、そ、そうですね。すみません、つい……」


 エレノアの提案に、イーヴィスは申し訳なさそうに目を閉じ、胸に手を当てた。エルフが死者を悼む時の作法だ。

 エレノア達は人間が用いる作法として、身体の前で十字架を切る。

 人魚にとっては異文化による哀悼。魂が本当にあるなら「何やってんだこいつら」と思われているかも知れない。それとも、こちらの意を汲んでくれるだろうか。

 仮に汲んだところで、感謝はしないだろうが。


「……この、胸に開いた穴が致命傷ですね?」


「ええ。ある漁師が銛で刺し貫いたそうです」


 事の発端は、その日の昼間の事。

 ある漁師が沖で漁をしていたところ、人魚に襲われた。船を転覆させようとしてきたらしい。

 ただ、その船は一人乗りの帆船としては大きなもので、人魚の力では転覆させる事が困難だった。すると何を思ったのか、船上にあった網を掴み、海に持ち帰ろうとしたという。

 空の網なら、そのまま手を出さなかったかも知れない。しかし当時網の中にはたくさんの魚が入っていた。それもこれから契約先……高級旅館などに卸す魚だ。生活の道具どころか糧も奪われては堪らないと、漁師は偶々船に積みっぱなしにしていた木製の銛で応戦。

 運良く腕を突いたところ、人魚の動きは大きく鈍った。まるで痺れているかのようだった、らしい。

 ところが人魚は退かず、それどころか船上に上がり、漁師に襲い掛かってきた。

 後の事は、漁師も覚えていないという。無我夢中で殺し合い……漁師も大怪我を負ったが、人魚は致命傷を受けて倒れた。

 敵である人魚を討ち取ったという興奮のまま、漁師は市場に帰還。八つ裂きにしてやると興奮する漁師仲間を、「そういや学者さんが人魚の研究していたしそのまま渡した方が良くない?」と気付いた市場関係者が引き留め――――エレノアの到着まで、人魚の死体を守ってくれた、という流れだ。


「(案外今まで新鮮な死体が得られなかった理由は、これかも知れませんね)」


 仕事の邪魔をするどころか、仲間を殺している化け物。それをどうにか仕留めたなら、見せしめに残虐な事をするのは人間の性だろう。人間同士の戦場ですら、敵地では非道な戦争犯罪が行われるという。亜人人外相手なら、歯止めが掛かる保証はない。


「ところでこの遺体は、どうされるのですか? 丸ごと標本にするのでしょうか?」


 哀悼の意を捧げたところで、イリスが尋ねてくる。

 最終的にはイリスが言うように、全身を標本にするだろう。とはいえ人魚の事が解明され、もしも彼女達と交流を持てた時には、遺体の返還が求められるかも知れない。将来を考えれば、あまり『品位』を貶めるような扱いはすべきでない。

 それについ先程まで生きていた身体を、いきなりアルコール漬けにするのは

 この中には、人魚の秘密が山ほどある筈なのだから。


「……亜人とされている方の身体を、了承なしに切る事に罪悪感はありますが。ですが人魚達を理解するためにも、その身体を知らねばなりません」


「つまり、解剖するという事ですね」


 イーヴィスの言葉に、エレノアは無言で頷いた。

 法的な問題はない。学問の世界では人魚は亜人と見做されているが、法的には認められていない。何故なら法律上亜人とされているのは、人間社会と正式な交流があるエルフとドワーフの二種だけだからだ。亜人は他にもオークや妖精など、無数にいるというのに。

 これは亜人と仲が悪かった時の名残りであり、現在では範囲を広げるよう法整備が進められている。一般人の多くも、亜人と人間は平等だという考えだ。傷付ければ世間の目という刑罰もあるだろう。しかしあくまでも法的には、現時点で人魚の扱いは野生動物と変わらない。

 だから人魚を殺した漁師が罪に問われる事はなく、またエレノア達がその『死骸』を解剖・標本にしても逮捕される心配はないのだ。唯一懸念があるとすれば、亜人友好派の人々から反発があるだろうという事。しかしこれも、人魚が人間どころか他の亜人からも嫌われている事を思えば、あまり大きな反響はないだろう。

