三ノ夜 キャンプ場のトイレ

仕事でとあるキャンプ場の近くに行っていた時に体験しました。


私は地質調査の仕事をしておりまして、その中に平板載荷という試験があります。

試験の詳細は省きますが、ざっくり言うと擁壁や建物等が建築される前の土の状態、いわゆる密度がその建築物を支えるに値するかどうかを調べる試験です。

始まってしまえば単純で、規定の荷重に達するまでは基本的に座っているだけです。途中ちょっとした機材の操作はありますが、決して難しい仕様では無く、その日も楽な仕事でよかったと楽観していました。


その日の予定としては、朝11時からスタートして、昼の3時には終わる予定でした。

しかし、現場で多少の行き違いがあり、結局試験を開始できたのは本来終わる予定の時刻であった3時からになりました。この時点で終わる時刻も大幅にずれ込んでしまったため、面倒なことになったなあと逆に辟易したのを覚えています。


試験を始めてしばらく経った頃、用を足したくなった私は同じ現場に来ていた同僚に試験を代わってくれるよう頼みました。


ただその現場は、市街を離れかなり山の方に登った場所にあったため、近くにトイレなんてありません。いつもなら木陰に隠れてすることもあるのですが、今回は他の会社の作業員の方々があちこちに居たためうかつにするのも気がひけました。


仮設トイレでもあればいいのにと内心毒づきながらできそうな場所を探していると、丁度道路を挟んで向かい側の小高い丘の上に人工の屋根のようなモノが見えました。


近づいてみると、既に草木のせいで殆ど見えなくなっていますが、頂上まで石畳の階段が設えられており、中腹辺りには既にボロボロになった木製の看板が立っています。看板には掠れた文字で◯◯キャンプ場と書かれていました。


キャンプ場なら簡易トイレでもあるかもしれないと思い階段を上ってみると少し開けた場所に出ました。

左手側にはアスレチックのような施設が、右手には宿泊用のログハウスが3棟並び、その手前には炊事場があります。

下から見えていた屋根は、どうやらバーベキュー用のコンロや椅子、テーブル等の雨避けであり、それらは全て無情にも風雨に曝され錆び腐り、落ち葉や塵に埋もれています。

奥に見える管理小屋も見るからにボロボロで、窓ガラスには大きなクモの巣が作られ、雨どいは途中から完全に腐り落ちていました。

既存の建物は廃屋同然、無数に生えた雑草は食い破るようにして人工芝を侵食しています。

この場所がキャンプ場として既に機能していないことは火を見るより明らかでした。


人が居なくなってどれくらい経つのだろうと思案しながら管理小屋の裏に回ってみると、幸運にもトイレらしき掘っ立て小屋を見つけました。他の建物同様に朽ちてはいますが、いよいよ背に腹は変えられない状況でしたので急いで中に入りました。


入った瞬間トイレ内が異様に暗いことに驚きました。入り口から見て左側には小便器が6つ、通路を挟んで向かい側は個室になっており、開け放たれた扉の向こうには古めかしい和式便所が見えます。

今日は生憎の曇り空で陽も差さず、また小便器の上の小窓は汚れている為、光度が弱くなっているのは仕方ないのですが、それにしても暗い。まるで洞穴のような陰鬱とした気配がその空間には満ちていました。


流石に奥まで行くのは少し怖かったため、一番手前の方で用を足しました。その間も何となく周囲をキョロキョロしたり、個室に誰か居ないだろうかと不安になったりしました。しかし、結局何事もなく終えることができ、逃げるようにしていそいそと現場へと戻りました。


時刻は19時になり、ようやく試験が終わりました。日は既に落ち、現場は昭光機のお陰で明るいですが、光の届かない場所は既に真っ暗闇です。


片付けを終え後は車で帰るだけとなった時に、またどうしても用を足したくなってきました。


現場から最寄りの町まで行くのにおよそ一時間、その間にコンビニやスーパーはありません。他の作業員の方々も徐々に引き上げていますが、まだ片付け等でうろうろしており、一目を忍んで済ますのはやはり難しそうでした。


やはりあのトイレでするしか、そう考えた時に薄暗くて不気味な中の様子が脳裏を掠めました。現場からキャンプ場までさほど距離は離れていませんが、一人であそこまで行くのは正直嫌でした。そうはいってもいい大人が同僚に、怖いからトイレに着いてきて欲しいと頼むのも、恥ずかしくて気が引けます。

