調査協力者

 人魚に会う。

 そのためにエレノア達は、早速港へと向かう事にした。イーヴィス曰く、既に漁師の一人と協力を取り付けている。当初はエレノア達が人魚と会う予定ではなかったので、恐らくイーヴィス自身が行く予定だったのだろう。

 ちなみにイーヴィスは(本来エレノア達にお願いするつもりだったと思われる)歴史資料探しをしている。人魚に対する科学的知見は少ないが、存在自体は昔から知られている。大昔の伝承から、何か分かる事があるかも知れない。

 エレノア達も、ただ港に行けばよいというものではない。例えば身形。研究所に行った時の服装で海に出るのは非常に危険だ。イリスのように金属製の鎧を着ていたら、万一海に落ちた時誰かが手を伸ばすよりも先に海底へと沈んでしまう。エレノアが着ていた少女趣味的な服装も、生地が多い分水を吸うので重くなりやすい。そもそも動きが妨げられる格好は、調査の効率を落とすので好ましくない。

 まずは着替えだ。エレノアは可愛らしいワンピースを脱ぎ、革製の『作業着』を着込む。足には長靴、手には革の手袋を装着する。麗しい少女の見目には似合わない格好だが、ファッションを重視すれば待っているのは死。自然は、エレノアが王女か美人かなど考慮してくれないのだから。

 イリスは金属の鎧ではなく、革で出来た軽装備に着替えた。ただの革製防具ではなく、水辺での戦いを想定した品を使っている。革の中に空気の層があるため、防具自体が浮き輪となってくれるのだ。反面、他の革製防具より厚みがあり、動き難いという欠点もあるが。

 そうして装備を整えてから、二人は研究所を出た。自然だらけの岩礁地帯を越え、再び港町に入る。今度は海沿いの道を歩きながら、協力者がいるという漁港を目指す。


「ところでエレノア様。エレノア様は、人魚をどうしたいとお考えなのですか」


 その道中イリスから問われた。

 どうする、とはまた抽象的な問い掛けだ。しかしイリスの意図は、エレノアには分かる。幼少からの付き合いで、相手の気持ちや意図を察せられるのはイリスだけの特権ではない。

 イリスの言いたい事は、人にとって危険な人魚をどうするつもりで研究するのか。

 つまり。その基本的な方針を尋ねているのだ。


「うーん。まぁ、研究結果というか、生態が明らかになり次第という前提ではあるけど~……一旦は共存を目指したいよね」


「エレノア様の方針に異を唱える訳ではありませんが、私個人としてはあまり納得出来る方針ではありません。一般的な亜人と異なり意思疎通の取れない、人に危害を加える生物と、どうして共存する必要があるのでしょうか」


 イリスのハッキリとした物言いは、エレノアにとっても理解出来る。恐らくエレノアが先の考えをこの町の住人に話せば、同じように反論されるだろう。エレノアが王族だと知らず、世間知らずな貴族のお嬢さんだと思えば、イリスの言葉をもっと汚くしたような言い方で罵るかも知れない。

 確かに、家族や友人を殺した相手と仲良くしましょうなどと言う輩がいたら、そいつの顔面を殴り飛ばしたくなるのが人情というものだ。エレノア自身、父や姉、弟が人魚に殺されたなら、生まれて初めて国家権力を乱用し、人魚討伐のために王国海軍を出さないとは言い切れない。復讐は人間の性であり、危険の排除は本能であろう。

 しかしそれをやるには、人間はあまりに力を付け過ぎた。そして世界は、然程人間の思い通りには動いてくれない。


「イリスの考えも分かるわ。だけど人魚もこの世界で生きている生き物の一種。世界に対し、なんらかの働きをしている筈よ」


「……ああ、確か、生態系というものでしたか。未だそれもよく分からないのですが」


 エレノアの説明を聞いても、イリスはいまいちピンと来ていない様子だ。

 無理もない。生態系という考え方は、人間社会にはここ最近入ってきたのだから。

 元々はエルフの考えだった。ある種の生物が別の生き物の存在や生存に深く関わり合っている。何かが欠けた時、それは巡り巡って自分達に悪影響を与えるかも知れない。例えば小さな虫であっても、鳥の餌となり、その鳥が自分達の食事となる。故に虫は自分達の命を支えている。だからこそ自然を、生命を尊重しなければならない……

 人間達の考えは違った。小さな生き物など、その大きさ程度の価値しかないと。いなくなったところで、何も変わらない。鳥の餌となる虫なんていくらでもいるではないか。その鳥だって、何種類もいるのだ。一つか二ついなくなっても大して困らない。