 無論、良い事ではない。嫌悪は理解を妨げる毒であるとエレノアは思う。しかし此度に関して言えば、お陰で存分に理解を深められる。


「痛んでしまう前に解剖を始めましょう。道具はありますよね?」


「勿論。少し古いですが、まだ十分使えます……ところでエレノア様は、解剖の経験はおありでしょうか?」


「大型魚はサメ類を三体と、ヒトノミ類を一体。中型魚は数えきれないほどこなしました」


「それは頼もしい」


 嘘偽りない経験を述べると、イーヴィスの表情が緩む。学者として、未熟な者を貴重な試料の解剖に関わらせたくない気持ちは当然のものだ。

 イーヴィスが用意した解剖のための道具を確認し、エレノアはイーヴィスと視線を交わす。イリスは後ろに下がり、二人の邪魔にならないよう部屋の隅へと移動。とはいえ何もしない訳ではなく、二人が話した事を記す記録係をやってもらう。

 用意が出来たところで、エレノア達は人魚の死体を調べる事にした。


「まずは何処から見ます?」


「やはり呼吸器系ですかね」


 イーヴィスと相談し、最初に調べるのは人魚の呼吸方法となった。口回りや顔の辺りを触り、特徴がないか確認していく。


「……鱗があるので肉眼だと確認が困難ですが、首のところに亀裂があります」


「数は幾つですか?」


「一つ。解剖しないと中は見えそうにないですが、恐らくこれは鰓でしょう」


 人魚が鰓呼吸をしている、というのは昔から言われていた。何分海中に潜ったまま殆ど顔を出さず、息継ぎのも上がってこない。クジラやアシカなどのは肺呼吸のため息継ぎが必要であり、一定時間置きに海上に顔を出す。人魚がそうしないという事は、鰓呼吸と考えるのが妥当だ。

 妥当だが、証拠はなかった。人魚の生活圏は沖であるため、人の目が常にある環境ではない。夜にひっそり息継ぎしていたら、もう人間では確認する事はほぼ不可能だ。

 肺の有無だけでも分かれば呼吸方法を断定出来たが、沿岸に流される人魚の死体はどれも腐乱している。

 鰓というのは、体内組織でありながら外に面している(汚い水に触れている)器官だ。生命活動の停止、それによって免疫も停止すればあっという間に腐る。元々腐敗が酷いものばかりである人魚の遺体の中に、鰓や肺の判別が出来るものはなかった。お陰で今まで呼吸方法すら断定出来ていなかったのである。

 こうして今、鰓が確認出来たからには、人魚は鰓呼吸なのだろう。

 推測されていた事とはいえ、それが『事実』になるのは大きい。鰓呼吸であれば、という前提でされていた他の推測がより真実味を帯び、逆に肺呼吸を前提としていた学説の信憑性が失われた。鰓一つで、多くの学説が影響を受けたのだ。

 更に調査を進めるエレノアとイーヴィス。いよいよ人魚の身体に、刃物で傷を付ける。

 つい先程まで生きていた人魚の身体は、非常に興味深かった。例えば人間などの陸上生物と違い、大きくて目立つ胃はない。腸とあまり太さの変わらない、あまり発達していないものだった。また肺のようなものが出てきたが、更に解剖すると肺ではなく浮袋だと分かる。中に脂が詰まっており、浮力の調整に用いられていたのだろう。

 人間的な見た目をしているが、骨格は全く異なるものだった。胸骨どころか骨盤もない。痕跡のような小さなものも見当たらず、元々持っていないようだ。また鼻には穴がなく、厳密には顔から突き出した部分、『吻』の一部だと分かる。


「人体、というか、他の亜人とも全然違いますね……」


「ええ。恐らくですが下半身を調べれば……ああ、良かった。女性でしたね。見た目からは判別出来ないのか、単に男がいないのかも分かっていないので、賭けだったのですが」


 イーヴィスは人魚の下半身に切れ目を入れ、その中を開くと納得したように呟く。

 下半身にあったのは、『卵』だった。

 卵の大きさは人差し指の第一関節程度の大きさ。魚としては大きな卵であるが、人魚と比べればかなり小さい。数はざっと三百個はあるだろうか。卵は殻で覆われていない構造で、透き通った中身が丸見えだ。尤も何か形がある訳でなく、半液状の卵黄が詰まっているだけだったが。

