第二王女
エレノア第二王女。
現国王の次女であり、王国における王位継承権第二位を持つ。王国では未だ王族が強い力を持ち、また善政の甲斐もあって国民の支持も厚い。故に貴族達が束になっても王政を揺るがす事も出来ない。それほどまでの絶対的権力者を父に持つ、少々語弊のある言い方だが、同盟国から嫁いできた女王を除けば王国で三番目に『偉い』人物――――
それがエレノアという少女の正体だ。
公爵家令嬢であるイリス(ちなみに彼女は七女の末娘)とは幼馴染の間柄。イリスだけでなく多くの貴族達とも繋がりがあり、
尤もエレノアは、自身の立場であれこれ命じるのを好まないのだが。
そもそも王位を継ごうという意欲もない。勿論王族としての責務は、多少なりと自覚しているつもりだ。現国王や姉に『万一』があった時には王位を継ぐ覚悟があり、そのための教育も受けている。しかし政権が安定し、諸外国との外交関係も平和的な今、その万一が起きる可能性はほぼない。また政治の能力では自分の弟である第一王子の方が優秀だ。今はまだ幼いが、成人になればそちらの方が遥かに国王に向いている。
何より、国政よりも海洋生物の世界にエレノアは惹かれた。
将来を決定付けたのは幼い頃、父と共に海沿いの村を視察した時の事。父が……今思えば国境の統治も行き届いていると諸外国にアピールしていたのだろう……村長と話している間、エレノアはイリス及び村の子供達と共に海辺で遊んでいた。そこで小さな生き物を見付けた。これは一体なんなのかと思い村人に聞いても、釣り餌に使う虫としか言わない。視察後に
そんな生き物が、海にはたくさんいる。否、むしろ殆どがそんな生き物ばかり。
未知の世界がすぐ傍にあったと知り、エレノアは海洋生物に魅了された。父親である国王に頼み、王位継承のための教育以外に海洋生物学も幼少期から専攻。一王女という立場もあって教育は全て
今回、この港町を訪れたのもとある生物種の研究をするためだ。故に塔……第六王国海洋研究所にいるただ一人の『先輩研究員』とは、これから一緒に仕事を行う関係となる。
その先輩が頭を地面に擦り付けるような土下座状態なのは、権力に興味がないエレノアからすると割と居心地が悪かった。
「えっと、あの、先程は大変失礼しました……」
その旨を正直に伝え、どうにか緊張を解く事凡そ五分。土下座していた先輩研究員――――金髪の少年エルフ・イーヴィスはへこへこと平謝りしていた。
確かに彼の態度はエレノアにとって不本意なものだが、怒りはしていない。一王族が、王立とはいえ一介の研究所にやってきたのだ。ましてや王族の人となりなど、新聞報道以上の事なんて知る由もない。失言一つで(物理的に)クビになるかもと思ったら、緊張してしまうのも無理はないだろう。
エレノアとしては、この研究員が研究費の横領など犯罪行為でもしてない限り、クビにする気などない。例え馬が合わずとも研究者として優秀なら、その喪失は国民にとってもマイナスだ。王位を継ぐ気はなくとも、一人の王族としての心構えがエレノアにはある。
「いえ。急に王族が来るとなれば、緊張するのも当然です。でもこれからは、私の事はあくまで一研究者として扱ってください。立場的に私は後輩ですから、ため口も構いません」
『外』向けの丁寧な言葉遣いで、これからの付き合い方について提案してみる。
これが貴族なら比較的容易に受け入れられたかも知れない。しかしエレノアは第二王女。これだけでイーヴィスの緊張を解すには至らない。むしろ再び戸惑わせてしまう。
「え。いや、あの」
「エレノア様。あまり非常識な事を言わないでください。どつきますよ」
「どつくの!?」
一発で極刑になりそうなイリスの発言に、イーヴィスは目を丸くして驚く。実際大問題なのだが、エレノアとイリスの関係は特別だ。本当にどつかれかねないし、エレノアの性格は