結局、直ぐに済ませて帰ろうと何とか自分を奮い立たせもう一度キャンプ場のトイレに行くことにしました。


つい数時間前に来たばかりなのに、辺りはまるで別世界のような暗闇と静寂に包まれていました。

雲の切れ間から僅かに漏れる月明かりのお陰で何となく周囲の様子は分かりますが、足元をライトで照らしておかないととても進むことはできません。


足元を確認し、なるべく急ぎながら何とかトイレまでたどり着きます。しかしいざ目の前にするとやはり足がすくみました。


人里離れた山奥にある夜のトイレに一人、その事実を自覚するだけで恐怖で足が止まってしまいます。入口に照明のスイッチがあり、駄目もとで押してみましたがやはり電気は通っていませんでした。


ここなら誰も見ていないし、そこら辺でしてしまおうかとも考えましたが、同時にたかが用を足すのにこれ程怯えている自分が何だか情けなくもなったため、一度ふうっと息を吐き、勇気を出してトイレには足を踏み入れました。


トイレの中は外の暗さが眩しく感じる程の暗闇でした。一寸先は闇の言葉通り、伸ばした手が見えなくなるほどの濃密な黒さです。


やはり不気味だ、とにかく早く済ませよう。そう思った私は照らしていたライトを、足元から左手の小便器側に移しました。


-ん?

その時、私は妙な違和感を覚え、ライトを照らしたまま固まってしまいました。


何だろう、何かが今おかしかった。

恐る恐る手元のライトを左側から、右側の個室の方に向けたその瞬間でした。


「っ!」


思わず声にならない叫び声が漏れました。


照らしたライトの先、そこにある全個室の扉が何故か全て閉まっていたのです。


確かに数時間前に来た時は全て開いていました。

こんな時間にこんな場所で、明かりも着けずに用を足す人間がこれだけ居るとは到底思えません。

中から音はしません。しかし、扉の向こうから言葉では言い表せない何者かの気配が確かに存在しているのを感じました。


私はあまりの恐怖に硬直したまま動けなくなりました。尿意など既にどこかへ消え去っています。一刻も早くここから離れよう、そう思って後に下がろうとした時でした。


何故か私の意に反して、右足が一歩前に踏み出したのです。続け様に左足が更に向こう側へ進もうとします。危機感を覚えた私は持っていたライトを落とし、反射的に入口の壁を掴みました。尚も足は前へ前へと進むので、私は壁に両手を掴んだままその場に尻餅を着きました。


落ちて転がったライトがトイレの奥を照らします。その時でした。


ギイイと音を立てて一番奥の個室の扉が開きました。


その後、個室の足元付近から真っ黒な髪の毛のようなものが、まるで地面を這うように徐々に個室から出てきたのです。


「あっあっ...」


パニックとは形容しがたい程私の脳内はめちゃくちゃでした。逃げようともがけばもがく程足は滑りまるでランニングマシンに乗っているかのような手応えの無さです。


目前では、生者とは思えぬ程の青白い額がゆっくりと顔を出し、その額の下では下血を溢したかのような赤黒い瞳が真っ直ぐ私を見ていました。


連なるようにして歪に折れ曲がった青白い手足が、およそ人間では不可能な角度でバラバラに個室から現れます。

まるで個室を巣としたヤドカリのようなソイツは、長く延びた手足をべちゃりべちゃりと鳴らし、また、口から「カタカタカタカタ」という奇妙な音を発しながらながら私の方へと近づいてきました。


今でも気絶しなかった理由がわかりません。私はなんとか逃げ出したい一心で、言うことを効かない両足を片方の腕で折れても良いくらいの気持ちで何度も殴りました。

それが正しい判断だったのかは分かりませんが、その時は兎に角足を動かさないとと必死だったんです。


徐々にソイツとの距離が縮まる中、半狂乱で足を殴っていると、傷みに混じり両足の感覚が戻っているのを感じました。


何とか地面から這い上がって、傷ついた足を引きずりながら急いでその場から逃げ出しました。


背後では相変わらずべちゃりと地面を鳴らす音と、「カタカタカタカタ」という奇妙な音が聞こえています。管理小屋を過ぎ、広場を通り抜けようやく階段までたどり着く頃には脂汗で身体はびしょびしょでした。

何度もこけそうになりながら、昇ってきた階段を落下するように降り、そのままスピードを殺さずに現場まで走ります。


昭光機の明かりが見え、車に乗って待機していた同僚と目があった時には、安堵から涙が溢れました。いつの間にかソイツの気配も消え、周囲も先程までの静寂に包まれていました。


ボンネットにしがみついて来た私に驚いた様子の同僚が車から降りてきました。「どうしたんですか?!」ただならぬ様相の私を見て、同僚はそう声をかけてきましたが、私はただ一言「帰ろう...。」としか答えることができませんでした。



あれから自分なりに調べては見ましたが、過去あのキャンプ場で何があったかは分かりませんでした。あの時足が動かなければ、あいつに捕まっていたらどうなっていたのか、考えるだけで今でも震えてしまいます。




  (Y県M市Uさんの譚)


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