 解剖により確認した体内、そして出てきた卵。ここから導き出される事は、人魚が『何』であるのかという事。


「どうやら、人魚は魚のようですね。我々哺乳動物に含まれる亜人とは、別系統の生物のようです」


 エレノアが至った結論に、同じ学者であるイーヴィスは賛同するように頷いた。

 納得出来ないのは、記録係としてこの部屋にいる一般人騎士ことイリス。


「魚、なのですか? 確かに下半身は魚ですが、上半身はどう見ても人間やエルフと同じ、亜人の類ですよ?」


「そうね……どう説明したものか……」


 イリスの質問に答えるべく、エレノアはしばし黙考。ある程度頭の中で纏めた話で説明する。

 生物は『何処』から誕生したのか。

 人間もエルフもドワーフも、大半の市民や神官、貴族など政に関わる者達もこう答えるだろう――――神により創られたと。学校でも神学の時間でそう教わり、教育機関がない農村などでも親からそう教わるのが普通だ。少なくともほんの百年かそこら前までは、学者達も同じように考えていた。

 しかし最近の説によれば、生物は長い時間を掛けて変化する。環境の変化に合わせて、世代を重ねて少しずつ変わり、やがて新たな種となる。

 これを進化と呼ぶ。新しい説であり、まだまだ議論の余地のあるものだが、エレノアとしては大いに納得出来る学説だ。乱獲が行われた地域では魚が小さいうちに産卵する(捕まる前に卵を産んだ方が適応的だ)ようになるなど、実際環境に合わせて『変化』しているところを見てきたがために。

 さて。この進化であるが、環境や生き方に合わせて形を変えるという事は――――見方を変えれば、似たような生き方をする生き物は、全くの別種でも同じような形態になるという事も意味する。

 例えばクジラと魚が、一番分かりやすい例だろう。どちらも水の中で暮らす生き物だが、クジラは人間や亜人などの獣に近く、魚とは全く違う生き物だ。尾鰭の向きや鰭の構造など、細かな違いはいくらでもある。しかし大まかな形態は、仲間だと勘違いしてしまうぐらい似たものだ。

 それは水中という環境に適応した結果である。一生水の中で過ごすのなら、脚なんていらない。尾鰭と胸鰭だけあれば良い。身体は流線型が適していて、水の抵抗を受け流す作りが最適だろう。


「人魚にも同じ事が当て嵌まると思うわ。恐らく人魚は、魚でありながら人間と同じ生き方を選んだ生物なのでしょうね」


「同じ生き方、ですか?」


「つまり群れを作り、仲間と協力して社会を作る、知的な生命体という事よ」


 社会を作るのであれば、知能は高い方が良い。相手の意図を推察出来、円満に生活を送れるのだから。知能を高めるには頭が大きく、それを支えられる身体が適しているだろう。また知能が高いなら、手先は器用な方が『色々』な事をやれる筈だ。

 表情もある方が良い。魚のような、喜怒哀楽がない顔では自分の感情を伝える事が難しい。仲間との意思疎通を行うには、柔軟に変化する顔が合理的だろう。

 しかしこういった『人間らしい知的生命体』らしい特徴は、上半身だけで大凡満たせる。下半身は知性とあまり関わりがない。むしろ大海原で暮らすなら、魚のままの方が都合は良い。細長い足をバタバタさせるより、大きな尾鰭を左右に揺らす方が遥かに効率的に水中を進めるのは、魚を見ていれば明らかだ。


「ドワーフやエルフは、比較的人間に近い生物から生まれたと考えられているわ。陸上にいる他の亜人も、エルフ達ほどじゃないけど近い種から進化したと考えられている。身体の構造が似ているからね。だけど、どうやら人魚は全くの別物、魚から進化した……ある意味正真正銘の『人外』のようね」


