予期せぬ大発見

 お腹を空かせたエレノア達が入ったのは、土産物屋の近くにあった高級感のあるレストラン。

 ランチタイム昼食で使うには少々豪勢過ぎるようにも思うものの、衆目の中で腹の音を鳴らした恥ずかしさもあって、エレノアは手近な食事処に入る事とした。お昼としては遅い時間というのもあって、店内は非常に空いていた。

 客が少なければ、店全体としては労働力に余裕がある。余裕があればトラブルなどに対処しやすいため、店員の気持ちは落ち着いているもの。ところが今、この店は緊張状態にあった。

 何故ならエレノア達が来店したからだ。一目で王族とまでは思われずとも、エレノアの身形や従者イリスの存在を見れば、二人が高貴な立場である事は一目で分かる。

 そして高級感があるとはいえ、観光地に建っているこの店は恐らく富裕層などが主な客層であり、貴族などの『本当に高貴な身分』はあまりターゲットにしていないと思われる。実際、普通の貴族なら高級感のあるレストランではなく、本当の高級レストランへと行く筈だ。警備や景観、飾られている芸術品や店内音楽など、真の高級レストランは細部にまで拘る。単に食材や料理だけが高価なのではなく、故に料理の値段が

 高級感見せかけ高級本物には、天と地ほどの差がある。これは良い悪いの話ではないのだが、エレノアぐらい変わり者でなければ貴族はまずこの店を使わないだろう。

 つまり、この店は貴族や王族を入れた事がない。粗相をすればどうなるか……


「こちらがメニューになります」


 メニューを持ってきた初老のウエイターは、極めて流暢に話していたが、動作が微妙に強張っていた。貴族相手に緊張しているのは明らかだった。


「ありがとうございます。注文が決まりましたら、またお呼びします」


「承知しました。ごゆっくり、おくつろぎください」


 イリスが下がるよう伝えると、ウエイターは深々と礼をしてこの場を後にする。イリスも彼の緊張を察し、気を遣ったのだろう。

 エレノアとしては普通のお客さん程度に扱ってくれれば文句はないので、こうも気遣われると逆にくつろげないのだが。尤もそれを伝えるのは店員達を混乱の渦中に突き飛ばすのと同義(その言葉が気遣いなのか本気なのか彼等には判別出来ない)なので、言葉は胸の奥に抑え込んでおく。

 吐き出すのは、ウエイターの姿が見えなくなってからだ。勿論小声で。


「……逆に疲れた」


「エレノア様が考えなしなのが原因です。身分に応じた店を選ぶのは、贅沢というだけではなく、いらぬ心配や配慮、そして緊張を生まないためでもあるのです」


「それぐらい知ってますよーだ。でも私は堅苦しいのより、巷のおばちゃんぐらい気軽に相手してくれるのが好きなんですぅー」


 じゃれ合うような言い合いをしつつ、エレノアはウエイターが持ってきたメニューに目を向ける。

 メニューには二十品目ほどの料理名が書かれていた。

 酒類やデザートも書かれているが、これについては軽く目を通すだけ。王国における成人は十八歳からなので、丁度十八歳であるエレノアは頼んでも問題ないが、彼女は酒類を好まない。王族の気品を失わないよう、晩餐会で酔い潰れない程度には鍛えたので、単純に好みの問題だ。

 メニューに書かれている料理名は、どんな食材をメインにしたのかが分かるものが多い。クロメのホワイトソース煮、コボラガイのスープ、ニジドラのプティング……港町だけあって魚介を用いた料理が多い。一応肉料理や野菜料理などもあるが、ほんの四品目ぐらいしかない。

 魚介類嫌いにとっては最悪な品揃えだが、好きであれば選り取り見取りだ。それに港町まで来て、王都でいくらでも食べられる肉料理を頼むのも風情がない。食べるならやはり魚だとエレノアは思いながら、一品一品の姿を想像していく。

 その中に一つ、全く想像が付かないものがあった。

 『アカビレの北方漬け』だ。

 北方漬けという料理は、揚げ物の一種である。フライに酸味のあるソースを掛けて食べる料理で、北方の国から伝来した事からそう呼ばれている。北方はアブラナッツと呼ばれる非常に油分の多い植物の生産が豊富で、揚げ物料理が非常に発達しているが……王国ではアブラナッツの生産に向いた土地が少なく、輸入に頼っているため比較的割高だ。このため王国内で揚げ物はそこそこ高級な料理に位置する。百年ぐらい前まで貴族の晩餐会では(裕福さのアピールとして)よく揚げ物が振る舞われたらしい。

 今では鉄道網の発達もあり、北方から安く油を仕入れられるようになったが、それでもまだまだ大衆食と言える価格ではない。ちょっとお高いレストランの料理としては、なんらおかしくない。

 しかし、アカビレとはなんだ?