 事実、それで問題はなかった。何故なら昔の人間は、。危険を全力で排除して、ようやく世界に居場所がある程度の存在だ。そのぐらい攻撃性がなければ、生きていけない。

 しかし今の人間は違う。鉄道の力で世界中を瞬く間に移動し、火薬の力で獣を簡単に殺せる。一種の生物を絶滅させる事も難しくなく、ごく狭い範囲ではあるがそれを成し得た場所も多い。もっと力を付ければ、更に大規模に邪魔な種を滅ぼせる。

 その弊害は、少しずつ出ている。

 とある草を雑草だからと畑から完全に排除したら、害虫が大量に発生するようになった。気持ち悪いという理由で蜘蛛を駆除すれば、蜘蛛が好んで食べていた虫が増える。そして疫病対策でネズミを大量に駆除したところ、更に危険な虫が大発生した……王国内でも実例は事欠かない。

 世界は複雑に絡み合っている。エルフが言っていた通りの事が、危惧した事態が起きようとしていた。そして人間にとっては邪魔な存在でも、世界にとって邪魔とは限らない。危険だという理由で一つの種を滅ぼせば、もっと酷い事が起きるかも知れない。


「これが、今の生物学の主流の考えになりつつあるわ。無闇な根絶は、却って人間の首を絞めるのよ」


「……正直、納得は出来ません。ネズミの例にしたって、そこまで害虫を食べているとも思えませんし。偶々なのでは?」


 説明してみても、イリスはいまいち納得出来ていない様子だ。

 これは仕方ない。ある種の生き物を滅ぼせば今ある生活が失われると言われても、その生き物が積極的に何かしている姿を人間は見ていないのだ。ましてやそれが自分達に、明確な害を与えているのなら尚更。幼い頃から『常識』として学んだならまだしも、話だけ聞いても絵空事に聞こえてしまうだろう。

 これはイリスだけの話ではない。生物学を学んでいない者に小難しい理論を話したところで、学者達の妄想と思われてしまう。むしろ自分達が直面している『害』への対処をサボるための方便と考える方が、得心が行く。

 そして王国には大学など教育機関があるものの、それらは主に富裕層や貴族が使うものだ。一般的な臣民の場合、商人など数字を使う者でも進学率は七割程度。農村では三割程度であり、それら進学した者が学ぶのは商学や農学など、将来の仕事に役立つものばかり。生物学を学ぶ一般国民など、果たして年に何人いるのかという話だ。

 この港町であっても、生物学を学んでいる者は殆どいないだろう。生態系を守る事は、自然の恵みを得ている漁師達にこそ大きな利益があるのだが、その漁師達が人魚を憎んでいるのだから『絵空事』を説明しても誰も受け入れない。

 イリスや漁師達を説得するには、十分な根拠が必要だ。そのためにも研究が必要である。


「何をするにしても今はまだ影響が分からないから、慎重に行動しようというのが私の考えね。もしも人魚が私達にとって大切な働きをしていたと後で分かっても、滅ぼした後では何も出来ないし、駆除するにしても分からないままと分かっているのとでは、後の影響の大きさも違うでしょ?」


「その考え方であれば、納得は兎も角理解は出来ます」


「ま、要するに全ては人魚に会わなきゃ始まらない訳よ。そして恐らく! あの人が件の漁師さん……よね?」


 話の流れのまま、エレノアはある場所を指差す。しかしその後に続けた言葉は尻すぼみになってしまったが。

 イーヴィスから聞いていた待ち合わせ場所には、一人の漁師らしき人物がいた。傍には小さな船が海に浮かんでおり、彼の持ち物なのだろうが……三人も乗ると窮屈そうな代物だ。見たところ帆船で、真新しい船のようだが、素人目には小さな波が来れば簡単に転覆しそうに思える。

 あまつさえそこにいる人物は、どうにも身形が小汚い。無精髭を生やし、髪はぼさぼさ。着ている服も薄汚れている。風が吹くと刺激臭がエレノアの鼻を突いたが、どうやらあの男の身体から漂っているらしい。数日どころか数週間風呂に入っていないのではないかと思えた。顔立ちからして三十か四十代だと思われ、無精髭を生やしているものの端正な見た目は女性に好まれそうだが、こんな臭いを漂わせては誰も近付かないだろう。

 だが何より気になるのは、その目。

 死んだ魚のような目、という言葉があるが、男の目は正にそれだ。生気がまるで感じられず、ハッキリ言って犯罪者のような気配すら感じられる。どんな人物でもエレノア王族にとっては国民であり、愛すべき存在だと考えているが……何事にも例外はある。それに王族だからこそ自分の身は大事にすべきであり、危険には迂闊に近付くべきではない。