 解剖から得られた結果を言い終えて、ふぅ、とエレノアは息を吐く。

 それからイリスの顔色を窺った。

 イリスは、少し戸惑いを露わにしていた。納得していないという訳ではなく、どう解釈したら良いか分からないという様子だ。

 恐らく、この話を一般市民にしても同じ反応だろう。市民の大半は、生物進化なんて概念を知らない。エレノアが「生き物は進化するんですよー」と伝えたところで(王族という権威を考慮しなければ)、意味不明な話で騙そうとしている輩にしか思えない筈だ。神への冒涜だと思われても仕方なく、この講釈を垂れた後に農村で偶々不作などが起きれば、『元凶』として吊し上げを喰らうかも知れない。

 それに、進化の考え方は人間に。環境への適応や、生き方に最適な身体という言い回しは、つまり人間の誕生も環境への適応――――特別ではないという意味になってしまう。多くの人間は、人間という種が特別だと思っている。その『権威』を奪う事に反感を覚えるのは、ある意味当然の考え方だろう。

 ましてや人魚が他の亜人と全く違う存在だと言われれば、どう解釈すべきか混乱するのが普通である。


「……エレノア様。この内容は、王国科学院に報告されますか?」


 イリスもその混乱を心配しているのか。情報の報告そのものを躊躇う素振りを見せた。

 ただ、それに関しては問題ない。エレノアが属する王国科学院では、多少意見や解釈の相違はあれど、今や進化はあるとする考えが主流だ。実例を幾つも知り、複雑怪奇な大自然を知るからこそ、新たな考えにも納得出来る。

 それに事実を知らなければ、『世界』に対し正しい付き合いが出来る筈もない。


「ええ、勿論。隠す必要はないし、誤った認識は今後人魚と付き合う上で問題となるわ。そのまま報告しましょう」


「自分も同じ意見です。進化云々は別にしても、人魚が人間ではないと理解すれば、交流の方法が見付かるかも知れない。『仲間』だと思うから、相手のやり方が分からないというのは珍しくない事です」


 生物や文化によって、付き合い方は様々だ。人間にとって歯を出す笑い方は敵意のなさを表すが、多くの動物にとってその顔は敵意の表れである。歯を剝き出しにしたイヌは、笑顔を振り撒いているのではない。

 人魚が魚だと分かれば、彼女達の社会についての理解が一層深まるだろう。それはきっと、共存のための一助となる。

 人間に近いエルフなどとは違う、本当の『人外亜人』との交流が、可能となる日が来るかも知れない。


「承知しました。出過ぎた真似をして申し訳ありません」


「まぁ、実際ある程度の衝撃は生じるでしょうし、一般人は余計に憎しみを拗らせそうではあるからね。心配するのも無理ないわ」


 深々と頭を下げるイリスを許し、この話は一旦一区切りとする。

 ……いや、厳密には区切るなど出来ない。魚だと分かれば、新たな疑問も生まれる。

 エレノアが尤も関心を抱いているのは、卵の大きさだ。イーヴィスに訊くように、自分の考えを確認する。


「……ところで気になっているのですが、この卵、かなり小さいですよね?」


「そうですね。数も多いですし、恐らく多産多死の戦略を取っているかと」


 生物にとって、卵の大きさはとても重要な問題だ。

 大きな卵(幼体)は、身体が大きいため仲間との競争に強い。栄養がたっぷりあるため生まれた子の身体は丈夫となり、生存率も高くなる。また天敵からも襲われ難い。

 良い事尽くめにも思えるが、しかし大きな卵は数を産めない。一体の生物が一生の間に得られる栄養には限りがあるため、卵に与えられる栄養にも限界があるからだ。たくさんの卵を産み、より多くの子孫を増やすには、卵を小さくしてたくさん産むしかない。

 どちらが優れた方法かは、生き方次第としか言えない。たくさん天敵がいるのであれば、食べられるよりも多く産まねばならないので、小さな卵の方が良いだろう。しかし天敵が少ないなら、同種間での競争が激しいため、大きな子の方が適している。