「(アカビレって魚自体はいるけど、それはこの地域には生息していないし、現地でも脂が臭過ぎて食用にされていないから違うと思うし)」


 自分が知っているアカビレを用いた料理とは、到底思えない。

 そうなるとこのアカビレというのは、現地名だろうか?

 可能性は高い。多くの生物に正式名以外の、所謂俗称がある。特に広い範囲に生息し、有用な用途 ― 食用など ― がある種には何種類も名前があるものだ。結局のところ命名というのは人間がある生物を見分ける必要があるから行われる。その地域で有用な生物に特別な名が与えられるのはごく当たり前の事で、それが地域ごとにやれば色んな名前が付くのは当然の顛末と言えよう。

 果たしてアカビレとはどんな魚なのか。一旦気になると、知らないままではいられない。値段が他のメインディッシュと比べ三倍以上高いが、エレノアは正真正銘の王族だ。ポケットマネーで問題なく買える。


「……私は注文が決まったわ。イリスはどう?」


「私も決めています。店員を呼びましょう」


 イリスはテーブルに備え付けられたベルを鳴らし、店員を呼ぶ。客が他にいないのもあって、すぐにウエイターがやってきた。

 エレノアはアカビレの北方漬けを注文。イリスは魚介パスタを注文すると、ウエイターは深々とお辞儀をして去っていく。

 料理が来るまでの間は、『友人』とのお喋りを楽しむ。高級レストランに限らず、食事は交友を深めるいい機会でもあるのだから。それに喋っていれば、時間というのはあっという間に経つものだ。高級な料理は調理時間も相応に掛かるので、そういう意味でもお喋りは欠かせない。


「お待たせしました。アカビレの北方漬けと、魚介パスタになります」


 しばらくして、待ち望んでいた料理が運ばれてきた。

 目の前に置かれた大きなお皿、その上にちょこんと乗せられた小さな料理。揚げ物の上に飴色のソースが欠けられ、周りには鮮やかな葉物と赤い根菜が置かれている。お洒落で、如何にも高級そうな見た目だ。『高級感』というのは気持ちの問題なので、こういった演出もまた重要である。

 その重要な高級料理の姿をまじまじと観察、魚の正体を確かめようと思ったが……揚げるためか、魚は細かく切られていた。これでは流石に観察しても分からない。

 しかしまだ謎解きの鍵はある。それは味だ。言うまでもなく魚によって味は異なるため、それで大まかな分類は可能である。極めて独特な食味であれば、種の特定も難しくない。そして海洋生物学を学び、学者として活動してきたエレノアは、様々な種類の魚を食べてきた。味覚についても晩餐機で恥を掻かないよう、王族の教育として一流美食家顔負けの評論が出来る程度には鍛えている。味で魚を分類する事は、エレノアにとっては然程難しくない。

 とはいえ今回は謎解き大会ではなく、あくまでも食事として料理を食べる。まずは料理の味を楽しむ事が、丹精込めて作ってくれた料理人に対する敬意だ。ナイフとフォークを使い、小さく身を切り分ける。ソースの濃さが分からないので、ほんの少しだけ付けた状態で一口含む。

 ソースの味はやや薄味で、上品なもの。揚げ物は油分の主張が強いので、これだけだとちょっと物足りないようにも思える。

 しかし魚の身を噛めば、印象は全く違う。

 魚の味が『濃い』。白身魚の風味が、一気に口の中を駆け抜けていく。噛むと染み出してくる汁は、まるで牛肉を噛んでいるかのような強い旨味が凝縮されていた。揚げ物は水分を抜きつつ、表面をカラッと固める事で肉汁を閉じ込めるため、焼くよりも濃縮された旨味があるが……だとしてもこの味は強烈だ。

 それでいて味はあくまでも淡白で癖がなく、臭みも全く感じられない。魚が苦手という者の大半は生臭さを気にしているだろうが、それがないこの魚はきっと大勢の魚嫌いに感動を与えるだろう。いや、魚嫌いが改善して魚介の消費量が増え、世界的な乱獲を引き起こすのではないか――――子供染みた妄想が浮かび、しかもそれを強く否定出来ない。