 さて。あの人物が待ち合わせ相手なのか。


「……流石に、あれは私が相手しましょう。エレノア様は私の後ろにいてください」


 エレノアが固まったのを見て、すかさずイリスが前に出る。今回ばかりは素直に言う事を聞き、エレノアはイリスの背中側に回る。


「失礼。貴殿がジェームズでよろしいか?」


 イリスが男の名を問うと、男はちらりと視線を向けてくる。

 しばらく男……ジェームズは動かなかったが、やがて口を開く。呆けたような、今まで寝ていたかのような、ひたすらに元気のない声だった。


「……ああ、そうだ。アンタら、イーヴィスの使いか?」


「ああ。正確には、我々は彼の代理だ。イーヴィス殿に代わり同行する事となった。問題があれば日を改めるが」


「いいや、俺は問題ねぇ。この船は三人が乗るには小さいが、俺なら問題なく操縦出来る。それよりそっちのお嬢ちゃんの方は大丈夫なのか」


 ジェームズが気に掛けたのは、エレノアの方。実年齢は十八歳のエレノアだが、見た目は十五にもなっていないような小娘だ。見た目からして筋肉があるようにも見えず、荒々しく船が揺れれば海上に投げ出される可能性は低くないだろう。

 またエレノアが第二王女だと気付かなくても(頻繁に目にしている王都住民以外は基本国王以外の顔など知らないのが普通である)、立ち振る舞いの洗練ぶりなどから貴族の子女だとは察せられる。武家のような一部を除けば、貴族の女性など非力の代名詞。波の影響を受けやすい小舟に乗って大丈夫かと不安に思うのは、当然だろう。

 とはいえエレノアもただのお姫様ではない。海洋生物を学んでからは、よく海に出て調査に参加した。嵐に巻き込まれた経験も一度や二度ではない。ここまで小さな船に乗るのは久しぶりだが、未経験ではないのだ。迷惑を掛けない自信はある。


「はい、大丈夫です! これでも海には何度も出ていますし、割と酷い目も何度か遭っているので平気ですよ!」


「それもあるが、この船は人魚を探しに行くんだ。危険だぞ」


 エレノアが元気よく答えても、ジェームズは念押しするように訊いてくる。

 その時の瞳は死んだ魚のそれではない。何か、確固たる意志を秘めたものだとエレノアは感じた。

 また、その問いの『意味』も重々把握している。

 そもそも何故このジェームズと待ち合わせをし、船を出してもらう必要があったのか。それは殆どの漁師が、人魚を憎んでいるのと同時に恐れてもいるため。いくら海の男だろうと、海中に引き込まれれば人魚には勝てない。漁は仕事であるし、必ずしも人魚と出会う訳ではないのだから出られるが……わざわざ人魚に会おうとするのは自殺行為も同然。ましてや今この町は観光客のお陰で景気は良く、無理に金を稼ぐ必要はない。調査協力の名目で金を積んでも、それに釣られる者は少なくなる。

 結局人魚探しの仕事を受けてくれたのはジェームズただ一人。イーヴィスからはそう聞いている。

 ジェームズには何か、仕事を受けるだけの理由があるのだろう。しかし『貴族のご令嬢』にそんな覚悟があるとは限らない。命の危険があるのだから止めた方が良い……そう言いたいのか。

 その重々しい言葉と視線には、軽くない気持ちが宿っている。

 込められた気持ちには相応の気持ちを返すべきだ。エレノアはそう信じている。


「はい。ですが行かねばなりません。人魚について調べ、知る事。それが人魚の被害を減らし、人々の生活を守る事に繋がると私は信じていますから」


 だからこそ正面からジェームズと向き合い、エレノアは自らの信念を以て答えた。

 とはいえいくら信念を持とうと、それが相手にとって受け入れられるものとは限らない。


「そうまでして人魚を知りたいなんて思う気持ちが、俺には分からんがな……あんな奴等、銃でもなんでも使って皆殺しにしちまえばいいんだ」


 ジェームズにとってエレノアの信念は、鼻息一つで吐き捨てられる程度のものにしか感じられなかったようだ。

 それは彼の本心か。いや、この港町にいる大勢の人間の総意かも知れない。

 本音を言えば、その考え方は危険だとエレノアは言いたい。科学的な見識を以てして。けれども自分よりも長く人魚と付き合ってきた彼等の気持ちを、自分の一時の『感情』で否定する事がどれだけ軽薄な行いであるかも理解していた。

 生物学を専門とする学者であるのと同時に、王女という立場であるがために民草の言葉を無視出来ない。


「……それを知るためにも、調査と研究は必要なのですよ」


 だから精いっぱいの誠意として、ジェームズが望む事も調べようとしていると、嘘ではない言葉で返すのだった。

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