 人間が基本的に大きな子を一人しか産まないのは、それが人間にとって適した生き方だからだ。人魚が多産なのは、それが適した生き方なのだろう。海には捕食者が非常に多いため、かなり多くの生物が極端な多産多死 ― 産卵数が数万〜数百万を超える事も珍しくない。生き残るのは当然その中の一〜二匹だけだ ― の繁殖戦略を採用している事を思えば、なんら不思議ではない。

 だから卵が小さい事自体は問題ではない。

 奇妙なのは、ならばどうしてという事だ。


「(多産多死型なら、それだけ多くの子供が死ぬ筈)」


 多産多死戦略は子供が死ぬ事前提の生き方だ。良い悪いではなく、現実に子が死ぬのだからそう生きるしかない。

 言い換えれば、人魚の子は頻繁に死んでいる筈だ。その死因は、大半は何かに食べられる事だろう。

 しかし食べられた人魚の残骸が発見された事は、少なくとも公式の記録にはない。

 いや、そもそも小さい卵をたくさん産んでいるのだから、大人よりも圧倒的に子が多いのだ。なのに誰にも見付かっていないのは、些か奇妙である。

 或いは。


「(見付かっているけど、誰も気付いてない?)」


 あり得ない事ではない。

 生物の中には、成体と幼体で大きく形が異なる種もいる。陸上の生物なら昆虫が顕著であるし、また脊椎動物の中でもカエルは親と子の姿が全く異なる。

 魚にもそういった生態の種はいる。それこそ同種だと分からないぐらい、大きな差異も珍しくない。人魚も魚であるなら、親子の姿が大きく違っている事もあるだろう。そして人間は生物の分類を、主に形によって行っている。姿が似ていれば同種、違っていれば別種という扱いだ。姿形があまりにも親と違っていれば、別種だと思われてしまう。

 もしもそうだとすれば……


「……………」


「エレノア様? どうされましたか? 顔色が優れないようですが……」


 イリスが、本心から心配したように声を掛けてくる。確かに今の自分は相当顔色が悪いだろうと、エレノアも納得する。

 脳裏を過ぎったのは、最悪の考え。

 もしもこの考えが正しければ、人魚が人間や亜人に敵意を持つのは当然だ。である。しかし『悪事』を仕掛けた当事者達はもうこの世にいない。世代が移り変わった事で、もう誰が悪いと言えなくなってしまった。

 何より、これを話しても人間は納得しない。考え付いたエレノア自身信じたくないぐらいだ。

 それに、まだ確定した訳ではない。


「(調べないと。でもどうやって? 片っ端から調べるにしても、この豊かな海に暮らす魚は数も種類も多過ぎる。候補は私の中にはあるけど、それだって確実だとは言えない。そもそもそれが人魚だって証明するには、生きたまま捕まえて育てるしか……)」


 どれだけ考えても、すぐには答えが出そうにない。

 研究というのは地道で、時間が掛かるもの。そんな初歩的な事ぐらいエレノアも分かっているが、この話に関して言えば時間が経つほど事態は悪化する。しかし国民に伝えるのは、確信のある情報でなければならない。

 速さと正確さ。相反する状況に、エレノアの頭が混乱という名の白い靄に包まれていく。

 こういう時にどうすべきか。

 ――――結局のところ、一人で抱え込むからいけないのだ。人間は群れを作り、社会を形成して生きる生き物。一人で解決出来ない事を、数の力で解決して繁栄してきた。それに頼らないのは、人間として適した生き方ではない。


「……イリス、イーヴィスさん。実は私、一つ考えが浮かんだのですが」


「考えと言いますと?」


「人魚が人間を襲う理由。正直外れてほしいし、確証はないんだけど……」


 あくまでも推測である。そう念入りに前置きするが、イリスは兎も角イーヴィスは身体を前のめりになる。長年の、少なくともこの町では二百年続く謎が、解かれるかも知れない……エレノアもイーヴィスの立場なら、同じような反応をしたに違いない。

 だからこそ、その純粋な気持ちを曇らせるのが申し訳ない。


「恐らく、この町の漁師は


 こんな救いのない話で、楽しい気持ちが続く訳もないのだから。

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