「(え、何これ。すっごい美味しい!)」


 驚きのあまり、エレノアは無意識にまた切り分け、もう一口食べてしまう。

 すると今度は微かな苦みと、香草のような特徴のある匂いが広がった。

 残った断面を見ると灰色をしていて、白身ではない。恐らく『アカビレ』の内臓を集めたものであろう。魚の内臓はウシや豚、鶏のレバーとは違った風味がある。あれが美味しいという者も多いが、あれが苦手という者も少なくない。好みの問題だ。

 この内臓も、流石に白身と比べれば癖があるため多少は好き嫌いが分かれるだろう。しかし魚好きであるエレノアの意見を言うなら、極上の味だ。ここまで美味なハラワタは、王族の晩餐会でも食べた記憶がない。

 ついつい食が進んでしまう。王族として、高貴なる身分として、食欲に身を委ねるなどあってはならない。しかし強烈な本能の衝動は、数多の美食を堪能してきたエレノアでも制御出来ない。

 何より、これだけたくさん食べても、魚の正体が全く分からない。


「え。何これ……全然分からない……凄く美味しいし、魚の味もハッキリしているのに、見当も付かないなんて」


「魚好きのエレノア様が分からないというのは、相当ですね。ちなみに魚介パスタも美味しいですよ。一口あげますから、そちらも一口ください」


「あらやだ、食べさせ合いなんてはしたないですわ。はい、あーん」


 エレノアはフォークに一切れ刺した状態で差し出す。イリスはこれを特段躊躇いもなく、ぱくりと食べた。

 普通の王族と貴族の間柄でこんな事をすれば、婚姻関係でもない限りかなりはしたない。エレノアとイリスの仲だから許される事だ。


「おお……これは、美味しいですね」


「でしょー? でも種類が分からなくて……あ、ちなみに魚介パスタはどんな感じ?」


「こんな感じですよ」


 イリスがフォークに絡めたパスタを、エレノアはテーブルに身を乗り出して食べる。父親国王陛下がいたらなんと叱られたか、想像すると少し子供染みた笑みが浮かんでしまう。

 ちなみに魚介パスタに使われているのは、オカガイの仲間だとすぐに分かった。オカガイは岩礁地帯に生息する貝で、強い旨味と風味を持っている。極めて美味だ。美味しければ当然需要も多いが、しかし好む環境が岩礁の中でも切り立った絶壁のような場所であるため、簡単には捕まえられない。また生息地が少ない ― つまり個体数が少ない ― ため強めの漁獲制限が掛けられ、故に流通量が少なく、比較的高級な食材だ。

 魚介パスタを食べた事で、今日の自分の調子が悪い訳ではないと分かる。しかしだとするとやはりアカビレの正体は謎だ。一体自分は何を食べているのか……

 完食したところで、エレノアは『負け』を認める。ウエイターを呼び、素直に魚の正体を訊く事にした。


「……すみません。一つお聞きしたいのですが」


「はい。なんでしょうか」


「こちらのお料理に使われていた、アカビレという魚なのですが。どのような魚なのか、見せてもらう事は出来るでしょうか」


「アカビレを、ですか? えっと、調理前のものを、という事でしょうか?」


「はい。勿論そちらにとっては大切な商品ですので、難しければ構いませんが……」


「いえ、そのぐらいでしたら大丈夫です。少々お待ちください」


 ウエイターはそう言うと、落ち着いた(しかしやや早歩きで)調理場へと向かう。

 無理を言ってしまったなら本当にやらなくて良い伝えたいが、ウエイターの落ち着きからして魚自体はあるのだろう。ただ、調理前の魚を見たいという変な客が初めてで、戸惑ったといったところか。

 数分も待てば、調理場からウエイターだけでなくシェフも出てきた。シェフは上質な白い布の上を持ち、その布に大きな魚を乗せている。


「お待たせしました。こちらがアカビレになります」


 深々とお辞儀をしながら、ウエイターは持ってきた魚をアカビレだと紹介した。

 直に姿を見れば、すぐにアカビレがなんであるのかエレノアは理解する。

 マーメイドフィッシュだ。特徴的な外見から、間違いないと判断する。この町では他の地域とは違い、毒魚であるマーメイドフィッシュを食用としている。日常的に利用している種だからこそ、異名があってもおかしくない。