破天荒なエレノア達のやり取りを見たお陰か、イーヴィスの緊張は(良し悪しは兎も角)解れた。今ならちゃんと話が出来るだろうが、もう少しエレノアは親交を深めるための話題を振ってみる。
「ところで、イーヴィスさんはエルフですよね? 森の中で暮らすエルフが、海の研究に関わっている事は少々驚きです」
「あ、あはは。いえ、あの、森に引きこもっていたからと言いますか……二十年前だったかな。蒸気機関車で海沿いの町まで行って、海に、こう、初恋みたいにときめいてしまいまして」
イーヴィスは海洋生物学の世界に関わるようになったきっかけを教えてくれた。
エルフは森で生まれ、森で栄えてきた種族だ。言い換えれば内陸で発展してきた生物であり、海など見た事もないのが普通。初めて海を目にして、感動のあまり研究者になってしまう事もあるかも知れない。エレノアも似たような経験で研究者を志した身なので、その気持ちはとても理解出来た。
それと二十年前という言葉から、彼が少なくともエレノアより年上だと分かる。これについては特に驚きもない。エルフは人間よりも遥かに長命で、年老いても若い姿を保っている事が多い。なんでも三百年ぐらいは生きるという。
またイーヴィスは一人でこの研究所を任されている身だ。第六王立海洋研究所が『辺境』にある事を考慮しても、曲がりなりにも国が運営資金を出している機関なのだから、それなりの実績がなければ管理は任されない。研究者として極めて優秀と考えるのが妥当である。
――――今回国から出された指示は、そんな彼でも一人では手が回らないほど困難なもの。そのため彼は国に追加人員を要請した。
そしてその要請をエレノアが偶々見付け、「面白そう!」と思い馳せ参じたのが、今回エレノアが此処に来た理由である。要するにエレノアの立場はイーヴィスの助っ人なのだ。
無論興味を持ったからというだけでなく、自分の研究者としての実力を ― 忌憚のない意見を言ってくれるイリスのお墨付きもある ― 客観的に評価し、手助けは出来るだろうと判断した上での自薦である。
「……エレノア様。世間話も良いですが、そろそろ本題を切り出してはどうでしょうか」
互いの紹介を終えたところで、イリスが話を先に進めるよう促す。
イーヴィスがどんな命令を国から受けたか、『求人』情報に書かれていたためエレノアも知っている。とはいえそれは大まかな指示内容と、その指示を出す経緯が書いてあるだけ。現状がどうなっているのか、どこまで研究が進んでいるのか、詳しくは知らない。
まずはそういった認識の擦り合わせが必要だ。
「そうですね。では、聞かせてくれますか。この町と『人魚』について」
「はい、分かりました」
エレノアからもイーヴィスに尋ねる。彼は大きく頷いた後、町が見舞われている状況、自身に任せられた研究について話し始めた。
人魚。
それは古来より存在が確認されてきた、海洋に生息する種族だ。数は多くないが、世界各地の沿岸から沖合で見られる。人間と魚を合わせたような外観をしており、エルフなどと同じく亜人の一種とされているが……他の亜人と違い言葉を交わさず、現時点で意思疎通が全く取れていない。おまけに向こうの態度は、人間に全く興味がないか、敵意を抱くかの二通りだ。他の亜人に対しても同じ態度で、誰も人魚がどんな亜人なのか知らない。そのため何故こちらに敵意を抱くのかも分かっていない。
おまけに活動域が他の亜人と違い海中なため、生態を調べる事も出来ず全くの不明。何処まで泳げるのか、息継ぎは必要ないのか、何を食べているのかも分かっていない。死骸があれば幾らか調べようもあるのだが、弱った個体は海面まで来てくれないようで、現時点で公式に回収出来たものはない。精々、腐乱して原型を留めていないものが数個体あるだけ。これでも標本の価値はあるが、謎を解き明かすには物足りない。