 しかし疑問もある。この町に来てすぐにマーメイドフィッシュはマリネで食べたが、あのような味ではなかった筈だ。

 何より


「……あの、私の勘違いかも知れませんが、こちらのお魚はマーメイドフィッシュではないでしょうか……?」


「ああ、ご安心ください。よく似ていますが、こちらは別の魚種となります。これは地元ではアカビレと呼ばれる魚で、内臓含めて美味しく食べられる魚ですよ」


 ほんの少しの不安が滲み出ていたのか。シェフはにこやかに笑いながら説明する。

 確かに、よく見るとマーメイドフィッシュとの違いがある。胸鰭の縁が赤いところだ。小さな違いであるが、むしろ生物種の差異としては比較的分かりやすい。

 他にも注意深く観察すれば、元々小さなマーメイドフィッシュと比べても胸鰭がかなり小さい、開いた口の中に見える歯が小さいといった違いがある。きちんと調査すれば、明確に別種だと証明出来るだろう。

 しかしマーメイドフィッシュによく似た種というのは、エレノアが知る限り存在しない。

 勿論王国に棲む魚の全てを知っている訳ではないが、人魚の調査をするため関連のありそうな魚種は一通り学習した。マーメイドフィッシュは人魚と共に暮らす魚であるため、特に論文などを読み込んでいる。

 だが、何処にもこんな魚の記載はなかった。

 つまりこの魚は科学者の誰一人として知らない――――新種の可能性が高い。


「あ、あの! このアカビレは、この町では一般的な魚なのでしょうか!?」


「え? えっと、いや、かなり希少な魚ではあります。一日に百も捕れれば多いぐらいですね。市場に出ればかなり激しい競りになります。うちは専属の漁師から卸しているので比較的安定して入荷しています。それでも毎日捕れるものではなく、今日は偶々お出し出来ました」


「な、成程……あの、使う予定がなければですが、こちらを譲ってもらう事は……」


「……申し訳ありません。本日ご予約のお客様にお出しする予定です。予約分を除くと、お客様が召し上がったものが本日最後の一品になります」


 深々と頭を下げ、ウエイターは申し出を断る。

 ここでエレノアが第二王女であると明かせば、彼等は五体投地しながらアカビレを渡してくれるだろう。しかしいくら新種とはいえ、また代金を支払うとしても、既に予約の入ったものを『奪う』のは民草の幸福を収奪するようなもの。王族としてやってはならない行いだ。ましてやこれほど美味な魚となれば、予約した者がどれだけ楽しみにしているか想像が付く。

 幸い、ウエイターの話通りならアカビレは珍しい魚であるが、極めて稀という訳でもない。一日百も捕れればという言い方からして毎日漁獲がある筈だ。料理の値段から逆算するに、競りに出されている魚自体もかなり値は張るだろうが、自分の所持金で買えないほどでもない。ここで無理に購入する必要はないと思われる。


「分かりました。教えてくださり、ありがとうございます」


「お役に立てたのであればこちらとしても嬉しい限りです」


 互いに感謝を伝えると、ウエイター達は各々の持ち場に戻る。

 それを見届けたエレノアはすぐに立ち上がった。イリスも立ち、エレノアの意思を汲んで会計へと向かう。

 イリスが支払いを終えたところを見届けて、エレノアは丁寧に改めて感謝を伝えてから店を出る。

 そして駆けた。一刻も早く研究所に戻るために。


「早くイーヴィスさんに知らせないと! 新種発見を!」


「なんとなくそんな気はしていましたが、まさか高級料理店で見付かるとは。ですがイーヴィス殿はこの地に暮らしていて長い筈。アカビレが新種だと、気付かないものでしょうか」


「それも含めて確認よ!」


 疑問はある。それにあくまでも見た目が普通のマーメイドフィッシュと違うというだけで、本当に新種とは限らない。ただの個体差や奇形、或いは突然変異という事も考えられる。新種だと判断するには、幾つかの標本を獲得し、それを調べなければならない。

 だからこそイーヴィスに訊かねばならない。彼はこの地で長年研究者をしていて、アカビレについて最も詳しい筈なのだから。

 そして彼も何も知らなかった時、人魚と同じく未知の生物であると言い切れる。

 そうであってほしいと祈りながら、エレノアは身分に見合わぬ忙しなさで衆目の中を早歩きで抜けていくのだった。

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