習性不明、意思も不明、どちらかと言えば敵対的でその理由も不明。これで仲良くしようと思うのは少々無理な話で、人間どころか他の亜人からも大概嫌われている。
それでもここ三十年前まで、大きな問題になる事は殆どなかった。人魚は人間が暮らす沿岸部まで来る事は殆どなく、主に沖合で生活していたからだ。いくら敵視や嫌悪をしようと、接触がなければ『許容』は出来る。また被害といっても、偶然接触した人魚に生け簀を壊された、船をひっくり返したという程度。憎しみと言えるほどのものではない。
しかしここ三十年で人間側の船舶技術が発展。主にドワーフの優れた技術や、エルフが育てた良質な材木などのお陰だ。これにより小さな船でも沖に出て漁が行えるようになり、結果人魚との接触が増えた。接触が増えれば嫌悪と敵意がぶつかり合い、相手が許容出来なくなっていく。
これが『世界』全体の傾向である。差別意識に基づく衝突は避けるべきであるのは当然であり、また最悪戦いとなった時には人間を守るべく優位に戦いを進められるよう、相手について詳しく知るべきだ。とはいえ危機が近々まで迫っている訳ではなく、急いでやらねばならない事でもない。だからこそ今日までこれといった予算も人員も付かず、人魚研究は停滞していた。
だが、この港町では状況が違う。
「この地域では、昔から人魚に強い敵意があります。人魚側の行動が過激で、積極的に船を攻撃し、沈めているからです。直接人間を殺傷する事はありませんが、沈む漁具に巻き込まれて溺死する者が稀にいます」
「うーん。確かに、他の地域ではそこまでの攻撃性は見られませんね」
「その攻撃性が昔からあった事は、この町の食文化からも伺えます。他地域では人魚の腰巾着とも言われているマーメイドフィッシュですが、毒魚であるこの魚をこの町では積極的に食べています。勿論この魚が此処ではよく捕れるというのもあるのですが、人魚の配下を食べる事で人魚に屈しないというアピール、それと共通の敵を意識する事で集落の結束を高めてきたと思われます」
食文化というのは、地域の生活に密着している。人魚の手下という魚を、毒があるにも関わらず積極的に食べるというのは、人魚を強く憎んでいる証だ。
接触が少なかった筈の昔ですらこうなのだ。船の技術が進歩し、接触が増えればどうなるかは容易に想像が付く。
「技術が進歩し、多くの船が出るようになると被害は大きく増えました。特にここ十年、観光地化が進んだ頃から急激に被害が増えています。先日も一人、親の手伝いをしていた子供が亡くなっています」
「それは、確かに早急な対応が必要ですね。国民の命が失われる事は、私としても許容出来ません」
「ええ、自分もエレノア様と同じ気持ちです。それに船が沈められる事は、単に人的な危険性だけでは済みません。この町は今ではすっかり海沿いの観光地ですが、観光客に出している料理は地元の魚です。産業の基盤は、昔から変わらず漁業なのです」
「……主要産業である漁業が正常に行えないとなれば、経済が大きく揺らぐでしょう。経済不安は治安を悪化させます。この都市を収めている貴族にとっても、民衆に不満が溜まるのは好ましくありません」
イリスが語る推測に、イーヴィスはこくりと頷く。
不満が溜まった民衆は何を求めるか? 恐らく最も簡単で、そして憎しみを晴らし、尚且つ自分達の毀損された権益を拡大する方法を選ぶ。
つまり人魚の『駆逐』だ。今でこそエルフやドワーフなど陸上の亜人とは友好関係を結んでいる人類だが、大昔は些細な事柄から大きな戦争をしていた。結果的にどの種族も根絶やしとなる前に講和が結べ、かなり融和が進んだものの、今でもかつての戦地では差別意識が残っているという。人魚相手に、今更人間が理性的に振る舞うと思えるほど、エレノアは人間という種族を信じてはいない。
しかしどれだけ民衆から突き上げられても、貴族達も早々駆除には出られない。
何故なら人魚は水中の生き物であり、決して陸には上がらない。人間が海に出るのを邪魔するだけ。よって駆逐するには人間が海に行かねばならないが、人間は陸上の生き物だ。水中では殆ど戦えない。最新鋭の武器である銃も、水の中では殆ど弾が進まず、効果的な一撃にならない。
つまりまともに戦っても返り討ちに遭うだけ。兵を無意味に死なせれば、当然その遺族からの反発を貴族は受ける。失敗すれば市民からも強力な不信感が生じるだろう……無茶な派兵を求めたのは市民側だとしても、だ。また兵力の極端な減衰は、国防から見ても好ましくない。いくら諸外国との関係が良好とはいえ、最低限の守りは維持すべきである。失敗すれば、この地を治める貴族はなんらかの責任を取らされるだろう。
こんな戦に兵を出す訳にはいかない。されど出さねば、日和見だのなんだの不満を言われる。地域情勢は不安定になり、王国にとっての『膿』となる。
「そこでこの地を治める貴族であるダウニエル伯爵は、国を通して自分に命令を出しました。人魚について研究し、対抗策を見付けよ、と」
結局のところ問題なのは、人魚がどんな存在なのか知らない事だ。人間を襲う理由が分かれば共存の道があるかも知れず、弱点が分かれば安全な駆除を行える。
どんな方法を選ぶとしても、知らなければ何も出来ない。
「期限は設けられていませんが、民衆の不満は既にかなり大きなものとなっています。早急な解決が必要ですが、自分だけでは解明出来る自信がありません。そこで応援を要請したのです」
イーヴィスの懸念と判断は至極正しい。いくら接触が少なかったとはいえ、未だ詳しい生態すら分かっていない種族だ。たった一人で、短期間で解ける謎ではないだろう。
エレノアも国民の生命と財産を守るための協力は惜しまない。王位に拘りはなくとも、王族の一人として国民のために生きる所存だ。
「……まさかエレノア様が来てくださるとは、思いませんでしたが」
「驚かせてしまい、申し訳ありません。エレノア様の事は王族ではなく下っ端研究員ぐらいに思ってくだされば大丈夫です」
「イリス、それ私の台詞よ〜?」
下っ端扱いで良いという事は訂正せず、にこやかにイリスを窘める。尤も、イリスはエレノアの気持ちを代弁しただけだ。無礼なように見えて、彼女が一番エレノアの気持ちに寄り添っている。
とはいえ傍から見れば中々失礼な発言である。従者兼護衛である筈のイリスがそのような言動をし、あまつさえ許されたところを見て、イーヴィスの中で王族に対する『無礼』の閾値が下がったのか。
「え、えっと……でしたら、まずは人魚と会ってきますか……?」
恐る恐るではあるが、イーヴィスからそう提案された。
死者すら出している人魚との接触。もしも国王陛下や第一王女など、他の王族にこのような提案をすれば「王族を危険に晒した」として逮捕、極刑もあり得るだろう。イーヴィスも言った後にちょっと顔を引き攣らせていたので、本当に軽い気持ちで言っただけかも知れない。
しかしエレノアにとっては、正に待ち望んでいた提案。
彼女は、王族としての使命感は元より、未だ謎多き人魚を知りたくてこの研究に参加したのだ。変に立場を気にして、この機を逃す訳にはいかない。
「はい! 是非! 早速行きましょう!」
前のめりになり、鼻息を荒くしながら人魚に遭おうとする第二王女。それを前にして、あれ? こんなぐいぐい来るの? と言いたげなイーヴィス。
イリスが呆れた顔をしながら肩を竦めたからか、イーヴィスの口から「あれは冗談でした」という言葉が出てくる事はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます